22話 生贄


 スプリンクラーの雨が降る廊下をライナとナスカは駆ける。


「もうちょっとだから!」

「う、うん」


 ナスカは不安な表情を浮かべ、置いてきたヒオリが追い付いてくれないかと何度も後ろを振り返る。一方ライナは渡り廊下の先にある、体育館の扉を真っすぐ見据えていた。扉の前に辿り着くとライナは鋼鉄の扉を押す。が、開かない。方向は間違っていない。カギがかかっているのだ。ライナは拳を乱暴に扉を叩く。


「ねぇ! 誰か開けて!」

「……その声は番櫛か?」


 1時間以内に聞いたことある声。教室に荷物検査に来ていた生活指導の教師の声だ。扉越しということを抜きにしても、教師の声は普段とは比べものにならないような弱々しいものだった。


「そうです! 神元書記長をテロリストから逃がしてました、今隣にいます!」

「そ、そうだったのか……」

「でもラスコーが学校に来てて、今も追ってきてます! ここを開けてください。警察が来るまで神元書記長を守るんです!」

「……それはできない」


 全く予想していなかった答えに、ライナの思考が少しの間、完全に止まった。


「……あの、先生、すいません。とりあえずここ、開けてください」

「ダメだ、皆の安全のために開けられない」

「いや、言ってる意味わかんないんですけど」


 人でごった返しているはずなのに、閉ざされた扉の向こう側は異様なほど静まり返っていた。まるで自分たちはここにいないと、無言で主張するかのように。か細い生活指導の言葉だけが扉の向こうから返ってくる。


「さっき、ステインが現れたんだ。奴のせいで怪我をした生徒もいる。開けたら奴が入ってくるかもしれん」

「いや、一瞬人が出入りするだけですよ。ここにステインはいないし」

「それに、人質のふりをしたテロリストもいたんだ。そ、そんなところに書記長にいていただくわけにはいかないだろう?」

「バカ言わないで! すぐそこまでそのテロリストが来てんの! 御託はいいから開けろっつってんのよ!」


 ライナは扉を蹴り飛ばす。渡り廊下に鈍い音が響く。


「そ、そうだ。番櫛お前、嘘を言ってるな? テロリストに味方して、我々を騙そうとしてるんだな?」

「んなわけないでしょ! ナスカ、あんたからこのバカに命令しなさいよ!」

「ライナ……ボク……」

「ほら、ここにいるでしょ! どんなに取り繕ってもね、この国は独裁国家なの。こいつに何かあったら、ここにいる全員が処刑されてもおかしくないのよ!」


 脅迫。ナスカはそんなことを命じるようなやつじゃないことは、短い付き合いでもライナは理解していた。だが、自己保身に走る教師にはもうこう言うほかなかった。


「死にたくないでしょ! なら開けなさいよ!」

「し、死なない」

「は?」

「わ、私たちは死なないよ番櫛! きっとこの状況も書記長閣下が解決してくださる! きっと今もテロリストと勇ましく戦って――」

「ざっけんな!」


 聞くに堪えず、ライナは戸を強く拳で叩いた。


「開けろ! 開けろクソ先公! クソガキどもにクソ保護者も!」


 叩く。叩く。叩きつける。開かない扉を叩くたびに、イザナミシステムに繋がれたナスカが、屋上で力なく笑うヒオリの顔が、ライナの脳裏によぎる。


「開けろ! でないと全員ぶっ殺してやる! ラスコーのあとに、あんたたち全員ぶっ殺してやる!」


 ナスカは、ヒオリは、生贄なのだ。


 この閉ざされた国の歪みを背負わされる、形代のようなものなのだ。一人の少女を祭り上げ責任を負わせ、一人の少年を英雄の偶像として消費する。自分たちは何も知らず、平和に、平穏に暮らそうとしている。


「どんなテロリストより残酷に、お前らをなぶり殺してやる!」


 けれど、ライナは知ってしまった。彼らが家畜や紙の人形などではなく、意志のある人間であることを。


 好きな本に影響される、どこにでもいる高校生であること。

 年上の少年に恋する、どこにでもいる少女であること。


 そんな彼らを踏みにじる、国が、テロリストが、扉一枚隔てた先にいる身近な人間が憎くて、ライナは沈黙を続ける扉に拳を叩きつけ続けた。


「開けろぉ!」

「ライナ、ありがとう」


 ナスカが小ぶりな手をライナの拳に重ねて止めた。ライナは視線をナスカに向ける。怒りで目を見開くライナとは対照的に、ナスカは穏やかに微笑んでいた。


「ボクのためにこんなにしてくれて。でもみんな仲良しが一番だから。そんなに怖い言葉を使わないで?」

「でもっ……こいつらはっ……このクソ野郎どもはっ……!」

「先生の言う通り、ボクが解決しないと」


 ナスカは着けていたバンダナと『びっぐしすたぁ』印のエプロンを外すと、ライナに手渡した。


「友達になってくれてありがとね、ライナ」

「やだ、こんなの嫌だ……」


 瞳に涙を溜めてライナは首を横に振った。けれども、ナスカは太陽のように笑う。


「大丈夫! ボクはこの国で一番偉い人だから!」


 そういうと、ナスカはライナに背を向け、来た道を戻り始める。渡り廊下の先には、校舎から追ってきたラスコーが、ステインの右腕を持ったまま立ちはだかっていた。


「ラスコー! ボクはもう逃げない。みんなを解放しろ!」

「よろしい」


 ラスコーは右腕を投げ捨てるとナスカに近づく。


 ダメだ、こんなのダメだ。ライナは叫ぼうと、抵抗しようとした。だがヒオリが勝てなかった相手に、自分のような一般人が勝てるわけがない。自分の無力さを呪いながら、拳を握った。


 ラスコーの手がナスカの方へ延ばされる。ナスカは立ち止まって、ぎゅっと目を瞑った。が、ラスコーの手はナスカに触れることはなかった。


「ざっけんじゃねぇぇぇ!」

「ぐっ!」


 ラスコーは黒衣のニセ反逆者、ステインに後ろから組み付かれていた。


「こいつはなぁ、ナスカはなぁ!」

「このヒトモドキめ!」


 ヒオリの右腕がラスコーの首を絞めつける。


「俺がさらうって決めてんだよぉ!」

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