4章 PIC SISTER
37話 悔悟
拝啓
誰か教えて欲しい。俺はどうすればいい
俺のせいで一人の女の子の日常を滅茶苦茶にしてしまった
俺のせいで好きな女の子の母親が死んでしまった
俺のせいで、彼女たちの住む世界を壊してしまった
俺にできることならなんだってする
だからどうか、教えてくれ
全部やり直す方法を、俺に教えてくれ
◆
『11月5日、午前6時のニュースです』
ライナはバンの助手席に座り、カーラジオの流すニュースを、雨がトタン屋根に当たる音と合わせて静かに聞いていた。
『昨夜、午後7時頃。大規模なドローンテロにより、我らが偉大なる指導者、神元ナスカ書記長が亡くなられました。事件から一晩経ちましたが、国中が深い悲しみに包まれています』
フェイクニュースだ。ナスカはまだ生きていて、昨晩、ライナたちと東京から脱することに成功した。ナスカを含めた特広対の面々は、現在、千葉にある放置された違法な
党の秘密や技賀がクーデターを起こした事実を知る特広対は、真実をもみ消すためにナスカごと消されてもおかしくはない状況にあった。ひとまず警官の多い東京からは脱することはできたものの、今後の見通しは立っていなかった。
『今回のテロの首謀者であるラスコーを名乗るテロリストは、昨晩の内にドローンと共に軍に制圧。その場で射殺されました』
嘘ばかり言うのはやめろ、とライナは怒鳴り散らしたかった。だができなかった。自分もつい数日前までは同じ側の人間であった。体制の末端であるニュースキャスターを一概に責める権利があるかと問われれば自信がなかったし、何より後部座席で仮眠を取っている草間を起こしたくなかった。それは物資調達から帰ってきたヒオリも同じだった。
仮面だけを外し、戦闘服の上に黄色いレインコートを着けたヒオリは、なるべく音を立てないよう、バンに近づき、そっと助手席のドアを開けた。
「ただいま」
「おかえり。周りはどう?」
「見た感じ、追っ手はない。小銭が使える自販機が近くにあって助かった。とりあえず、冷たいのと、あったかいの買ってきた。エナジーバーがダッシュボードに入ってるから、食えそうなら食っとけ」
「サンキュ」
ライナはヒオリから受け取ったスポーツドリンクの缶を右肩に当てる。ライナは護衛官の攻撃からヒオリたちを守った際の衝撃で負傷していた。草間の見立てでは骨にヒビが入っていう可能性があるとのことだった。
「ライナ、本当にごめん。俺たちの……いや、俺に関わったばかりに、こんなことに巻き込んじまって」
暗く沈んだヒオリの声は、彼が精神的に追い詰められていることを雄弁に表していた。
「私はいい。いつか国の敵になる予定だったし、余裕」
ライナは普段ヒオリがするように、冗談めかして笑った。それを見たヒオリは遠慮がちに苦笑した。
実際のところ、気休めの冗談ではなく、ライナ自身は追い詰められている気はしなかった。昨夜から何度もラジオニュースを聞いていたが、自分やヒオリの名前が報道にあがることはなかったからだ。秘密裏に特広対を消すための前準備と考えれば妥当に思える。油断はできない状態だが「お前を探している」と名指しで言われるよりは気が楽だった。
「もし、気を遣うなら、私よりナスカにしてやって」
ライナはヒオリの肩越しに、バンから少し離れた所にいるナスカを見やった。
ナスカは大人の腰の肩さ程に積まれた資材の上に膝を抱えて座り、膝に顔を埋めてじっとしていた。このヤードに着いて以降、ナスカはずっとライナたちと距離を取っていた。
「それこそ、俺にはなにもしてやれねぇよ」
ヒオリはナスカの方を見ようとしない。ラジオニュースが淡々と、容赦なく情報を浴びせてくる。
『党は臨時の指導体制を編成。新たな党代表が次期党大会で決定するまでの間、暫定指導者として書記長補佐官を務めた、技賀ハルコ氏が暫定代表を勤めます。なお神元ナスカ書記長の葬儀は来週にも執り行われる予定で、全国からの参列――』
ライナはラジオの電源を切って黙らせた。
「最悪だ。全部、俺のせいだ」
「きついのは分かる。あんたは最悪の状況でよくやったわ」
自分を憐れんでも仕方ない。そう言って鼓舞することもライナの脳裏によぎった。だが、ヒオリの心中を察してやれないほど、ライナは鈍感ではなかったし、第一にこれ以上落ち込む相棒を見たくなかった。だが、ヒオリは自分の言葉で自傷することを止められなかった。
「でも、俺がラスコーの戦闘AIを封じなければ、ラスコーは……ナスカの母親は技賀さんの拳銃くらい余裕で避けられたはずだ。俺が仮面を壊してなきゃ、弾丸を防いでたかもしれない」
「たらればの話より、これからどうするか考えましょ。第一に情報が少なすぎ……ってバカバカバカバカ!」
ライナはヒオリを突き飛ばしながらバンから飛び出すと、ナスカに近寄って彼女の右腕を掴んだ。
「やめて! 離して! 離してよ!」
ナスカの右手には倉庫の中にあったであろう鋭利なガラス片が握られていた。握ったナスカの掌から血がしたたり落ちている。ナスカはそれを使って自ら命を絶とうとしていた。
「ヒオリ! 手伝って!」
ライナの呼びかけに一拍遅れてヒオリも駆け寄り、ガラス片の先端を握ってナスカにこれ以上危害が及ばないようにする。
「ナスカ、落ち着け! 落ち着けって!」
「嫌だ! 離せ! 離せ! 離せ!」
