13話 水性のガネーシャ


 水曜日の放課後。ナスカは教室でリストの表示画面とにらめっこしていた。


「ホクサイ! 【タコと女の子 可愛いの】!」

『その絵は受付できません』

「なんでさー!」


 合成音声の返答に顔を真っ赤にして叫ぶナスカ。その周りを囲む、同じクラスの少し派手めな女子たち数人が笑う。


「ウケる。書記長、5連チャンで拒否られてんじゃん」

「一番偉い人なのに」

「ビーちゃん絵へたっぴすぎ」


 ビッグシスター、はあだ名として長すぎたのか、彼女たちはかなり短縮されたあだ名でナスカを呼ぶ。ナスカもそれを受け入れていて、呼び名よりも目下直面している問題に頭を悩ませる。


「もーなんで指示通り描いてくれないのさー」


 ナスカが高校への『視察』に来てから2日が経過しようとしていた。放課後、教室にいる面々は次の土曜日に迫った文化祭の準備に追われている。このクラスの出し物は学級会にて行われた多数決でたこ焼き屋に決まり、ナスカもその準備の手伝いとして看板用のイラストをホクサイに書かせようとしていたが、結果は女子たちの言った通りだった。


「こういうのってヒオリン得意だよねー?」


 女子生徒の一人が段ボールを運んでいたヒオリに声をかける。


「んーどしたー?」

「ヒオリー! ホクサイがボクの言うこと聞かないー!」

「あいよ【タコ焼きを作る女の子 タコのデフォルメマスコット 夕方のアニメ番組風 ネガティブワード 触手 泣き顔】」


 ヒオリがプロンプトを発すると、先程までの生成拒否が嘘のように、すぐさま指示通りのイラストが表示された。マスコット風のタコも、己が同胞が調理されているにも関わらず、可愛らしい笑顔で描画される。


「わぁ、ヒオリすごい!」

「ヒオリンほんとホクサイ使うのうまいよねー」

「美術部とか入んないの?」


 ナスカからは尊敬、女子たちからは若干のからかいも含んだまなざしで見れらたヒオリは、わざとらしくはにかんだ。


「いやぁ、美術部連中みたいに何千行もプロンプト書く繊細な作業、俺には無理だわ」

「でも少ない日本語で描けたほうがかっこよくない?」

「そうかー? 照れるぜー」


 鼻の下を伸ばしたヒオリにナスカは頬を膨らませる。


「浮気……」

「あーほらナスカ、プリンターが混んじまうから早めに印刷してきな」


 ヒオリの誤魔化す様子にナスカはもう、といって表情を緩める。


「戻ったら看板一緒に作ろうね!」

「あいよ、いってらー」


 段ボールを床に置いたヒオリは、女子たちと連れ立って教室を出るナスカを手を振って見送った。


「すっかり馴染んでるわね」


 作業をするフリをしながら時間を潰していたライナが、ヒオリの横に立って呟く。


「だな。誰に対してもフレンドリーでいいことだ」


 ナスカが教室にいる光景は、教師陣はともかく、生徒の間ではもう日常の一部になっていた。ヒオリとの恋愛に絡まなければという条件付きだが、ナスカは誰に対しても分け隔てなく明るく接していること。そして文化祭直前という非日常、という二つの理由がナスカと生徒たちとの間にある壁を取り払っていた。


「おかげで俺たちとの関係が分かりにくくなってすむ」

「ところで、あんた護衛としてついていかなくていいの? 私もだけど」

「いい、いい。カロリーの無駄だ」


 ヒオリは教室の窓から見える外の景色を顎で指す。


「学校を包囲するみてぇに狙撃手スナイパーが配置されてる。なんかやらかす奴がいれば、そいつの頭は秒で木っ端みじんだろうよ」

「そう」

「あっと、護衛で思い出した」


 ヒオリは手を叩くと、自分のカバンから紙袋を取り出す。


「サンドイッチはいらないけど」

「違うって。昨日、理日田のおっさんが言ってた武器。サバイバルナイフと拳銃が入ってる。弾は俺の使ってるのと同じく非殺傷弾だ」

「私、拳銃の使い方なんて知らないし」

「簡単だ。美術館で使い方は教える。まぁメインはそっちじゃないんだ」


 ライナは紙袋を受け取り、他のクラスメイトに見られないよう、中身を覗く。無骨な拳銃とナイフのほかにカラースプレーの缶が1本入っていた。


「スプレーは草間さんから。また今度、広報活動として絵を描くときのために新品のスプレーを仕入れるって。試供品で使い勝手を確かめてくれってよ」

「分かった」

「ライナ、なんか今日ナーバスだな? 武器、やっぱり持つのは嫌か?」


 ヒオリは心配そうにナスカを見て首を傾げた。ライナは逡巡してから小さく息を吐き、首を振った。


「なんかさ、自分だけがおかしいのかなって思うと、嫌になるなって」


 絵を描きたい。そう強く願い生きている。けれど、今日の教室のような光景を見て、ライナの心が曇らないかと言えば嘘になる。

 誰もがホクサイを使って絵を描いている。誰も不自由はしていないし、ホクサイが生み出す絵でナスカのように喜ぶ者もいる。クラスの大多数はそうだ。


「人を感動させる絵を描きたい、誰かに届けたいって、今でも思ってる。でも、このまま命がけで続けて、それが出来るか私には分からない。自分の全部をかけてホクサイを越えられなかったら。そう思うと、なんか自分がダメなやつに思えてきてさ」


