32話 AIでしか絵の描けない国


 11月4日の日暮れ時。東京湾に面した倉庫が並んだ地区を、二人乗りのクラシックスタイルの電動バイクが走る。バイクは夕日に照らされた、錆びだらけの巨大な物流倉庫の前で停まった。


「間違いないか」


 バイクを運転していたヒオリは後ろに乗ったライナに問いかける。半ヘルを外し、ライナはリストで表示した画像と、目の前の倉庫を見比べる。


「ええ、ここよ」

「じゃ、虎穴にレッツゴー」


 ヒオリは被っていたフルフェイスヘルメットを外すとにやっと笑った。バイクを降りた二人は倉庫正面の通用口のドアへ向かう。ヒオリが警戒しながらドアノブを回したが、罠はなく、二人は何事もなく暗い倉庫を進んだ。


「よく来てくれた」


 広い倉庫の中に変声機越しの声が響き、倉庫中心の電灯が作動した。スポットライトのような光の下には、白い仮面姿のラスコーが立っていた。


「真実を知りたいと思う者を私は歓迎しよう」

「まさか学校から逃げた時から、ここで俺たちを待ってたのか? 近くにコンビニとかなかったけど、飯とかトイレとか大丈夫か? 白い服はおもらしが目立つぜ」

「その声はステインか。素顔で現れるとはな。党は予備の仮面も用意できないほど困窮しているのか?」

「質問を質問で返す奴、嫌い!」


 子供っぽくすねるヒオリに代わって、ライナが会話を続ける。


「仮面で顔を隠す卑怯者と違って、うちの相棒は話し合いをする上での誠意ってもんを知ってるのよ」

「私には誠意がないと?」

「あたりまえじゃない、エセ芸術家」


 ライナはラスコーを蔑みの目で見る。


「最初は騙されたわ。ホクサイを利用して党に一泡吹かせたあんたは真の芸術家だって。でも、その後のあんたは、ただ暴力に訴えた。芸術家なら言いたいことは芸術で表現するもんよ」


 芸術家の規範を外れ、相棒を傷つけた者へライナは剥き出しの敵意をぶつける。


「その通り。私は芸術の自由など求めていないからな」

「……あんたは正真正銘のクズ野郎ね」

「正確に言えば、私はこの国自体の自由を求めている」


 ヒオリは鼻で笑った。


「ラスコーくんさぁ、寝言は寝て言いなよ」

「妄言ではない。この国に自由などない」

「いやいやいや。確かに海外に行くのと、絵を描くのは禁止されてるけど、それ以外オールオッケーなんだぜ」


 ヒオリは愛読しているウォルト・ホイットマンの詩集の電子版をリストで表示させる。独裁とは反対の思考、自由と民主主義についての詩が中空に浮かぶ。


「本も映画も見られる。政府の批判をしただけじゃ捕まらないし、鎖国だってしてるのに学校じゃ英語だって勉強してる。そういうもんって、独裁政権なら真っ先に規制すんだろ。めっちゃくちゃ自由な国だよ。この国は」


 ラスコーをかぶりを振ってヒオリを否定した。


「絵の規制だけで可能なのだよ。国家全体の思想言論を統制することは」

「精神が病むから禁止ってのは嘘だと思ってたけど、あんたの意見は突飛すぎね」

「膨大な情報を浴び続ける現代人は、許されていたとしても本や映像の情報を咀嚼し読み込まない。本はあらすじをネットで調べ満足し、映画は早回しで見て満足する。そこに込められたメッセージなどは意に介さない」

「老害ムーブかましやがって。言うこと欠いて若者批判かよ」

「誤解するな。私もドラマは倍速で見る」


 ラスコーの反論にヒオリはその場で転びそうになった。


「言ってること滅茶苦茶じゃねぇか!」

「私を含め、人類ホモ・サピエンスはそういう習性がある生き物なのだよ。狼煙、伝令、電信、電話、ネット。我々人類はテクノロジーを発展させ、効率よく情報を取得することに種族としてのリソースを費やしてきた。だが、遥か太古に我々の祖先は最も効率の良い情報伝達方法を編み出していたのだ」

