第6話 世界の陰

【世界の陰】


ベッドから身を起こす。

運のいい事に2回連続で晴れである。

6月22日。土曜日。

今日も一日が始まる。


「おはようー。夏葉ー。」

「おはようっすー。」

校門前。いつもの様に胡桃たち3人は朝の挨拶を交わしていた。

コンクリートで固められた地面は所々が濡れている。

どうやら、昨日の雨がまだ乾ききっていないらしい。

「今日は弓道部を訪ねるんっすよね?」

楓翼で胡桃を挟むようにして横に並び、少し前のめりで話しかけてくる夏葉。

「ああ。あの動画についてな。」

楓翼は昨日の部活で見たあの動画を思い出した。

生徒玄関で靴を履き替え、朝日の照らす廊下を歩いていく。

「あ。そう言えば夏葉。UFOのソフト届いた?確か、昨日届くって言ってたよね。」

胡桃は思い出したように夏葉の方を向いて言う。

「届いてたっすよ!でも、昨日は部活で帰りが遅くなってしまって、結局出来なかったっすけど……。くるみんと、ふうちゃはダイブしたんっすか?」

夏葉は小首を傾げてこちらを見る。結ばれた短いツインテールが肩近くで揺れている。

「うん。お先にちょっとね。そしたら奇跡的に楓翼くんと出会ってさ~。」

「マジっすか!私も早くダイブしたいっす!モンスターは討伐したんっすか?」

続けて夏葉が訊いてくる。それに楓翼が答える。

「まだ何も。冒険者登録して、薬草採取のクエストを受けただけだ。」

「ふぅ。なら良かったっす。今日からでも追いつけそうっす。」

夏葉は安堵の吐息をこぼす。

そうしている間に教室に着き、ドアをスライドさせて、それぞれ自分の席で通学カバンから教科書などを取り出した。

窓から湿った風が吹き込み、太陽の光は雲に隠れた。


キーンコーンカーンコーン

「やっと、部活だぁーー!」

昨日と似たようなセリフを言いつつ、待ちくたびれて大きく背伸びをする。

「澪たちを迎えに行って、弓道場に向おう。あいつも待ってるはずだ。」

「うん!」

肩から鞄を下げた楓翼くんの隣で、夏葉が帰りの支度をしている。今日は部活がないらしく、私たちと一緒に弓道部へ行く事になった。

事情のあれこれは、昼休みの時に説明しておいたので伝わっていると思う。

「お待たせっす。行きましょう!」

5分後、私たちは茶道部の部室をノックしていた。

「澪ー。いるか?」

楓翼くんが、中に居るであろう澪に呼びかける。と、すぐに返事が返ってきた。

「あーい、今行くー。」

がらがらとドアを開けた澪はノートパソコンを片手に出てきた。

「お待たせっ。」

澪はノートパソコンの画面をこちらに向けるて、搭載されているカメラに私たちが映るようにした。

「あっ!ひょうちゃん!今日はこっちなんっすね!」

「こんにちは、なつっち。今日はお出かけ用だよ。」

互いに一言交わしあい、澪はノートパソコンを夏葉に差し出す。

「え?」

「お前が持ってた方がいいだろ?」

「あっ、確かにっす!」

夏葉は受け取ると、小さな胸の前で画面を前に向けて持つ。

こうして、4人と画面の中1人の計5人は第2中庭と呼ばれる弓道場へ向かうのだった。


弓道場にて。

「こんにちはー。」

「お疲れ様でーす。」

