4話 特広対 -トッコウタイ-


 ライナは恐る恐る、人気のない美術館の中へ足を踏み入れた。外に張り巡らされた鉄骨の影がエントランスをチェスボードのように分割していて、ライナはさながら歩兵ポーンのコマのようにその中を進む。

 エントランスには巨大な柱のような、逆三角形状の構造物がそびえ立ち、ライナにこの空間が宇宙船の一部であるかのような錯覚を覚えさせた。


 ふと、ライナの視線の先に受付カウンターのようなものが見えた。カウンターの中にはボブショートの女性が座っており、何かをするわけでもなく、ただ真正面をじっと見つめていた。あまりにもその女性が微動だにしないものだがら、ライナは女性がマネキンか何かの類ではないかと勘違いしそうになった。


「あのーすいません理日田って人に連れてこられたんですけどー」


 ライナの声がエントランスに木霊する。すると受付の女性の首から上だけが動き、ライナの方へ顔を向けた。不気味さを感じさせる挙動に、ライナは思わず一歩後ずさる。女性はまるで幽霊のように音もなく立ち上がると、ライナの方へ近づいてきた。

 見た目は遠目で見ると、普通の女性だった。パンツスーツ、白いシャツ。上着は着ておらずカジュアルさを感じさせるオフィススタイル。だが距離が縮まるにつれ『普通』などという言葉が間違いであることにライナは気づかされた。

 その女性を一言で表すなら『大きい』だった。太っているだとかスタイルが良いとかではない。ただ純粋に大きかった。

 身長は恐らく190センチ代。広い身幅と見下ろす視線は、ライナに思わず顔をうつ向かせるだけの威圧感があった。そうして目に入った黒いパンツに包まれた足も、丸太のような太さがあり、太ももに挟まれたが最後、自分の細首などは一瞬にして折られそうだと、ライナに現実的な命の危機を感じさせた。


「……草間です。よろしく」


 目の前の女性、草間はライナに地の底から響くような声でそう告げた。


「えっと、番櫛ライナです。その、よく分かんないまま来ちゃって……」

「長官から話は聞いた。案内する」


 草間はライナに近づいた時と同様に、音もなく歩きはじめライナを先導する。少し離れて後に続いたライナは展示室と書かれたパネルを通り過ぎ、生体認証つきのドアをくぐると、温白色の蛍光灯が優しく照らすクリーム色の壁に囲まれた空間に入った。


「わ……すご……」


 元美術館のメイン展示室の壁際には雑多な、けれどもライナがずっと憧れていた物品たちが、ひっそりと埃を被って佇んでいた。


 キャンバスに、それを立てかけるイーゼル

 段ボールに箱詰めされた、日本ではもう手に入らないドイツ製高級油彩絵具セット

 ストリートのアーティストたちが愛用したカラースプレー


 その他、ライナが見たこともない、名前も知らない画材道具がずらりと並んでいた。かつて美術館ではワークショップを定期的に開いていて、芸術家への裾野を広げる試みをしていたと、ライナはネットのアングラ記事で読んだことがあった。そういった過去の素晴らしい文化の残滓が手に触れられる距離にあることが、ライナに自分の状況を忘れさせるほどの喜びを与えた。


「すごい、夢みたい」

「気になる?」

「はい! こんなにたくさんの画材道具、見たことなくて!」


 ライナは後ろから呼び掛けてきた草間に目を輝かせながら振り向いた。


「私、ずっと絵が描きたくて……って、すいません、はしゃいじゃって。絵を描いたからここに来たのに、バカみたい」


 気恥ずかしさと、自己嫌悪で顔を暗くするライナ。だが草間はライナを窘めることはせず、感情のない視線を画材道具たちに向けた。


「……私や彼は縁がなかったけど、あなたならちょうどいいかも」

「え?」

「こっち、彼が待ってる」


 ライナは画材道具を名残惜しく横眼で見ながら、再び歩みを進めた草間を追いかける。次第に壁際に寄せられていた物品の種類が変わってく。


 武器棚ガンラック

 弾丸が納められた木箱

 そして、トルソーにかけられた、ステインが纏っていた漆黒の戦闘服

 

