第8話 七夕の短冊に願いを込めて

【七夕の短冊に願いを込めて】


 7月5日、土曜日

 午前0:30


とうに日が暮れた住宅街の道路。ぽつぽつと立っている電灯と、満月の白い光だけが行く先を照らす。

たどり着いたのは一軒のボロアパート。2階建ての外廊下で、鉄製の階段は錆びが進んでおり、いつ崩壊するか分かったものではない。

アパートの横を走り過ぎる夜行列車の光。となりで鳴り響く踏切の赤。

その2階の奥が田中家の部屋。田中未潔の家である。

鉄製の鍵穴に鍵を差し込み、カチャリと軽快な音を立てて解錠する。

「ただいまー。」

今日は任務で随分と帰りが遅くなってしまった。

「今日は簡単なものにしよう……。」

玄関で靴を脱ぎ、ガスコンロに鍋をのせて火をつけ、水を沸かす。その間に風呂を洗って、水とお湯の2つの蛇口を捻って丁度いい温度に調節する。

台所に戻ってエプロンを付けて冷蔵庫を開き、味噌や野菜などその他諸々を取り出す。

熱湯にダシと味噌を溶かし、野菜を切っていく。

「あ、魚忘れた。」

という事で魚はベーコンに代わり、油を敷いたフライパンで薄い肉を焼く。

最後に、炊飯器からご飯を取り出して、出来た料理をそれぞれの皿に盛りつけて完成だ。

味噌汁に白米、サラダ、そしてベーコン。

「なんか朝ご飯みたいになっちゃった……。」

机にそれぞれの皿を並べて、エプロンを取って椅子に腰かけ、手を合わせる。

「いただきます。」

この部屋は玄関を入ってすぐに台所があり、その横に机を置いて食事をしている。となりの部屋には風呂とトイレが並び、その奥の一室は布団を敷いて寝室となっている。

ご飯を食べながら、未潔は今日の任務について思い出していた。


「そよ風。報告しろ。」

 耳に取り付けた小さな機器から合成音声が聞こえてくる。

 ここは警察署の横。背の低い草が茂り、コンクリートの壁に小さな穴が長方形に空いている。

「はい。細かなガラスの破片と鋼を見つけました。そして、例の窓に新しい窓ガラスはまだ取り付けられていません。」

未潔は耳の機器に向けて声を放つ。

元々窓ガラスがあった穴の向こう側は取り調べ室になっている。割れた窓は既に撤去されたのだろう。

「わかった。では、最後に1つ質問をする。」

「はい。」

「そよ風。仮に取り調べ室で殺された男をターゲットと呼ぶことにしよう。お前ならどこからターゲットを狙う?」

 未潔はしゃがんだ状態から立ち上がって、辺りを見回す。

「窓の正面に建っているビルの屋上からでしょうか。ですが、高さが合わないので、ターゲットが窓に近づいたときか、取調室に入退室するときにしか不可能です。」

「しかし今回、ターゲットは取り調べ中に狙撃された。椅子に座っている。」

 合成音声は低めで、通話相手はおそらく男性だろう。

「はい。なので、ビルに潜入して狙撃できる階から狙ったか、更に後方にあるビルから狙ったと考えられます。しかし―。」

「潜入にしても逃げ場がないし、後方のビルから撃ったとしても、かなりの技術と高性能スナイパーが必要、か。」

 そこまで言うと、男は黙る。しばらくして、再び機器から声が発せられた。

「状況は把握できた。今回の任務は終わりだ。ご苦労だった。」

「もういいのですか?」

「ああ。今日はお前の意見を訊きたかっただけだ。」

「わかりました。」

 未潔は耳の機器に触れ、電源を切った。


「ごちそうさまでした。」

 ご飯を全て食べ終え、エプロンを付けなおして皿を洗う。

 依頼人は結局、何を確かめたかったんだろう。考えを訊くだけなら、わざわざ現地に向かわせるなんて面倒な事はしないはず。情報屋を名乗っているのだから、なおさら。

 皿を洗い終え、エプロンを取って椅子に掛け、風呂に向かった。

 白い湯気が立ち込める浴室の中、未潔はざぶんと風呂に浸かる。

「ふぅ。」

 肺にたまった息を吐きだして、ゆっくりと目を閉じる。

 台所には、椅子が3つ。

押し入れにしまわれた布団も3人分。

そして、木製テーブルの上にはまだ2人分の食事がそれぞれの皿に乗って残っている。

「お父さん。お母さん。今日はどんな任務に行ってるのかなぁ。」

 未潔は決して1人暮らしをしている訳ではない。未潔は両親とこのアパートに住んでいる。

