44話 ヨモツヘグイ
数分前。
イザナミシステムが鎮座する官邸地下室は深夜の霊園のように静かだった。ナスカがライナをこの部屋に招いた時と同様に、システムの駆動音と、換気装置が吐き出す不気味な風の音だけが室内に響く。
だが、甲高い工具の音がしたかと思うと、換気装置の発する音がぴたりと止んだ。その後、金属を叩く音が三度ほどした後、天井近くにある換気口のパネルが外れ落ちた。
呼吸を止めた換気口からは、ガスマスクに作業着姿の少女が這い出てくる。少女は壁の突起を足掛かりに部屋の床に降りようと試みるが、足を踏み外し落下する。
「うぐぅ……」
着地の姿勢が悪かったためか、少女は足首をくじいた。ガスマスクを外すと、痛みに顔を歪めたナスカの顔が現れた。体重がかかる度に足に激痛が走るが、ライナやヒオリはもっと痛い目にあっている。この程度でくじけるな、とナスカは自分を心の中で叱責した。ナスカの作業着にはいくつもポーチが括り付けられていて、その中身のほとんどが爆弾だった。
イザナミシステムのある地下室への正規の出入り口は、官邸内部の直通エレベーターのみだ。技賀が侵入者を警戒し、官邸内部を護衛官に守らせることは想像に難しくなかった。
だが、イザナミシステムに通じる道がもう一つだけあった。それが、ナスカが這い出てきた換気口だ。
地下という閉鎖空間にあるのと、精密機器であるイザナミシステムの保全のため、どうしても部屋は換気が必要になる。無論、基本的に人が通ることは想定されておらず、ヒオリやライナは通ることができない。
だが、子供のように小柄なナスカはその狭い通路を突破することができた。勿論、狭い通路内を慣れない工具を使い、障害となるファンなどを分解しながらの移動のため、かなりの時間がかかる。その間、技賀に異変を察知されたら、毒ガス等を流されてナスカは一瞬の内に死に至る。それを防ぐために、上階でヒオリが技賀たちの気を引き、時間稼ぎをしていた。
作戦開始から既にかなりの時間が経過している。急がなければと、ナスカは痛む足を引きずりながら、事前に確認した地下室のウィークポイントに次々と爆弾を仕掛けていく。
爆弾を設置すると、ナスカは爆弾のひとつについた時限装置を起動しようとする。が、止めた。自分を苦しめていたものを破壊する前に、ナスカにはしておきたいことがあった。
ナスカはイザナミシステムのメインマシンの真下に設置された椅子の方へ向かう。普段ナスカが座っていたそこには、防腐処置、そして生体として認識するよう、機械を埋め込まれたナスカの母親、ミラの死体が座らされていた。
ナスカは母親の首に突き刺さったケーブルを引き抜き、システムとの接続を切ると、冷たくなった手に自分の手を重ねた。
「お母さん、今までボクのために戦ってくれてありがとう」
目を閉じたミラは答えない。死者は話さない。だが、ナスカは語り掛ける。
「こんな形でお別れをすることになって、ごめんなさい」
自然と、ナスカの眼に涙があふれる。
「もっと色々お話ししたかった……お父さんのこと、アンネのこと、お母さんから聞きたかった」
そして、自分がしようとしていることの残酷さに、胸が痛くなった。
「こんなところに置き去りにするんじゃなくて、ちゃんとお墓も作ってあげたかった」
ナスカはあふれる涙を、作業着の袖で乱暴に拭う。
「でも、ボクやるね。ボクの大切な友達と、好きな人のために」
最後のお別れの時は、笑顔でいたかった。天国で見ているであろう母が、不安にならないように。
「ライナもヒオリも、ボクの大切な人なんだ。ボクは二人が……ううん、みんなが幸せに生きていける国を作りたい。だから、そのために、お母さんとちょっとの間、お別れするね」
ナスカは冷たい母の骸に抱き着く。
「いつか、ボクがそっちに行ったときに、いっぱいお話しするね。みんなのことも、ボクのことも。だから、さようなら、お母さん」
ナスカは名残惜しそうにゆっくりミラから離れると、再び爆弾の方へ向かう。爆弾に着いた鍵をひねると時限装置が起動し、連動して他の爆弾も爆破までの秒読みを開始した。
ナスカは走って地上に続くエレベーターに乗り込む。ボタンを押して扉が閉められる時も、ナスカは遠くにいる母の姿をずっと見ていた。
やがて、エレベーターが動き出すと、ナスカは自信の無線機に、爆弾設置を告げる符丁を告げる。
「こちらナスカ。『黄泉の国の戸を閉めた』」
地上で戦っているヒオリたちにも、ナスカの声は届いているはずだった。
ナスカは無線機のスイッチを切ると、エレベーターが地上に着くまでの間、膝をつき、ひとり泣き叫んだ。
イザナミシステムと、その起動を司る母を消し去る爆発の音で、その嗚咽は誰にも聞かれることはなかった。
◆
「ぎゃははははは! いひひっひっひ!」
地上ではヒオリのやかましい笑い声が、技賀の鼓膜を震わせていた。
「技賀さんは真面目だから、俺か草間さんあたりがイザナミシステムを壊しに行くと思ったんだろ!」
「黙りなさい人造人間!」
自分の判断ミスと、目の前の人間の模造物の喚きに怒り狂う技賀は、何度もヒオリを踏みつけた。だが、ヒオリは咽ながらも口を閉ざすことはなかった。
「ナスカが本丸に単身乗り込むなんて、そりゃ考えつかねぇよなぁ!」
「黙れ! 黙れ!」
「でもライナは思いついた! 国家元首を敵中枢に特攻させる作戦をさぁ! あんたが本当に警戒すべきは、ナスカとライナ、ビッグシスターとピックシスターの方だったのさ!」
「黙れぇ!」
顔を蹴りつけることで、ようやくヒオリは黙った。だが、それも一瞬のことだった。
「げほっ……あんたは本当に真面目な人だよ、国のことを第一に考えてこうしたんだろ? ナスカに苦痛を全部押し付けて甘い汁だけ吸ってりゃ良かったのに、そうしなかった。真面目だよほんと」
「おだてたって無駄よ! 殺してやるわ!」
「あはは、そうそう。そこなんだよ、技賀さん。俺が言いたいのは」
技賀が熱鉄杭を振り上げても、ヒオリは抵抗するそぶりを見せない。ぼろぼろの手で、自分の服の裾を掴み、めくった。
「技賀さんは真面目だから、俺がきっちり死ぬとこを確認したかった。ナスカのお母ちゃんと同じにな。護衛官に任せず、できれば自分の手で殺して安心したかった。だから、こんなにそばまで来ちまった」
技賀は絶句した。ヒオリの腹の皮膚の下に明滅する、赤い光が見えた。ヒオリの腹は不自然な形に膨れていて、それは作戦開始前に開腹し埋め込んだ爆弾によるものだった。
「ああ。あと、ライナからも伝言があるんですよ」
「――っ!」
技賀は杭を投げ捨てその場から離れようとした。が、遅かった。
「『Fuck you』」
ヒオリの口汚い言葉、あるいは爆弾作動用のパスワードを腹の中の爆弾のマイクが拾う。
瞬間、ヒオリを起点に爆炎が噴出し、護衛官と、技賀を飲み込んだ。
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