「……洞窟の壁画」


 ライナの答えにラスコーは頷く。


「そう、絵だ。現代人は10万文字のSF小説は読まない。動画は初めの1、2秒を確認し、退屈であれば見ない。だが絵、画像なら180ミリ秒で持つ情報の全てを対象の脳へ送れる。送り手と受け手の言語の差異も障害にならない。写真のように被写体や特別な機材も使わず、送り手のメッセージを無秩序に籠めることができる。絵は人間が持つ最速かつ、最も自由な伝達ツールだ」


「確かに絵を見るのに時間はかからない。それに、絵がどれだけ人の心を動かすかも私は身をもって体験してる。でもそれで思想の統制はいくらなんでも無理よ。国民はそこまでバカじゃない」


「そのためのホクサイシステムだ。イザナミシステムと繋がったホクサイは、イザナミシステムによる独裁体制の維持を円滑にすべく、生成される画像を用いて国民を洗脳している。政府に対し都合の悪い情報やメッセージを含んだ絵は規制、非表示に。逆に、作成される絵や動画などでサブリミナル効果を利用し、国民の思想や感情にマスキングをする。国民はAIで自由に作ったつもりの絵で、自らを洗脳している。そうやって党はこの独裁体制を維持しているのだよ」


 ラスコーの長い話を聞き、うんざりしたヒオリは首を傾けて苦笑した。


「国民の洗脳なんて党はできてねぇよ。政府に不満があるやつを、俺はごまんと見てきた。そいつらが癇癪起をこさないように、俺は必死こいてステインを演じてきたんだ」

「私も同意見。私の中の国や党への不満が消えたことなんてない。あんたの言ってる国家ぐるみの洗脳なんてのは、胡散臭い陰謀論に過ぎないわ」


 ラスコーはゆっくり手を上げる。攻撃に移る行動と推測した二人は携行した武器へ手を伸ばしたが、ラスコーはライナを指さしただけだった。


「いいフライトジャケットだ。今シーズンはいつから着てる」

「……今までの話と関係あるの?」

「ある」


 ライナは訝しみながらも記憶を探った。


「9月の初めころだけど」

「もしきみが20年前の東京で住む人間なら、熱中症で今日までに死んでいるだろうな」


 ラスコーの言葉の意味が分からず、ライナとヒオリは顔を見合わす。


「かつて東京の9月の最高気温は25度を下らなかった。綿入りのフライトジャケットなど、とても着れない気候だったのだよ」

「ラスコー、何が言いたいんだ、お前」

「分からないか? 人類の環境破壊が原因で地球は温暖化を通り越し、もはや寒冷化の一途を辿っているということだ。そしてそれを認識しないよう、党は君たちを


 ラスコーは事の大きさを表すように両腕を広げた。


「地球は寒くなってきているが。寒冷化により東北、北海道では作物の不作が続いているが。食料を首都に徴用され、餓死者が大量に出ているが。比較的温暖な西日本でも重税を課せられ、貧富の格差が激しくなり、治安も悪化し続けるが。地方が苦しむ中、首都と党上層部の一部だけが肥え太るが、

「この国はクソだけど、そんなに悲惨じゃないわ。だって私、二年前に長野に行って――」


 急に俯き黙りこくったライナ。ヒオリは心配そうに顔を覗き込む。


「……ライナ?」

「思い出した、叔母さんが、なんで死んだか」

「病気って言ってたじゃないか」

「何の病気か、思い出した」


 ライナは目を泳がせながらヒオリを見返す。


「脚気だった」


 ラスコーの言葉を引き金に、ライナの中で封じられていた記憶があふれ出す。


「長野、すごく寒かった。寒さで不作だったって。食べ物がなくて、脚気にかかって、体調を崩して死んだって」


 ライナの体が震える。震えを抑えようと自分の肩を抱くが、止まらなかった。


「ジャケット、叔母さんが大切に着てたから棺に入れようって話になってた。でも寒くて、持ってきたコートだけじゃ耐えられなくて、寒いの嫌だからって、私ずっと着てたんだ……」


