12話 サンドイッチとビッグシスター


「おっひるーおっひるー」


 昼休み。ナスカは陽気に歌いながら、学校の廊下をヒオリとライナと連れ立って歩いていた。


「ねぇねぇ、ヒオリ。この間、学園ドラマでお昼ご飯を屋上で食べてるとこ見たんだ。ボクたちも屋上で食べようよ」

「無理。屋上は普段鍵かかってて、入れないから」


 ヒオリの代わりにライナが答えた。


「えーじゃあどこで食べるのさー学食?」


 ヒオリがナスカの方を見ずに答える。


「外では食うぞ」


 ◆


 数分後、ライナたちは校庭のグラウンドが見渡せるベンチに腰を下ろしていた。教室と同じようにナスカを真ん中に、ヒオリとライナが両脇に座る形だ。薄い雲が浮かぶ秋空の下、ナスカは頬を膨らませた。


「屋上がよかった」

「文句言うな。普段はここも上級生が使ってるけど、お前が来たから気を遣って空けてくれてんだよ」

「……ヒオリ、ちょっと怒ってる?」

「遺憾ながら、怒ってる」


 理日田とのやりとりの後も、ヒオリのナスカへの態度は冷たかった。表情も硬いままだ。


「急に学校きたの、もしかして嫌だった?」

「迷惑ではある」


 ヒオリの言葉にナスカはぴくっと肩を震わせた。ナスカの頭越しに、ライナはヒオリをねめつける。


「あんた、ちょっと言い方考えなさいよ」


 ライナはナスカの味方をしようとしたわけではなかった。自分の思い通りにならないことで、独裁者がさらに無茶を言いださないとも限らない。それを止めるための苦言だった。だがヒオリは看過せず首を横に振る。


「ラスコーの件もある。軽率な行動はまわりにめっちゃ迷惑がかかるんだぞ。自分の立場を自覚しろ」

「ごめん……」


 ナスカは唇を尖らせながら、寂しそうにつ向いた。


「帰ったら技賀さんにも謝っとけ。それと……」


 ヒオリは自分の通学カバンから何かが入った紙袋を取り出し、乱暴にナスカの顔の前に突き出した。


「お前が学校に来るの、嫌ではないから。お前が危険な目に合うかもしれないのが、気に食わねぇってだけで」


 ナスカの表情がみるみる明るくなる。


「ヒオリ、お弁当作ってきてくれたの?」

「約束したしな」


 ナスカは差し出された紙袋を嬉しそうに受け取る。


「ありがとう!」

「どういたしまして」


 ヒオリはナスカとライナから顔を背けた。ライナは小さく息をはいて、そっぽを向いたヒオリに言葉を投げかける。


「で、学校が楽しくない場所だ、って嘘ついたことは詫びないわけ?」

「それは嘘じゃねぇし。楽しくねぇし。アナキストが独裁者の味方すんなし」

「いいってライナぁ。ボク懐の広い女だから、それくらいの嘘は許しちゃうもん」


 顔を緩ませてそう言ったナスカは紙袋の中身を取り出し、そして首を傾げた。


「んー? ピーナッツサンド?」


 紙袋の中身はラップでくるまれたサンドイッチだった。ナスカの手元をライナも覗き込む。


「なんというか、あんた、もうちょっとどうにかできなかったわけ?」


 ナスカの手元にある、ヒオリ手製のサンドイッチは、お世辞にも見た目がいいとは言い難かった。ただクリームを塗ったパンを重ねるだけのはずだが、作り手のガサツさが表れたのか、耳のカットは整っておらず、ピーナッツクリームもはみ出しラップの中であふれ出ている。昨日、ホテルのアフタヌーンティーで出されたサンドイッチとは雲泥の差があった。


「仮にも国家元首が食べるのに、これはないでしょ」

「うるせぇ」

「せめて草間さんに頼むとかしなさいよ」

「俺は嘘つくような卑怯者じゃねぇ」

国民みんなにヒーローだって嘘ついてるじゃない」


 頭越しに繰り広げられるヒオリとライナの口喧嘩を、そしてピーナッツクリームが指につくことを気にしないで、ライナはラップを開けるとサンドイッチを頬張った。


「んふ~美味しいよぅ」

「ほら、飲み物もあるぞ。野菜ジュース。飲むか?」

「うん! 飲ませて飲ませて! 手、ベタベタだから!」


 はいよ、とヒオリは答えてストローを差した紙パックをナスカの顔の前に持っていく。ナスカは親鳥から餌を与えられる雛のように、与えられるままストローを咥えた。


 ライナは二人の様子を見ながら自分の昼食のエナジーバーにかじりつく。


 少し前までは、ライナは目の前の少女を、心のない肉人形にとしか見れなかった。けれど、もう今は恋に恋するただの女の子にしか見れないでいる。ライナを騙し、政府への警戒感をなくさせるために演技をしているのではという疑念も当初は浮かんだが、その考えも今では馬鹿らしく思えている。ナスカは本当の本当に、ヒオリに惚れている。ヒオリが言ったという言葉プロポーズ通り、彼が自分を閉じ込める退屈な環境から救ってくれる信じているのだ。だが確信と同時に新たな疑問もわいた。