 未潔の両親は国家の裏組織に所属しており、常日頃から国のために任務をこなしている。

 家系の中でも1番に優秀な2人なので仕事の量も多い。

 そのため、帰りが遅くなる日はこうして未潔がご飯を用意している。

 未潔は裏組織に所属していないが、こずかい程度にスパイとして、たまにくる依頼人の情報屋からの任務をこなしている。

「いつか私も……。」

 全身の力を抜いて、肩まで湯に浸かる。

 あの2人みたいなスパイになりたいな。

 風呂から上がり、パジャマに着替えて髪についた水をタオルでふき取る。

 布団を敷こうと寝室に向かうため、未潔は廊下に出る。

 部屋の半分を過ぎたところで、未潔は気づく。

「……っ⁉」

 誰かがこの部屋に近づいてくる、ほんの僅かな気配に。

 耳を澄ましても音一つ聞こえてこない。

このボロアパートで一切の音を立てずに気配を消して移動をする事など、一流のスパイでもない限り不可能だ。

カチャッ

解錠の音が静かな部屋の中に響く。

キィー

玄関のドアが開かれる音。

トタトタ

土足で上がってきたのか、靴の音が静寂に際立って聞こえる。

トタトタ……

どうやら部屋の中を歩き回っているらしい。

「そっちはどうだ。」

 しばらくして、男性の低い声が響いてくる。

「いない。でも、台所の味噌汁はぬるいし、布団は敷かれてない。」

 今度は若い男性の声。

 2人……⁉

「風呂はまだ入れたばかりのようだ。」

「両親にご飯を作ってお風呂に入ってから出かけたのかな。」

「どこにだ。」

「仲良しな友達の家とか?」

「田中未潔に親しい友達はいない。」

 若い男に機械的な返事を返すもう1人の男。

「データに忠実だねぇ、君は。でも分からないよ。気になった男の家に乗り込みに行ったのかもしれない。彼女も年頃の少女な訳だしね。」

 機械的な返事しか返さない男に向かって意気揚々と話す若い男。

 バン!

 部屋の中に響く銃声。発砲された銃弾は、若い男の足の横を走りすぎようとした小動物の体を貫いた。

「ねずみか。」

「ひえぇ~。怖い怖い。」

 若い男はわざとらしく怖がって見せる。銃声はアパートの住民の耳にも届いたはずなのに、一向に誰も起きてくる気配がしない。

「両親に関する情報を漁れ。」

「はいはい。」

 そういって2人は寝室に入り、棚を引き出したり、戻したりする。

 未潔は屋根裏に這いつくばるようにして隠れていた。

 敵は2人。1人は銃持ち。という事はもう1人も持っているに違いない。

 これまで以上に注意を払って気配を消し、そっと動き出す。

 目指すのはこのアパートの崩壊部分。隣の部屋の屋根裏は線路側に穴が開いている。

 ちょうど人ひとり通れるかどうかという大きさだ。そこから線路とアパートを分ける灰色のレンガ塀に飛び移る。

 慎重に身を起こし、しゃがんだ状態で跳躍の姿勢をとる。

 飛ぶ瞬間に耳をかすめたのは。

「にしても不幸だよねぇ。国のために任務をこなしていたとは言え、我々の事を知ってしまったんだから。」

 先程のテンションから一転した、若い男の真剣な声音だった。


7月7日、月曜日

午前8時

「あっ、時間だ。」

「いってきまーす。」

「いってきまーす。」

 そう言って私は玄関を出る。

「おはよう、楓翼くん。」

「おはよう、胡桃。」

 いつものように笑顔を交わして登校する。しかし、今日はいつもと違う事があった。

「おはようございます。」

「おはよう、タミナ……じゃなくて、めぐみ。」

「おはよう、めぐみ。」

 実は、タミナは私たちと同じ高校に通っていて隣のクラスだった事が判明。そして本名は棚橋めぐみという。

 UFOで一緒にプレイしている間に何かと話しがかみ合っていたのと、学校で偶然、見た目が全く同じ人を見つけて話しかけたら本人だった。

 めぐみの家は遠いけど、私たちの家を通過するので一緒に登校する事になった。

「昨日のボス討伐、ナイス連携だったよねー!」

「そうですね。狼の邪神でしたもんね。皆さんいつの間にかとても強くなっていて驚きましたよ~。」

 昨日は正式にリリースされた狼の邪神を討伐した。前回戦った時と違い、パーティー全員で戦った。攻撃パターンが豊富で強力だったので多少苦戦したが、誰1人として倒れる事なく討伐できた。

