23話 戦う理由-オリジン-


 数分前、ヒオリは夢を見ていた。

 それはいつも決まった内容の、自分が死んだときに必ず見る夢だったので、ヒオリはうまく働かない頭でも今の自分の置かれた状況を理解した。


 ヒオリの視線の先には、冷たい診察台の上に拘束された過去のヒオリがいた。何某かの薬物を注射され、その反応を計測されている。自分の状況を説明するためだけに教えられた言葉を淡々と吐いている。それがヒオリの一番古い記憶だった。

 自分はずっとこのままでいる。外の世界を知らない、解放されるという考えがなかったヒオリは、ある日スーツを着た男性が自分を助けに来た時でさえも、表情は冷たく変わらなかった。


「子供がこんな目にあっていいはずがない」


 光で目がくらんでその男性の顔は分からない。


「もう大丈夫だ」


 男性の優しい言葉にも安心感や解放感というものを感じることは無かった。


 風景が切り替わる。今度は草間に初めて引き合わされた自分がいた。草間は強張った表情筋で不器用に笑いながら、ヒオリの頭を撫でる。


「あなたは外の世界で暮らすの。学校に行って、いろんなものを見て、友達をつくって」


 草間は『廃棄処分』と書かれたステッカーが貼られた冊子をヒオリに差し出す。冊子の中にはタイツみたいなぴっちりした服を着た、マッチョな男性が描かれていた。


「そして日本の、みんなのヒーローになってほしいの」


 全くと言っていいほど実感も感慨もヒオリにはなかった。


 雑多な情報で溢れる外の世界は喧しくて嫌いだったし、草間の言う『みんな』とやらがどうなろうと知ったことではなかった。

 自分と違い、簡単なことで死ぬが『正しい人間』の群れ。死んでも蘇る『化け物』である自分とは違う生き物の群れ。違う生き物たちがどうなろうと、ヒオリはどうでもよかった。あの夜までは。


 理日田と草間に命じられ、その日はこの国の最高指導者の暗殺を演出することになっていた。潜入から戦闘、全てが計画通りに進んだ夜、ひとつだけ、計画外のことがヒオリに起きた。


 自分が暗殺するフリをしようとした少女に、ヒオリは思わず見とれたのだ。

 

 長い白髪、透き通るような肌。そして金色に輝く瞳。ヒオリはその瞳の美しさに、胸を打たれた。

 なんとかその場からは離れたが、撤退中も彼女の顔が頭から離れなかった。幸いにも、彼女に謁見する機会を与えられ、ヒオリはとても嬉しく思ったが、同時に苦悩することになった。

 あの綺麗な瞳の持ち主の笑顔が見てみたい。だが人並みの人生を送れなかったヒオリに少女と話すための会話の引き出しなどあるはずもなかった。


 悩みに悩みぬいたヒオリは草間がステインの活動の参考にと見せてくれたヒーローコミックを真似て、キザなセリフを国家元首、神元ナスカの前で発することになった。

 理日田からは鬼のような形相で叱責されたが、ナスカを笑顔をすることには成功した。


「いいよ! さらいに来るの、待ってるね!」


 ナスカの手が、ヒオリの手に重なる。


「きみの好きなところに連れてって!」


 ナスカの笑顔を見たその日から、ヒオリのヒーローとしての日々が始まった。


 ヒオリは伊達眼鏡をかけはじめた。コミックのヒーローが戦わない時そうやって変装していたから。

 ヒオリは草間にも優しさをもって接するようになった。コミックのヒーローは育ての親の叔父叔母を大切にしていたから。

 ヒオリは偽装のため通った学校で明るく振舞った。コミックのヒーローは皆の人気者だったから。

 ヒオリは戦うとき、詩を歌った。コミックのヒーローは、戦うときに文学を引用していたから。


 そうやって、ヒオリはヒーローでい続けようとした。

 ライナが怒るのも無理はない。自分が大ウソつきの卑怯者だと、ヒオリ自身がよく理解していた。

 人造人間であるナスカに、自由などというものはありはしない。今のヒオリも場所とやることが変わっただけで、結局は道具として国に使われているだけだ。

 ライナの言う通り、ナスカを苦しめているだけかもしれない。けれど、あの大人たちに囲まれ、つまらなそうにしていた少女に笑っていてほしかった。自分が戦える間は彼女に希望を与え続けたかった。恋をした少女にヒオリは幸せでいてほしかった。


 ナスカを笑顔にし続けるために戦う。それがヒオリの世界への反逆だった。


 ◆


「……っ! がはっ! げほっ!」


 ヒオリの意識が覚醒する。廊下の冷たい床に仰向けで倒れている。喉にたまった血液は分解され、ひとまず蘇生できるくらいまでには回復したようだった。しかし右腕があった場所にはまだなにもない。切られた右腕があれば、簡単に体にくっつけることができるが、腕一本の完全な生成となると15分はかかる。普段はそれでいいが、今回は一刻の猶予もない。

