27話 デートに行かない?
「分かった、ナスカに伝えておく」
ライナはコンビニの無人レジで、ヒオリからの通話に答えながら会計を済ませる。ライナは商品が入った紙袋を抱えると、まっすぐ永田町の書記長官邸に足を運んだ。
一度目の来訪時は面食らい、二度目は取り押さえられた書記長官邸に、ライナは今では顔パスで出入りしていた。ナスカの口添えもあり、今のライナは官邸ではナスカの「ご学友」として通っている。中には顔を覚え会釈をしてくる党の官僚もいるくらいだ。
「ほんと、分かんないもんね」
官邸の廊下を歩きながら、2ヶ月前の自分に今の状況を見せたらどんな顔をするんだろうと想像すると、ライナは苦笑を抑えられなかった。
ライナがこうやって官邸に出入りしている理由は一つ、ナスカのためだった。
ナスカが人造人間であれ、国のために一人で苦しむのは間違っている。しかし、ナスカやイザナミシステムの存在はこの国の『仕組み』として固定化されてしまっている。この現状を打破するのは容易ではない。少しでも打開の糸口を見いだせないか、そしてナスカが一人で寂しくないように、彼女の好きなものを差し入れ、時にはヒオリも呼んで、彼らが共に過ごせるよう尽力していた。
「ナスカー入るわよー」
ライナは書記長執務室のドアを足でノックすると返事を待たずに中に入る。入ってすぐに自分を制しようとした護衛官ににらみを利かせ、執務机の向こう側に座るナスカに近づく。ナスカの傍に立つ技賀が会釈をしてきた。
「お疲れ様です番櫛さん。今日も来てくださったんですね」
「学校行ってないし、暇なんで」
ライナは会釈を返してから執務机の上に紙袋を置く。
「ナスカ。あんたの好きなメーカーのコーラ、買ってきたわよ。あとヒオリも広報活動が早めに終わったから遊びに来るって」
「まぁ、よかったですね書記長!」
ナスカに微笑みかける技賀。だがナスカはそれに応えることなく、不安げに技賀とライナを交互に見た。手で顔を覆っていたのでライナはすぐ気づけなかったが、ナスカはティッシュで鼻を押さえていた。
「どうしよう。今、鼻血出てて……」
「鼻血がどうしたってのよ」
ライナは買ってきたコーラの内一本を開け、執務机の上に座って飲み始める。
「可愛くないとこ、ヒオリに見られたくない……」
「あいつもこっち来るのに30分はかかるって言ってたし、それまでには止まるでしょ」
「ち、違うの!」
切羽詰まったナスカの様子にライナはコーラの缶を傾けるのを止めた。
「あ、あのね、最近イザナミシステムに繋がった後によく鼻血が出るの、それがね全然止まらないの」
「どのくらいよ」
「1時間とか、2時間とか……」
「それは……長いわね」
「顔もいつもより白くなっちゃうし、唇もすごく青くなっちゃうの」
動揺しているナスカは泣き出しそうな顔でうつ向いてしまう。
「どうしよう、ヒオリに会いたいけど、可愛くないとこ見られたくない……でも、会いたくないって言ってヒオリに嫌われたくない。どうしよう、どうしよう」
ライナは違うと言いかけた。ヒオリは見た目で人を判断しないし、むしろ現状を知ったら誰よりもナスカを心配してそばに居たがるはずだと。だが同時に、好きな人の前で弱っている状態の自分を見られたくないという、ナスカの気持ちも痛いほど分かった。
「……ったく」
ライナは悪態をついてからヒオリに通話をかける。
「もしもし」
『わりぃ、もうちょいそっち行くのにかかるわ』
リストの向こうからは能天気なヒオリの声とにぎやかな商店街の喧騒が聞こえてきた。
『いやぁ、高円寺はいいとこだな! 普段着で買い物したらお店の人みんな優しくって色々おまけしてもらっちまった。古着屋もいい感じのとこ多いし、今度はシモキタじゃなくてこっちで買ってみようかなんて――』
「あんたの顔見たくないから、今日は官邸に来ないで」
『ヴァッ?!』
驚きのあまりヒオリが荷物を落とす音がする。
『な、なんだよ。急に』
「私があんたのニヤケた面を今日は見たくない気分だって言ってんの」
『な、ならライナだけ帰ってもいんだが……』
「無理、今日はナスカと二人で女子会するから」
『アナキストの設定はどこ行ったよ相棒!』
「あ、晩御飯は美術館で食べるって草間さんに言っておいて」
『無茶苦茶だ!』
続くヒオリの抗議を無視してライナは一方的に通話を切った。ため息をついた後に意地悪な笑みをナスカに見せる。
「大好きなステインに会えなくて残念ねぇ、独裁者さん」
「ら、ライナぁ」
「まっ、こうなったのも党の内部に私みたいなアナキストを入れたのが――」
ナスカは立ち上がると執務机を回ってライナに泣きながら抱き着いた。
「らいなぁっ……ごめん……」
「ちょ、離れなさいよ!」
「嘘つかせて、ごめん……」
「分かったから離れて! ジャケットに血がつくでしょ! ただでさえ汚れてきてるのに!」
「ありがと、ありがとね……」
ナスカが離れる気配はない。ライナは観念してしゃくり上げるナスカの頭を優しく撫で、そしてその手に思わず力が入らないように苦心した。
