5話 ゲームオーバー


「それにしても、なんで学校は未だにタブレットなんて使ってんのかね」


 夜の東京を走るバンの後部座席で、ヒオリは学校指定のタブレットを下敷きにして、便せんに文字を書き込んでいた。


「リストに教科書もノートも入れさせてくれりゃ、手ぶらで学校に行けんのによ」


 ヒオリは美術館を出る前に着替えを済ませ、既に顔以外はステインの衣装を身に纏っていた。


「やっぱ企業と教育委員会の癒着なのかね。許せねぇよな、大人の都合で子供に負担をかけるなんてさ。なぁ、ライナ?」

「知らないし」


 ライナはヒオリには目もくれず、ドアに肘をついて、ただ窓の外の流れる景色を眺めていた。ライナも学校の制服から、特広対が用意した服に着替えていた。だが用意されていたのはディスカウントショップで売られているジャージで、おまけにサイズが合っていない。ズボンは裾を輪ゴムで止めてなんとか着ている始末だった。ライナは普段着ているフライトジャケットも重ね着して、なんとか服装のみすぼらしさを隠そうとしていた。


「なぁ、機嫌直してくれよ。なんせ入省が昨日の今日で、なんも用意できなかったんだよ」


 ヒオリはライナの顔を覗き込もうと身をかがめる。


「アホみたいなくす玉は用意できたのに?」

「いや、ほら、あれは手作りだし。戦闘服はその……手続きが大変で。来月までには準備するからさ」

「別に気にしてないから」

「の、割には不機嫌そうじゃん」

「次同じこと言ったら殴るから」


 ライナの目元が鋭くなり、窓からヒオリへと視線を移す。


「おーこえ……」


 ヒオリはわざとらしく身を竦めると、再び書き物に戻る。ライナも再び外の風景に意識を戻した。


「『仙台の街並みが恋しいです。親父殿と母上殿もお体に気を付けて』……っと」


 ヒオリは書き終わった便せんを折りたたむ。


「ところでさ、ライナのご両親は今回のこと知ってんの? 理日田のおっさんなんか言ってた?」

「言われてない。でも、多分知らないと思う。特にお説教の連絡もないし」

「なんか、嘘つかせてるみたいでごめんな」

「別にいい。パパもママも……仕事で、なかなか家には帰ってこないから」


 本当は知っている。両親がそれぞれの浮気相手のところに毎夜通っているから帰ってこないことを。ライナという存在がいることで離婚協議が面倒だから、ライナが独り立ちするまで、お互い知らないフリを通していることを。


「きっと急に私がいなくなっても、気にしないと思う」

「……そっか、ライナも苦労してるんだな」

「そんなことないと思うけど」

「そんなことあるって。だってなんかあったとき、自分でなんでもしなきゃだろ? それってすごいことだって。ライナのそういうとこリスペクトするよ」


 ライナは目をきつく閉じて、顔が緩みそうになるのを隠した。普通の大人なら「そんなこと言うな」とか「両親はきみのことを大事に思ってる」とかずれたことを言ってくる。同級生に話しても当たり障りもない返事を返されるだけだ。でもヒオリの言葉にはそういった無責任さはなかった。言葉の裏にある、自分の痛みに寄り添ってくれるような温かみがあった。


