18話 変身


 都内各所で起きた爆発音はライナたちの学校にも届いていた。学校の中のほぼ全員が、先日のラスコーの演出を連想し、情報収集をしようとリストを操作する。だが通信障害によって誰一人として外部の情報を入手することはできなかった。その代わり、学校内のローカルネットワークを利用した校内放送が各人のリストに表示された。


『突然の非礼をお詫びしたい』


 それは校長室の中を写した映像で、覆面をした男がアサルトライフルもち、高校の校長をひざまずかせている様子が映っていた。ふくよかな体格の校長は額に脂汗を浮かべ、恐怖で唇を震わせている。生徒に普段から親しまれている、愉快なおじさんキャラの雰囲気は見る影もなかった。


『我らは『ラスコーの子ら』。芸術への自由を求める同盟だ』


 保護者や訪れた他校生が、在校生たちに何かの演出かと口々に訪ねる。だが尋ねられた誰もが、その答えを持ち合わせてはいなかった。


『我らが同志、ラスコーが先日語った通り、我らは現状の党の政策方針に不満を抱いている。ゆえに私たちは彼の理想の実現に向け、この学校の視察に訪れた国家元首、神元ナスカの身柄を頂戴しに参った』


 周囲がどよめく。ナスカのいるはずのクラスでは、生徒や教師たちがナスカがいないか教室を見渡すが、彼女はライナと教室を出てから戻っていなかった。


『我々はテロリストではなく、自由を求め、愛する集まりだ。ゆえに、いたずらにあなたがたに危害を加えるつもりはない』


 ふと誰かが非常口から校内放送の男と同じような風体の、ライフルを持った覆面の二人組が自分たちへ迫っているのを見つける。学校の各階で、同じような光景が見られた。


『我々が神元ナスカをこの学校で確保するまでの間、どうか邪魔にならないよう、全員に体育館にてお待ちいただきたい。目的を果たせば、あなたがたをすぐに開放すると約束する』


 しかし、と言って映像の中の男は銃口を校長の頭に押し付けた。


「我々と戦おうという意志を見せたり、神元ナスカを庇おうとした場合は……」


 銃声。放送を見ていた中で少なくない人数が悲鳴を上げた。


「あぁぁぁ! 痛い! 痛い!」

「こうなってもらう」


 校長は命こそ奪われなかったが、足を撃たれ、テロリストの足元で悶え苦しんでいた。


「なんで! なんでこんな目にばかり! 視察に! 椅子に! テロリストまで!」


 悲痛な校長の叫びはテロリストに無視される。だが校長の苦しむ様子は、生徒、教員、学校を訪れた学外の人間全員に抵抗する意志をなくさせるには充分だった。


「我々が君たちを誘導する。しばしの間、どうか辛抱いただき、大人しく従ってほしい」

「誰か! 誰か助けて!」


 ◆


「すぐ助けに行くからな!」


 ヒオリは学校のすぐ近くで『あるもの』へ向かうため全力疾走していた。


「あった!」


 ヒオリは目当てのものを見つけると中に飛び込む。それは古ぼけた公衆電話ボックスだった。中にはあまり良い印象を受けないを提供する店舗の広告がいくつか貼られてある。ヒオリはその中から目当ての番号を見つけ出すと、使用中止とシールが貼られた受話器を取り、ためらうことなくダイヤルを押した。


「頼む、動いてくれ」


 呼び出し音が鳴る中、ヒオリは必死に祈った。そして祈りが通じ、受話器の向こうから声が聞こえた。


『お電話ありがとうございます。癒しのサービス、ホットラビットです。失礼ですが18歳以上の方でしょうか?』


 それは穏やかな男性の声だった。あまりにも自然なそれは、気を付けていても合成音声だと気が付くことは難しい。よし! とヒオリは拳を握り、声に返答する。


緊急事案エマージェンシーケース66」

『デリバリーのご予約でしょうか?』


 噛み合わない男性とヒオリの会話。だがそれで問題なかった。公衆電話のドアにロックがかかり、周囲を覆うガラスに偽装用の映像が投影され、ヒオリの姿を周囲から隠す。


「共和国憲法第18条、修正条項第6項に基づき装備の使用許可を申請」

『指名はいかがしますか?』

非殺傷ノンリーサル制圧用サプレッション装備ロードアウト

『ご利用のコースは?』

「神元ナスカ書記長の官邸護衛官への護衛任務引き継ぎ、及びテロリストの制圧完了を使用期間と定める」

『お名前コードネームを』

「活動時識別ID、ステイン」

『最後に電話番号パスワードをお願いします』

「『欲した橋はいつか築かれ、揺れる錨もいずれ止まる』」


 甲高いダイヤルアップの音が流れ、そして、


『装備使用を許諾。大日本共和国に栄光あれ』


 ヒオリが受話器を置くと、電話機が格納され、代わりに各種武装。そしてステインに『変身』するための戦闘服とマスクが納められた武器棚ウェポンラックがせり出す。かつての党の秘密警察が使用し、現在は特広対のために整備された『電話ボックス型偽装武器庫』は正常に作動し、ヒオリに戦う術を与える。ヒオリはいつものように軽口を叩くことなく、すぐさま装備に手を伸ばした。