「楓翼くんもかなり剣が上手くなったよね~。」

「ああ。まだまだだがな。」

 横断歩道を渡り終え、正面に高校の正門が見える。

 すると、楓翼は正門前の灰色のレンガ塀にその角を掴む手を見つけた。

「ん……?」

「……どうしたの?楓翼くん。」

「ちょっとな。」

 言うと楓翼は走り出し、その手の元へ駆けた。

 レンガ塀の角から出てきたのは、黒髪のショートヘアの女子生徒。

 チリや埃が付着して汚れた制服に身を包み、よほど疲れが溜まっているのかレンガ塀の角を掴んで体を支えている。

「……っ⁉大丈夫か!」

 楓翼は肩を貸そうと彼女の横に回るが、それよりもはやく彼女は意識を失って前のめりに倒れそうになり、素早く楓翼が受け止めた。

「え、未潔さん⁉」

 後から走ってきた胡桃たちは、楓翼の背中に背負われた人物を見て驚く。

「保健室に連れていく。すまないが俺のカバンを頼む。」

「うん!わかった。」

 生徒玄関に向かい、靴を脱ぐ。

「大丈夫っすかー!」

 正門の方からいつも通りの時間に夏葉が走ってきて、手伝ってくれた。

 無事保健室まで未潔を運び、ベッドに寝かせて保健室の先生に診てもらった。

「うん。とても疲れているみたいね。熱はないし、しばらく安静にしていれば体力も回復すると思うわ。」

「そうですか。ありがとうございます。」

 胡桃がお礼を言い、夏葉は首を傾げる。

「一体どうしたんっすか?未潔さん。」

「わからない。通学中に、正門前のレンガ塀に手をついていたところを見つけたんだ。」

「そうっすか……。」

「未潔さん……って胡桃たちのクラスメイトなんですか?」

 めぐみは彼女の顔を見ながら、胡桃に訊く。

「うん。家庭の事情でよく遅刻してくるけど、私もあんまりよく知らないんだ。」

 しばらくの沈黙。

「もうすぐホームルーム始まる時間だし、教室に戻ろっか。」

 それを破ったのは胡桃だった。

「そうだな。また昼休みに来よう。」

 そうして胡桃たちは保健室を出て、自分たちの教室へと向かった。


 キーンコーンカーンコーン

 昼休み。

 胡桃、楓翼、夏葉、めぐみの4人は未潔の様子を見に行くために保健室へ向かった。

「こんにちはー。」

「あら。いらっしゃい。」

 室内では保健室の先生が机で何やら書類を作っており、2つ常備されているベッドの窓側の方では、制服から着替えた未潔が上半身を起こして窓の外を眺めていた。

「こんにちは、未潔さん。体調はどう?」

 未潔は視線を胡桃に向け、少しリラックスしたように悠々とした口調で答える。

「はい。おかげ様で疲れもすっかり取れました。」

「良かった!ねぇ、みんなでこの後、中庭でお弁当食べようと思ってるんだけど、良かったら一緒にどう?」

 胡桃の提案に、未潔は一瞬驚いた後に俯いてすまなそうな顔になる。

「すみません。今日はお弁当を忘れてきてしまって……。」

 そういえば、朝見つけた時に荷物を何も持っていなかった事を思い出す。

「いいよ。私の分けてあげるから。」

 胡桃は笑顔で答える。

「いえ、しかし……。」

 しかし、未潔は変わらず申し訳なさそうなままだ。

「俺のも分けてやる。今日は少し作りすぎてしまったからな。だから、そんな悲しそうに俯くな。」

「……。」

 未潔は下を向いたまま小さく口を開けている。そして、顔を上げて胡桃と目を合わせ一言。

「ありがとうございます。」

 未潔は保健室の先生が豪速球で洗濯しておいてくれた自分の制服に着替え、みんなで中庭へと向かう。

胡桃と夏葉、めぐみは前方でわいわいと話をして盛り上がっており、その後ろで右側を楓翼が、左側を未潔は少し下がり気味で一緒に歩いていた。

「なんでですか。」

「ん?」

 突然発せられた未潔の言葉に、楓翼は前を向きながら視線だけを左に向ける。

「なんで悲しそうにしているって分かったんですか。」

 視線を前に戻して楓翼は少し呆れたように言葉を返す。

「見ればわかるよ。いつもと違うって事くらいな。」

「……。」

「何があったかは知らないが、困った事があったら他人を頼っていいんだぞ。」

 未潔は少し下唇を噛む。

 楓翼はそれを目だけで見てから再び前を向き、呟く。

「まぁ、それでもお前は人に頼らないだろうな。」

「……!」

 未潔は自分の下唇を離し、小さく口を開けて小さく目を見開く。

「未潔さんはどこか俺に似てる。だからかな。俺は君に俯いていてほしくないんだ」