「……偽物のヒーローのくせに」

「おっ、なんか悪口が聞こえたぞ?」

「気のせい。ってかあんたこそどうなの――」


 ヒオリの家庭環境を聞き出すためのライナの言葉は、バンの急ブレーキで中断させられた。ライナは急ブレーキの勢いで前のシートに顔を押し付けることになった。


「おし、ついたな」


 ライナは顔ををさすりながら窓の外を改めて見た。

 港区、東京タワーの近くにある大規模な工事現場。そこに建造中の建物はまだ大部分が足場に覆われ、一部の完成した区画の外壁が白く輝いていた。


「ここが本日の哀れな犠牲者『宣伝省放送記念館』ちゃんだ」


 テレビやラジオ、ネットニュースを管理する『宣伝省』が、党の成立20周年に合わせて、大規模な記念博物館を作っているというニュースもライナも見たことがある。


「長官の指示で、今日はここで『特殊広報活動』を行う」


 運転中、言葉を発していなかった草間がバックミラー越しにヒオリとライナを見る。ヒオリは呆れ顔で返す。


「つまり、完成前の記念館を派手に爆弾で吹き飛ばして、ステインが反政府活動をしたことにするってこと」

「その通り」

「どうせゼネコンからの賄賂がバレそうで、宣伝省の担当が誤魔化すために理日田のおっさんに泣きついたんでしょう?」

「そうは言ってなかったけど、多分……」

「オーケー、行間を読むのは得意です」


 世間話くらいの軽さで行われる、党の汚職についての話題にライナはヒオリたちを睨みつける。血税が浪費されていることに、怒りの感情を持たないヒオリと草間が信じられかった。そんなライナの憤りは気にも留めず、ヒオリと草間は窓の外の未完成の建物に手を合わせた。


「それでは、何も知らずに痛めつけられる警備員諸氏と、産声を上げる前にぶっ壊される記念館ちゃんに合掌。南無」

「え、ちょっと待って」


 慌てるライナを、ヒオリが閉じた目を片方開けて見る。


「あんたたちの活動って、つまりは『お芝居』なんでしょ? 向こうが知らないって、それなら芝居として成り立たないじゃん」

「確かに、ステインは『偽物のヒーロー』だ。でも芝居をしてるとは一言も言ってない」


 合掌を解いたヒオリは、身を乗り出してさらに後ろの座席から荷物を取り出し始める。


「先方が俺たちを体制側の人間と知ったら、動きが嘘くさくなる。反逆者ステインに説得力がなくなる」


 荷物――爆弾がパンパンに詰められたリュックサックがライナの方へ投げられる。


「ちょっと、危ないでしょ!」

「そう、マジで戦うから危なくて、リアリティがある。だから特広対は表向き存在しない部門なんだ」

「……じゃあ、私を襲ったあのクソポリ公は」

「言葉が汚いですわよ、ライナさん! けどまぁガチなやつだ。仕込みじゃねぇ」


 ヒオリは真剣になり過ぎた自分の口調を、努めて冗談めかした調子に戻そうとした。


「昨日は、理日田のおっさんから不審人物の取り締まり情報をもらってたんだ。逮捕されそうなのが反体制派なら、助けてステインとしての活動をアピールするって予定だった。それがライナだったことと、身バレしたのと、ついでにナスカが遊びに来たのは想定外オブ想定外だったけどな」


 ヒオリは肩をすくめる。


「ってなわけで、ガチで戦いに行くぜ、ライナ。草間さん、お願いします」


 ヒオリは草間に折りたたんだ便せんを差し出す。草間は頷いて便せんを受け取ると、バンに搭載された無線機に呼び掛ける。


「こちら特広対移動指揮車、監督官草間。作戦ID、44092001に基づき、港区愛宕付近の通信規制を要請。期限は破壊工作型広報活動の終了までとする」

『特広対指揮車、こちら自動応答管制。要請を受諾。これより通信規制を開始します。大日本共和国に栄光あれ』


 スピーカーから無機質な機械音声が流れた直後、ライナのリストが通信圏外になった。草間が自分のリストを軽く振ると、再び通信可能状態に戻る。


「今ので、ここら一帯の通信は封鎖された。俺やライナ、草間さんは政府の秘匿回線で通信できるけど、一般市民パンピーや末端の警備員や警官は電話、無線が使えなくなってる。増援が呼ばれる心配なしってワケ」


 ヒオリは黒い仮面とフードを被る。

 

