第9話

 スマホのけたたましいアラーム音に叩き起こされ、智明はベッドから降りてカーテンを開けた。

 まだ陽は昇りきっていないのか、窓の外は薄暗い。

 澱んだ空気を入れ替えるためにアルミサッシを開けると、吐く息が白くなる。

 トースト一枚とインスタントコーヒーの簡素な朝食を摂り、歯磨きと洗顔を済ませ、着替えをしてからシンビオスを出た。 

 昨夜、一階にある女性用の部屋の入居者が決まったと、多佳子から教えられた。

 年の瀬に入居する女性に興味は湧くが、若い女性ではないような気がした。

 多佳子の推察では、シンビオスの入居者の審査は、不動産屋の小西が行っているらしい。

 だから、ハウスの風紀を乱す要因となるような若い女性は今まで入居させなかったのだと言う。

 その風紀を乱す、あるいは乱されるような男性は、今となっては自分しかいないではないかと智明は思っている。

 小原が退去したあとは、自分と遠藤、重信の三人しか若い女性に惑わされる対象はいない。

 その中で一番煩悩の多そうな男は自分だろう。

 遠藤も可能性はあるが、年齢や極度の人見知りな性格を考えると風紀を乱すような大胆なことはしそうにない。

 重信は高校生とはいえ、若い女性などに惑わされるような俗物ではないのは明白だ。

 碧との関係が壊れてから、智明の周りに恋愛感情を抱くような女性は現れなかった。

 また、そのような女性がいたとしても、自分から積極的にアプローチをする勇気は持ち合わせていない。

 そういう意味では碧との関係は貴重だったと、今更ながらに思える。

 碧とは同僚に無理やり参加させられた合コンで知り合った。

 自己紹介で沖縄出身だと話したところ、高校生の時にスキューバダイビングのライセンスを沖縄で取得していた碧が、自然な感じで智明に話しかけてきた。

 人見知りで初対面の人との付き合いが苦手な智明に、碧は気持ちの芯が暖かくなる、遠赤外線のような接し方をしてくれた。

 連絡先を交換した二人は、やがて食事や映画に行くようになる。

 当時、碧は埼玉県三郷市の実家で家族と同居していたが、時々、智明の住むアパートにも遊びに来るようになった。

 そして、自然な流れでお互いの好意を確認し、小さな諍いはあったが順調に交際を続けてきた。

 そう、あの日までは……。

 新たに入居する女性のことより、やはり碧のことが気になって仕方がない。

 窒息しそうな通勤電車の中、一向に減らない未練を体外に排出するように、智明は静かに息を吐きだした。


 世の中の喧騒から取り残されたまま、クリスマスというイベントをやり過ごした。

 そして、さしたる感慨や変化もなく新しい年を迎える。

 高校が冬休みに入っていて夕方に実家に戻る重信と、元日以外は仕事だと嘆く遠藤、ただただ無為に年明けを迎える智明の三人は、三龍亭の座敷席で遅い昼飯を摂っていた。

 それぞれが注文した麺類とチャーハンを頬張り、智明と遠藤は年の瀬だと理屈をつけて頼んだ生ビールを飲んでいた。

 その他に、二人前の餃子は仲良くシェアをする。

「マー君、正月はご家族でどこかに行くの?」

「いえ、特に予定はありません。両親は二人共東京出身なので、帰省するところもないし。大晦日の夜から地元の友達と初詣に行くくらいで、ほとんど実家で大人しくしています。トモさんは沖縄の実家に帰らないんですか?」

 智明の質問に重信が返してきた。

「俺?年末年始やゴールデンウイーク、お盆など、比較的休める時はLCCでも高い航空券しかないからね。無駄遣いしないで東京こっちにいるよ」

「でも、休めるだけましですよ。私なんかは今日が今年最後の休日で、あとは応販で出勤です。元日は休みですけど、二日は初売りで早朝から駆り出されますから、働き始めてから正月にゆっくりした記憶はないですね」