 斜め下を向いて歩いている未潔の顔がうす紅に染まり、彼女は慌てたように言う。

「そ、それは……!」

 それに気づかず楓翼は続ける。

「だから、君には前を向いていてほしい。例え凄く辛いことがあったとしても……。他人の俺が言うのもおこがましいが、何か困った事があったら相談させてくれよ。」

 未潔の顔が最大まで赤くなり、鼓動が高鳴る。

「あのっ……!その……っ……。……わ、わかりました。」

 未潔はしどろもどろに答え、左手で胸を押さえる。

「あれ⁉未潔さん大丈夫⁉熱でもあるの⁉やっぱりもうちょっと休んでた方が良かった⁉」

 たまたま振り向いて未潔の顔の赤さに気が付いた胡桃が大慌てしている。

「いえ、大丈夫です。少し着込みすぎました。」

「ふぅーびっくりしたぁ。そっか~。夏だもんねー。」

 胡桃はほっとしたように前に向き直り、夏葉たちとおしゃべりを再開する。

「そういえば、まだお礼を言っていませんでした。」

 前を向いてそう言い、右を向いて未潔は楓翼と目を合わせる。

「私を保健室まで運んで行ってくれて、ありがとうございました。」

 未潔は微笑んで感謝を述べる。楓翼はそれに応じて笑顔を返す。

「どいうたしまして。」


いつも通りに中庭に植えられたもみじの木の下で、5人はお弁当を食べていた。

「そういえば、もうすぐ夏休みっすか。」

「そうだね。夏休みといえば、夏祭り!花火大会!」

「あはは……。相変わらずっすね。」

「それなら、8月初めにこの近くで毎年恒例の花火大会がありますよ。みなさんで行きませんか?」

 めぐみがスマートフォンを見ながら言い、その画面を胡桃に見せる。

「もちのろんっ!」

「私も大丈夫っすよ。」

 女性軍が夏休みの話題で盛り上がっている最中、楓翼と未潔は静かにお弁当の具を口へと運んでいた。

 気まずい。俺だけ男子だし。

「盛り上がってるみたいだし、俺は澪の所にでも行ってようかな。」

 お弁当を食べ終わり、席を立とうとする楓翼。

「ねぇ!楓翼くんも一緒に花火大会行こうよ!」

「……。」

満点の笑みでこちらを振り向く胡桃。

「でも、いいのか?」

「ん?何がー?」

 1センチ浮いた腰を下ろして座り直し、楓翼はお弁当の蓋を再度開ける。

「せっかく女子で集まってお祭りに行くのに、俺なんかがいていいのか?」

「いいよいいよー。澪くんも誘うつもりだしー。」

 楓翼と胡桃を喋る人ごとに交互に見つめる未潔。

「ならいいんだが。」

 楓翼はお弁当に残された卵焼きをパクリと食べる。

「それに、楓翼くんがいないと始まらないしね。」

 胡桃は誰にも聞こえない程小さな声で呟いた。しかし、隣に座る未潔が聞き取るには十分な音量だった。なにせ彼女はスパイなのだから。

キーンコーンカーンコーン

昼休み終了5分前のチャイム。


キーンコーンカーンコーン

帰りのホームルームの終わりを告げるチャイム。

学校のすべてはチャイムで始まり、チャイムで終わる。

「さぁ!部活だぁー!」

 いつも通り、胡桃はぐっと背伸びをする。

「部活、ですか。」

 未潔がぽつりと呟きを漏らす。

「ああ、夏葉は陸上部だけど、俺と胡桃は茶道部なんだ。」

「そうなんですか。」

 未潔は特に表情を変えずに言う。

 彼女の表情が表れていたのは、保健室で目覚めてから少しの間だけだった。それからというもの未潔はあまり表情を変えず、冷静沈着である。

「2人はなにか部活入ってるの?」

「いえ、何も。」

「私もです。」

「じゃあさっ!この後空いてる?」

 めぐみは小首をかしげ、未潔は2回瞬きをした。


「こんにちはー。お邪魔しまーす。」

 いつも通り部室のドアを元気に開け、胡桃たちは次々に入室していく。

「いらっしゃーい。あれ?今日はお客さんもいるのかな?」

 ゲーミングチェアを回転させて振り向く澪は、新しく加わっている面子に気づく。

「こんにちは。」

「失礼します。」

 めぐみと未潔がそれぞれ言い、座敷に上がって正座する。

「いらっしゃい。茶道部へようこそ。」

「さあさあ、座って~。今お茶とお菓子用意するからねー。」

 そう言って胡桃は棚から茶道具を取り出して淹れ始める。

「それにしても茶道部なんてあったんですねー。知りませんでした。」

「あはははは……。」

 お茶をそれぞれのコップに淹れながら、胡桃は苦笑いをする。

 存在感薄いからね……。

