第20話 私が彼らの元を去る時は



 手の届かない所にある布は、彼に声をかけ取ってもらった。すると彼に「もう選んだのか?」と驚かれる。


「自分で作ろうって場合、普通はもうちょっと悩むもんなんだがなぁ」

「そうなのですか?」

「まぁ誰だって生地を無駄にはしたくないだろうし。特に色は、ああでもないこうでもないって大体いくつも手に取って悩む」


 きっとそれが、彼の経験則という事なのだろう。

 そうしたい気持ちは少し分かる。もし自分のための物ならば、私もきっと少なからず色々な布に目移りしてしまっていただろう。


「もしかしたら、二人に似合いそうな色を基準にしたからでしょうか。横に立ってもらって色合わせをしたり、好きな色を聞いたりできればもう少し悩んだと思いますが、あの通り出て行ってしまいましたから」

「俺はこういう店をやってるが、裁縫技術はそれなりに習得できても、色使い云々方面はどうにも苦手みたいでな。そうやってサッと選べるのはある種の才能だ、羨ましいぜ」

「そうでしょうか」


 感心したように言われてしまい、少しだけくすぐったい。

 が、どんな事であったとしても褒めてもらえるのは嬉しい。「実際に彼らに似合うかどうかは、着てみてもらわないと分からないですが」と言いながらも、必然的に口元は綻ぶ。


 糸は生地と同じ色の糸にして、他に針と裁断用のハサミも手に取った。

 会計カウンターに持って行けば、ちょうどバイグルフさんが、私がお願いした分の布を裁断すべく手元に手を落としたところだ。

 その手元を何と無しに眺めていると、不意に彼がこんな事を言ってきた。


「なぁ、あんた。その……あいつらと、いつまで一緒にいてやるつもりだ?」

「いつまで、ですか……?」


 聞き返しながら、彼を見る。

 依然として視線を手元に落としたままのバイグルフは、まっさらな布にシャキリとハサミを入れる。


「さっきも言ったが、あんたみたいなのは貴重なんだよ。特に身寄りのない俺達みたいなやつらにとっては。だからその分、記憶にも残る」


 シャキリ、シャキリ、シャキリ。布にハサミが入る音が、静かな室内に響く。

 まっさらな新雪を踏むかのような作業を丁寧な手つきで行う彼からは、二人と当初話していた時のような粗野な印象はまったく受けない。目の前の手つきはもちろんの事、言葉選びにも私への配慮が見て取れる。


「だから、もし気まぐれの優しさであいつらに関わるんなら、これほど酷な話もない。あんたがたとえ善意でやったとしても、一度人のぬくもりを知ってしまえば知らなかった頃には戻れない」


 彼が一体、私に何を言いたいのか。何となく分かったような気がした。

 彼は、暗に私に「責任を取る気が無いのなら、あんまり世話を焼いてくれるな」と言っているのだろう。それはある種、私に対する拒絶である。

 しかし私は、彼の言葉を嬉しく思った。


「よかった。あの子たちにはちゃんと、心配して、見守ってくれる人たちがいるのですね」


 少しだけ、二人の事を羨ましく思った。

 自分を気にかけてくれる存在がどれだけ尊いものか。その存在に血の濃さなんて全く関係ない事を、私はとてもよく知っている。


 それでも彼らに嫉妬する気にはならないのは、きっと目の前の彼のように私もまた、少なからず二人を知っているからだろう。


 私も、彼らを少しでも守りたい。少なくとも、彼らを傷つけたくはない。

 それはきっと、目の前の彼と共有できる気持ちの筈だ。


「……分かっています。彼らが私を拒絶しない限り、私が自ら彼らの元を去ることはありません」


 二人から「居てもいい」と言われたあの夜から、今初めて二人と離れる事について考えた。そして自覚する。

 私は過去に人のぬくもりを悉く失った。しかし今、二人と一緒に居て過去のぬくもりとよく似た何かを、この胸に抱くようになっている。


 言われるまでもない。私自身が、彼らと離れがたく思っている。

 先程彼が言った通り、一度知ってしまったら知る前には戻れない。それは私にも言える事だ。

 私の場合、特に一度無くしている。であれば猶の事、せっかく再び巡り合えた手の中のものを、私はもう手放せない。


 依存ではない、と思う。

 依存にはしたくない、と思う。

 だからこそ、彼らが私を何かと気遣ってくれるように、私もまた彼らに何かを返していきたい。


 ノインの言葉を借りるのならば、ギブ&テイクだ。

 まぁ私が彼らにできる事なんて、精々が服を作ったり自炊や掃除をする事くらいの事だけれど。


「……そうか。すまん。その、妙な事を勘ぐったみたいだな」

「いえそんな。貴方のような方が二人の側に居てくれる事は、喜ばしい事です。貴方の言葉には確かに二人への愛が感じられます」


 彼の謝罪に、思わず笑ってしまいながら言葉を返す。すると、せっかく私の方に上げてくれた顔がフイッと逸らしてしまった。


「な、何なんだ、あんたは。調子狂う」


 顔は見えなくなってしまったが、見えている耳はほんのりと赤い。どうやら彼もまた、あまり二人の不器用さを言えないタイプの人なのだろう。


 思わずクスクスと笑ってしまうと、彼は罰が悪そうにポリポリと額を指で掻いた。

 と、その時だ。


「ったくアイツら、こんなに泥ぶつけやがって」

「何言ってんの、ディーダだってこの数倍ぶつけてたでしょ。お陰で相手は泥まみれ。っていうかさぁ、巻き込まれただけのボクに対する謝罪は無いわけ?」

「お前だって、途中から喜々としてやり返してたろ」


 バイグルフさんが「何だぁ?」と、騒がしさに片眉を上げた。

 やいやいと、悪態をつき合う少年たちの声が外から近づいてくる。


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