「離せるわけねぇだろバカ!」
「嫌い! 嫌い! ヒオリなんて嫌い!」
ふと、ゴッ、っという音の後にナスカの手の力が緩んだ。ヒオリはガラス片を奪って倉庫の端の方へ放り投げた。
ナスカは両手で頭を押さえていた。拳骨をされたためそうなっていたのだが、それをした者があまりにも音を立てないため、三人は状況を把握するのに少し時間がかかった。
「あなたを守るために皆奮闘した。ヒオリは特に。それを無駄にしてもらっては心外」
ナスカに鉄拳を食らわせた草間は、いつもと変わらぬ抑揚のなさでナスカを叱責する。ナスカは目を潤ませながら草間を睨み返した。
「こうするのが一番なんだ! ボクが死ねば、イザナミシステムは動かなくなる。あれが無くなって一番困るのは党の人間、技賀だ! それにボクがいなければ、みんなも追われなくなる!」
「残念だけど、あなたが死んでも状況は変わらない」
草間は精いっぱい背を丸め、ナスカと視線を合わせようとした。それでも、背丈のせいでナスカを見下ろすようになっていた。
「イザナミシステムの適用条件は現在も不明。けれど、知りうる情報とラスコーの話を全面的に信じるならば、あなたに近い生体情報を持つと思われるラスコーはシステムと適合できる可能性が高い。死体が彼らの手にある以上、システムは今後も動く」
「でもお母さんは死んでるんだよ!」
「死んだ肉体を生きていると見せかける方法はいくらでもある。あなたの母親はパーツとして使われ続ける」
自分の肉親が冒涜的な扱いを想像し、ナスカは絶句した。草間は続ける。
「それに、クーデターの事実を知った私たちが追われることも変わらない。よってあなたの死は無意味。理解できた?」
ナスカは血だらけの拳を握り、肩を震わせた。
「あははっ、その通りだね」
ナスカは笑いながら泣いていた。
「ボクの人生は、やってきたことは、無意味だったんだ」
ナスカの絶望の吐露を前に、ヒオリ唇を噛んで、また顔を背ける。ナスカは大粒の涙を落としながら悲しみを吐き出し続けた。
「ボクがイザナミシステムと繋がってたから、みんなが苦しんだ。いっぱい人が傷ついて、この国はなにひとつ良くなってなかった。ボクの14年間は、全部、無駄で、全部、無意味だったんだ……」
雨音と、冷えた空気。そして絶望感がその場を覆いつくした。だが不意に、ナイロン繊維越しの温かさがナスカを包んだ。
「私は楽しかった」
ナスカは驚いて固まった。暖かさの元はライナだった。ライナは目を瞑り、ナスカを抱きしめていた。
「私の今までの人生、クソがつくくらいつまらなくて、退屈だった。何も書いてないキャンバスみたいに、面白みのない人生だった」
だが、今は違った。閉じた瞳にはヒオリとナスカといたときの情景が、ありありと浮かぶ。
「あんたを殺そうとして、そのせいでヒオリと一緒に戦ったり絵を描くことになって、やきもち焼いたあんたとお茶して、学校行って、食べきれない量のご飯いっしょにやっつけて、映画を見て。あんたたちといるとホント退屈しなかったし、この国での自分の居心地の悪さを忘れることだってあった」
怖い思いをした。命の危険が何度もあった。だが、ライナにとってそれはもう些末な問題だった。自分の心の穴を埋めてくれるような友人たちと巡り会えたのだから。
「ナスカ、あんたがいたから私は楽しかった。だから、私の幸せまで、そんなに冷たく否定しないで」
「……っ!」
ナスカはライナの胸に顔を埋めて大声で泣きだした。ライナはその背を優しく撫でる。
「心配しないで、あんたにはダークヒーローステインと、アナキストのライナがついてる。だから大丈――」
ライナの言葉を遮るように、倉庫内に電話の着信音が響いた。
「誰か、エッチなサイトを見るためにリストを隠し持ってたりしてねぇよな」
「バカ、あんたじゃないんだから」
ようやくヒオリが軽口を言ったことに、内心ライナは安堵する。だがすぐに緊張感が体を支配した。
追跡を躱すため、ライナたちは全員リストを都内で破棄していた。まだリストを所持しているものがいれば、場所が割れてしまった可能性がある。
「リストじゃない」
草間は呟くと、迷わずバンへ向かい、トランクを開けた。
積まれっぱなしの装備ケースの上に、東京湾の倉庫で接触した偽ラスコーの装備品が入った段ボールがあり、そこから音は鳴っていた。
「これ」
草間は段ボールの中から取り出したスマートフォンを三人に見えるように掲げる。ラスコーが偽装に使用していたスマートフォンだった。草間は人差し指で三人に静かにするようジェスチャーで伝えると、通話をスピーカーにして通話に出た。
「もしもし」
『あーよかったっす。繋がって』
出たのは、軽い態度の少女の声だった。
『あんたたち、ナスカの愉快な仲間たちっすよね』
「そういうあなたは?」
草間の疑問に電話の相手は、にしし、とわざとらしく笑った。
『そうっすね、ラスコーの右腕で、強いて言うなら……神元ナスカの妹ってとこっすかね』
草間を除いた三人、特にナスカは大きく目を見開いてスマートフォンを食い入るように見た。
『あんたたち、知りたくないっすか? 作られた『真実』じゃなくて、葬られた『事実』ってやつを』
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