先陣を切ったのは楓翼くんと澪の2人。仕事帰りのサラリーマンか!っと突っ込みたくなる入り方をしたのは澪である。

「お邪魔しまーす。」

「失礼するっすー。」

私たちもそれに続き、弓道場に入る。

中は全面がほとんど木製で出来ており、木柱が屋根を支えている。3方に木目の並ぶ壁、最後の1方に壁はなく、木製の壁に囲まれた庭へ吹き抜けになっている。

庭の奥の壁には円型の的があり、白黒の円が中心に近づくにつれて小さくなるように書かれている。

「……。こんにちは。部活見学ですか?」

黒と白の弓道着を着て弓を構えていた女子生徒が、こちらに気づいて落ち着いた声色で話しかけてくる。それに澪が答える。

「いいえー。僕たちは茶道部の者でして。弓道部の方に質問があって来ました。」

「質問?」

女子生徒は短くそう言って話を促す。なぜ茶道部から質問が?っと思っているのであろう。

「はい。この動画についてなんですけど……。」

そう言って澪はポケットからスマホを取り出すと、昨日見た動画を出す。

それを見て、女子生徒は納得して頷く。

「あー、これですね。ちょっと待っていて下さい。」

すると、女子生徒は何やら準備をすると言ったように、あっちへこっちへと動き回る。

それを聞いて、さっきまで物珍しそうにうろちょろしていた女性軍が、話を進めていた男性軍と合流する。

「ちなみに、お名前はなんと言うんですか?」

腰に籠を付けている最中の女子生徒に、夏葉が問う。

「風上(かぜかみ)三枝(みえ)です。」

今度は私が、籠に矢を入れる風上さんに質問する。

「他の部員の方々はどうなさったのですか?」

「皆、大会に行きました。県外なので明後日には帰ってくると思います。私は大会に出られなかったので、お留守番という事です。」

風上さんは使い古された弓を持ち、どこか悲しそうに目を細める。しかし、それとは裏腹に口元には仮初の笑みを浮かべていた。

私はそれを見て、聞いてはいけない事だったのだと気づく。

「あ、あの……!」

「いいのですよ。仕方のない事ですから。準備が出来ました。それでは私の”技”をお見せしましょう。」

風上さんは庭の的に向かい、籠から矢を取り出して弓弦にかける。

ゆっくりと引き、狙いを定めて矢を射る。

「……。」

ひゅんと音を立てて放たれた矢は完全に明後日の方向へ飛び、完全に外れた。

そう思われた。

次の瞬間、矢は消失して、そこには元々何もなかったかのような空間だけが残る。

トン

何かがぶつかったのか、木に石をぶつけた時のような音が校舎の間で反響する。

「まさか……。」

「そのまさかですね。」

驚愕した私の呟きに、ノートパソコンの中から公定の言葉が返ってくる。

風上さんが狙いを定めていた的の、一番外側の黒い円から1つ内側の白い円の右上に一本の矢が突き刺さっていた。

見事に命中したのだ。

「これが私の”技”、いえ、”能力”と言った方が良いでしょうか。」

静かに目を伏せ、眺める様に再び的を見て、風上さんは説明を始める。

「どれだけ矢が明後日の方向へ飛ぼうと、いかなる障害物が行く手を阻んでいようと、私の射る矢は、必ず的に当たります。なので、私は今回の大会に出場できなかったのです。」

