20話 一匹の蜘蛛


 一匹の蜘蛛がテロリストの携えるアサルトライフルの表面を音もなく這う。蜘蛛はテロリストが気づかないうちに銃口の中に入っていってしまった。


「あの……」

「静かにしていろ」


 蜘蛛が銃に入るのを見た、ミリタリーに詳しい男子生徒が発しようとした言葉を覆面のテロリストは静かに諫めた。


「すべて終わったら全員解放する。それまで大人しくしていてくれ」

「……はい」


 男子生徒は膝を抱え、それ以上はなにも言わなかった。蜘蛛が一匹入ったくらいで銃は壊れないし、監禁されている自分たちの状況は変わらないし、自分たちを監禁するテロリストに親切したところで何も良いことはないからだ。

 テロリストに話しかけようとした男子生徒を含め『ラスコーの子ら』が学校に乗り込んだ際に校舎にいた人間は全員、銃で脅され体育館の床に座らせてられていた。生徒と合わせて教員と外部からの客もいるため、体育館はすし詰め状態だった。人質たちの間の細い道を、十数人の銃を持ったテロリストたちが巡回し、定期的に人質たちに呼び掛ける。


「繰り返します、目的が達せられたら我々はすぐに立ち去ります。しばしご辛抱ください」


 校長を撃ったこと以外、テロリストたちは乱暴はせず、あくまでも紳士的に人質に接していた。そのためか、恐怖によるパニックで誰かが泣き叫ぶわけでもなく、皆落ち着いてテロリストたちに従っていた。

 緩やかな監禁が続いて10分と少しが経過したところ、急に体育館の照明が落ちた。狙撃を警戒し、カーテンやブラインドを締め切った体育館は闇に包まれ、あたりからは短い悲鳴があがり始める。


「敵襲?!」


 テロリストたちの間で緊張が走る。そして、


「ぐわっ」

「なんだ……あっ!」


 体育館二階を警戒していたテロリストたちの呻ぎ声が暗闇のなかで響いた。


「明かり、明かりを付けろ!」


 体育館の照明はスイッチが切られていただけで、テロリストが再びボタンを押すと、体育館は再び光に照らされる。そして、明るくなった人質ひしめく体育館の中心に、先程までいなかった人物が立っていた。


「『お前の翼は、遥か彼方へ行くために生えそろっているか』」


 漆黒の戦闘服と仮面を身に着けた反逆者、ステインが何故かそこにいた。人質たちはどよめき、その場にいたテロリストたちの銃口が一斉にステインに向けられる。


「ステイン……なぜこんなところに」

「アンネ、こいつは味方なのか?!」

『んなわけないっしょ。多分こいつ、うちらを殺しにきたっすよ』


 無線越しのハッカーの警告にテロリストたちは素早く反応する。ステインに向けた銃の引き金を躊躇なく引く。が、何も起こらなかった。


「なんで?!」


 テロリストたちは慌ててボルトを引いて、銃の不調の原因を探った。


「これは……!」

「蜘蛛?!」


 排莢口から見える銃の内部で、銀色の小さい蜘蛛――正確に表すなら蜘蛛型のロボットが、その腹から液体を噴出していた。吐き出される液体は強酸性のようで、銃の発射機構に影響を及ぼし、殺戮兵器をただの金属の塊に変えてしまっていた。かつて党の秘密警察で使われた拷問兼隠密工作用自立装備『融解蜘蛛メルトスパイダー』にテロリストたちは対応できない。


「がっ」


 慌てるテロリストの中で、最もステインに近い位置にいたものが轟音と共に吹き飛び倒れる。ステインの手にはこれまた黒く、そして鈍く光るショットガンが握られていて、スラッグゴム弾が装填されたその銃口はすぐに別のテロリストに向けられようとしていた。


「人質を盾にしろ!」


 テロリストたちは、各々の近くにいた生徒たちを無理やり立たせ、盾にする。体育館に響き渡る叫び声がより一層、大きくなった。


「いやぁぁぁ!」

『そうっすよ、やめてくんないっすかね』


 無線機からの要求をテロリストたちは無視し、叫ぶ人質たちの首にナイフを当てる。


「うるさい! 現場に来ない奴が口出しをする――」


 反論したテロリストの言葉は最後まで発せられることはなかった。再びステインのショットガンが火を吹き、テロリストを撃ったからだ。ゴム弾とはいえ十分な威力を持った弾丸は人質のあばらを砕きつつ、テロリストの一人を吹き飛ばす。