 ライナが壁際から展示室の中央に視線を移すと、作業台の近くに立って機械部品をいじる鍵巣ヒオリの姿があった。


「おっ、番櫛! よく来たな!」

「鍵巣くん」

「おっと、こっちの顔の方が見慣れてるよな」


 ヒオリは作業台の上に置いていた黒縁眼鏡をかける。


「実はこれ伊達メなんだよ。ちょっとした変装みたいなもんなんだけど、賢そうに見えるだろ?」


 伊達眼鏡なんかよりも、ヒオリの火傷を覆うための包帯が巻かれた手首と、その先の手のひらにライナの視線が向いた。手には作業のためか軍手がはめられていたが、そこには昨日、ライナがナイフを突き刺し出来た傷が今もあるはずだ。


「ノーコメント? ちょっとショックだわ」

「いや、なんかもうそれどころじゃなくて」

「だよな。改めて言うけど巻き込んで悪い。理日田のおっさんから詳しい話は聞いてるか?」

「ううん、あんたと監督官って人から聞けって」


 ヒオリは分かりやすく肩を落として落胆する。


「ったく、理日田のおっさん仕事をさぼりやがって。あ、監督官ってのはここまで案内してくれた草間さんのことな」


 草間が表情筋を動かさず、ライナの視界の端で手を振った。


「ってか、ここはなんなの? なんであんた……反逆者『ステイン』が役人の部下みたいな扱いなわけ?」

「疑問はごもっともだ。説明しよう! 俺たちは大日本共和国、治安省の影の組織、人知れず国を守る闇の守護者、その名もぉ……」


 草間が作業机をドラム代わりに、工具でドラムロールをする。


「『特殊広報対策室』略して『特広対トッコウタイ』!」


 草間がドラマロールを止め、手首のリストを押す。直後、ライナの頭上から紙吹雪と垂れ幕が降ってきた。ライナが頭上を見上げるとくす玉が口を開けていた。


「「ようこそ! 特広対トッコウタイへ!」」


 ハモりながら大仰に手を広げるヒオリと草間を、ライナは『歓迎! 番櫛ライナ様! 特広対一同』と書かれた垂れ幕を押し退けながら冷ややかな目で見た。


「あのさ、もっとマシな略称はなかったわけ?」


 ◆


「では、特広対がどんな組織が詳しく説明しよう」


 学芸員がかつて使っていた椅子に座ったライナにヒオリは語る。二人の足元には、くす玉から散らばった紙吹雪が散乱したままだ。


「まず特広対の起源から。元は共和国中野学校の流れを汲む、治安省秘密警察が母体で――」

「ごめん、そういうタルいのはすっ飛ばして、何やってるかだけ教えて。今、頭が回ってないの」


 ここ24時間でライナの脳に詰め込まれた情報量は、既にライナのキャパシティを越えていたし、そのせいで精神もすっかり参ってしまっていた。


「それもそうだ。チュートリアルが早めに終わるに越したことはない。ホクサイ【神元ナスカ 先週発売のラノベの表紙風 俺の検索履歴から好みのイラストを参照し加筆】で頼む」


 草間がヒオリの背後に設置した、教室にあるものよりは小さい電子黒板に神元ナスカが表示される。指定したプロンプトにより、現実よりもグラマラスに描かれたナスカの姿に、ライナは顔をしかめた。


「この国の政府は、神元ナスカを国家元首てっぺんとし、その下に各省が存在する。神元ナスカの生み出す各種法案やら改正案やらをを元に各省が動き、政治を回してる。まぁ単刀直入に言えばガキがトップの独裁政権なわけだ」


 ヒオリはナスカの下のスペースを指でなぞり、線を何本か作り出す。線の先にはそれぞれ「治安省」「農林水省」「宣伝省」「浄火省」「etc」と書き込み、簡略的な政府組織の概略図ができあがる。