「「「「「……。」」」」」

「つまり、この動画は編集されていなかったって事か。」

しばらくの沈黙を破ったのは楓翼くんだった。

「そうだね。」

澪くんは短く答えると、庭へ出て的の刺さった矢を抜き取る。そして、なにやら調べているように矢を回したり細部を確認したりする。

「瞬間移動っすか……。」

「軌道が変わるくらいなら、まだ、現実的な話だけど。」

「「瞬間移動か……。」」

最後に楓翼くんと声がハモった。

「相変わらず息ピッタリだなー。」

澪くんは笑いながら、庭から戻ってくる。

「はい。」

澪くんはさっき的から抜き取った矢を風上さんに差し出す。

「ありがとうございます。……。」

受け取ろうとして、空振り。手は矢を通り過ぎた。

「乱視……なんですか?」

澪の一言に風上さんはハッと少し目を見開く。

「ええ、実は。」

「なら、なぜ弓道を?」

「ちょっ……。っ!」

澪くんが訊いてはいけない事を訊いたような気がして、私は止めに入ろうとした。

が、私はそれを中断せざるを得なかった。

澪くんが今まで見たことがないくらいに険しい顔をしていたから。

「つい2年前までは見えていたのです、あの的の中心が。」

風上さんは壁についている的と正面に向き合い、語り始めた。

「私は、あまり自分の事を他人に話しませんでした。その性格から、このぼやけて物が複数見えてしまう視界の事も話しませんでした。結果、私は毎日、的があるはずである壁に矢を射り続けました、自分の射った矢が的に刺さる一連の流れをイメージして。そのイメージは私の願いでもありました。」

風上さんは自分の持つ古びた弓へ視線を落とす。

「そして、ある日。イメージがいつもより鮮明に頭の中で描けました。私は、今なら的の中心を射れると思い、今までにないくらいに願いを強く弓と矢に込めました。その瞬間からです、私がこの”能力”を手にしたのは。動画はその時に部員が撮影したものでしょう。しかし、いくら的が射れても、この様な方法ではズルも甚だしいですよね。」

