35話 Don't think. Just do it


「ナスカ、足元に気を付けろ」


 かつての国会議事堂と呼ばれた廃墟の近くを、仮面を被ったラスコーがナスカの手を引き移動していた。ナスカが転ばぬよう走ってこそいなかったが、ラスコーは追っ手から逃れるため、可能な限り早く歩いていた。


『ボス、バッテリー切れでドローンの数が減ってきてます。急いでくださいっす』

「分かっている。もうすぐ脱出地点に着く」


 ラスコーの声をかき消すように、チューンアップされた電気エンジンの音が響いてきた。


『ヤバイっすボス! ドローンの包囲を突破してくるやつが――』

「もう来ている」


 ラスコーとナスカの前にバイクが停まる。バイクから降りたステイン――ヒオリは飛蝗ドローンにいたるところを噛みつかれながらも健在のまま、ラスコー前に立ちはだかった。


「やぁ陰キャのラスコーくん。人様の女をさらうために偉く派手にやってくれたじゃん」

「ヒオリ!」

「待ってろナスカ、今助けてやる」

「違うの! この人は……」


 声を遮るようにラスコーは一歩前に出てナスカを背中に隠す。


「ナスカ、危ないから隠れてなさい」

「待って、ヒオリはボクの友達なんだ。戦わないで!」


 ナスカはラスコーの袖を引っ張って制止させようとする。ラスコーはその手を優しく振り払った。


「彼は既に党に洗脳されている。ここで倒さなければ、いつまでも追ってくる」

「違う、違うよ! ヒオリはそんなんじゃない!」


 ナスカは目に涙を溜めて首を精いっぱい横に振ったが、ラスコーは聞き入れずマチェットを抜く。ナスカのラスコーへの態度が不自然なことをヒオリは訝しんだが、戦いに集中するため、ひとまず余計な考えを頭の隅に追いやった。


「何をナスカに吹き込んだのか知らねぇが、女の子を泣かすクソ野郎にはお仕置きが必要だな」


 ヒオリは肩を回し、手足をぶらつかせて体を脱力させる。


「お願い! 二人とも戦わないで!」


 ナスカは叫ぶ。だが睨み合う白と黒の仮面の反逆者は互いに踏み出し、戦いを始めた。


「前回と同じように、切り刻んでやる!」


 戦闘AIに支援されたラスコーの刃が風のように軽やかに舞い、ヒオリを袈裟切りにしようと振るわれる。ヒオリは半歩引いて回避する。

 戦闘AIはヒオリの動きを分析し。即座に打撃、斬撃の動きを軽外骨格に伝達しヒオリの戦闘能力を削ぐための動きをラスコーにもたらす。ヒオリはラスコーの猛攻を紙一重で避けつつ、ぽつりと呟いた。