 その後、澪や氷花の事を2人に説明し、お茶と菓子を食べながらみんなで他愛のない話をして楽しく過ごした。

 そうしている内に部活の時間も終わりに近づき、部活終了を告げるチャイムが校内に響き渡る。

「もう終わりですかー。」

「あ~楽しかったっ。」

 めぐみが名残惜しそうに言い、胡桃は足を延ばして斜め上に顔を向け、目をつぶる。

「お茶、ありがとうございました。おいしかったです。」

 未潔はコップとお菓子皿を持って立ち上がり、入り口近くにある台所へ向かう。

「あ、いいよいいよ。私が洗うから。」

 胡桃は急いで立ち上がり、未潔からコップと皿を貰って台所で洗い始める。

 それを見て未潔は自らの母を思い出す。

 いつの日か、久しぶりに家族みんなで夕食を食べた時だった。

――いつもありがとう。

いつも通りお皿を台所まで運んで洗おうとしたところを、未潔の母は優しい微笑みで未潔にそう言って洗い物をしていたのだ。

「ありがとうございます。」

 未潔は胡桃にお礼を言って、少し微笑む。

「ん?いやいや、どういたしまして~。」

 未潔は自分の席に戻って座りなおす。すると、胡桃がお皿を洗いながら顔だけ振り向く。

「そういえば、今日って七夕だよね。この後みんなでさ、生徒玄関前の笹に短冊吊るしにいかない?」

「あー。いいですね。」

 めぐみが賛成し、全て洗い終わったらしい胡桃が今度は全身で振り返る。

「よしっ。洗い終わったから、そろそろいこっか。」

「ほら、澪たちも行くっすよ。」

 今日は部活が休みなので夏葉もいる。いつも通りパソコンで氷花と作業をする澪と、胡桃たちと別机で宿題をしている楓翼に呼びかけ、生徒玄関前へ向かう。

 玄関前の廊下には一本の笹と、その横の机に短冊とペンが置いてあった。

「はい、これにお願い事書いて~。」

 胡桃が短冊とペンをセットにしてみんなに渡してくれる。

「ありがとう。」

 みんなに配り終え、胡桃も自分の短冊に願い事をかく。

 やっぱり私はこれかな。

「みんな書けた~?じゃあ、吊るすよー。」

 それぞれの短冊を笹に吊るし、ペンを片付ける。

――無事に楓翼くんと花火大会に行けますように。

 澪たちと別れて生徒玄関を出て、4人で校門までの短い道を歩く。

「楓翼くんは短冊になんて書いたの?」

 私は左を歩く楓翼くんに、気になって問いかける。

「まあ、この一年、みんな元気に過ごせますようにってな。」

「ははは。なんか新年のお願いみたいだね。」

 笑いながら言い、私はめぐみにも訊く。

「めぐみは?なんてかいたー?」

「私はもっと結界魔法が上達しますようにっていうのと、可笑しなお願いかもしれないですけど、現実で結界魔法が使えたらいいなっていう事を書きました。」

 それを聞いて私は目をキラキラさせる。

「へぇ~。もしそれが叶ったら、すごいロマンがあるね!」

「そうでしょう!」

 同じくめぐみも目を輝かせる。

「ねぇねぇ、夏葉はなんて書いたの~?」

 めぐみの横を歩く夏葉は、こちらを向いてすっとした表情で。

「ふっ、それは内緒っす。」

 っといたずらっぽい笑みで答えた。

「え~、教えてよ~。すごく気になるんだけど~。」

「内緒なものは内緒です~。」

 2人が戯れている間、楓翼の左を未潔は静かに歩いている。

「ねぇ、未潔さんはなんて書いたんですか?」

 胡桃は夏葉のところへ戯れに行ったため、楓翼の右に今はめぐみが歩いている。

「私は、今ここにいる皆さんを守れるようになりたい、っと……。」

 ここにいる皆さんが作り出すこの空間は、私に居場所を与えてくれたような気がして。

 だから、そんな空間を作り出してくれるこの人たちを失いたくないと思ったから。

「すみません。なんて言いました?」

 未潔は前を向いて夕日に焼ける空を眺めながら言う。

「いえ、今日みたいな日が毎日続けばいいなっと。」

「続くよ!」

「え……?」

 胡桃が未潔を見つめている。

「続けてみせるよ。だから安心して。」

 その顔はどこか真剣味を帯びた笑顔だった。未潔はしばらくあっけにとられたような表情だったが、小さく開いた口を閉じて自分の横に並ぶ面子を見る。

「それでは1つ。私を茶道部に入部させてください。」

「うん!ようこそ茶道部へ、未潔さん!」

 手を後ろに回して、胡桃は嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあまた後でね~、楓翼くん。めぐみさんも~。」