 遠藤は溜息混じりに苦笑した。

「うちの業界もクリスマスは繁忙期ですけど、遠藤さんの業界は年始もですから大変ですねー」

「人が動く時が書き入れ時っていう因果な商売ですからね。結婚してた時もそのことをグチグチと言われた記憶があり……あ、すみません。どうでもいいこと言っちゃった」

 熱いもやしそばと一緒に餃子を口に入れて、口をハフハフさせている重信を気にしてか、遠藤は言葉と一緒にビールを飲み込んだ。

「明日、新しく入居される方が引っ越してくるみたいですよ」

 熱くなった口腔を冷ますためにコップの水を飲んで、重信は言った。

「そうなの?昌代さんの情報?」

「はい。さっき、入居する予定の部屋を丁寧に掃除していました」

 智明はあまり興味があると思われないように、平板な口調で訊いた。

「いくつくらいの人?」

「さあ?歳は聞いてません」

 遠藤はあまり関心が無いらしく、話に参加するために質問した態で重信に訊いた。

 重信も興味がないのか、短く応えた。

「年末の慌ただしい時期に越して来る人って学生さんかな。でも、入学シーズンじゃないから、やっぱり仕事をしている人だよね?」

 智明が呟くように言った。

「仕事や子育てが終わって、自由な時間を得た年配の方かもしれませんよ。何しろ小西さんのお眼鏡にかなった女性ですから」

「なるほど!」

 重信が笑いながら言うと、智明と遠藤が偶然にもハモるように感嘆の声を上げた。


 昨日から年末年始の休暇に入ったのを幸いに、暖かい布団の中でぐずぐずとしていると、階下から物を移動している音や数人の男性の声が聞こえてきた。

 今日から入居する女性の引っ越し作業が始まっているようだ。

 智明は冷えた部屋の空気に軽く身震いしながら布団から這い出た。

 朝食は駅前のハンバーガーショップにしようと思い、ダウンジャケットを羽織り、マフラーを持って階段を下りた。

 玄関は大きく開いていて、柱周りや建具などの要所にはブルーの緩衝材で養生されている。

 その玄関を、テレビの宣伝でよく見かける引越し業者の制服を着た作業員が、慎重な動きで家具を運び入れていた。

 智明は作業員の邪魔にならないようにしながら玄関を出て、首にマフラーを巻いて駅に向かった。

 ハンバーガーショプでの朝食を終え、駅前のスーパーで年末年始用の食料品とアルコール類を調達した。

 

 両手に重たいレジ袋を下げてシンビオスに戻ると、駐車していた引越し業者のトラックは既に無く、玄関などに施していた養生も綺麗に片付いていた。

 智明は共同の大型冷蔵庫に飲み物や冷凍食品を収納し、スナック菓子やカップ麺を持って自室に戻った。

 部屋の収納棚に買ってきた食料品類をしまい、炬燵のスイッチを入れて腰を下ろした。

 特に観たい番組はないが、音が欲しくてテレビのスイッチを入れる。

 画面には年末の風物詩となっているアメ横の賑わいが紹介され、暫くしてニュースの時間になった。

 空港やターミナル駅で、帰省客や旅行客へのインタビューが映し出される。

 マイクを向けられた家族が帰省する故郷での楽しみな行事や、旅行先でのプランを笑顔で語っている。

 今日の午後は、年賀状を作成する予定にしていた。

 会社では数年前に虚礼廃止の通達が出たので、私的な付き合いのない上司や同僚には年賀状を出していない。

 沖縄や大学時代の友人、会社で親しくしている元の上司や先輩、同僚などに出すくらいで、総数は二十枚にも満たない。

 唯一、新たに送付先として加わったのは小原だけだ。

 インスタントコーヒーを作り、パソコンを立ち上げた。

 年賀状作成ソフトにある住所録を確認していると、〈か行〉の欄に碧の住所があった。

 あの夏の日、意を決して会いに来てくれた碧への幼稚で醜い対応は、思い出すのも嫌な恥ずかしい行為だった。

 あれから何度か碧に電話かメールでコンタクトを取ろうとしたが、いつも寸前で思い止まっていた。

 ここに碧の住所があったのを記憶していたのなら、少々古風だが手紙でも書けば良かったのかもしれない。

 予定にはなかったが、碧にも年賀状を出そうか……。

 そんな考えが頭に浮かんだが、智明は頭を振って打ち消した。

 