「旧世代の失敗した連中と違って、この国の独裁政権は上手く機能してる。俺たちはとりあえず衣食住に困ってないし、反政府的な思想の本を読んでも逮捕されないし、独裁者をディスっても死刑にならない。ほとんどの人間は幸せに生きてる」


 ライナが異議を挟もうと腰を浮かせたのを、ヒオリは軍手をはめたままの手で制した。


「でも全員がハッピーで満足してるわけじゃねぇ。失業者はゼロじゃないし、政策のせいで損をするやつもいる。それに……」

「きゃっ! ちょ、何勝手に撮ってんのよ!」


 ヒオリは隠し持っていたポラロイドカメラでライナの顔を不意打ちで撮影した。カメラから写真が排出される。


「番櫛みたいなテロリスト志望のやつもいる。政府に不満を持つ人間は、絶対にいなくならないんだ」


 ヒオリは何度か写真を振ってから、像がはっきりしない写真を電子黒板にテープで止める。写真近くに『Fuck Kamimoto!』と吹き出しも付け足した。


「私はテロリストじゃない。アナキストで、ただ絵を描きたいだけのアーティスト」

「今じゃどれも同じ意味だろ」

「同じじゃない。訂正して」

「同じだ」

「訂正しないと蹴り飛ばす」

「テロじゃねぇか、その脅しは!」


 ライナの脅迫に根負けしてヒオリは首を縦に振った。


「オーケー、アナキストガール。ともかく番櫛みたいな『国家の危機の卵』ってやつは結構いるわけ。そこで俺たち特広対の出番だ」


 ヒオリは「ブックマーク1」と言って手を叩く。するとナスカの横に、燃える街をバックにした、クールな立ち姿の漆黒のヒーロー、ステインが表示された。


「国民みんなを相手に、分かりやすい『反逆者のヒーロー』を演出して見せる。例えば悪の親玉を倒そうとしたり」


 ブックマーク2。神元 ナスカに拳銃を向けるステインの画像。


「党の施設を破壊したり」


 ブックマーク3。党の施設に爆弾をしかけるステインの画像。


「腐敗した警官に襲われた美女を助けるヒーローをな」


 ブックマーク4。フライトジャケットを着た美女を抱き寄せVサインをするステインの画像。いつの間にか、ステインが主人公のコミックページのようなものが、電子黒板には出来上がっていた。


「さて、ここで問題。こういうヒーローの活動を見ると『国家の危機の卵』ちゃんたちはどうなると思う?」

「……立ち上がって独裁政権を倒すための革命を起こす?」


 小首をかしげるライナに向って、ヒオリは意地悪な笑みを浮かべて両腕で×印を作った。


「ブッブー。正解は、溜飲を下げて何もしなくなる、だ」

「はぁ? ヒーローが立ち上がってるのに?」

「そうだ。大抵の連中は「ああ、ステインが自分の代わりに戦ってくれてる。じゃあいちいち僕私が事を起こす必要はないんだ」と、国家に向けようとした刃先を下に下ろすのさ」


 ヒオリは電子黒板の後ろに移動しライナから姿を隠す。


「こういった『特殊な広報活動』で国民が犯罪者になってしまうのを防ぐのが、俺たち『特広対』の仕事だ。言うなれば、現代版ガイ・フォークス人形ってとこ」


 にやけた口元のひげを生やした男が、電子黒板の後ろから姿を現す。ガイ・フォークスの仮面を被ったヒオリだった。国民を騙していることに罪悪感を感じていないその態度が、ライナは気に入らなかった。


「……ホクサイ【ステインの全コマ 縛り首で燃やされているステインに置き換え】」

「ああっ! なんてことを! せっかくよく描けてたのに!」


 電子黒板のステインたちが、ガイ・フォークス同様、刑に処されている絵に変わるのを見て、ヒオリは仮面を投げ捨てながら嘆いた。


「まぁ、いいや。こういう活動を俺たちはやってる。俺は主演としてステインを担当。草間さんは監督官として裏方仕事をやってもらってる。特広対の一員になったライナには、俺の相棒サイドキックとして活動を手伝ってもらいたいんだ」


