45話 神元書記長、万歳!


 ナスカを乗せたエレベーターが地上に辿り着く。充満する黒煙の中をナスカは姿勢を低くしながら進む。やがて官邸のエントランスに辿り着くと、そこには息絶え一部が炭化した技賀、下半身が吹き飛んだ状態で倒れたヒオリ、そして重度の火傷を負いながらも、ヒオリにトドメを刺そうとしている二名の護衛官の姿があった。


「止まれ!」


 ナスカは煙で咳き込みながらも、走って護衛官たちとヒオリの間に入った。


「大日本共和国元首として命じる。彼を傷つけることを禁じる!」


 護衛官たちが自分に従うかナスカは自信はなかったが、直属の上位命令者の技賀を失った護衛官たちは素直にナスカの指示に従い、攻撃の姿勢を解いた。ナスカは息をつくと、傷ついた護衛官たちの胸部装甲に手を置いた。


「ありがとう。迷惑かけてごめんね」


 そう言った後、ナスカはヒオリの方へ向き直り、彼の顔を覗き込むためしゃがみこんだ。割れた仮面から見えるヒオリの瞳にナスカが写る。


「……もしかして、俺まだ生きてる?」

「うん、生きてるよ」

「体半分消し飛んでも生きてるとか、ヤバすぎだろ、俺……」


 ナスカはヒオリからステインの仮面を取ろうとしたが、ヒオリは僅かに顔を動かして拒否した。


「やめとけ、仮面の中、ぐっちゃぐちゃでグロいから」

「……うん」

「じゃ、さっさと俺を殺して、みんなのヒーローになるんだ」

「……うん」


 ナスカはヒオリへ延ばした手を戻し、代わりにライナから借りたサバイバルナイフを腰から引き抜いた。


 ライナは技賀のクーデターを覆し、自分たちを守るため立てた作戦の目標。それは、自分たちの手でもう一度、神元ナスカが統治する独裁政権を作り直すというものだった。


 イザナミシステムの破壊だけでは、技賀が党に居座り自分たちに危険が及ぶ。技賀を暗殺しても、誰かがその後釜を継ぐだけで、状況は好転しない。

 この状況を打開するには、この二つを同時に行い、かつナスカの生存の鮮烈なアピール。そして党のトップに居続けられるような根拠、手柄が必要だった。


 国民に罪を着せ、暴動の原因となったステインをナスカが討つ。


 そんな英雄的な演出をし、国民を熱狂させ、党の内部も黙らせる。再びナスカがこの国の支配者だとアピールする。それがライナの立てた「国を倒す作戦」の最終段階だった。ゆえに、ステインはここで一旦死を迎えることになる。火あぶりにされたガイ・フォークスのように、死体を晒される必要があるからだ。

 爆発で死ねなかったヒオリを、ナスカは晒しものにするために、いったん殺さなければならない。ナスカがナイフを振り下ろすのを躊躇っていると、


「ごめんな……」


 ヒオリが消え入りそうな声で呟いた。


「約束、守れなくて……」


 それは、嘘をついていたことへの告解だった。


「さらってやるっていったのに、どこにも連れていけなくて」

「ヒオリ……」


 ずっと言えなかった、謝罪の言葉。ステインとしての自分の役目が終われば、もう、ナスカに会うことはないかもしれない。だから、後悔のないように。そして、ナスカへの想いを断ち切るように、目を瞑りながら、言葉を紡ぐ。


「偽物で。お前のヒーローになってやれなくて、ごめんな……」


 もしも願いが叶うなら、ナスカとライナが安全に暮らせますようにと、それ以上は何も望まないと祈りながら、ヒオリは自分にナイフが突き立てられるのを待った。

 だが、一向に刃が自分を貫く気配が無く、ヒオリは目を開け、そして、自分の体にされていることに驚き、息を呑んだ。


 ナスカは仮面越しに、ヒオリにキスをしていた。


 軽い体でヒオリに覆いかぶさっていたナスカは、ヒオリが目を開けたことに気づくと、ゆっくりと体を起こした。


「ヒオリ、ボクはきみが好きなんだ」


 ナスカは頬を紅潮させながら、やっとちゃんと言えた、と呟きはにかんだ。


「でも、ヒーローの部分だけが好きなわけじゃないの。初めて会った時のこと覚えてる?」


 体が動かせないヒオリは瞬きで答えた。


「ボクが好きになったのはね、仮面のダークヒーローと、さらってやるって言ってくれた時に、不器用に笑ってくれた男の子、両方なんだ。だから、謝る必要なんて、ない。ボクはヒオリの全部が好きで、そんなヒオリと居れて、とても幸せだった」

