36話 スペアパーツ


「ラスコーが……ナスカの母親?」


 ヒオリは後ずさり、二人を見比べる。

 ナスカとラスコーは似ていた。背丈はラスコーの方が高く、髪の色も違う。だが顔の輪郭や鼻の形等が似通っているし、珍しい瞳の色は二人が親子かもしれないという仮説に説得力を与えていた。


「でも、ナスカは俺と同じ人造人間で……」


 ラスコーはナスカの手を借りつつ、よろけながらも立ちあがる。


「一緒にするな。彼女は私が腹を痛めて産んだ子だ」


 ナスカと似た顔の女性が、変声器を介さない凛とした声で答える。ヒオリの中で、何かが崩れていく音がした。

 テロリストの嘘かもしれない。ラスコーはナスカを拐いやすくするため、顔を整形をし、ナスカを騙しているかもしれない。そうヒオリは思おうとしたが、うまくできない。自分と似た境遇だから、人造人間だからナスカを好きになったわけじゃない。そのはずなのに、自分が急に孤独になってしまったように感じて、ヒオリは何も言い返せなくなった。


「分かったのなら、どけ化物」

「お母さんも、ヒオリにそんなこと言わないで……」


 二人に挟まれる位置にいたナスカは消え入りそうな声で懇願する。ナスカもまた自分の中の常識がひっくり返り、途方に暮れていた。突然現れ、自分の母親だと名乗ったテロリスト。その人が、自分の好きな人と対立している。どうにか全員が納得できるようにしたいのに、今のナスカは二人が殺しあわないよう、間に入るだけで精一杯だった。


「もう時間がない、行くぞ」

「あっ……」


 有無を言わさず、ラスコーはナスカの手を引き、呆然と立ち尽くすヒオリの横を通り過ぎて、その場を去ろうとする。


 その時、一発の銃声が鳴った。


 ナスカは肩を竦め、ヒオリは我に返り周囲を見渡す。


 ナスカはどこもケガをしていない。ヒオリもだ。

 だがラスコーはゆっくりとナスカの手を握ったまま地面にうつ伏せに倒れた。


「お母さん……?」


 ナスカはゆっくり目を開け、そして、こめかみから血を流して死んでいるラスコーを見た。


「え、なんで、いや、うそ……」


 目に映る光景が信じられず、ナスカは何度も母親の体を揺さぶる。


「お会いしたかったですよ、油茂あぶらも主任」


 この場に似つかわしくない、穏やかな女性の声が聞こえた方へヒオリは視線を向ける。そこには、ヒオリたちから少し離れた所で拳銃を構えた、傷だらけの技賀の姿があった。構えた拳銃の銃口からは煙があがっている。


「技賀さん、生きてたのか……」

「ガンシップと護衛官の強化外骨格を頑丈な設計にしていて、本当に良かった。機械はやっぱり信頼性が第一だと思わない? ヒオリ君?」


 技賀は冷たい笑みを浮かべていて、その後ろから彼女に追従してきた二名の護衛官が立つ。顔を上げたナスカは、いつも自分を気遣ってくれる、温厚な部下の冷酷な行動に感情が追いつかず、不器用な笑みを浮かべてしまった。


「技賀……なんで? なんで殺したんだ?」

「ああ、いたのね、あなた」


 技賀の様子は、まるで服に糸くずがついていたことに気づいた時のようで、それをとるような何気ない動作で、


「まぁ、スペアパーツにはなるかしら」


 ナスカに銃口を向ける。そして間もなく、弾丸がナスカの命を刈り取るべく発射された。


「ひっ!」


 ナスカは無意味であるにも関わらず、思わず顔を手で庇ってしまった。だが、弾丸はナスカの体のどこも傷つけることはなかった。


「ヒオリ!」

「そこを絶っっっ対に動くな!」


 肉の盾として、ナスカを弾丸から庇ったヒオリは、胸から血を流しながら、自身の拳銃に手をかける。


「技賀さん、マジで何やってんだよ! ラスコーは死んだろ! 銃を下ろしてくれ! 墜落のショックでおかしくなったのか?!」

「いいえ、私はいたって正じょ――」


 会話に気を取られた技賀を、ヒオリが早撃ちした三発のプラスチック弾が急襲する。しかし、技賀の前に出た護衛官の鋼鉄の鎧に、弾丸は砕かれた。


「ふふ、おめでとうヒオリくん。これであなたも晴れて本物の反逆者ね。ステインとナスカを殺して」


 技賀の命令を受けた護衛官たちは薙刀を携え、地面に落ちた飛蝗型ドローンを踏み潰しながらヒオリたちへと一歩、また一歩と近づく。

 ヒオリは技賀の行動の意図が分からないまま、何度も護衛官を拳銃で撃つが、強化外骨格の前に非殺弾はおもちゃ同然で、歩みを止めることはできない。

 さらに悪いことに、サイレンの音も遠くから聞こえてくる。それはドローンの動きが鈍くなり、パトカーや警察官が集まっていることを意味していた。


「くそっ……どうする、考えろ!」


 ナスカを抱えて逃げようとすれば、護衛官たちに背中を見せることになる。そんなことをすれば、強化外骨格の強力な脚力で追い付かれ、ナスカごとまっぷたつにされる。かといって、この場で迎え撃ってもナスカを守りながら戦うことは困難を極める。ナスカだけを逃がすという選択肢もあるが、護衛官は二人いて、一人を相手にしている間に、ナスカがもう一人に捕捉される。バイクでなら逃れられたかもしれないが、ラスコーの銃撃で壊れている。そして仮に護衛官たちから逃れても、集まってきた大勢のパトカーに追跡されることになる。