 ライナを写したポラロイド写真が燃えるステインの近くに張り替えられる。写真はすでに現像が終わり、驚いたライナの顔がはっきり見てとれた。


「すまん、番櫛を助けるにはこの方法しかなかった。理日田のおっさんに頼み込んで、番櫛は昨日から特広対の一員ということにしてもらったんだ。だから昨日あった諸々は、特広対の演出、広報活動扱いになって、お咎めなしになったってわけ」


 ライナは下唇を噛んだ。自分が決死の思いで及んだ行動が、国家ぐるみの猿芝居にされたことが悔しかった。けれども、そうやって自分を庇うためにヒオリがどれほど骨を折ったのかを想像できないほど、ライナは子供ではなかった。文句が口から出ないよう堪え顔を険しくするライナを気遣って、ヒオリは精一杯おどける。


「ああ、俺の方が特広対では先輩だけど、気は遣わないでくれ? なんなら名前で呼び捨てにしてくれていい。俺もライナって呼ぶからさ」

「バカヒオリ。ふたつ質問があるんだけど」

「ライナさん距離感測るの下手クソか?! とりあえず聞くぜ」


 両手を広げて、どんとこいとヒオリは質問を迎え撃つ体勢を取る。


「ひとつめ。あんたたちの活動を見て、国民は何もしなくなるって言ってたけど、絶対に影響を受ける奴はいるでしょ? 少なくとも、私はステインがあんたって知らなければ、あんたの存在に励まされて過激な活動を始めたと思うし」


 理日田から言われた言葉を棚に上げたライナの質問に、ヒオリは首と手を振って半笑いで答えた。


「ないないないない。俺は見たことないけど、ステインが活動すると、国民全体のヨシュクシステムの危険度の値がかなり減るらしい。どこまでも他人任せなんだよ、日本人は」

「私は違う」

「いや、多分同じだ。何度かライナみたいな子を助けたけど、誰一人としてミス・テロリストになったとこを見てねぇ。イケメンの彼氏を連れてデートしてるとこを見たことはあるけどな」


 ヒオリは両手で顔を覆ってわざとらしく悲しむフリをした。ライナはそのおふざけを無視する。


「でもゼロじゃないはずでしょ! だったら意味ないじゃん!」

「確かにな。でも仮面のヒーローなんておかしい奴に影響されるようなのは、きっと何見ても犯罪に走る、もっっっとおかしい奴だろうよ。そこまでやべぇのはヨシュクシステムで事前に察知されて、治安省の正規の部署が対応してる」


 あくまで自分たちはワクチンのようなものだ、とヒオリは語る。自分の反骨精神がここでも否定されたことに、ライナは内心腹を立てたが、ヒオリがライナの危険度を理日田から聞いていないとも言い切れず、恥の上塗りになる前に話題を逸らした。


「じゃあふたつめ。なんでそんな国家ぐるみの陰謀に、あんたみたいなただの高校生が起用されてるわけ?」


 ヒオリは舌を二度打つ。


「考え方が逆だ。俺のライフスタイルは特広対の仕事がメインで、学業はサブなの」

「だとしてもおかしいでしょ? あんただって私と同じ子供なのに、こんなことやってるのは」

「おいおい、仕事をしながら夜間学校に通う高校生はたくさんいるんだぞ。俺は夜に仕事してるだけで、それと同じだ。それともあれかー? ライナはそういうの差別するタイプかー? よくないなぁ、そういうの!」

「あーうざい! もう分かったから!」


 ライナが睨みつけるのとは対照に、ヒオリは満足そうに頷く。


「ご理解感謝する。さて、じゃあ早速やってみようか」

「なにを?」

「言ったろ、手伝いをしてもらうって。チュートリアルはこれで終い」


 ヒオリは作業台から、ライナが来るまでいじっていた物体を手に取り、ライナへ優しく下手したてに投げた。ライナは取り落としそうになりながらも、なんとかそれをキャッチする。


「早速実戦だ。党の施設を爆破しに行くぜ、アナキストガール?」


 ヒオリから受け取った、今ライナの手元にある物体が爆弾であることが、ライナの素人目でもはっきりと理解できた。

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