「ああ、またな。」

「また後でUFOで合いましょうねー。」

 先に胡桃は家に帰り、道には楓翼とめぐみ、未潔が残っていた。

「UFO?」

「ああ。オンラインゲームの事だ。」

「ユニーク・ファンタジー・オンラインを略してUFOって呼んでいるんです。」

「ああ。あれですか。」

 小首をかしげる未潔に楓翼とめぐみが答え、思い出したように言う。

「では、私は帰りますね。」

「ああ。またUFOでな。」

 めぐみも家へ帰るため、さらに先へと進む。彼女によると学校から楓翼たちの家までは、めぐみの家から学校までの3分の1らしい。

「未潔さんもまた明日な。」

 楓翼も家へ帰るため、未潔に別れを言って玄関への小さな階段を上っていく。

 玄関に手をかけたところで、振り返らずに訊く。

「……なぜついてくる。」

「帰る場所がないので。」

 楓翼の斜め後ろに当然のように立つ未潔。

「……えっと。」

「帰る家がありませんので。」

「……つまり。」

「今夜はお宅に泊めさせてはいただけませんか。」

 疑問符がついていない。という事は本当に帰る家がないのだろうか。

「べ、別に俺の家じゃなくても、知り合いとか友達とかの家に泊まらせてもらえばいいんじゃないか?」

「信用できる知り合いはいませんし、友達は貴方たち以外にいません。」

「なら隣の胡桃の家に……」

「楓翼さん。」

 楓翼は途中で言葉を中断され、もう何を言っても意味がない事を悟る。

「……わかった。親には俺が許可を取っておく。ほら、入れ。」

 そこまで俺にこだわる理由がさっぱり分からないが、取り敢えず玄関のドアを開けて未潔を通す。続けて俺も入る。

 「ただいまー。」

父は家にいないが、母にはどう説明すればいいのやら。

そんな事を考えながらドアを閉めた、その途端にリビングの方から大声が聞こえてきた。

「えー⁉」

 そんな事だろうと思ってすぐにリビングに駆け付ける。

 廊下からリビングに入ると、もう既に未潔がドアの前に立っており、楓翼の母はいつも通りテレビをつけてソファーでくつろいでいたが、今は硬直している。

「ふ、楓翼ちゃん、これは一体……?」

「あー、母さん。誤解しないで欲しいんだが、今夜、家に泊まる事になった。」

 驚愕の楓翼の母はまだ硬直が解けないでいる。

「初めまして、お母さま。私は田中未潔と申します。これからよろしくお願いします。」

「なあ、未潔。ちょくちょく誤解されるようなワードを言わないでくれ。」

 未潔は無反応である。楓翼の母はというと。

「つ、ついに楓翼ちゃんが彼女を……彼女を……!」

「お、おいっ!母さん、だから誤解だって!」

楓翼は母の誤解に慌て、未潔はうすく頬を染めている。


その後、結局のところ楓翼の母は「そういう事にしといてあげるわ。」っと言って一応は納得してくれた。

「はぁ~。なんか疲れた。」

 夕食を終え、自分の部屋のベッドに座り込む楓翼。そろそろUFOでの集合時間だ。

 楓翼はパソコンに繋げられたゴーグルを机から取る。

「ゲームをするんですか?」

 床にちょこんっと座っている未潔が俺の行動を見て訊いてくる。

「ああ。そろそろ集合の時間だからな。未潔さんも一緒にやるか?」

「できるんですか?」

 楓翼は引き出しからイアホンを取り出す。そして、それをサブで保管されていたもう1つのパソコンに接続する。

「これをつけて楽な姿勢で目を閉じて。俺が電源を入れるから、最初の設定が終わったらリコンストラクションタウンって町に降りてくれ。」

「わかりました。」

 未潔はベッドにもたれて座り、言われた通り目を閉じる。楓翼はサブパソコンの電源を入れて、自分もゴーグルをつけてパソコンの電源を入れ、ベッドに横たわる。

 視界が白に染まり、UFOの世界へ移動が始まった。


無事ダイブは成功し、初期設定を終えた未潔さんとも合流できた。

未潔は黒髪から銀髪へ、焦げ茶色の瞳から透き通った水色の瞳へと色を変えていた。

全員合流し、向かったのは草原。ここでは牛型のモンスターがスポーンし、一体ごとのHPがそこそこあって攻撃力も高いので、初心者であれば1体だけでもギリギリ勝てるか勝てないかというところだ。

楓翼はかつての狼の邪神から貰った装備で、牛の攻撃をジャンプで避けて空中で一回・し、背中にダメージを与える。着地し、前方にいた3体の牛もダッシュで駆け抜け、右、左、正面は右に抜ける。

 黒を標準とした長いローブに同色のつばの広い帽子をかぶって、めぐみは杖を前に出して演唱し、牛を重力結界で一点の場所に集める。

「今です!」

「ナイス!タミナ!」

 そこに装備一式を揃えた夏葉が跳躍して牛の斜め上に浮き、お馴染みのスキルを使う。

「≪千槍一線≫!」

 千の突きでまとまった牛を一網打尽にし、空中でくるりと後方を向いて最後の一線をそこにいた牛に放ち、着地してすぐに円形に槍を振って更に牛を倒し、緑色のピクセルへ変える。

 黄土色の髪を火の粉の様な髪紐でツインテールに結び、燃えるようなオレンジの瞳。その見た目に合った明るい色の服で、楓翼と同じく身軽さのために金属製の防具を身に着けていない。

 胡桃は遠距離から味方にサポートスキルを付与させたり、回復魔法をかけたり、外れた牛に魔法をぶっ放したりしている。

 胡桃も初期装備ではなく、素早さと魔法を重視した新しい装備を身に着けている。

 おしゃれの面からも考慮された装備で、かなり似合っている。

 未潔はというと、今さっきダイブしたばかりだというのに牛型のモンスターを体術で次々となぎ倒している。打撲ダメージでなんとか倒せているが、体力が多いので何度も牛を投げてはたまに木にぶつけたりしてダメージ量を増やしている。