「ほら、口についてるぞ」

「拭いて拭いてー」


 ヒオリがウェットティッシュでナスカの口を拭っている。

 草間はヒオリが演技をしていないのはナスカといるときだけ、と言っていたのは間違いないのだろう。ライナが見た今日のヒオリはいつもの軽薄さはなく、真剣に怒り、真剣に心配し、真剣にナスカに優しくしている。


 だが、もし、自分がヒオリの立場だったら、とライナは思案する。きっと、この場で目の前の少女の首をへし折ると思った。こんな風に優しく世話をするなんて、絶対にできない。


 党が生み出した人造人間という点は同じなのに、かたや高級ホテルで食事をし、かたや血と汗を流しながら報われるとは思えない戦いに身を投じている。その違いを、彼は怒り、憎み、呪ってもおかしくはない。それなのにナスカに接するヒオリはまるで――


「そんなにじっとこっちを見てどうしたの、ライナ」

「えっ」


 意識が完全に自分の内に向いていたライナは、ナスカの呼びかけに面食らってしまった。


「あーさてはライナもヒオリのサンドイッチ食べたいんでしょ。ダメだよーあげないよー」

「いや、いらないし」

「じゃあ作った時に切った耳食う? 俺の昼飯だけど」

「だからいらないって」

「しょうがない、ボクが食べさせてあげよう」

「人の話聞きなさもごごごご」


 ライナはひとまずナスカが口に押し込んだパンの耳と一緒に、相棒への疑問を飲み込んだ。


 ◆


 同日。昼休みが終わるころ、事件は起こった。


「ねぇ、言ったの誰?」


 自分たちのクラスへ戻る際、通りがかった教室から聞こえてきた悪口を、ナスカは聞き逃さなかった。ナスカに乗り込まれ、問い詰められた、別の組の1年の教室が静まり返る。


「みんなでおしゃべりしてた時に『ビッグシスター』って言った人、いるよね。誰?」


 ビッグシスター


 それは、オーウェルが書いたディストピア小説が元ネタの、神元ナスカを揶揄する呼び名だった。インターネットで悪意はなくともよく使われる言葉のため、誰かが口走ったのだ。


「なぁ、おい、やめろって」

「ヒオリは口を挟まないで」


 後ろから止めようとしたヒオリを冷たく一瞥し、ナスカは言葉を発した者を見つけようと教室を見渡す。


「名乗りでて。でないと……」


 突如日常に現れた国家元首が匂わせた、不穏な未来から自分たちだけは逃れようと、教室にいる面々は生贄に視線を向けた。


「えっ、あっ、ぼくじゃない! ぼくじゃないです!」


 クラスメイトたちの視線を向けられた、気弱そうな男子が狼狽する。ナスカは真偽を確認せず、男子生徒の方へ早足で近づく。


「おい、ナスカ!」

「どいて」


 あくまで口頭で止めようとするヒオリを押し退け、ライナがナスカの背を追う。


 ライナはナスカに近づきながら、自分の愚かさを呪った。彼女は恋する少女かもしれない。けれど独裁者であることも彼女の一面には違いない。警戒心は解くべきではなかった

 独裁者の力が、強権が誰かに牙をむこうとするなら、止めなければならない。既に一度殺そうとしていたから、覚悟はすぐ決まった。ライナはジャケットのポケットに手を入れ、まだ隠し持っていたデザインナイフを固く握りしめたが――


「ありがとう!」


 ナスカは粛清を告げず、逆に感謝と共に両手で男子生徒の手を握った。


「えっ?」

「そのあだ名、ほんとにみんな呼んでるんだね! ネットで見ただけだったから、嘘じゃないかって疑ってたんだよぅ」

「そ、その、お怒りではないんですか?」

「全然。ボク、背が小さいのコンプレックスだったから、名前だけでもビッグってついてるのって嬉しいなぁって。ね、もっかい呼んで?」

「び、ビッグシスター」

「やったぁ! ヒオリー! ボクあだ名で呼ばれたよー!」


 ナスカは振り返ってヒオリを見るが、はっとなって男子生徒から手を離した。


「い、今のは愛情的なのではなくて、友情的なのだから! う、浮気じゃないよ!」

「はいはい、分かってるよ」


 ヒオリはやれやれと頭を振りながら、毒気がすっかり抜かれたライナの肩を叩いた。


「まっ、こういうやつなんだわ。ナスカは」

「そう」

「ナイフ、俺が預かろうか?」

「お願い。アホらしくて、自分で自分を殺しそう」

「そりゃ困る」


 棒立ちのライナと対照的に、ナスカは楽しそうにその場で回ってから、人差し指を天に向けて高らかに宣言した。


「みんなもボクのこと、ビッグシスターって呼んでね!」

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