 ヒオリは血液不足で震える左手で腰に着けたポーチから注射器を取り出すと、それを自分の太ももに突き刺した。


「っあああ! 痛ってぇぇぇ!」


 注射器の中身――ヒオリの体内の超回復力ヒーリングファクターを促進する薬液が、ヒオリの体を激痛と共に駆け巡る。ヒオリは歯を食いしばりながら立ち上がる。


「おいどうしたステイン、お前ヒーローなんだろ? 気合を入れろ……よっ!」


 自分を鼓舞しながら追加でもう一本、注射器を打ち込む。目玉の奥で針が踊るような痛みが走る。徐々に右腕の再生が始まる。だがまだ遅い。


「はぁ……はぁ……あんなぽっとでのお面野郎に……負けてらんねぇんだろっ!」


 草間から体に負担をかけるから、一度の使用で二本までと言われていたが、ヒオリは三本目の促進剤を躊躇いなく打ち込んだ。

 途端に体が燃えるように熱くなり、心臓が壊れてしまうのではないかと思えるほど早く動く。痛みもより強くなるが、代わりに右腕が急速に再構築されていく。ヒオリは腕を生やし直しながら体育館に向けがむしゃらに走り出した。自分の大切な人と、彼女を狙うテロリストの元へ。

 ラスコーの背が見えると、ヒオリは獣のようにラスコーに飛び掛かる。


「俺以外の誰にもさらわせねぇ! とっとと落ちやがれ……!」

「大人しく死んでいろ!」


 ラスコーは自らの首を絞めるヒオリの腕を強く掴む。


「うっぐ!」


 ヒオリの腕から、バキバキという音が鳴り始める。蘇生したばかりだからか骨の強度が足りず、ヒオリの腕はいとも簡単に壊され始める。拘束がゆるみ、あわやヒオリはラスコーに投げられそうになるが、


「あああぁぁぁ!」


 ナイフを持ったライナがラスコーに突撃したことで反撃は遮られた。急所を守るため構えたラスコーの左腕に、ライナのナイフが深々と突き刺さる。


「アナキストなめんなぁ!」

「くっ」


 ラスコーはライナを蹴り飛ばし、ヒオリを投げ飛ばす。二人は並んで床に倒れた。


「二人とも!」

「「こっち来るな!」」


 駆け寄ろうとしたナスカを同時に制しながら、二人は立ち上がる。


「ライナ、怪我してないか?!」

「平気。そんなことより二人であいつをボコるわよ」

「頼もしくなってくれちゃって」


 ファイティングポーズをとる二人を前に、ナイフが刺さったままのラスコーは苦し気にうめく。


「二人だろうと同じこと。政府の犬相手に私は負けない」

『いや、もう撤退してくださいボス!』


 ラスコーの無線機からは切羽詰まった声が響く。


『航空管制を無視して大型のガンシップがこちらに接近中。多分、中身は官邸のクソつよ護衛官っすよ!』

「だが、ナスカが目の前にいる。こいつらを倒せば……!」

『よしんばこいつらを殺しても、こんな状況で拉致って逃げる余裕ないっすよ! 今は逃げて次の機会を伺いましょう!』


 ラスコーは舌打ちをしてから、腰に括り付けた箱状の装備に手を伸ばす。


「党の飼い犬にしては気骨のある若者たちだ」

「お褒めにあずかりどーも」

「犬らしくあんたをとっ捕まえて、後ろの奴から勲章でももらっとくわ」

「ナスカにも近しいようだ。で、あれば知りたくはないか? イザナミシステムの真実を」


 その場にいたラスコー以外の全員が息を呑んだ。イザナミシステムは極秘中の極秘事項、それをなぜか目の前のテロリストが知っている。その情報は三人を混乱させるには充分で、ラスコーはその隙を見逃さなかった。


「真実を知りたければ、炎の中を追ってこい」


 ラスコーは箱状の装置を投げた。ライナとヒオリの目の前に落ちたそれは、二人が特広対の美術館でよく見る備品に似た――時限装置付きの爆弾だった。


 ラスコーは三人に背を向け走り去るが、誰も追いかけられない。ライナとナスカは目の前の危険物に思考が停止。ヒオリは逆に頭をフル回転させ、爆弾の対処方法を選び取るのに気を取られた。ヒオリの脳内に過去に草間からレクチャーされた爆発物の知識が駆け巡る。


 外観から予想される爆弾の被害――渡り廊下と体育館の一部を三人を確実に殺傷しつつ破壊。

 爆弾の冷凍処置、もしくは解体――装備も時間もない。無力化は不可。

 校舎内の空き教室で爆破させ、被害を抑える――現実的。だが万が一まだ誰か校舎に残っていたら?


 取れる選択肢は一つだった。ヒオリは爆弾を抱えると、渡り廊下の窓から飛び降りた。受け身をとりつつ着地する。


「ステイン!」


 頭上からのライナの声に振り返らず、すぐさまグラウンドに向けて走り出す。グランドに足を踏み入れると、ヒオリはグランドの中心目掛けて爆弾を投げる。直後、爆弾を中心に強烈な閃光が発せられた。距離を取ろうとしたヒオリは、仮面越しにその火の華を見ながら、爆風と炎に包まれた。

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