Chapter 4-5

 どこかから花の香りがして、京太きょうたは意識を取り戻した。


 ――起きなさい、京太。


 ゆっくりと目を開ける。視界の先に薄ぼんやりとあやめの花が見えたのは、果たして幻覚だったのか。


「ここは……」

「目を覚ましたか」


 気が付けばそこは、ヘドロが固まってできたような広い空間だった。どこか内臓を連想させる。

 そしてその中心に、『龍伽りゅうか』を手にした鷲澤わしざわ老が立っていた。


「てめぇ……!!」


 刀を持ったままだったのは幸いだった。

 おそらくここは、京太を呑み込んだオロチの中。


「かかか、懐かしいのぉ。若いころの辰真たつまと斬り合ったときのことを思い出すわい。そう思えば貴様、辰真に瓜二つではないか。これは面白い。貴様を斬り倒せば、あの憎き辰真を斬ったようにも思えるわい!」

「ふざけんな。てめぇの道楽になんざ付き合ってられるかよ」


 京太は刀を構える。

 外では皆がオロチと戦っているはずだ。逃げてくれているならむしろ僥倖ぎょうこう。そうでないのなら、一刻も早く彼奴きゃつを斬り、戻る。それに彼奴を斬ることがこの状況を打開する最大の一手になるかもしれない。


 鷲澤老が『龍伽』を構えた。

 土地の力を吸収し、筋骨隆々となった彼の身体は今や京太の倍にも近い。


「さあ、どこからでもかかってくるがよい」

「はっ、そいつぁ結構。余裕ぶっこいてんの後悔させてやらぁ!」


 床を蹴る。相手は体格も獲物の長さも上回る手合いだ。これを打倒するには。


 ――扇空時流、霞桜。


 鷲澤老の眼前に躍り出ると、京太は刀を横薙ぎに振るう。これを『龍伽』の鞘で受けようとする鷲澤老だったが、京太は激突の直前で刀を下ろす。大きく身をかがめつつ鷲澤老の背後に回り、旋回しつつ再度の横薙ぎ。

 鷲澤老の腰を両断するべく振るわれた剣はしかし、必殺には足り得なかった。


 鷲澤老は即座に反応し、『龍伽』の柄頭でこれを受けてみせたのだ。


「知っておるぞその技は。久し振りに見るがな」

「ちっ……!」


 京太は刀を退かざるを得ない。すさまじい膂力だ。後ろ手に振り下ろした柄頭だけで受け止められるとは。


「中身がジジイだとは思えねぇ……なっ!!」


 しかし京太はそのまま旋回し、彼奴の首を狙って斬りかかる。


「ふん!!」

「ぐふぁっ!!」


 だがその一撃は届くことはなかった。鞘で身体を殴りつけられ、京太は遥か後方へと吹き飛ばされる。

 壁に叩きつけられた京太は立ち上がろうとするが、瞬く間に追いすがっていた鷲澤老に殴打され意識が飛びそうになる。


 あるいは飛んでしまっていたほうがよかったのかもしれない。そう思えるほど執拗に、鷲澤老は殴打を繰り返す。

 抵抗も防御もできず、京太はただひたすらに嬲られる。

 全身を真っ赤に腫らして倒れたところで、鷲澤老はその手を止めた。


「ふん、『龍伽これ』がない扇空寺の鬼などこんなものか。……いや、辰真ならばこんなものではなかった。さてはお主、これがなければな?」

「!」

「図星か。老いたとはいえこの程度の相手に慎重を期していたとは、我ながら情けないものじゃ。わざわざ忍を雇ってお主を暗殺している暇があるなら、辰真が死んだときにさっさと攻め落とせばよかったわい」

「……言ってくれんじゃねぇか、ジジイ……!!」

「口の減らん小僧よ。いい加減、これでトドメじゃ――!!」


 鷲澤老は『龍伽』を振り上げ、下ろした。京太の身体はこれにより袈裟がけに斬りつけられ両断される――はずだった。


 その刀身を、京太の手で受け止められていなかったなら。


「なに……!?」

「いいぜ、ジジイ。そんなに言うなら、出してやる。てめぇが会いたがってた鬼だ……! 後悔すんじゃねぇぞ!!」


 京太のなかからあふれ出る力が陽炎のように立ち昇る。

 するとどうしたことか、彼の額から二本の角が生えてきたではないか――!!


 そのまま京太の身体は様変わりしていく。髪は白く色を失い、足元まで伸びていく。歯は犬歯が鋭く尖り、盛り上がって顎まで届く牙と化す。全身が隆起して、今の鷲澤老と比類ない体躯へと変貌する。


「ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」


 雄叫びを上げれば、その衝撃波だけで鷲澤老の身体が吹き飛ぶ。


 そこにいたのは鬼だ。紛うことなき鬼が今、鷲澤老の前に姿を現した。

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