体が壊れるまで機械に繋がれ弱らせられ、好きな人と会うことさえ躊躇うまで追い詰められる。そんな苦痛を自分よりも年下の少女が強いられていることへの怒りを手に宿らせないよう努めながら、ライナはきつく目を閉じた。
◆
その日の夜。夕飯を済ませたライナはクロッキー帳に鉛筆を走らせていた。
クロッキーのモデルは美術館の展示室の真ん中で、まるで彫像のように動かないスーツ姿の草間だった。ただし、草間はライナに頼まれて佇んでいるのではなく、別の目的で直立不動の姿勢を維持していた。
「おねぇさぁん、今暇ぁ?」
微動だにしない草間にヒオリが片手を上げながら声をかける。その仕草はナンパそのものだった。草間はヒオリの浮ついた言葉に表情一つ変えず、ヒオリの方を見ようともしない。しかしヒオリは声をかけ続ける。
「ねぇねぇ、今、時間貰える?」
ヒオリは両手を広げて横に立ち
「ちょっとお話聞いてくれませんか?」
小刻みに手を振り
「連絡先、よかったら交換とか」
リストを草間の目の前にかざす
「……」
「だぁっ! きついって! 厳しいって!」
ついにヒオリは無視され続けることに耐えかね、草間の目の前で膝をついた。
「ヒオリ、これくらいでめげてたらラスコーは倒せない。立ち上がって」
草間の静かな叱責にヒオリはイヤイヤと首を横に振る。
ヒオリと草間はここ数日、時間があればこのような「ナンパ訓練」をしている。なぜこんなことをしているのか理由をライナが聞くと、草間がヒオリに言った通り「ラスコー打倒のため」という返事が二人からは返ってきた。あまりにふざけた回答に聞こえたので、ライナは問いただそうとしたが、彼らがあまりに鬼気迫った雰囲気で答えるので、口出しできなくなってしまった。
特殊広報活動が停止された今、ライナは活動再開に備えて二人の様子をスケッチし、絵の練習をするばかりだった。
「草間さぁん、俺にも
駄々っ子のようにごねるヒオリに今度は草間がかぶりを振る。
「戦闘AI同士の戦いはAIの性能差で勝負が決まる。敵は治安省のセキュリティを突破するほどの技術力があった。治安省の保有する戦闘AIでは負ける可能性の方が高い」
「でも、育ての親でもある草間さんにナンパし続けるのも、心情的に無理がありますって」
「じゃあ、他人ならいいのね」
草間は静かにライナを指さした。突然のことにライナはきょとんとして鉛筆を動かす手を止める。
「いや、でも、ライナは相棒だし、恥ずかしくて無理だって……」
「『恥ずかしい』なんて思ってたら一生ラスコーには勝てないわ。ヒオリ、考えず、実行しなさい」
ヒオリはしぶしぶ立ち上がる。クロッキー帳を抱えて座るライナに近づくと、草間にしていたように気さくに右手を上げた。
「ねぇ、美人さん。何描いてんのー? よかったら俺とデートでも――」
「失せろハゲ」
ライナの言葉の刃はヒオリの意志をくじき、その場に横たわらせた。その姿を書き写しながらライナは顔を険しくさせ思案する。
ヒオリは何かにつけて「政府に消される」と冗談を言うが、国民の感情コントロールを担う組織として機能しなくなりつつある特広対は本当に政府に消されてもおかしくはない。ヒオリを気に入っているナスカがいる限りそうなることは避けられるだろうが、安心はできない。ライナは以前、ニュース記事で病気で鼻血が止まらなくなるケースがあると見たことがあった。ナスカの場合は病気ではないものの、イザナミシステムとの接続がナスカの命を蝕んでいる可能性は大いにある。特広対にも、ナスカにも時間がない。
現状を打破するにはラスコーを捕らえ、ステインを再びこの国唯一のヒーローにし、ラスコーが起こしたトラブルの解決のためのナスカの負担を軽減するしかない。
だが、そのためにヒオリやナスカに更なる負担をかけるのもライナの本意ではなかった。可能であれば自分の相棒と友人には穏やかに日々を過ごして欲しい。文化祭はラスコーに邪魔され、平日の執務後ではナスカがヒオリに会える状態ではない。ライナは不憫な二人に、なんとかして一緒にいる時間を作ってあげたかった。
諸々の問題を同時に処理しようとしているライナの脳はオーバーフローし、書き込まれる線は乱雑になっていく。何か自分にできないかと考えを巡らせる度に、クロッキー帳の上のヒオリが現実とかけ離れた姿になっていく。そうして思考の大渋滞に陥り、のぼせたライナの頭はあるひとつの解決策を導き出した。
「ヴァァァ、草間さぁん。やっぱ他の動きにできません? 洗濯とか料理とか――」
「決めた」
「どしたよ、相棒」
寝返りを打ってライナの顔を見たヒオリは寝ころんだまま体を強張らせた。視線の先にいたライナが血走った眼を見開き、古いコミックの悪役のように大きく口角を上げていたからだ。それが慣れないことを言おうとして緊張していた表情だったことにヒオリが気がついたのは、少し後になってからだった。
「ヒオリ、デートに行くわよ」
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