「……ははっ、上手く笑えてなかったか、俺」

「うん、すっごい変だった」


 二人は爆発の熱が残る官邸のエントランスで笑いあった。


「ボクはまだヒオリといたい。だからね、ボクがヒオリをさらってあげる」

「俺を?」


 ナスカは強く頷く。


「うん、どこへでも。好きなところへさらってあげる」


 それは、ヒオリにとってどんな福音よりも、祝福された言葉だった。


「……じゃあ、リクエスト」

「言って」

「インドに行きたい。好きな詩人が、ホイットマンが言ってたんだ『インド最高』って」


 こんなときでも、かっこつけてしまう自分に、ヒオリは自分で呆れてしまう。だが、語る内容は本心だけを語ることにした。それが想いを告げてくれたナスカへの、今の自分ができる誠意ある行動だと思ったから。


「インドに行ったら、カレーを食って」

「うん」

「学校に行って勉強して」

「うん」

「ガンジス川で体を清めて」

「うん」

「そして、お前の金色の瞳を、ずっと傍で見ていたい」

「……わかった」


 ナスカは優しく微笑んで、ナイフを逆手に強く握りしめた。


「ずっと、ずっと一緒にいよう、ヒオリ」


 そして、割れた仮面のヒオリの瞳が覗くところへ、ナイフを力いっぱい振り下ろした。


 ◆


 ナスカはナイフが仮面に突き刺さったステインの死体を持った護衛官を引き連れ、官邸を出た。

 街は火の手があがり、政府への不信感を募らせた暴徒と、それを暴力で押さえ込もうとする警官隊が、官邸の正面ゲートまで迫っていた。


 ここまではライナの計画通り。この後の展開はナスカ次第だった。


 ナスカの周囲を飛蝗が飛ぶ。それは、わずかに残ったラスコーの飛蝗型ドローンで、ナスカの言葉をネット中継で国中に伝えるために、複眼を模したカメラにナスカを写していた。


 ナスカは国民に語り掛ける前に、燃える街と暴力に支配された民衆を金色の瞳で見据えた。

 燃えてしまえばいいのに。そう、軽はずみに願ってしまった過去の自分を罰するため。そして、母やヒオリのような犠牲者を出さないよう、最良の国家元首になろうと決意するために、痛ましい光景を目に焼き付けた。


 そして、国の隅々にまで届くよう、声を張り上げた。


「聞けぇ!」


 官邸から聞こえた声に、暴徒も警官隊も動きを止めた。死んだと伝えられたはずの国家元首の、しかも作業着姿に、皆、唖然としてナスカを見る。


「ボクは生きている! 悪逆非道なテロリスト、ラスコーとステインの陰謀を阻むため、止む無く死を偽った!」


 護衛官は上半身だけのステインの遺体を高く掲げる。


「だが、ラスコーは既に討たれ、国民諸君を恐怖に陥れたステインも今、我が勇敢な護衛官の前に倒れた! ゆえに国民諸君らの前に再度、現れることができた!」


 歓声は上がらない。民衆は静まり返ったままだった。ナスカは不安な気持ちを押し殺しながら続ける。


「ボクは、彼らの蛮行により傷ついた国民諸君らに寄り添いたい。ゆえに、今日起きた悲劇に対し、三つの補償を約束しよう!」


 ナスカは右手人差し指を立てる。


「ひとつ、今回のテロ、暴動で被った家屋や私有財産への補償を行う!」


 続けて中指。不満が噴出しないうちに、次の言葉を吐き出す。


「ふたつ、対応にあたった警官隊や軍、その他治安維持に関わった者には特別手当を支給する。国家の法秩序の守護に尽力した諸君らに、ボクは最大限の敬意を表する!」


 最後の薬指。これが、指導者としても、ナスカ個人としても、最も大切な約束だった。


「みっつ。今回の暴動に関し、都民、国民の罪を一切不問とする。また、我が国では絵の作成を禁じないこととする。これは、ステインの凶行を無効化するとともに、同様の模倣犯が現れないようにするための措置である!」