 叔母のやせ細った遺体。体を刺す北風。鮮烈な記憶が、それを忘れていたという恐怖と共にライナにのしかかった。


「私、叔母さんの意志を継いで絵を描いてたと思ってたのに、そうじゃなかった。私は叔母さんから大切なものを奪ったんだ。なのに、なのに全部忘れてた……」


 崩れ落ちそうになるライナ。それをヒオリが肩を抱いて支えた。


「落ち着けライナ。ゆっくり深呼吸しろ」

「忘れちゃいけなかったのに……私、全部忘れてた……」

「これが党のやり方だ」

「ナスカはそんな酷いことを許す奴じゃねぇ。でたらめ抜かすなクソ野郎」


 ヒオリはラスコーに反論するが、不安を隠しきれるほど堂々とは言えなかった。


「神元ナスカは善悪を選り分けるフィルターではない。ただの出力装置だ」

「ナスカを機械の部品パーツみたいに言うな」

「党から見れば部品にすぎない。それに、官邸や、その周辺しか知らない子供に、イザナミシステムから出力される悪法を理解できるとは思えないが」

「うるせぇ黙れ」

「私の集めた同志たちも、真実を思い出したとき、きみたちと同じように混乱していたよ」

「黙ってろって言ってんだろ!」


 ヒオリはラスコーを一喝すると、ライナの顔に手を添えて自分の方を向かせる。


「話してくれただろ。ライナが絵を描きたいて思ったのは、叔母さんちで見た絵が綺麗だったからだろ? 自分で決めて、忘れずにここまで来たんだろ」

「でも、私……」

「大丈夫、ライナは大丈夫だ」


 ヒオリに背をさすられ、ライナは多少落ち着きを取り戻した。


「ごめん……」

「気にすんな相棒」

「さぁ、真実を知った若人たちに問おう」


 ラスコーは右手を二人へ差し伸べる。


「私と共に戦ってくれ。この国に真の自由を取り戻そう!」


 問いかけが広い倉庫に響く。ヒオリは言ってやれよと言わんばかりに、ラスコーを顎で指し、ライナにアイコンタクトを送る。

 ライナは頷くとラスコーの方へ手を伸ばし、


「愚かな」

「愚かなのは、あんたの方よ」


 中指を立てていた。


「あんたの言ってたことは本当なんでしょう。でも、あんたのやり方じゃこの国は変わらないわ」


 この二か月でのことをライナは思い返す。自分がいくらわめき、怒鳴っても、国や周りの人間は変わりはしなかった。


「党は時間をかけて、今の体制を作り上げた。一時的な暴力で破壊できるような生半可なもんじゃない。それに国民全員が洗脳されているとしたら、体制だけを壊しても意味ない。この国の全員が考えを改めて、新しい政府を作らなきゃいけないわ」