 ◆


「こっち、入って」


 ベランダから窓を乗り越え、生徒会室に入ったライナは安全を確認すると、不自然にベランダ置いてある段ボール箱に呼び掛けた。段ボール箱は窓の近くまで寄ると、下から手を伸ばし、ライナの手を借りながらその中身を生徒会室に吐き出した。途中で体勢を崩し、段ボール箱の中身、神元ナスカはライナを下敷きに床に倒れ込んだ。


「ご、ごめん」

「大丈夫、ちょっとどいて」


 ライナはナスカを押し退けると、音を立てないように、しかし素早く部屋と廊下とを隔てるドアに近づき鍵をかける。頼りないが、確かな施錠の音に深く息をつく。

 ヒオリからの連絡の後、ライナは人ごみに紛れたり、ナスカを隠しつつなんとか校内のテロリストから逃れていた。しかし、それも限界に来ていた。テロリストたちの動きは的確で、校舎内の人間は体育館へ誘導され全員いなくなっていた。


『神元ナスカ、聞こえるか』


 生徒会室の中に設置されたスピーカーから響いたテロリストの声に、ライナとナスカは体を強張らせた。


『今、お前を探して教室を一部屋ずつ確認している。どこにいたってお前を見つけ出す。大人しく投降するんだ』


 ライナは舌を打つ。テロリストの言う通り、教室を虱潰しに探されては、すぐに見つかってしまう。教室にかけられる鍵など、銃の前にはあまりに無力だ。しかし、下手に動けば目立って見つかる。救援はまだこない。状況は芳しくないどころか、絶体絶命とも言ってよかった。ナスカがうつ向いてポツリと呟く。


「ボク、あいつらのとこに行くよ」

「はぁ!? バカ言ってんじゃないわよ!」

「……ヒオリの言った通りだった。すごく、迷惑をかけちゃった」


 ナスカはまだつけていたエプロンをぎゅっと、小さい手で握った。


「クラスのみんなとか、先生とか、学食のおばさんとか、ライナにもう迷惑かけたくない」


 ナスカの足元に水滴が落ちた。頬を伝って、涙が次々と落ちていく。


「ヒオリのっ、大切な日常をっ、これ以上っ、こわしたくないっ」


 せぐりあげたナスカを見て、ライナは息がつまった。


 目の前の少女が何をしたというのだろう。威張り散らすために、庶民の足元に来たのか。テロリストを学校に呼び寄せるために来たのか。


 違う。断じて違うとライナは心の中で否定する。


 ナスカはただ、恋をしている年上の男子が、別の女子にとられるかもしれないと不安になって、少しワガママを言っただけだ。一緒にいる時間を増やしたいと願っただけなのだ。

 そのために、辛いことを我慢して、今日という日を楽しみにしていたはずなのに。それを邪魔されて、負い目に感じる必要が、この少女にあるだろうか。


 この問いへの答えを、ライナはすぐに選びとる。


「くっっっそ、ムカつく!」


 ライナは毒づくと、着ているフライトジャケットからワッペンを剥がし、床に投げ捨て始めた。


「ら、ライナ?」

「ムカつく! ムカつく! ムカつく!」

「ワッペン、汚れちゃうよ……?」


 ナスカは捨てられたワッペンを拾い上げる。ホクサイが許可した範囲の、奇抜で、反政府的な意味が込められたそれをライナに差し出そうとしたが、ライナは受け取らなかった。


「ライナ、怒ってる?」

「ええ、怒ってる」


 ライナはワッペンを剥がし終えたジャケットを脱ぐと、それを裏返しにした。燃えるような、ライナの怒りの炎を体現したかのような、オレンジ色の裏地が現れる。ライナはその炎を身に纏った。


「でも、あんたにじゃない」


 テロリストと、自分に向けてライナの怒りは滾っていた。知らなかったとはいえ、一人の少女を虐げて、芸術の自由を得ると嘯く彼らと、ナスカを殺そうとした過去の自分にそう違いはなかった。だが、今は違う。


『もし、神元ナスカに協力している者がいれば、それ相応の報いを受けることを覚悟してもらう』

「そっちがね」


 ライナはスピーカーをひと睨みしてから、生徒会が押収した生徒の持ち物が置かれた棚へ向かう。ヒオリは戦うな、と言った。だが逃げ切れなかったときに抵抗するなとは言っていない。抵抗は、アナキストの十八番だ。


アナキストを敵に回したことを、後悔させてやる」

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