3話 ホクサイってなに?


 放課後。ライナが校門を出たところで、それは待ち構えていた。

 黒塗りのリムジンが高校の目の前に停まっていて、黒いスーツに身を包んだ厳つい男性がその横に立っている。


「番櫛 ライナさんですね。ご同行願います」


 スーツの男に臆せずライナは睨み返す。


「お断りします。知らない人の車には乗らない主義なので」

「乗らなければ、きみも鍵巣も不利な立場に追い込まれることになる」


 リムジンの窓が開いていて、そこから冷たい声が響いてくる。座っている場所のせいか、ライナからはその声の持ち主の顔を伺うことができなかった。


「ステイン関連事案に関わったきみが取れる選択肢は少ない。2度目の警告はないと思ってくれて構わない」


 一方的な命令口調がライナは腹に据えかねた。相手がどんな顔か拝まなければ気が済まなかったし、状況次第では何かされる前に殴り飛ばしてやろうと意気込み、ライナはスーツの男を押し退けリムジンの後部座席に乗り込む。

 リムジンの後部座席は向かいあって座れるゆとりのあるシートで、上等なスーツに身を包んだ細身の男がライナと対峙するように座っていた。オールバックで鋭い目つきをした目の前の男を見て、ライナは猛禽類を連想した。冷静沈着で、慈悲なき狩人。ライナが今まで関わったことのないタイプの成人男性だった。

 外にいたスーツの男が助手席に乗り込むと、ライナの目の前の男が「六本木7丁目、対策室へ」とリムジンに搭載されたAIに指示をだす。リムジンはAIによる自動運転機能により静かに走り出した。


「リストを」


 男が白色のリストを着けた左腕を突き出す。ライナがしぶしぶ自分の黒いリストと重ねて離すと、ライナの手元に小さな立体映像が浮かび上がった。


「これはご丁寧に」


 ライナは嫌味を吐きながら、リストから投影された電子名刺を見る。


大日本共和国 治安省

 長官

 理日田りひたコウジ


 治安省。この国の警察の運営、管轄する組織。ライナの目の前にいるのはその最高責任者だった。


「そちらからの学生証の提示は必要ない、番櫛ライナ。きみについては家族構成も含めて把握済みだ」

「へぇ、お役所は脅しも四角四面なんですね」

「役所に『お』はいらない。そう言われて不機嫌になる官公庁の人間も多い。今後のきみの活動を考えれば、気を付けたほうが良い」

「すいませんね。なにせ昨日、あなた方『お』役所の末端の末端の末端のゴミみたいな連中から、性的暴行を受けそうになったものですから。気遣いをする心の余裕が1ミクロンもないんですよ」


 理日田は深いため息をついた。


「その件は鍵巣から報告を受けている。当該警官のきみへの行いは明らかな犯罪行為だった。治安を維持する機構の人間として忌むべき行動で、懲戒解雇が妥当と判断し、既に実行された。誠に申し訳なかった。組織の長として陳謝する」


 理日田はシートに座ってこそいたが、ライナに深く頭を下げた。処分内容は生温く感じたが、自分よりも遥かに高い立場にいる人間、かつ先ほどまで敵対視していた人間があっさりと非を認め謝罪したことが、ライナには全くの予想外で言葉を失ってしまう。


「だがその件と、きみの絵画作成及び、我が国の国家元首暗殺未遂は別の問題だ」


 ライナは息を呑んだ。顔を上げた理日田の顔は再び冷たさを宿しており、その鋭い視線はライナを突き刺すように捉えていた。


「本来であれば矯正施設へ即入所。暗殺未遂も加味し40年の服役が適用されるはずだ」

「ちょっと絵を描いただけで、あまりに横暴です!」

「刑法上の運用として誤った内容ではない。だが今回の件はこちら側の過失と鍵巣の嘆願を鑑み、条件付きで服役を撤回する用意がある」


 ライナは理日田の言葉に引っ掛かりを感じ続けていた。なぜ警察組織の長が、仮面の反逆者である鍵巣の名前を出し続けるのか。しかも部下のように。しかしライナの疑問は理日田の言葉で一瞬のうちに心の隅に追いやられた。