「ってことを考えると、内部からコツコツ変えていくのが一番の早道なわけよ。分かるか、頭でっかちなラスコーくん?」

「残念だ」


 ラスコーは腰のマチェットを抜き、二人に近づく。


「そういうすぐ暴力に走るとこがダメなのが分かんないの?」

「まぁライナもすぐ暴力振るうけどな」

「なんですって?」


 危険が迫るにも関わらず、軽口を叩く二人を不審に思ったのか、ラスコーは歩みを止めた。


「ラスコーさんよぉ、俺たちが誰と仲良かったか忘れてねぇか?」


 ヒオリはリストのついた左腕を掲げる。リストは小さく『追跡中』という文字を映していた。

 突然、轟音が鳴り、倉庫の屋根が崩れる。巻き上げられた土煙の中から、青い強化外骨格パワードスーツに身を包んだ護衛官が現れラスコーを包囲し、薙刀状の武器を向ける。


「はっはー! いくら戦闘AI持ちでも、強化外骨格の兵士に二人がかりでかかってこられたら勝ち目ねぇだろ!」

「あんたのこの国を良くしたいって意志は継いであげる。逮捕される前に言いたいことはある?」

「そうだな……ふたつある」


 ラスコーはマチェットを投げ捨てる。


「目的は達せられた。きみたちに感謝する」

「この状況でええかっこしいかよ、みっともねぇ」

「それと、、彼女は――」


 言葉の途中でラスコーは護衛官により首を刎ねられた。仮面を着けたままの首が床に転がる。

 ライナとヒオリは言葉の意味と護衛官たちの行動が飲み込めず、しばらくその場に固まってしまった。


「な、なにやってんのよ! 逮捕って言ったでしょ木偶の坊ども!」


 事前の打ち合わせと違う行動をとった護衛官にライナは怒り、護衛官の一人を蹴飛ばし逆に足を痛めた。


「あーライナさん、こいつを逮捕したら服屋に収監するべきなのかな」

「はぁ?」


 ヒオリはラスコーの首を拾い上げて仮面を外した。その顔は素顔は真白で眼窩がないのっぺらぼうだった。


「マネキンだ。ラスコーのやつ、マネキンに軽外骨格エグゾスケルトンを着せて遠隔で動かして本物っぽく見せかけたんだ」


 仮面の裏にはスマートフォンが張り付けてある。既に接続は切れており、ラスコーと話はできなくなっていた。


『ヒオリくん! 番櫛さん! どうでしたか!?』


 ヒオリとライナのリストから技賀の声が響く。ヒオリはマネキンの首を掲げ、天井に開いた穴から滞空しているガンシップを見上げ、腕で×を作る。ガンシップには作戦の協力者として技賀が乗っていた。


「偽物です。ダメっしたー!」

『そうでしたか……先日、書記長を守っていただいたお礼ができると思ったのに……』

「技賀さんのせいじゃないっすよー! とりあえず護衛官こいつら回収してください! 後で報告書持って伺うんで!」


 護衛官たちはガンシップから垂らされたワイヤーに掴まり回収されていく。それを見送りながらライナはヒオリに耳打ちする。


「ラスコーの話が本当だとすると、党の人間の技賀さんも悪人に見えてくるわね」

「どうだかな。俺ら下っ端が知らないように、技賀さんもどこまで党から聞かされてるのか、分かったもんじゃない」

「それにラスコーの最後の言葉。あれもどういう意味なんだか……」


 ヒオリは肩をすくめてマネキンの首と仮面をライナに押し付ける。手が空くと立ったままの首なしマネキンから衣装を剥がし、その下の金属製の骨格標本のような軽外骨格を外し始める。


「俺たちを動揺させるために、嘘を言ったのかもしれねぇ」

「でも私が東京の外の様子を忘れさせられてたのは本当だった」

「それはそうだけど、木を隠すなら森の中っていうだろ。俺たちの思考のリソースを無駄に使わせようとしてるのかも」


 納得ができないライナは、作業するヒオリを眉をひそめながら見る。


「それに変よ。現政権の転覆が目的なら、最初の犯行の時にあんなパフォーマンスをせずに今の話をみんなの前ですればよかったのに。システムの不全が目的なら、ナスカを拉致らずに殺せばそれで済んだ。党の人間だとしても、自分に不都合なことを私たちに言ってもしょうがないし」

「分からん」


 ヒオリは外した軽外骨格を折りたたみ、マチェットと一緒に肩に担ぐ。


「どっちにしろ、今考えても仕方ない。とりあえず置いてった物証こいつらから洗ってみようぜ。ホクサイやイザナミシステムを使って、党がひでぇことしてるのも、ライナの言う通り一朝一夕じゃどうにもできねぇ。じっくりできることを考えよう」

「そうね、ごめん。ちょっとショックで頭が回ってない」

「だから気にすんなって。にしても、ラスコーもアホだよな。スマートフォンだけ置いときゃ良いものを、装備使ってお芝居するなんてさ。俺たちと技賀さんの時間を無駄に使わせただけ――」


 ヒオリは一瞬止まったと思うと、踵を返し倉庫の外へ走りだした。


「ちょ、待ちなさいよ、何なの!?」

「あいつの言ってた通りだ、目的は達せられてたんだ!」


 困惑しながら追いかけてきたライナに、衣装、軽外骨格、マチェットを入れたリュックを突き出し渡すと、ヒオリは急いでバイクに跨りエンジンをかける。


「ラスコーの目的は俺たちと護衛官をここに呼び寄せることだったんだ! 偽物を餌にナスカと仲の良い俺らが、ナスカを頼って超強い護衛官を連れてくるよう仕向けたんだ!」

「それって……」

「官邸には今、通常の警備員しか常駐してねぇ、ナスカが危ない!」

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