 夕方に作成した年賀状をポストに投函し、大晦日まで営業している万次郎で軽く飲んでからシンビオシスに戻った。

 共用キッチンに入り大型冷蔵庫の扉を開けて、良く冷えた缶チューハイを一本取って階段に向かって体の向きを変えた。

 その時、消えてるテレビ画面の前のソファに、人が座っているのを視界の端に捉えた。

 スマホでも見ているのか、キッチン側に背を向けて俯いている華奢な肩のライン。

 女性らしきその後ろ姿は多佳子ではなかった。

 栗色の柔らかそうな長い髪は、天井の照明を微かに映し出していた。

 今日、入居した人のようだ。

 皆の予想では年配の女性だったが、その予想は大きく外れていた。

 薄いグレーのパーカーに包まれた華奢なシルエットは、智明より若い感じがした。

 少し酔いの残っている智明は、缶チューハイを持ったまま挨拶をしようと女性に近付いた。


 「あのー……」

 智明の足音に気が付いたのか、パーカーを着た女性が振り向いた。

「!」

 その顔を見て、智明は一瞬息が止まった。

「今日からお世話になる、黒岩……黒岩碧です。よろしくお願いします」

 下げた頭を上げ、視線を智明に向けた碧が、にっこりと笑った。

「……な、なんで……?」

 智明は碧の視線から逃れようと、視線を落として手に持っている缶チューハイのプルタブを開けながら言った。

「なんで?なんでって、引っ越しをして、今日からこのシンビオスの一階に住むことになります。それが、なんか変ですか?」

「変って……変に決まってるだろ!なんで、わざわざここに越してくるんだよ!」

 狼狽え気味に言って、智明は開けてしまった缶チューハイを一口飲んだ。

「わざわざって、何がいけないんでしょうか?私がここに越してくるのが。トモ……いや、どなたか存じませんが、あなた様にそんなことを言われる筋合いの話ではないと思いますけど。あなた様はこのハウスのオーナー様でいらっしゃいますか?」

「ばか!何があなた様だ!何がオーナー様だ!ふざけるのはよせ!」

 一ミリも予想していなかった情況に困惑し、冷静さの欠片もない知明は再び缶チューハイに口をつけた。

「ふざけてなんかいませんわ。それより、引っ越し祝いに私にも何か飲ませて下さいませ」

 ソファから立ち上がり、碧は深くお辞儀をした。

「の、飲み物って……」

「まだ買い物に行けてないので、アルコールはおろか口に入れる物が何一つありませんの」

「そ、そんなの知るかよ……まだ九時前だからスーパーだってやってるし、コンビニだって近くにある……」

「引っ越してきたばかりでこの辺の地理に疎いので、お勧めのスーパーとか教えていただけると助かりますわ。でも、その前に引っ越し祝いを……」 

 碧は両の掌を上に向けて差し出した。

「な、なんだよ、図々しいな……ビールと缶チューハイ、どっちがいい?お前の好きなコロナビールとシークワーサーの酎ハイはないけど」

 回れ右をして、キッチンに向かいながら智明は訊いた。

「両方!缶ビールと缶チューハイ。レモンハイはあるでしょ?それからミックスナッツ。なければお煎餅かポテトチップスでも構わない」

「な、何、贅沢言ってんだよ!初対面の……しかも先住民に対して」

「アボロジニの方には申し訳ございませんが、なにせか弱い女の一人旅ですので、何卒ご慈悲を」

「何がか弱い女性だよ!しかも一人旅って、何言ってんだか……」

 碧が茶化すように言う言葉を聞いて、智明は不思議と肩の強張りが消えた。

「ビックリした?」

 ソファに座り直した碧が、キッチンに向けて少し大きな声で訊いてきた。

「当たり前だろ!ビックリし過ぎて、何をどう訊いたらいいのかも分かんないよ」

 缶ビールと二本の缶チューハイ、ミックスナッツと柿の種を百均で買ったトレイに載せて智明はソファに運んだ。

 トレイをテーブルに置いて、碧との間に少しスペースを取ってソファに座る。

「先ずは乾杯ね」

 缶ビールのプルタブを開け、碧は缶を眼の高さに掲げて智明に笑いかけた。

「……」

 碧にリズムを狂わされすっかりペースを奪われた智明は、無言で残りの缶チューハイを飲み干した。

「でも、いいところよね」

「何が?」

「何がって、このハウスよ。設備はしっかりしているし、部屋の広さも十分だし。何より家賃が相場より安いのが最高ね。トモは良くこんないい物件を見つけたわね。しかも短期間に」

 最後の方は皮肉を込めた口調で碧は言った。

「短期間って……偶然入った不動産屋で勧められただけだよ。まあ、ある意味ラッキーだったけど」

 八か月前の出来事を思い出しながら、智明は呟くように言った。

「小西さん、不動産屋の。すごく感じがいいよね」

「どうやってあの不動産屋を見つけたんだ?駅前にはたくさん不動産屋があるのに。言っちゃ悪いけど、場末にあるしかも古ぼけた不動産屋によく辿り着いたな」

 智明が感心したように言うと、「女の勘よ」と碧は返した。

「カン?本当に勘か?」

 疑わしそうに碧の柔らかい表情を見ながら、智明は新しい缶チューハイを開けて一口飲んだ。

「まあ、それは冗談だけど。ネットで新小岩駅周辺の不動産屋に問い合わせても、このハウスに関する情報はなかったわ。それで、先月、新小岩に来てネットで物件案内をしていない、駅周辺の不動産屋を歩きながら探したの。で、数軒目に小西不動産に行き着いたってわけ」

