第21話 そんな事より身の安全です!!



 しかし謎はすぐに解ける。


「しかも、あんな泥溜めに突き落とすとか。お前の方が俺よりよっぽど鬼畜だわ」

「あそこまで全身くまなく泥だらけになれば、汚れてる場所とかもう気にならなくなるでしょ。温情だよ、温情。それにディーダだって、あれ見てちょっとスカッとしたでしょ?」


 扉が開き、カランカランとドアベルが鳴ったのと、二人の姿が見えたのが同時。そして私が思わず目を剥いたのもその時だった。


「それはまぁ――」

「どっ、どうしたんですかっ二人とも!」


 ビックリしたような顔で二人が私を見てくるけれど、ビックリしたのは私の方だ。

 二人は全身泥だらけ。しかも、服が所々破れている。


 どうしてそんな事になったのかとか、どうして平然としているのかとか、そんな事はどうでもよかった。

 もしかしたら、ケガをしているかもしれない。そう考えるに相応しい惨状を前に、心臓がドクリと嫌な音を立てる。


 バイグルフさんは「おいコラ入るな、泥が上がる」と悠長な様子で言ったけれど、何故そんなに平然としているのか。淑女としての振る舞いも忘れ、私は大股で二人に駆け寄った。


「二人とも、痛いところは?!」


 彼らの事だ、たとえ怪我をしていてもちょっとしたことなら申告しない可能性が高い。言葉で聞くよりも自分で確認する方が確実だと、辛うじて冷静さを残していた思考の一部が私にそう判断させた。

 近かった方――ディーダの両肩に手を置いて、服の上から腕、お腹周りに足と順に、ペタペタと触って怪我の有無を確認する。


「は? って、ちょっ、止めろコノヤロ! そもそも別にこのくらい、いつもの事で――」

「もしばい菌が入ったらどうするんですかっ!」

「いやいやお前、あんまり慌てるから俺らの泥が服に跳ねてるし――」

「そんな事より身の安全です!!」


 まずは、痛がる様子を見せないディーダにひと安心。

 しかし、問題児はもう一人居る。ノインも逃がすつもりはない。彼が私から逃げるより早く、同じようにペタペタと全身チェックしていく。


「ボクも別に怪我は無いし」


 ノインは、ディーダのように声を荒げたりはしなかったけれど、抗議はきちんとするらしい。

 しかし全く説得力というものがない。呆れ交じりのその顔にしっかり泥を飛ばしている程のやんちゃぶりなのだから、彼もディーダと同様に信用には値しない。


「っていうか、地味にくすぐったいから触らないで欲しいんだけど」

「そんな事より身の安全です!」


 ディーダの時と同じ言葉で彼の要求を跳ねのけて、私は私の中の優先順位に従う。

 彼を睨んでみせたのなんて、きっと今日が初めてだ。その勢いに驚いたのか、頑なさに呆れたのか。大人しくなってくれたので良しだ。


 とりあえず二人に異常が無さそうだと分かったのは、それからすぐの事だった。迷惑顔のまま痛みに反応しなかった彼に、ほんの一瞬ホッとする。

 が、もちろん安心はできない。


「もしかしたら小さな傷から泥が入って、化膿するかもしれません! 店主さん!」

「お、おぉ」

「その品物、全て買います! お会計は、とりあえずこれで。足りなければ後で必ず清算しに来ますから」


 レジにつかつかと歩きながら、懐を探り革袋を取り出した。手についていた泥で服も革袋も汚れたけれど、今は気にする時間さえ惜しい。


 革袋を少し乱暴にカウンターへと置けば、ジャラリと鈍い音が鳴った。

 バイグルフさんが戸惑いの表情で「お、おい」と私を呼び止めてくるけれど、もちろん聞いている暇は無い。

 一刻も早く家に帰って、彼らの泥を落とさなければならない。


「ではすみません、急ぎますので!」


 ちょうど購入した品物たちは、彼の手によって紙袋に詰められていた。

 布たちが汚れないように手をスカートの裾で拭いてから抱え、再び店内を、今度は出口に向かって歩き出す。


 この子達に、もし何かあったらどうしよう。

 困惑の表情のまま出入り口に立ちっぱなしの二人を視界に収めた瞬間、視界が涙でにじみ始めた。

 まるで自身を脅かされているかのようだ。突如として沸いた不安を振り払うように速足で二人の間を通り抜け、扉を開けて後ろに言う。


「行きますよ二人とも、ほら早く!」

「あ、あぁ……」

「うん……」


 私の言葉に促されるままに、二人は返事を返してくれた。困惑しながらも私の後ろを黙ってついて来てくれたのは、正直言って助かった。

 なんせ今私は、両手に二人の着替えを作るための大切な布や道具を抱えているのである。二人を引っ張って帰るには、二本ほど手が足りなかった。


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