「お疲れ~。」

 牛型モンスターの群れを倒し終わり、みんなで集まって次に何をするか話合う。

「次はどうするー?」

「私は何でもいいですよ。」

「私はもっとモンスターを倒したいっす!」

 胡桃の問にめぐみと夏葉が答える。楓翼がマップを開いて、周辺の地理を確認する。

「じゃあ、久しぶりに山奥の森に行かないか?」

「ああ、狼と戦ったとこっすね。」

「いいよ。じゃあ、早速いこー!」


「相変わらず昼間でも薄暗い所っすね。」

 日の光が木々で遮られ、背の高い草が生い茂る森の中。道を外れたら帰れなくなりそうだ。

 ガサッ

「……!」

 突如として草むらから飛び出してきたのは、漆黒の毛皮を持つ狼。真っすぐに胡桃に飛び掛かり、牙を剥き出している。

 グサッ

 すかさず未潔が対応して飛び、宙に浮いている狼にほぼパンチに近しい動作で、ナイフを突き刺して地面に叩きつける。

 狼は赤のピクセルになって消滅する。

「危ないところでしたね。」

 めぐみが近寄り胡桃の安否を確認する。

「はぁー、びっくりした。ありがとう、ミキ。」

「いえ。」

 未潔は素っ気なく答える。その視線は先程に狼が出てきた茂みに向けられている。

 楓翼も同じく、茂みを見つめている。それに夏葉が気づき、そこにまだ気配が残っている事も同時に気づく。

「逃げたっすね。」

「ああ。」

 その気配が森の奥に消えたのを確認してから、夏葉は呟く。

「追いかけますか?」

「そうだな。色々と疑問がある。」

 胡桃とめぐみも事態を理解したらしく、楓翼の後をついて森に入っていく。

 なぜ俺たちに奇襲をかけたのか。

 なぜ寄りにもよって狼を仕向けたのか。

 そして、

なぜ胡桃を狙ったのか。


「ここは?」

 未潔を先頭にたどり着いたのは、木も背の高い草も生えていない開けた場所。

 正面には高い崖が聳え立っており、行き止まりである。

「誰もいない……?」

 胡桃たちは辺りをきょろきょろと見まわしている。

「よく参られました。」

 突然、崖下の開けた場所の中央から、透き通った声が響く。

 そこには、先程まで誰もいなかったはずの場所には、1人の少女が立っていた。

「いつの間に……。」

 白髪と茶髪混じりの黒長髪にスカートの初期装備を身に着けている。

「きっと来てくれると思っていましたよ。」

夢を見ているかの様な、ふあふあした喋り方をする少女。その目には光がなかった。

「あなたは……?」

「そうですね……、滅びの魔女っと名乗っておきましょうか。」

「滅びの魔女?」

 疑問符を浮かべる胡桃。それは他のみんなも同じことだ。あの少女は間違いなくプレイヤーだろう。しかし、必ず表示されているはずのプレイヤーネームとHPパーがない。

「なぜクルミを狙った?」

 楓翼は真剣な眼差しで少女に訊く。

「遊ぶためですよ?私とね、楽しい楽しいお遊びを。」

「≪ピュリフィケイションフィールド≫‼」

 少女が言い終わると同時にめぐみが急速演唱で退魔魔法を発動させる。