「本当にお前は探偵か興信所で働けるぞ……。でも、ここのハウスはオープンな募集はしていないのに、いきなりシンビオシスに関する情報を訊いたら怪しまれるだろ?」

 知明は以前、小西がこのハウスの入居者の審査を引き受けているようなことを、多佳子から聞いたことを思い出した。

「いきなり訊いたりしないわよ。大型家具が設置されているのならシェアハウスみたいなところでも構わないので、そういう物件はありませんかって訊いたのよ。事情があってなるべく早く、年内には引っ越しをしなければならないって言って」

「そしたらここを紹介してくれたのか?」

「そう。小西さんの方からは色々と訊かれたけど、スムーズにここを紹介されたときは、逆にどんな顔をしていいのか分からないくらいに面喰っちゃったわ」

 ナッツを口に入れながら、碧は言った。

「だけど、なんでこのハウスに越して来たんだよ。東戸塚の部屋は気に入ってたんだろ?」

何故・・か春くらいから色々と大変だったから気分転換をしたかったのと、そろそろ部屋の更新時期になるので、思い切って引っ越しをすることにしたの。で、九月くらいから物件を探していたけど、新小岩もいいかなって。通勤も品川まで横須賀線で一本だしね」

 碧はさらりと言った。

「色々大変って、皮肉かよ!それはこっちのセリフだ!」

 気色ばんだように言ったが、いつまでも引きずってると思われるのが恥ずかしくなり、智明は缶チューハイを喉を鳴らして飲んだ。

「別にそんなつもりで言ったんじゃないわ。気を悪くしたのなら謝る。ごめんなさい」

 碧は素直に頭を下げた。

 栗色の髪の毛が碧の表情を隠したが、その仕草に智明は胸の奥でコトリと動くものを感じた。

「いや、別に謝らなくても……。ところで、ここの住人の誰かと挨拶はしたのか?」

 突然生じた気持ちの動揺を悟られないように、智明は話題を変えた。

「うん。市川さんという渋めのおじさまとは挨拶した。私が引越しの作業をしている時に、おじさまの方から声をかけてくれた。でも、これから出かけるとかで、ほとんど話はしなかったけど。でも、感じのいい人だね」

「市川さんはここの主みたいな人で、すごくいい人だよ。年齢とか関係なく同じ目線で話してくれるし、面倒見もいいしね。俺なんか結構相談にのってもらうというより、愚痴を聞いてもらってる。他の人たちも市川さんには全幅の信頼を寄せているかな」

「なんかそんな感じだった。頼りになるっていうかなんでも知ってそうだし、落ち着いているから安心できるタイプの人だよね。会社の上司だったら、絶対に一生ついていきますってなりそう」

「だよな。じゃあ、まだ市川さん以外の人とは会ってないんだ。まあ、年末だから仕方ないか」

 知明は碧が開封したミックスナッツからアーモンドを一粒摘み、口に放り入れながら言った。

「女性が一人いるって聞いたけど。あと、男性は市川さんとトモの他に、二人いるんだよね?」

「うん、遠藤さんっていう中年のおじさんと、重信くん。俺たちはマー君って呼んでる高校生がいるよ」

「高校生!高校生が一人でここに住んでるの?」

 驚きを隠さずに碧が訊き、缶ビールを飲み干した。

「ああ、なんか事情はあるんだろうけど、詳しくは知らない。でも、家は開業医なので、決して家庭環境が悪くてここにいるわけじゃないみたい。それに頭はいいし、高校生に対しておかしな言い方だけど、人懐っこくていい子だよ。あ、遠藤さんも見た目はしょぼいけど、いい人だ……缶ビールでいいのか?」

 碧が飲み干した缶ビールのお代わりを取ってくるために、立ち上がりながら智明は言った。

「ビールはもういい、この缶チューハイを飲む。トモはみんなと仲良くしてるの?ギネス級の人見知りなのに……」

「ああ、ここの人は距離感が絶妙なんだ。無遠慮に立ち入ってくるようなことは決してしないけど、少しへこんでいるようなときは、さり気なくフォローしてくれるんだ」

 智明は缶チューハイのプルタブを開けてやってから碧に渡した。

「へー、そうなんだ。でも、よくそんな人たちが集まったわね」

「あくまでも噂だけど、不動産の小西さんのお眼鏡にかなった人だけが入居できる仕組みになってるらしい。だから言い方はあれだけど、共同生活を乱すような人は、はなから入居できないようになってるみたい。本当かどうかは小西さんに確認したことないから分かんないけど」

