第三節:同居人は、変な女。(ディーダ視点)

第22話 ギブ&テイクの関係……の筈



 元来俺は、他人に従うのが嫌いだ。

 誰も俺たちの人生に責任を負ったりしない。そんな相手の言葉を信じるだなんて、馬鹿がすることである。


 だから別に、あの女の言う事なんて聞かなくていい筈だ。それなのに。


「ったく、変な女。何で一々指図されなきゃならねぇんだよ」


 何故か今俺は、家の前の井戸から水を組み上げては、ノインと交互に体にザバァッとやっている。



 俺だって、別に好きで泥だらけになった訳じゃない。

 どちらにしても早い内に流したくはあったから、別にやりたくない事を無理やり他人の意思に従ってやらされている訳ではない。

 でも、こういうのは何かものすごく調子を崩される。振り回されてる感がすごい。どうにも痒くて落ち着かない。


「そんな事言いながら、結局従ってるわけだけどね、ディーダ」

「テメェもだろうが」

「まぁそうだけど」


 同じく隣でザバァ―ッとやっているノインに言葉を返してやれば、彼の方はサラリと己の現状を肯定する。


 それにしても、本当に意味が分かんねぇ。

 たとえばあいつがマメに掃除しているあの家の中を汚したくないっていうなら、まぁ言い分としては分からなくもない。けど、よりにもよって「俺たちの身の安全が何とか」? 大きなお世話だ。

 というか、俺たちが「こんなのはいつもの事だ」って言ってるんだからそうなんだよ。まるで聞く耳も持たずに、妙な焦り方をしやがって。


「少なくともあの女にとっては、泥だらけは普通じゃないんでしょ。そもそも食べ方とかも妙に上品な感じだし、俺たちとは相いれない環境で育ってきたんだろうし。多分『没落商人の娘』とかでしょ? 本人はまったく言わないけどさ」

「分からねぇぜ? 意外と犯罪者とかかも」


 肩の上からザバァッと水を掛け流しながら冗談交じりに言ってのければ、ノインが片眉を上げて少し俺をバカにしたような声色で聞いてくる。


「ねぇソレ本当に思ってる? もしアレが犯罪者だとしたら、被害者はかなりのポンコツだと思うけど」

「それは、まぁ」


 否定は全くできなかった。


 そもそもあいつは初っ端から変なやつだった。

 俺らみたいにペラッペラな服を着ている訳じゃないのに、何故か全身泥だらけ。生気のない顔をしながら、何故か金はたくさん持っている。

 話し方も、年下の俺たちに向ける感じじゃねぇだろうがアレ。まぁ前にそれを指摘したら「すみません、癖みたいなものなので」って言ってたから、これについては早々直せるようなものじゃないのかもしれないけど。

 これほど貧民街ここで生きていくのが似合わない女も居ないだろう。


 そんなやつがこんな所に住み着いているだけでも意味が分かんねぇのに、今日もアレだ。意味分かんねぇところでまた泣くし、かと思ったら、急に強気になってくるし。

 なんかもう、全然分かんねぇわ、あいつの事。いやまぁ別に、知りたいとかではないけどな!


「未だに一度も名乗らないから、素性もまるで知れないしね」

「別にあいつがどこの誰だろうが関係ねぇ。お前も言ってただろ、俺たちはギブ&テイクの関係だ。それ以上は別にいらねぇ」

「その割にディーダって、他人のこと結構放っておけないよね。この、口だけ人間」

「あぁ?!」

「いやいや、これでも褒めてるんだよ? 目つきも態度も悪いのに、変なところで面倒見がいい。今日のこれだって、知らないガキが虐められてるのを見つけてわざわざ、考えなしに頭から突っ込んでっちゃったせいだしね?」


 からかうような目で言われて、思わずウグッと言葉に詰まった。

 事実なだけに、どうにも言い返す言葉がすぐには出てこない。


「それはその、あれだ。弱い者いじめなんてカッコ悪いだろ」

「だからといって、何もディーダが割って入る必要はないよね? どうせ妙な正義感にでもかられたんでしょ? 『見て見ぬふりも十分弱い者いじめだ』だっけ? あんな昔にバイグルフから言われた事、未だに守っちゃってさぁ」

「それはお前もだろ」

「キミが突っ込んでいったからね」


 仕方がなくだよ、と肩をすくめてみせたノインに、俺は白旗を上げる。

 こいつは無駄に口が達者なのだ。俺じゃいつも太刀打ちできない。思わず下唇だって出る。


「で? 俺らが参戦した事で逆弱い者いじめが発生しちゃった件については、ディーダはどう思ってるわけ?」

「それはあっちの自業自得だ。っていうか、お前だって結局参加しただろうが」

「そりゃぁまぁ、流石にあの人数相手に一人でやらせるのはどうかと思うでしょ」

「そういう所がお人好しってんだよ」

「ボクには一番似合わない言葉だね。でもまぁもしアレがそういう名前のものだとしても、ボクの懐は狭い。発揮する相手はこれでも一応選んでるつもりさ。……と、あー、やっぱりダメだねコレ」


 言いながら、ノインは自分の腹の辺りを見ながら両手でシャツを引っ張ってみせる。


 泥は大方落ちていた。が、ベージュ色の服には泥のシミがくっきりと付いて、汚れる前までには無かったまだら模様ができている。そしてそれは俺も同じだ。


「ねぇこれさ、あの女にまた何か言われるんじゃない?」


 そうかもしれない。

 そもそもあいつは俺たちがいつも通り生活してるだけで、やれ「洗濯していないのですか?!」、やれ「一週間も着っぱなしなんて……」と一々驚いたり落ち込んだり忙しかった。

 その上取れない汚れを服に付けたとなれば、またあの困り顔でオロオロとするに決まっている。


 あー、めんどくせぇ。マジでめんどくせぇ。


「知らねぇよ。ついちまったもんは仕方がねぇだろうが。そもそも服に付いた泥なんて、普通綺麗に取れねぇだろ」

「その普通が、あの女には通用しないって話だよ」


 ノインの懸念は、ちょっと腹が立つくらい一々的確だ。

 つっても、じゃぁどうすりゃいいんだよ。全然分かんねぇ。


「これだけでバイグルフに服の替えを要求するっつうのは、流石に無理だろうしな」


 服と聞いて真っ先に思いつく頼り先はバイグルフだが、服がまだ着れる状態の限り、あいつは「それ着てりゃぁいいだろうが」と一蹴するだろう。


 俺たちみたいなのは、この街で上手く生きていくために幾つかの暗黙のルールを守っている。

 たとえば、人から物をくすねて食べる時は、高いものには手を付けない。安物や傷物、値切り済みのものを狙う事。店を荒らして営業妨害しない事。

 どちらにしろ見つかれば怒られるとしても、これを守るだけでかなり違う。

 具体的には、憲兵を呼ばれずに済む。追いかけるのも早々に諦めてくれる、という感じで、俺たちの生活に密接に関わるルールである。


 バイグルフから服を貰うのは『着るものがなくなった時だけ』というのも、それらのルールの内の一つだ。


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