2話 くたばれ、神元書記長!


「えー皆さんも知っての通りですが、20年前、世界は戦争、疫病、食料及びエネルギー危機に直面。地球全体が混乱の真っただ中でした」


 言葉の剣呑さとは裏腹に、昼休み直後の授業を進める教師の声は、実に気が抜けていて間延びしたものだった。それが伝染したのか、それとも昼食後で皆眠いだけなのか、もしくはその両方か。ライナのいる教室は気だるい空気で満たされていた。


「我が国も例外ではなく、この国難を乗り切るため、政府は一党による強力な政治体制を確立。この時から政党が複数存在することは無くなりましたから、現政権を含めて『党』という名称が日本での政府の名称になったわけですね。ここテストに出しますからね」


 ライナの隣の席の女子があくびをした。この話をライナたちの世代は毎年授業で聞かされていた。だから教室の誰もがろくに授業を聞いていない。それってただの独裁政治じゃない、と心の中で糾弾するライナを除いては。


「しかし、既存の政治家や官僚機構を流用した、一党による政権は汚職や政治の停滞を生むわけですね。もちろん、それに国民は反発しました。先生も若いときは――」


 教師の苦労話が始まる。反政府運動をして捕まりかけたという教師の武勇伝は、ほとんどの生徒にはどうでもいい内容だ。


「大変だったんですよ。政府の悪口を言われないよう、当時の党はネットはもちろんのこと、小説や映画、ゲームなんかも禁じました。娯楽のない、寂しい時代でしたよ」


 ライナは教科書を表示したタブレットから顔を上げた。

 寂しい時代。それにはライナは同意できた。絵を描くことを禁じられているだけでも辛いのだ。当時の人間はそれ以上に苦しい思いをしたに違いないはずだと、ライナは先人たちに同情を寄せる。だがそんな優しい気持ちも、電子黒板に表示された人物写真を見て怒りに置換された。


「ですが10年前、我らが偉大なる指導者、神元ナスカ書記長が国家元首に就任され、我が国の問題は一気に解決へ向かいました」


 神元ナスカ

 

 この国を牛耳る独裁者。そしてライナが殺そうとした少女が電子黒板に写っている。写真の中の黄金色の瞳が、ライナを見返していた。


「神元書記長は通常の人間ではあられません。我が国を公平かつ正常に導くために作られた人造人間であらせられます」


 人造人間


 神本ナスカは人の腹から生まれていない。試験管の中で育ち、生き物としての形を成す前に様々な調整をされた人工生命体だ。追い詰められた当時の政府と国民が、このヒトモドキに縋ったこと。そして今も皆がそれを受け入れているという醜悪な事実に、ライナは嫌悪感と憎しみをいつも感じている。


「神元書記長は当時4歳でしたが、この国を抜本から改善し数多くの問題を解決されました。理想の国家元首としての才能をお持ちになって、お生まれになられたからですね」


 何が理想の国家元首だ。実物はちんちくりんの子供のくせに。そう教師に言う代わりにライナは机の下で中指を立てる。


「神元書記長はまず政権運営を担う人員を40歳以下に設定。凝り固まった老人より、若く挑戦的な人材を登用する素晴らしい政策です。他にも20年前に施行された各種規制もほぼすべて撤廃されました。今では言論、集会、出版全てが自由です。政府への批判や抗議活動すらも許されているんですよ」

「くたばれ、神元書記長!」


 クラスの中で2番目にお調子者の男子が大きく囃し立てた。1番のお調子者は今日は休んでいる。教室が笑いでどよめき、教師が苦笑しながら教卓を叩いた。


「静かにー。昔だったら今のは銃殺刑です。寛大な神元書記長のおかげで彼は生きているわけですね」


 3番目のお調子ものが2番目のお調子者を銃で撃つジェスチャーをする。またクラスメイト達が笑った。無駄に教養のある1番目のお調子者がいたら、きっと気取った態度で「首吊り、内臓えぐり、四つ裂きの刑だ!」と言っただろうと、ライナはぼうっとクラスメイトの即興劇を眺めながら考えた。


「現在も規制が撤廃されていない活動としては、海外への渡航と、AIを介さない絵の所持及び作成の3点が残っています」


 ここでも教師は苦笑いをした。


「ですがまぁ、これらをやりたがる人はいないでしょう。外国は日本とは違い、いまだに情勢が不安定と聞きます。それに絵を描くことは人の精神を乱し、心を病む原因にもなるとも言われていますからね」


 昨日までのライナだったら、ここで仮病を使って授業を抜け出しただろう。教師はライナが昨日、絵を描いていたことを知らない。だが、だからといって自分や同じような嗜好をもつ人間を小馬鹿にする、ヘラヘラした教師の態度は我慢ならなかったはずだ。ただ今のライナはいち教師の言動よりも、遥かに深刻な問題に直面していたため、その不愉快な態度を流すことができた。