「じゃあ、私はお眼鏡にかなったってわけね」

 碧は大きくはない胸を張って言った。

「噂が本当ならね」

 碧がそびやかす胸を見ないようにして、智明は応えた。

「……まだ怒ってる?」

 唐突に碧が小さな声で訊いてきた。

「え、何?」

 聞こえてはいたが、返答に困った智明はとぼけるように訊き返した。

「だから、あのことよ……」

「別に……もう、どうでもいいよ、そのことは」

「もう、怒ってないってこと?」

 碧は上目遣いに智明を見た。

「そういう感情はもう薄れたっていうだけ。だからといって、このハウスに引っ越してきたことは……ちょっと、いや大いに引っかかる」

「ごめんなさい。でも、相談できることじゃないし。夏に会いに行ってから、ずっと考えてて。ホントに色々考えて、なんとか……トモに会えるようにするのにはどうしたらいいのかって。近くに住めば会えるんじゃないかって単純に思って。で、好奇心でこのハウスのことを調べて不動産屋さんに行ったら、予想外にとんとん拍子に事が進んじゃって……」

 最後の方は消え入りそうな声だが、碧は自分の膝のあたりを見ながら切々と訴えた。

「でも、共用部分が多いある意味シェアハウス的なこの共同住宅で、どのように生活していくつもりなんだ?」

「どのようにって?」

「お互いに気まずいだろ。正直言って俺はちょっと戸惑ってる。いくら部屋が別々だといっても、顔を合わせる機会は増えるし。第一、他の人たちになんて説明するんだ?全く関係のない他人だって言うのか?それとも、元カレですって言うつもりか?」

 普段より大きな声でまくし立てるように言って、智明は他の住人に聞かれなかったかと心配になり、周りの様子を窺った。

 だが、年末のシンビオシスには人の気配は感じられなかった。

「そんなこと考えてないわよ。とにかくここに越してきてトモに会って、そして色々と話をしながら、って思ってただけ。トモが初対面だってことにしろって言うんならそうするわ」

 そう言って碧は缶チューハイを一口飲んだ。

「そんなの無理に決まってるだろ!俺がそんな態度を取り続けられないのは、十分分かってるくせに」

「トモは嘘はつけないもんねー。それに、そんな演技を続けても絶対にボロは出ちゃうしね」

「そうだよ。ただでさえ意識過剰になっちゃう俺が、ここの人たちを騙せるわけないって。特に多佳子さん、老川さんっていうスーパーウーマンには、コンマ数秒でバレるのは確実だ。あと、市川さんだって、マー君だって……遠藤さん以外にはそんなの通用しないな」

 智明はそう言って深く溜息をつき、缶チューハイをちびりと飲んだ。

「だよねー。トモには無理だよね。ところで、市川さん以外のここの人たちはどんな感じ?特に、今言ってた老川さんっていう女性はどんな人?」

「何がだよねー、だ!お前が越してこなければこんなことで悩む必要はなかったのに。俺の平穏な生活を乱してどうしようっていうんだ、ったく……。まあ、このハウスの人たちはさっきも言ったけど、みんないい人だよ、少なくとも俺にとっては。碧との相性は……それは自分で確かめな。俺の説明で誤った先入観を持たれてもなんだからな」

「そうね。できるだけ波風立てないようにする」

「碧ならうまく付き合って行けるとは思うけどな。あくまでも俺の個人的な予感だけど」

「じゃあ、大丈夫ね。トモのお墨付きがあれば」

 碧は朗らかに言って、缶チューハイを飲み干した。

「もう一本飲むか?」

「いいの?」

「引っ越し祝いだからな。何か軽くつまみでも作るか?」

 会話を続けることで首筋と肩の強張りが取れ、同時に纏っていた重く不自由な鎧を脱いだように気持ちも軽くなった。

「何かあるの?……なんでもいいけど」

「簡単なものだぞ。ランチョンミートがあるからポーク卵でも作るか」

「やったー。トモのポーク卵、久しぶり。何か手伝う?」

 ソファから腰を浮かせながら碧は訊いた。

「別にないよ。缶チューハイだけ取りに来てくれれば」

「はーい!」

 屈託なく明るい声で言って、碧はソファから立ち上がった。


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