「昨日付けできみは、治安省内のある対策室の構成員となった。きみは大日本共和国のために心骨を砕き、治安を守る崇高な職務を遂行することになる」

「はぁぁぁ?!」


 言葉の意味が受け入れられず、抗議のため立ち上がろうとしたライナは、勢いよく天井に頭をぶつけリムジンを揺らした。


「狭い車内で興奮しないでくれるか?」

「興奮しない方がおかしいでしょ?! あんたたち頭おかしいんじゃないの?!」


 ライナは頭部の痛みと理解不能な理日田の言葉によって眉間にしわを寄せる。


「私はアナキスト。あんたたちの大事な、神元・クソガキ・ナスカ・ファッキン書記長を殺しかけたの! そんな人間を警察で働かせるってどうかしてるでしょ?! 何?! 霞が関のお偉いさんたちの中で自爆テロでもしろっての?! いいわ! やってやろうじゃないの!」

「いや、きみはそうしない。ほぼ確実にだ」

「なんでそうなるのよ?!」

「リストを」


 激昂するライナの前に再び理日田の腕が突き出される。ライナは半ば叩きつけるようにリストを重ねた。

 ライナの手元に表示されたのは今度は名刺ではなく、履歴書のようなものだった。ただし理日田の情報ではなく、ライナの経歴が載っていて、髪を染める前のライナの不機嫌そうな顔写真が添付されている。


「……なにこれ」

「治安省ではAIによる監視システムを導入している。当該人物の経歴、家族構成、リストから収集された各種情報を分析。その人間がどれくらいの確率で国家に危機的な行動をとるかを数値化するものだ。名を『ヨシュクシステム』。きみの手元にあるのは、ヨシュクシステム上のきみのデータだ」

「信じらんない、プライバシーって概念はあんたたちにないの?」

「きみを襲ったような末端の構成員は見ることはできないようになっているし、システム導入により国家に対しての重大な犯罪は未然に防ぐことができるようになった。安全保障上、致し方ない運用だというのが政府の見解だ」


 ライナは気に入らなかった。システム自体も、それを淡々と正当化する理日田も。舌打ちをして手元の情報に目を通す。顔写真の横に大きく『2%』と表示されていた。


「2パーって……私、随分な社会不適合者みたいですね。こんなクソ社会、適合したくもないですけど」

「逆だ。100%を上限とし、数値が高くなるほど国家に対しての危険度が高い人物と判断される。きみぐらいの年齢なら平均値は30%といったところだ」

「……何も知らない子供だからって、嘘つかないでくださいよ」


 ライナは理日田の言葉の意味が即座に理解できない。いや、理解したくなかった。だがライナから見た理日田の表情は動かない。嘘を誤魔化す気配はライナには感じられなかった。


「私は国家元首を殺そうとしたんですよ。なのに、そんなに低い数字だなんて、絶対に、おかしいですよ」

「こちらとしても不思議に思っている。だがヨシュクシステムの信頼度は高い。でなければ政府機関での運用などもっての他だからな」

「嘘だ、壊れてるんだ。そのなんとかってシステム……」

「きみにとっては残念だが、事実だ。ゆえにきみが治安省の公務に関わっても問題がないと結論付けられ、こうやってチャンスが与えられている」


 ライナはシートの上で崩れ落ちてしまいそうになるのを必死にこらえた。反抗的なのが、政府の言いなりになんかならないという気概が、ライナのアイデンティティーだった。それが否定をされたことを認めれば、自分自身が壊れてしまいそうな気がして、目の前の情報を受け入れられない。ライナは震える唇で何とか自分らしくあろうと言葉を吐き出す。


