14話 イザナミシステム


 木曜日。ライナは目の前のガラス張りと白い石壁の組み合わさった異形の建物を見上げていた。


 書記長官邸


 永田町にある神元ナスカの居所地。そして、議会というものが無くなってから、国会議事堂に代わってこの国の政治の中心となった場所。

 ホクサイでデザインされた官邸はまるでツギハギの城のようで、その巨体と、時折壁面に刻まれた不規則な彫刻が、ライナに威圧感と不気味さを感じさせた。


 放課後、ライナはナスカに呼び出されここに立っていた。「ヒオリに内緒で来て欲しい」というナスカのリクエストに従い、足を運んだ自分を情けなく思いつつ、ライナは重たい足取りで正面口に繋がる白い階段を上る。


 入口の守衛に名前を告げると、あっさり通される。ホクサイ製の彫刻が並ぶ、報道でよく見る官邸の巨大なエントランスで、ライナは独りぼっちになってしまった。


「おまたせー!」


 エントランス中央の大階段から聞こえてきたナスカの声に、不安だったライナは思わず顔を明るくしそうになったが、すぐにしかめ面に表情を戻す。階段を下りるナスカには技賀と、初めてナスカに会った時にもいた、強化外骨格パワードスーツに身を包んだ二名の護衛官が付き従っていた。護衛官の顔はヘルメットに覆われ見ることができない。


「番櫛さん、お疲れ様です。本日はどうしてこちらに?」


 年下のライナに対してもお辞儀をし、丁寧に話しかける技賀のスーツの裾をナスカは引っ張る。


「技賀、ボクが呼んだの」

「え?! 今日の公務は動かせませんよ」


 技賀は焦った様子でライナを見る。ライナの訪問は技賀の知るところではなかったようだ。


「うん、その『公務』を見せてあげたくて」

「なにを仰ってるんですか! ダメですよ!」

「いいじゃん。長官たちも暗黙の了解で知ってるし、ヒオリにも教えたし」

「ホントはヒオリくんにだって言ってはダメだったんですよ!」


 自分がいることで迷惑がかかっていることを、ライナはすぐに理解できた。ナスカに対する義理はないが、自分のようなチャラついた高校生にも優しく接する技賀を困らせたくはなかった。


「なんか、間が悪いみたいなんで帰りますね」

「帰っちゃダメ!」


 後ずさりでその場から退散しようとしたライナを、ナスカはヒオリにするように抱き着いて制止した。


「暑苦しい、離して」

「やだ! ライナに見てもらわないならボク仕事しないもん!」


 駄々をこねるナスカに根負けし、技賀は大きなため息をついたあと、真剣なまなざしでライナを見る。


「分かりました……番櫛さん、これからあなたにお見せするのは、国家の最重要機密です。口外すれば、生命の保証はできかねるとお考え下さい。情報の秘匿に同意いただけますか?」


 優し気な技賀から発せられた、脅しの言葉にライナはたじろいだ。が、すぐに肩の力を抜く。


「偽物のヒーローを政府が飼ってるよりヤバい話ですか? もうどんな話を聞いても驚きませんよ」

「繰り返します。口外しないと、約束してください」


 技賀の声に重みが増した。ライナは自分を離してくれそうにないナスカのむくれた顔を一瞬見た後、頷いた。


「約束します。ほら、これでいい? 書記長サマ」

「やったぁ! じゃあ早速行こう!」


 ナスカはライナから離れると、足取り軽くどこかへ向かう。護衛官二人もそれに付き従った。

 技賀は再びため息をつく。そして頭を小さく下げた。


「ごめんなさい、強い言葉を使ってしまって」

「いえ、別にいです。よく分からないけど、仕事なんでしょうし」

「ええ。ただ、さっきはああ言ったけど、口外したところで意味はないんですよ」


 技賀はナスカの背を見て呟く。


「だって、誰も信じませんから」


 ◆


 ライナたちは官邸のエレベーターで地下へ降りていく。辿り着いたのは広い地下空間だった。天文台にあるプラネタリウムのような雰囲気を感じさせる場所だったが、天井に星空はなく、代わりに直径10メートル以上はあろう白い球体が月のように天井から吊り下げられている。