「代わりに便利なものが普及しましたしね。ホクサイ【うちの高校の校長 ギャグ漫画風 黄色いスーツ】」


 教師が電子黒板に向って命令すると、画面の中にデフォルメされた校長のイラストが即座に現れる。鼻水を垂らしながら輝かしい禿げ頭のキャラクターに教室一同が笑った。堅物の公民の教師がこのイラストを生成させたギャップもまた、ライナのクラスメイトたちには受けたようだ。


「このように電子黒板やタブレット。皆さんの着けているリストに搭載された汎用絵画作成AI『ホクサイシステム』、略してホクサイのおかげで、誰でもしっかりとした、そして綺麗な絵を即座に、かつ無料で制限なく作成できるようになりました。きみ、ホクサイのすごいところは?」


 指名された先ほどまで騒いでいたお調子ものの男子は、にやつきながら答えの代わりに電子黒板に命令した。


「ホクサイ【校長を走らせて】えっと【くっそでっかい書記長から逃げる感じで】」


 瞬時に校長の背後に、怪獣のように巨大化したデフォルメ神元ナスカが現れ、二頭身校長に火を噴いた。校長が飛び上がって汗を飛ばしながら逃げ出すところで、教室の笑い声は最高潮に達した。


「はい静かに。でも正解です。このように簡単にアニメーションを作ることも出来ます。想像力さえあれば誰でも絵描きやアニメーターになれる、良い時代です。でもこの笑える絵は削除しましょう。私がクビになっちゃいますから」


 えぇぇぇ。という生徒たちの声。何がえぇぇぇだふざけるな、と言う代わりに、ライナは机に突っ伏した。心血を注いでこそ、魂を込めてこそ、人の心が動かせる絵が描ける、というのがライナの持論だ。道具としてのAI技術の全てを否定するつもりはない。ライナの着ているジャケットについてるワッペンだって、全部ホクサイがデザインしたものだ。

 けれども、この心を持たない、うすっぺらな機械が自分の代わりに絵を描くことが憎くてしょうがなかった。


「ところでせんせー」


 3番目のお調子者が声を上げる。ライナはこの男子の声が嫌いだった。


「絵を描くのと、神元書記長を殺すの、どっちが罪が重いですかー?」


 クラスのにぎやかな馬鹿笑いの中、ライナはこの場に似つかわしくない青ざめた顔をして頭を起こした。教師が顎に手を当て唸る。


「冗談でも言っていいことと悪いことがありますよ。でも、強いて言うなら絵を描く方でしょうか」


 ひゅう、とクラスの誰かが口笛を吹く。自分のやったことがクラス全員にバレているんじゃないかという考えが、ライナに恐怖で玉のような汗をかかせた。


「法律上、みなさんの命も、神元書記長の命も、価値は同じものです。現実とは逆に、巷を騒がすステインが神元書記長の暗殺に成功し、そして逮捕されたと仮定しましょう。その場合は通常通り裁判が行われ、弁護の内容やステインの犯行に至った経緯によっては、執行猶予がつく可能性すらあります」


 ライナは自分を助けてくれた、そして神元ナスカに求愛されていたヒーローが、仮面のまま法廷で裁判を受けるシュールな姿を想像して、なんとか恐怖心を心の隅に追いやろうとした。


「ですが絵を描いた場合は別です。基本的には即座に矯正施設へ入所となり、最低でも20年の服役。悪質な場合は略式裁判の上、死刑が確定します。はい、ここもテストに出しますからね」


 脇道にそれかけた授業が再び通常のルートに戻った。教師の声とタブレットを指で叩く音だけが教室に響く。


 そう、本来ならライナはここにいないはずなのだ。


 まずは昨日、絵を描いたところを警察官に見つかったところで、教室には居られないはずだった。幸運にもステインに助けられたことでそれは回避された。しかし、その後の神元ナスカを殺そうとしたことですら、この教室からライナを排斥するには至らなかった。


 ライナは昨日のことを回想する。ライナが振り下ろしたデザインナイフは、神元ナスカの首元ではなく、それを庇ったステインの手の甲に突き刺さり、誰の命も奪うことができなかった。即座に神元ナスカの護衛官がライナを拘束しようとしたが、ステインがナスカと護衛官に何かを話したことにより、ライナは即座に解放された。ステインは怯えたライナにこう告げた。


『巻き込んで悪りぃ。とりあえず、今日はまっすぐ家に帰ってくれ』


 ステインの言葉通り、昨日はすぐ家に帰った。その後、夕飯を一人で食べ、風呂に入り、両親の帰りを待つことなく就寝し、そして今日、いつも通り通学し授業を受けている。警察が家に上がり込んでくることも、強制施設に送られることも、両親が警察から話を聞いてライナを説教することもなかった。いつも通りの日常がライナを取り囲んでいて、それがライナには不気味に感じられた。


 ライナは教室の中の、ある空席を見る。そこには普段、クラスいちのお調子者が座っている。バカで下ネタが酷くて、でも、どこか文学的で人の嫌がることはしないので『無理』や『なし』と、女子から言われることは少ない男子、鍵巣ヒオリの席だ。反逆者ヒーロー『ステイン』の席。今、ライナが様々な疑問を一番にぶつけたい相手の席。そこが今日に限って、空席だった。

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