 絵を描くことを嘲笑されるのは耐えられる。だがホクサイで純粋に喜んでいる人間を見るのは苦しい。文化祭の準備期間、それを見るのがライナは嫌だったし、その心情を相棒に吐露したことにも自己嫌悪してしまう。


「あーダッサ。ごめん今の忘れて。美術館、忘れず行くから」


 手をひらひらと顔の横で振ったライナを、ヒオリは腕を組みながら険しい顔つきで見つめる。


「ライナ」

「なに」

「ちょっと付き合え」


 言葉に力のないライナに、ヒオリは笑いかける。


「俺といいことしようぜ」


 ◆


 ヒオリはライナを校舎内の倉庫に連れてきていた。中は埃っぽい空気が充満しており、ライナは顔をしかめる。


「こんなとこ連れてきて何しよっての――」


 ライナは一瞬、言葉を失った。目の前でヒオリが服を脱ぎ始めたからだ。


「ななななな、何してんのよ!」

「ちょ、デカい声出すな。バレるだろ」

「うるさい! こっちくんな変態!」

「違う! えっちなやつじゃないから!」


 ヒオリは上半身裸で両手を前に出し、無害であることをアピールする。


「ライナに絵を描いてもらいたくて」

「絵とあんたの露出に何の関連があんのよ!」


 ヒオリは振り返ってライナに背を向ける。


「背中に描いてほしいんだよ、絵をさ」

「はぁ?」

「いやさ、草間さんがステインとして戦う参考にって見せてくれた、映画の主人公の背中に絵が描いてあったんだ」

「タトゥーのこと?」

「そうそれ!」


 ヒオリは頷き、自分の背中を親指で指す。


「主人公が殺し屋なんだけどさ、めっちゃかっこよくてさ。似たようなの描いて欲しいだよ」

「タトゥーなんか彫れないんだけど」

「分かってる。俺もいつまでも消えないのは困るし、取り合えずこれで」


 後ろ手にヒオリが渡してきた水性のサインペンを、ライナはしぶしぶ受け取る。


「なんで私が……」

「頼むよぅ。背中には自分で描けないし、アナキストのライナさんにしか頼めないんだもん」

「あーもう分かった。描くから気色悪い声出すな! 座れ!」


 二人は倉庫に置いてあった予備の椅子に座る。


「で、何描けばいいの」

「ガネーシャ」

「何それ」

「インドの神様。頭が象で体は人間の。あ、体の部分はステインの戦闘服っぽく書いてくれ」

「学級会の時もインドカレー屋を推してたけど、あんたのそのインド推しはなんなのよ」


 ライナはヒオリの背中に線を描きはじめた。


「ホイットマンが詩を書いてるんだよ『インド最高!』って」

「それで、そのホイットマン推しもなんなのよ」

「詩を歌うとモテるってヒーロー映画で見たから」

「あんたどんだけアホなの?」


 悪態をつきながらもライナはペンを進める。しばらくの間、2人の呼吸音と遠くで聞こえる学校の喧騒が、倉庫の中を満たした。


「ほら、これでいい?」


 15分後、ライナはヒオリの背中にトライバル風に水性のガネーシャを書き上げた。リストで写真に撮り、ヒオリに見せる。


「うぉー! かっけー! ライナは天才絵描きだな!」

「どうも。いいから服着てよ。見てるこっちが寒くなってくる」

「へーい」


 ヒオリはいそいそと服を着始めるが、途中で手を止めた。


「あのさ、正直、自分で絵を描きたいっていうライナの気持ち、半分くらいしか分かんねぇんだよ」

「え……」


 相棒の突き放した言葉に、思わずライナは手からサインペンを落とす。


「記念館に絵を描いたときは楽しかったぜ? でも死刑になるのと引き換えっていうと、俺は二の足踏んじまうよ。まぁ俺死ねないんだけど」


 ヒオリはでも、と言って恥ずかしそうに頭をかいた。


「ライナに絵を描いてもらえて、俺はすごく嬉しい」

「嘘ばっかり」

「嘘じゃねぇ、めっちゃ嬉しい」


 シャツの前が開いたまま、ヒオリはライナに向きなおった。


「こうして誰かが喜ぶ行動がさ、おかしかったり、ダメだったり、間違ってたりするわけないと、俺は、思います、はい」


 照れくさそうに笑うヒオリを見て、ライナは口と瞼を固く閉じる。ヒオリの言葉で、優しさで、泣いたり、笑ってしまいそうで、自分の感情が爆発しそうになるのが恥ずかしくて、そうせざるを得なかった。


「あんたもナスカもセリフクサすぎ。いいから早く服着て」

「えーもっと俺の割れてる腹筋見ないー?」

「黙れ! 着ろ!」

「わーった! 着るから! 着るから叩かないで!」


 埃舞う中、二人は乱暴にじゃれあった。


 倉庫のドアの隙間から、黄金色の瞳が覗いていることに気づかずに。

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