 壁際には球体とケーブルでつなげられたコンピューターが並び、それらのマシンの駆動音と、換気口が部屋に空気を送り込む人工的な風の音が不気味に地下空間で反響していた。


「なんなんですか、ここ」

「ここ、というかこれ、と言った方が正しいわ。この部屋のすべてが『イザナミシステム』を構成するものだから」

「イザナミ……システム……?」


 聞きなれない言葉にライナは怪訝そうな顔をする。


「そうね、強いて言うなら『国家運営用政策生成AI』と言ったところかしら」


 いつの間にはナスカは服を床に脱ぎ捨て、下着姿になっていた。ナスカは長い後ろ髪をかきあげる。ナスカの首の後ろに金属のパーツが埋め込まれていることに、ライナはこの時初めて気が付いた。


「技賀ーはじめるよー!」

「はい、お願いします」

「ちょっと、ちょっと待ってください。政策生成って……この国はあいつが、ナスカが法律とかを作ってるんじゃないですか? 人工的に政治が得意な人間を政府が作ったって……」


 当惑するライナを置いて状況は進行する。球体の下には金属製の椅子があり、背もたれから伸びるケーブルの先端をナスカは躊躇いなく首の後ろに接続する。


「番櫛さん、耳を塞いだほうが良いかも」

「え……」


 ナスカが椅子に深く座ると、手すりに設置された拘束具がナスカの体を固定した。次第に天井の球体に赤い文様が浮かびはじめ、そして、


「……んっ、ひぎぃあああああああああああああ!」


 ナスカが絶叫した。地下空間がナスカの叫びで埋め尽くされる。痛みを感じているのか、ナスカは必死に椅子から逃れようとするが、拘束具がそれを阻む。

 ライナはナスカに駆け寄ろうとする。ナスカのことを好いてるわけではない。だが体が反射的に動いてしまっていた。しかし、ライナの腕を技賀が掴んでそれを阻止した。


「っ! 離してください! あいつ苦しんでます、助けないと!」

「いいえ、これが彼女の『公務』なの」


 技賀のライナを見る穏やかな表情は変わらない。穏やかなまま、悍ましい真実をライナに突きつける。


「この国はね、AIを使って統治されてるの」


 ◆


「20年前、党が独裁政権を樹立をしたときに、党から独裁者は生まれなかったの」


 ナスカの絶叫の中、技賀は語る。


「政治家たちは皆怖くなったんでしょうね。絶大な権力と責任がのしかかることに。日より見主義の日本人らしいわ」


 過去の政治家たちに対して技賀は苦笑した。


「だから過去の為政者たちはその責任を、機械に押し付けることにしたの。政権を間違いなく運営する、当時における、国内の最高の技術と知識の粋を集めて作られたAI。日本最古のことわりを定めた神の名を冠するイザナミシステムに」


 悶え苦しむナスカの真上で、球体が、イザナミシステムが赤く輝く。


「けれど、それも上手くいかなかった。イザナミシステムには重大な欠陥があったの」

「人間を繋げないと、動かない」

「そう。正確に言えば、特定条件を満たす人間を外部出力装置にする必要があった」

「なんで、そんな設計に……」


 技賀はほとほと困ったとでも言うように首を横にふった。


「分からない。私が聞いた話では、イザナミシステムのメイン設計者は政治的に過激な思想を持つ人物だったらしいわ。『システムを使う人間は、真の独裁者でなければならない』と豪語していたそうよ」

「じゃあ設計を変えたり、いちから作り直したりすればよかったじゃないですか」

「その前に設計者は自殺。イザナミシステムの基幹プログラムはあまりに複雑で、下手にいじると動かなくなる可能性があった。代替システムの製造も検討したけど、仕様の段階でイザナミシステムは越えられないことがわかっていたの」


 過呼吸に陥ったナスカの喉の奥から、乾いた音が出される。ライナはナスカから発せられる音も、告げられる真実からも耳を塞ぎたかった。しかし、名状しがたい恐怖感に体が支配され、叶わなかった。