「嘘だろ……!」

「『ああ、魂よ。お前は苦難の旅をゆくのか』」

「こいつ完全にイかれてやがる!」

「全員伏せろ! 姿勢を低く! 巻き添えを喰らうぞ!」


 テロリストたちはすぐさま無意味になった『盾』を解放し、人質たちに叫んだ。ステインの蛮行による恐怖で泣き叫ぶ人質たち。人質の人命を優先しようとするテロリスト。自由を求めるはずのヒーローステインが同胞であるはずの『ラスコーの子ら』を襲うその様。彼らのいる空間はもはや混沌に支配され、誰もコントロールできなかった。


「『かくも広大な海で、お前は踊るのか』」


 ただ一人、このパニックを引き起こしたステインだけが、混沌の海と化した体育館で自由に振舞っていた。まるで狩りでもするかのように、近接攻撃をしかけようと近づくテロリストたちをショットガンで迎撃し続ける。


「『サンスクリットとヴェーダの聖て――」


 しかし一方的な蹂躙は中断された。保護者を装い、人質の中に紛れていたテロリストの一人が、ステインの背中にナイフを突き立て、彼の動きを止めたからだ。

 予期せぬ一撃にステインはショットガンを取り落とす。


「今だ! 殺せ!」


 残った数名のテロリストも手に持ったナイフを持ち人質たちを踏みつけながら、次々とステインに迫る。だがステインは倒れず、立ち続け、


「『聖典の底まで探れ』」


 詩を歌い続けながら、隠し持った閃光手榴弾スタングレネードを炸裂させた。


 手榴弾から発せられる、鼓膜を破る甲高い高音、視界を焼く閃光。


 その場にいたほとんどの人間の視覚と聴覚が奪われる。


 そして、人質たちの中で視界が回復した者が現れた時、彼らの視界に入ったのは、警棒を片手に倒れたテロリストたちの中心で佇むステインの姿だった。


「『そして、自由に行くがいい』」


 詩を歌い上げ、体育館にいたテロリストを一人残らず倒したステインは、早足に校舎へ続く出口に向かう。テロリスト以上に危険で、そして刺し殺されたはずなのに、背中のナイフを抜きながら何事も無かったかのように歩く怪物ステインの通る道を、怯えた人質たちは体を詰めて作る。ステインは途中、一人の男子生徒の前で足を止めた。


「きみ」

「やっ、やめて! 殺さないで!」


 その男子生徒はテロリストに忠告をしようとした男子生徒だった。自分がテロリストに助力しようとしたと思われ、危害を加えられると怯えた生徒は頭を抱えた。だが、そんなことにはならず、ステインは彼の足元に結束バンドの束を落とした。


「これでテロリストを拘束しておいてくれ。警察が来るまで、全員ここを動かないように」

「へ……?」


 ステインがなぜ自分にそんな仕事を頼んだのか分からず、男子生徒は混乱する。ただステインの中身と彼が下ネタでよく盛り上がる友人で、見知った人間だったから頼んだという理由をその男子生徒は知る由もない。ステインは後処理を託すと、人質たちの畏怖の視線を浴びながら体育館を後にした。


 ◆


「あー! みんなごめーん!」


 ステイン――ヒオリは体育館から出るや否や叫んだ。

 ナスカをテロリストの魔の手から救いださねばならない。だがナスカを助けに行く間に、テロリストたちが人質たちに危害を加えないとも限らない。ナスカの元へ向かう前に、どうしても脅威の排除と安全圏の確保はしなければならなかった。

 だがヒオリ一人で人質全員を傷つけず、テロリストを制圧することは不可能だった。故に『ラスコーの子ら』以上のテロリストとして振る舞い、人質が無意味であることをテロリストたちに認識させ、自分一人に危害が及ぶよう、誘導する作戦をとったのだ。


「ライナ! 今どこだ?! ナスカも一緒か?!」


 ヒオリはリストで通話を呼び掛けたがライナの応答はない。通話は諦め、特広対権限を利用しライナのリストの位置情報を検索する。たちまち手のひらに学校の立体映像と、その中を動く赤い光点が表示された。光点は上へ上へと移動している。追い詰められていることは一目瞭然だった。


「階段じゃ間に合わねぇ!」


 ヒオリは外へ飛び出す。校舎の壁を前にすると、クラウチングスタートの構えを取る。


「吸着ブーツ、吸着力及びバランサー補正最大!」

『警告、バッテリー残量低下中。使用中に落下の危険性あり』

「うるせぇ! 起動!」


 リストから発せられた警告を一喝し、ヒオリは校舎の壁に向い、そして蜘蛛のように壁を駆け上る。ライナとナスカがいるであろう最上階のベランダにヒオリは降り立つと、教室を通り抜け、ドアを蹴破り、


「サプライズ!」


 ナスカを守るライナと、ラスコーとの間に割って入った。

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