そう話を閉め、風上さんは自嘲気味に笑う。

「すみません。自分話が過ぎました。」

風上さんは澪から顔を逸らし、庭を眺める。

「いえ、こちらこそ失礼な事を伺ってしまいました。すみませんでした。」

澪くんはいつもの調子に戻り、謝罪する。

これ以上何も訊いてはいけない事は誰の目にも明らかだった。

何も訊かずこの場を退場する事が風上さんのためにも最善だと私は思った。

「ありがとうございました。それでは、僕たちはこれで失礼します。」

澪くんも同じことを思ったらしい。

私たちは楓翼くんと夏葉を先頭にして出入口から弓道場を出る。

部活の時間も終わりに近づき、夕日が風上さんの顔を照らしている。

最後に、私は風上さんに近寄って目を合わせ一言、彼女以外には聞こえない声で囁いた。

「貴方が努力し続けた弓道への愛、大切にして下さいね。」

私は駆け足で、先に行ったみんなに続き弓道場を退室した。

その姿を目で追いながら、

「ありがとう。」

閉まったドアへ向かって風上三枝は呟いたのであった。


私と楓翼くん、夏葉の3人は生徒玄関を出て校門へ向かっていた。校門を出たら夏葉とは一旦さよならだ。

「うわ~、綺麗な夕焼け~!」

正面には空をオレンジ色に染め上げる夕日があった。

「ねっ、写真撮ろうよ!」

「いいっすよ。」

胡桃は鞄からスマホを取り出し、夕日をバックに空が映るようにして写真を撮る。

「それじゃあ、またUFOでっすね。」

「うん!後でね!」

「ああ、また。」

夏葉は校門を左に曲がり、私たちは直進する。

「今日は何しようねー。モンスターは討伐してみたいよね。町の散策もしたいしー。」

「だな。スキルをまだ何も習得してないからスキル集めもしたい。」

「確かに~。私、魔法とか使ってみたいなー。」

今日はUFOで何をしようかと話を弾ませる2人。今思えば、昨日は序盤にやる事をしようとして結局あまり出来ていなかったなっと胡桃は感じた。

「タミナさん居るかな~。また会えるといいね!」

「そうだな。きっと会えるさ。」

2人は笑顔を交わす。今日も世界には、ささやかながら笑顔が溢れているのだろう。



少女はとあるビルの前に佇んでいた。

近所にある高校の制服を着ている。どうやら、学校帰りらしい。

町のとある一角。月が照らす草々はしっとりと濡れ、夜の静かな神聖さを演出している。そのビルは既に廃墟となっていた。

黒髪のショートヘア―に、目の半分を覆い隠す、ぱっつんな前髪。そして何より特徴的なのは、髪と同色のヘアピンを左右に4本ずづ付けている事だ。

無表情な少女、改め、未潔はそのこげ茶色の目でビルの2階を見透かすようにただ一点だけを捉えていた。


「よくやった。今回の事はまだ見つかっていない。」

黒のスーツを着て、黒のサングラスで目元を隠すサラリーマンの様な男が冷ややかに言う。

「そうですか。なら、予定通り報酬を頂きましょうか。」

負けじと黒スーツの男より少し小柄でTシャツ姿にジャージのズボンという姿の男が、面と向かって威勢を張って言う。

否、威勢を張った男は余裕で平均身長を上回る背丈だが、黒スーツの男はそれにも増して高身長すぎるのである。

ここは廃墟となったビルの2階。その中央付近である。

黒スーツの男は、その背後の柱に置かれていたスーツケースに手を伸ばす。


バタッ

1階の見張りをしていた男が床に倒れこむ。首を強打して意識を失ったようだ。

それを見ていたスキンヘッドの大柄な男が目を見開く。

「部下を全員……。はっ、こんなにも早く倒したのはアンタが初めてだ、スパイの嬢ちゃん。」

言われた少女、未潔はまるで今の今まで何もしていなかったかの様に、倒れた男の横にスラリと美しく立っていた。

大人を5人も倒したというのに全く息が上がっていない。それどころか静かな呼吸をしている。

「この程度、私の相手にもなりません。」

月光に輝き風に靡く黒髪。捉えたまま片時も放さぬこげ茶色の瞳。隙のない立ち姿。

「はっ、そうみたいだな。無表情の少女スパイ、とはお前の事だったか。」

後半は呟き、幾度とこの世界の裏の人物を見てきた男だから分かる。この少女は、強い。

未潔は倒した男から目線を上げ、大柄な男の方を見据える。

バタン

重々しい音を立てて砂埃に纏われる倒れた大柄な男。その後ろに、2階へ続く階段があった。

未潔はカツカツと螺旋状の階段を上り、所々が錆びた鉄製のドアを開ける。

そして、彼女は先程から感じていた違和感を実際に目で確かめる事となった。

金属が擦れる高い音を出しながら開いたドアの向こうは、亀裂の入ったコンクリートがむき出しになり、同素材の柱が並んでいた。ひび割れた窓から差す光に照らされて、宙に漂う埃が白く輝いている。

その光を避けるようにフロアの中央付近に、男がうつ伏せで倒れていた。

――否、死んでいた。

「っ……!」

その男の服装はTシャツにジャージのズボンという姿。

未潔は男に近づいて膝をつき、小さく独り言を呟きながら状態と現状を確認する。

「心肺停止……感電とショック、だとしたらスタンガンを……。」

首元を確認するが、それらしき痕は見つからない。あるとすれば掌の火傷だ。

「これは……。まさか手から電流を……?」

男の周りを確認する。しかし、そのための機械が見つからない。

「持ち去った……と考えるのが妥当だとして。」

未潔は立ち上がり、観察の範囲を広げる。すると、倒れている男の正面にかすかに足跡を見つけた。おそらくは取引相手のものだろう。

その行く先の柱に長方形のものが置かれていた痕跡がある。

「スーツケースに仕込まれていた、という事ですか。」

ならば次に、何故殺害したのか。

「取引が決裂……。いや、口止めのため……?」

廃墟ビルの敷地内に入った時に2階から感じたもう1人の気配と1階での少ない戦闘時間で消えた気配はおそらく同一人物。つまり、この男の取引相手だ。

「逃げられましたね。まぁ、近所で怪しい動きをしていた連中を追いかけてきただけのお遊びですし。」

未潔は踵を返して立ち去ろうとし、倒れている男を見下ろす。

男は感電して心肺停止。未潔なら決して助けられない状態ではない。

しかし、未潔には助ける義理がない。

なぜなら彼女は、陰で暗躍する日本において極少数のスパイなのだから。

その中でも優秀な、昔は忍者一家、今はスパイ一家の末裔。

悪人を助ける慈悲など持ち合わせていない。

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