「党の人間が一人残らずシステムの利用ができないか試したけど、誰一人として成功しなかった。だから党は作ったの『真の独裁者になりうる人間』をね」

「……神元ナスカ」

「そう。党はイザナミシステムへのアクセス権を持つ人間を作り出した。彼女の一般的に知られている来歴はすべて偽られたものよ」

「なんで、なんでこんな酷いことを」


 ライナは拳を強く握った。


「イザナミシステムがそれだけ優秀ということね。倫理を完全に無視できるほどには。ここ一世紀の間、これほどまでに誰もが幸せで長く続いた独裁政権はないわ」

「人の意志がない、機械が支配する国のどこが幸せだっていうんですか!」

「それは誤解。イザナミシステムは党の各省から集められる情報はもちろん、インターネット、各個人のリスト、ヨシュク、ホクサイの両システム。それらから集められた情報をもとに、国民が最も幸福に感じられるよう政権運営の指針を出力してる」


 怒りに肩を震わせるライナとは対照的に、技賀は落ち着き払ってナスカが脱ぎ捨てた服を拾い上げ、畳み始める。


「かねてから、独裁政権や独裁者は民意を反映させた『システム』でしかなかった。国民の声を吸い上げなくなった、過去のそれらは瓦解したけど、私たちは違う。今も民意に耳を傾け続けるイザナミシステムによる統治は、ある意味もっとも民主的な政治体系。人類の理想に近いといっても過言ではないわ」

「そんな、そんなわけ、だって、こんな……」


 ライナは恐ろしい光景と、現実に打ちのめされ、ただシステムの一部になっているナスカを力なく見ることしかできなかった。


 ◆


「書記長お疲れ様です。いかがでしたか」


 息を切らしながら、ナスカは体を起こした。技賀がナスカから優しくケーブルを引き抜く。イザナミシステムに繋がった後のナスカは、ただでさえ白い肌がより青ざめ、細い手首には拘束具によってできた痣が痛々しく残っている。システムとの接続がいかにナスカの小さい体に負荷をかけているか、ライナが見ても一目瞭然だった。


「うん、いろいろ持って帰れたよー。忘れないうちに書き出すね」


 技賀が持つタブレットに、ナスカはおぼつかない指先ででAIが出力した法案、改正案を書き出していく。ナスカが『書記長』と呼ばれる理由をライナは理解した。彼女は本当の意味で書記をこなす人間なのだ。


「なんで……」

「ん?」

「なんで私をここに連れてきたの」


 震える声で尋ねるライナ。ナスカは弱った体で笑って返した。


「ボクのすごいところ、見せたいと思って」

「すごい、ところ……?」

「うん。ライナさ、昨日ヒオリに絵を描いてあげてたでしょ」


 見られていたことに驚くべきだが、今のライナにはその余裕さえなかった。


「ボクはヒオリには絵を描いてあげられない。でも、こうやってヒオリの住む国を作ってあげることはできる。ライナと違う方法で、ヒオリを笑顔にできるんだって、証明したかったんだ」

「……」

「むぅ、なんとか言ってよぅ。すごいとか、まいった、とかさぁ」

「まいった、まいったから」


 ライナがカラカラの喉で発した答えに、ナスカは満足気に頷く。


「書記長、着替えてお休みになりましょう」

「ううん、あと2時間はやるよ」


 ライナは耳を疑った。この苦行を自分が受けるわけではないのに、足がすくみ、崩れ落ちてしまいそうになる。


「構いませんが……大丈夫ですか?」

「うん。明日はヒオリと学校に泊まりたいし、文化祭の日は夜までいたいからその分の仕事しないと。ね、ライナ。前の日は準備で学校に泊まる人も多いんだよね」

「え、ええ……」

「じゃあ頑張らないと!」


 ナスカは再びシステムに接続しようとする。ライナの顔色が悪くなっていたのを察してか、技賀はライナに耳打ちした。


「嫌なものを見せてごめんなさい。今日はもう帰っていいわ。書記長には私から話しておくから」


 ライナはただ黙って頷いて、一人地下を後にする。


 その日、ライナは池袋じもとにまっすぐ帰った。補導時間が過ぎても騒がしいゲームセンターにいた。誰もいない家に帰って、鼓膜が破れそうになるくらいの大きさで音楽を聴いた。だがそれでも、ライナの耳にこびりついた、システムと繋がっているときのナスカの悲鳴が消えることはなかった。

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