 イザナミシステムに頼らない、自分の力で作り上げる法。ナスカは渾身の力を持って伝えた。だが、群衆の反応は冷ややかで、どよめき一つ起きなかった。

 ナスカは滝のような汗をを流しながら、なぜ、と自分に問い、そしてすぐに答えが出る。


 自分が頼りない子供だからだ。背も小さく力もない、ただの子供。


 そんな子供の言うことを、大人たちが聞くわけがない。それに、彼らはナスカの本当の出自を知らない。今、目の前にいるナスカを、予備の、新しく作られた人造人間と認識している可能性すらある。そんなぽっと出の存在を信用するのは難しいだろうと、ナスカでも感じる。

 ナスカは国民を率いることのできない自分の無力感に包まれながら、飛んでくる糾弾や投石に備えて目を瞑った。長く、不気味な静寂がナスカの周囲を支配した。


「万歳!」


 だがその静寂は、よく通る少女の声で打ち砕かれた。


「神元書記長、万歳!」


 ナスカは目を大きく開け、声の出所を探る。その声はナスカのよく知る声だった。


「我らが偉大なる指導者、神元ナスカ書記長万歳!」


 声の源は群衆の中にいた。フライトジャケットを裏返し、炎のようなオレンジ色を纏った少女の姿は、群衆の中でも目立ってよく見えた。


「寛大で、勇猛な我らが書記長万歳!」


 少女――ライナは人の群れの中、諸手を上げて叫び続ける。


 この国の人間はなにもしない。


 ヒオリがかつてライナに語った言葉は事実かもしれない。けれど、ライナはその言葉を違った形で解釈していた。

 この国の人間は何もしないのではない。周りがやっていないことを、自分もしようとしないだけだ、と。


 この国の人間は、自分たちの向こう側の人間の声では動かない。

 現実離れしたヒーロー、ステインが人助けをしたり、テレビの中で活躍してもダメだ。神元ナスカが対面して語りかけても足りない。


 だが、それが隣にいる人間だったら?


 皆がしているから、絵を描かずに生活している。

 皆がしているから、国家元首をテロリストに差し出そうとする。

 皆がしているから暴動に加わる。


 自分の周りの、自分以外の誰かが行動し、「誰かがしているから」と空気を読んで合わせようとすることで、この国の人間は動くことができる。少なくともライナはそう思っている。


「私たちの拠り所にして、敬愛すべき書記長万歳!」


 再度、ナスカを国家元首にするため表舞台に立たせても、日和見した民衆が、ナスカを国家元首として承認も否認もしない可能性があった。そして現にそうなっている。事態を治め、ナスカの安全を確保するには、技賀のような他の為政者がナスカを消そうとする前に、ナスカを国家元首として、民衆に認めさせる必要がある。


 だから、ありったけの声で、民衆の真ん中で、ライナは叫ぶ。

 動かない群衆を焚き付ける「自分以外の周りの誰か」という火花になるために、叫ぶ。


「神元書記長万歳!」


 そして、火花が焔へと変わる。


「万歳!」


 ライナ以外の声が群衆の中から聞こえた。若い男性、暴徒を抑えていた警官、訳も分からず参加していた学生。皆がライナにつられて声を上げはじめた。ライナが穿った静寂の壁が、同調圧力によって作られた賛美の洪水で崩された。


 万歳、万歳、万歳


 万歳の嵐の中、ナスカは拳を突き上げ、自分がこの国の国家元首だと主張する。その一挙一動に、歓声が上がった。


 ナスカは周囲の国民を見渡した後、最初の万歳を唱えたライナの方を見る。


 ライナは既に万歳と言うのを止めていた。ジャケットのポケットに両手を突っ込むと、ナスカを見つめながら静かに頷いた。

 ナスカもそれに頷いて返す。どんな称賛よりも、信頼できる友人が自分を認識してくれていることが、ナスカはなによりも嬉しかった。


 万歳、バンザイ、ばんざい


 独裁国家が再び生まれたことを讃える民衆の声は、一晩中、東京の夜に響き続けた。

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