「私は政府の、独裁者の言いなりになんかなりません。さっきの話も断ります」

「矯正施設ではそんな態度も一日で取れなくなる。それに……」


 理日田は続く言葉を言うべきか迷っていたが、ショックで目の焦点があっていないライナは気がつくことができない。理日田は短く息を吐いて話を続ける。


「今回の服役撤回は鍵巣ヒオリの嘆願によるところが大きい。きみが断れば彼の立場も危うくなる。それは避けたいだろう?」

「知らないわよ! なんであいつの名前がこんなにたくさん出るんですか! わけわかんないですよ! あいつは……仮面の反逆者、テロリストなんですよ! なんであいつと治安省のトップが……あいつと神元があんな関係なのよ!」


 自分の中の常識が短時間で次々と崩されたことで、ライナの涙腺は決壊する。対する理日田は眉一つ動かさなかった。


「残念ながら、私から口頭で伝えることはできない。鍵巣が所属し、これからきみもその一員となる対策室に関しては、表向き存在しないことになっている」

「なにそれ、わけわかんない」

「今は理解は求めない。詳細な内容は鍵巣と彼の監督官から聞け。私からは以上だ」


 リムジンが止まった。どうやら目的地に到着したようで、ライナの降車を促すよう扉が開いた。


「……最後にひとつだけ教えて」

「手短に頼む」


 ライナは赤くなった目元を努めて吊り上げて理日田を見据えた。


「なんで規制されるのが絵だけなの?」


 いつか政府の人間に会ったらぶつけようと思っていた質問だった。こんな形で投げかけることになるとは、ライナも予想していなかったが。


「精神を病む原因になるとか言う大人もいるけど、そんなの嘘。だって昔は国家が美術館を運営してたんでしょ、世界中で。だったら、とっくの昔にみんな病んでるはず。違う?」

「さあな。皆が病んだから、世界は悪い方向へ向かったのでは」

「誤魔化さないで。過去に存在した独裁政権が規制するのは、いつだって考えを広めるのに便利な本やメディアだった。なのに、なんでこの国は絵なの? あんた治安省で一番偉いんでしょ。なら理由も知っているはずでしょ?」


 理日田は首を横に振る。


「私はあくまで法律を運用する立場にいるだけだ。定められた理由は職務に必要ではない」

「ふざけないで、作られた理由も知らないものを仕事で使うなんて、ありえない」

「そんなことはない。きみのジャケットのワッペンは自分でデザインしたのか?」

「……いいえ、ホクサイで作った。本当は自分でデザインしたかったけど」

「そうか。ではホクサイシステムの『ホクサイ』とはどういう意味か知っているか?」


 ライナは答えに窮した。

 名前の由来なんか知らなかった。ただなんとなく『白菜』に似ているなとか、政府が作ったAIだから名前がダサいな、くらいにしか考えていなかった。


「もちろん由来がある。だがきみは、国民の大半は由来を知らない。それでも正常に機能している。人々の生活を支え、きみのジャケットに個性を与えている。それと同じだ。知らなくとも、国民を守ることはできる。きみも含めた国民を守るのが、私の仕事だ」


 ライナは反論しようとしたが、考え直して口を閉ざした。分かり合えない相手と議論を続けるのは時間の無駄に感じたからだ。リムジンから降りたライナの背に、理日田は投げかける。


「番櫛ライナ。答えは自分で探せ。誰かに与えられた言葉から、答えなど求めるな」

「……ご忠告どうも」


 ライナが後ろ手にドアを強く閉めると、リムジンはすぐ走り出しその場から消え去る。


「ここって……」


 リムジンの目的地、ライナが送り届けられた場所には異様な建造物がそびえ立っていた。

 うねったような巨大な外壁。その壁一面に張り巡らされた格子状の白い鉄骨。誰かが明確な意図をもってデザインしたこの建物を、大人たちが「悪しき文化の残骸」と評していたことをライナは思い出す。


「……美術館だ」


 かつて絵画が集まった場所。巨匠たちの才能が惜しみなく披露された場所。今は都市の化石となった場所。それが今、ライナの目の前にあって、建物がその鉄骨に宿す意志に、ライナはただ圧倒された。

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