「ナスカ、俺が守ってやる!」


 ヒオリにできたのは、嘘をつくことだけだった。


「ラスコーの……お前の母親の代わりに俺が守ってやる!」


 ナスカが自分をどんな目で見ているのか、それを知ってしまうのがとても怖くて、ヒオリは背にいるナスカのほうを向けない。


 ヒオリは自分が大嫌いになった。最後の最後まで、好きな人に嘘しかつけなかった自分を、自分で殺してしまいたいくらいに嫌いになった。

 拳銃のスライドが下がりきり、弾切れを知らせる。ヒオリは拳銃を下ろし、全てを諦めようとした。

 

 だが、ガラスの割れる音と、近くに発生した熱を感じ、ヒオリは閉じかけた目を開く。

 いつの間にか、自分と護衛官の間には炎の壁ができていた。その壁は地面に落ちた飛蝗ドローンのバッテリーを薪にして、強く燃え盛り、護衛官たちを後退させた。


「アナキストなめんなぁ!」


 ヒオリとナスカは自分たちの後方から聞こえた声に振り返る。そこには白い戦闘服と仮面に身を包んだ、そして、先程凶弾に倒れたはずのラスコーがいた。だが、ラスコーは生き返ったわけではなかった。ナスカの近くにはまだ、彼女の母親を名乗った女性の死体がある。突如現れた二人目のラスコーは「POLICE」と書かれた強化プラスチックの盾と、もう片方の手に火炎瓶を持ち、ヒオリへ駆け寄る。


「その声、まさかライナか?!」

「そう! あんたのリストに通話をかけてたから状況は分かってる!」


 二人目のラスコー――倉庫から回収したラスコーの戦闘服を着たライナは、倒れた警官から奪った盾を構えながら、ふたつめの火炎瓶を投げ、火の壁を厚くする。

 ライナはヒオリたちを追いかける前、ラスコーのドローンの操縦が妨害できないという現場からの情報を得ていた。スタンドアロンで行動できるドローンが画像認識でラスコーと、その他の敵を見分けていると推測したライナは、ラスコーの服を着てヒオリのもとへ向かった。逃げ行く人々からは不審な目で見られたが、予想通り、ライナは無傷でヒオリたちの窮地に駆け付けることができた。


「話はあと! 行って!」


 臆した護衛官の代わりに、ヒオリたちを始末しようとする技賀の弾丸は、ライナの持つ盾によって防がれる。


「この犯罪者くずれが……!」

「行くぞナスカ!」

「あっ、いやっ、いやぁ! お母さん!」


 ヒオリは死体に縋りつくナスカを無理やり抱えて走り出し、ライナもそれに続いた。ライナは走りながらリストに向かって叫ぶ。


「草間さん! ヒオリたちと合流した! 今、虎ノ門の方に向って逃げてる!」

『了解、急行してる。なんとか逃げてきて』


 ライナ、そしてナスカを抱えたヒオリは全力で走る。しかし、護衛官たちが強化された脚力でぐんぐんと三人との距離を詰める。


「私、あいつらホント嫌い!」

「同感だ相棒! ってやばいやばいやばいやばい!」


 振り返ったヒオリが見たのは、護衛官の一人が、ヒオリたちに向け投擲しようと、薙刀を大きく振りかぶっている姿だった。戦闘AIを搭載した強化外骨格は、物を投げる際も正確なコントロールができる。


「愛してるぜベイベー!」


 ヒオリは叫ぶが、動作が伴っていないからか「ナンパ拳法」は発動せず、護衛官は動きを止めることなくヒオリとナスカめがけ薙刀を投げる。間一髪、盾を持ったライナが間に入り、薙刀を防いだが、あまりの勢いにライナの体は吹き飛び、かばったヒオリたちに激突。三人とも地面に倒れた。

 

「痛っつぅ!」


 ライナは起き上がり再度、盾を構えようとする。だが盾は薙刀が刺さったままで、その重さでライナの腕力では持ち上げられなかった。


「あいつらは化物かなにかなの?!」

「だから、ラスコー退治に呼んだんだよ! って、やばい次が来る!」


 二人目の護衛官が再びヒオリたちに薙刀を投げた。ミサイルのように飛んでくる薙刀は今度こそヒオリたちを貫くかと思われた。だが高らかな一発の銃声の後、薙刀は何かの作用によって軌道を変え、路上に放置された乗用車に突き刺さる。

 銃声が聞こえた方向から、特広対のバンが障害物のない歩道を走行し、ヒオリたちの方へ向かっていた。対物ライフルで薙刀を迎撃した草間は、素早く運転席に戻ると三人の近くにバンを停車させる。


「ヒオリ、援護を」

「了解!」


 ヒオリは草間からドア越しに渡されたショットガンを構え、ライフルを撃つ草間と共に迫る護衛官を撃つ。傷こそ負わせられていないが、弾丸の衝撃は内部に伝わっており、護衛官たちの歩みは遅くなる。


「ナスカ! 行くわよ!」


 ライナはヒオリの代わりにナスカの手を引くが、彼女は何度もライナと、自分が逃げてきた方向とを交互に見た。


「でも、ラスコーが、お母さんかもしれない人をがまだあそこにいる!」

「ラスコーなら死んでたでしょ!」

「死んでたとしても、あんなところに置いていけな――きゃっ!」


 ナスカは叫ぶが、ライナは意に介さず、胸倉を掴んでナスカを強引に後部座席に押し込んだ。


「ヒオリ! 乗ったわ!」

「了解! 草間さん出してくれ!」


 ヒオリはショットガンを撃ち続けながら、バンに乗り込む。直後、草間はバンを猛スピードでバックさせ、護衛官たちとの距離を離した。そのスピードを維持したままバンはUターンし、その場を後にする。

 東京から離れるバンの中、ナスカはずっと、リアガラス越しに外を見ていた。 

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