 0.1秒後、4体の闇属性ゴーストウルフがスキル、シャドウネイルでピュリフィケイションフィールドの半球の壁に、鋭く伸びた爪を立てていた。

「私たちを倒す気ですか⁉」

「ふふっ。」

 大声で言う夏葉に、滅びの魔女は不敵に笑う。

 めぐみは魔力を消費して結界の威力を上げ、ゴーストウルフを浄化する。

 滅びの魔女は足元に咲く一凛のバラを摘み、自分の左手に突き刺す。すると、バラが急成長してその棘付きのつるを延ばして襲い掛かってきた。

「クッ!」

 剣で切り、楓翼はなんとか対応するが次々と伸びてくる。棘がかすめ、徐々にダメージを負う。そして、近づくどころか離れていっている。

「≪ファイアボール≫!」

 胡桃は火属性魔法でつるを燃やし、めぐみは炎のフィールドを展開して同じくつるを燃やしている。

 夏葉と未潔はそれぞれ槍とナイフで応戦している。

「ッ!」

 楓翼がつるに吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。

「フウキ!」

 胡桃が叫ぶ。

次の瞬間。

「≪風刃≫」

 バサッ。

 全てのつるが切り落とされたかと思うと、滅びの魔女の前に一瞬で人影が現れる。

「ひっ!」

 滅びの魔女は左腕を切り落とされ、左の掌に刺さったバラを踏みつぶされる。

 彼女が気付いたときには、崖の壁に追い詰められ、正面から喉元に逆持ちのナイフを突きつけられていた。

 その人影は、未潔だった。

「これ以上フウキを傷付けたら、どうなるか分かっていますよね?」

 未潔は無表情で、少女に殺気を向けていた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 すると、滅びの魔女は口を精一杯に開けて発狂し始めた。

「っ⁉」

「下がれ、ミキ!」

 思いっきり後ろに飛び、未潔は滅びの魔女から距離を取る。そのまま胡桃たちの所まで後退する。

 スッと発狂は止み、滅びの魔女は宙に浮き始める。木を超える高さまで浮上すると、彼女はにやりと口角を吊り上げる。

「ふふっ。あははっ。ハハハハハ‼」

 すると、滅びの魔女を中心として景色が球状に消えていく。白の灰色に染まって聞く。

「な……んだ……?」

 楓翼は冷や汗をかいて、高らかに笑い声をあげる少女の周りが白に染まっていく様子を、ただ茫然と見ている。

 胡桃は目を見開く。

 右目に光る濁った水色が滲む。

「≪神雷トニトルス≫‼」

 張り裂けんばかりに魔法スキル名を叫び、右手を左手で押さえ、右手の掌を滅びの魔女へ向ける。

 次の瞬間、胡桃の掌から閃光が放たれ、魔女の胸を貫いた。

 笑い声は止み、滅びの魔女は紅色のピクセルとなって消滅する。

 白の浸食は止まり、まるで何事もなかったかのように元通りになった。

「な、なんだったんっすか……。」

 そこには疑問だけが残されていた。

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