「お姉さん、今暇?」


 呟いた瞬間、ラスコーの猛攻が一瞬、何故か止んだ。そのわずかに停止したラスコーの首元をヒオリの主刀が抉る。


「ぐぅっ!」

「もしよかったら、連絡先交換しない?」


 ヒオリの浮ついたセリフの後、またもラスコーの動きが止まる。ヒオリはラスコーのマチェットを持つ手を手の甲で強打し、取り落とさせた。


「なんだ、何が起きてる。軽外骨格の不具合か? 戦闘AIへハッキングか?」

『いや、軽外骨格も戦闘AIも正常に作動中っす。でもあの人造人間が変なセリフを言う度、停止マニューバが起動するっす』


 ラスコーも無線機の向こう側の声も戦闘AIの不調への驚きと焦りを隠せなかった。ラスコーは防御の構えを取るが、ヒオリが言葉を発する度、その体に隙が生まれ続けた。


「ちょっとお茶しない?」


 鋭いジャブ


「ほんのちょっとだけ話聞かない?」


 膝関節への蹴り


「少しだけ待ってくれよ」


 強烈な拳底


 ヒオリの攻撃はラスコーに確実にダメージを蓄積させていく。学校での戦闘とは逆に、ヒオリが徐々にラスコーを追い詰めていく。


『あああ! 分かったっす!』


 音割れするほどの声量で無線機の少女は叫んだ。


「なんだ、やつはどんなトリックを使った? データにない古武術か。それとも、やつも軽外骨格を装備をしているのか?」

『ちがうっすよ! あいつは……ステインは……』


 ヒオリは拳を握らず、愛する人を抱きしめようとするかのように両手を広げた。


「きみ可愛いね」

『あいつは、ボスをナンパしてるんすよ!』

「な、ナンパ……?」


 嫌悪感が闘志に勝ったのか、ラスコーはヒオリから距離を取った。


「なんで、こんなときに、そんなふざけたことを」

『正確に言うなら、ナンパをするときの動作を何某かの拳法に取り入れて、攻撃と同時に口説き文句を言ってるっす』

「それがなぜこちらの動きが阻害される原因になる!」

『お堅いボスは知らないっすよねぇ! ナンパやキャッチの最も効果的な対応方法は無視! シカトなんすよ!』


 ラスコーは気が付いた。戦闘AIはその人間の動きに対応して軽外骨格に最適な動きを取らせる。

 だが、対応するための動きは、ほとんどはその相手の動きよりも、過去のデータ。先人が残した膨大な動画を元にして構築される。

 ナンパやキャッチの動きが映された動画を対策方法を学習した戦闘AIはヒオリの「ナンパ拳法」に対して最も効率の良いナンパ撃退方法。つまり「無視ノーリアクション」をするようになってしまった。ヒオリは息を浅く吸いながら唱える。


「考えず、実行する」


 ヒオリの精神状態もまた、戦闘AIによる行動予測を困難にしていた。


「恥を捨て、ただ打つ」


 草間との特訓、そして歌舞伎町での声掛けで、ヒオリは「フラれることを恐れずに次に声をかける」という現在の状況に縛られない考え方。つまり一種の無我の境地にいた。邪念の塊のような行動にも思えるが、なんの考えもない行動は、人間であれAIであれ読み取ることは難しい。


「大人の言うことはやっぱ聞いとくもんだな」


 ヒオリは草間との特訓を思い出す。自分たちもライナに言われるまでもなく、ラスコーと戦う準備をしていた。確かにヒオリたちは党に飼われるしもべかもしれない。だが、降りかかる火の粉に備えないほど愚かではなかった。


「やむを得ない。戦闘AIを切れ」

『無茶です! 戦闘の素人のボスは一瞬で殺されます!』

「いいからやれ!」


 ラスコーは携帯していたサブマシンガンを構え、ヒオリに向け連射する。ヒオリは躊躇うことなく弾丸の雨の中に突っ込む。

 ばらまかれた弾丸は地面を、街路樹を、バイクを、そしてヒオリを貫く。

 体に穴が穿たれ、肉が裂かれ、血が噴き出す。だがヒオリは立ち止まることなく突き進みラスコーに肉薄すると、その仮面めがけて笑警棒ラフスティックを薙いだ。

 ヒオリの渾身の一撃はラスコーの仮面を砕きながら頭蓋に深刻なダメージを与えた。


「ぐぅっ……」


 こめかみを押さえ呻きながら、ラスコーは遂にヒオリの前で膝をついた。


「これで、終わりだぁぁぁ!」


 ラスコーにトドメを刺すべく、ヒオリは笑警棒を力強く振り下ろした。だが――


「やめて!」


 すんでのところでヒオリは手を止めた。笑警棒の数ミリ先には目をつぶり、自分にもたらされるかもしれない痛みに恐怖していて、そして手を目一杯広げラスコーを庇うナスカがいた。


「ナスカ、どいてくれ。そいつは国の敵なんだぞ!」


 叫んだヒオリをナスカはキッと睨み返した。


「この人は敵じゃない!」

「んなわけぇだろ! こいつが何をしたか見ただろ! 技賀さんを殺して、お前を守ってくれてた警備の人も殺して! こいつは俺たちの敵だ!」

「嫌いだ! 話を聞いてくれないヒオリなんか大嫌いだ!」


 ヒオリはたじろいだ。どんな傷を負っても死ぬことがないヒオリだが、ナスカの拒絶の言葉はどんな弾丸や刃よりヒオリの心を追い詰めた。しかし、ヒオリの目に映ったものは、傷心を麻痺させるほどの衝撃をヒオリに与えた。


「大丈夫?」


 ナスカはヒオリに背を向け、崩れ落ちたラスコーに手を伸ばし、壊れかけた仮面を取る。


「そんな、もしかして……こんなのありかよ……」


 ヒオリが殴り倒そうとしたラスコーの正体は女性だった。童顔のため見た目だけで年齢は分からないが、恐らく成人女性で、栗色の髪の毛を短くしていた。だが顔つきや髪の色よりも目立った特徴がラスコーにはあった。


「おかあ……さん?」


 ナスカから尻上がり気味に声をかけられたラスコーは、ナスカと同じ金色の眼を、ナスカの肩越しにヒオリへ向けた。

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