「さぁ、覚悟は良いかアナキスト。まぁダメって言っても行くんだけど」


 漆黒のヒーローに似つかわしくない調子でおどけて、ヒオリはバンから出る。冗談のように語られる、行われる国家機密に呆然としていたライナも、我に返ってお面をつける。美術館のギフトショップの売れ残り品と思しきそれは、瓢箪を逆さにしたような形で、ラベルに「ムンク『叫び』」と書いてあった。窓に映った滑稽な姿の自分を見て唸った後、ライナも爆弾入りリュックサックを携え外に出る。


「ねぇ、ヒオリ」

「作戦中は暗号名コードネームで呼んでくれ」

「アホステイン」

「辛辣がすぎやしないか?!」


 建設現場を前に、お面越しにライナはステインを見た。


「……改めて、ありがと。あの時助けてくれて。それに庇ってくれて」


 国家は嘘をついていた。それは事実だ。でもヒオリが居なければ、警官たちは自分を弄び、凌辱しただろう。暗殺に失敗したことも庇ってくれなければ、今生きていたかも分からない。所属している組織はともかくとして、ヒオリの善意にライナは礼をしたかった。本当に戦いに赴くなら、死んでしまって伝えられなくなるかもしれないから。


「別に良いって。ヒーローとして、公僕として、やるべきことをやっただけだ」


 なんでもないとヒオリは手を振る。黒い手袋の下にある、自分がつけた傷が戦闘で枷になってしまうのではないかと考えると、ライナは胸が苦しくなった。



 ◆


 記念館建設現場をフラッシュライトを持って警備する、治安省警備課所属の警備員は大きなあくびをした。

 今時、党の施設建造に反対する市民もいないし、建設現場で使われる機材を狙う窃盗タタキグループも都内には存在しない。建設現場の警備の仕事は退屈そのものだった。

 ふと、眠気を覚ます高い音が警備員の耳に届いた。音の出所を警備員は探り、フラッシュライトが放った光の反射で、すぐに原因を見つけだした。

 それは500円硬貨だった。表面に神元ナスカの横顔が刻印されている。警備員は硬貨を拾い上げると、付近に同僚がいないのを確認してからポケットにしまった。夜勤明けの朝食兼、酌のつまみを少しでも豪華にできる嬉しさが、罪悪感を消していた。同僚から見とがめられないうちに、通常の警備ルートに戻ろう振り返った瞬間、


「落とし物を届けないのはよくないな」


 ステインが警備員の目の前に立っていた。警備員が悲鳴を上げる前に、ステインは警棒の先を警備員の脇腹に押し当てる。


「ひっ、ひーっひっひっひっひっひ!」


 警備員の口からは意図しない笑い声があげられる。笑うことによって呼吸が苦しくなり、体にうまく力が入らない。当然、防御することも構わず、ステインの振るう警棒を頭に受けて卒倒した。


「ごめんなぁ、おっちゃん。それはあげるから、なんかうまいもん食って?」


 気の抜けた謝罪をするステインの背後の物陰から、お面を付けたライナが顔を覗かせる。


「……生きてるの?」

「おう、ばっちりな」

「ってか、めっちゃ爆笑してたけど、なんなの?」


 ステインは手元の警棒を慣れた手つきで回転させた。


「これは笑警棒ラフ・スティック。先端から特殊な電流を流して、強制的に相手を笑わせて行動力を奪う。もちろん警棒としてもばっちり使える」


 黒い仮面の頭を動かし周囲を警戒しながら、警棒を縮めて胸の鞘に戻す。


「俺の使う武器は基本、非殺傷ノンリーサルなんだ。拳銃もプラスチック弾を使ってる」


 ステインは新手が来ないことを確認すると、気絶した警備員をうつ伏せの体勢に寝かせ結束バンドで拘束する。


「理日田のおっさんからなるべく殺すなって言われてんだ。俺も出来れば殺しはしたくない。この人らだって、日常や家族があって、それを守るために職務を全うしてるだけだしな」

「私を襲った警官も『実は良い人』だったって言いたいわけ?」

「そうは言ってねぇって! 今度街で見かけたら強めにぶん殴っとくから!」


 お面越しでも伝わるライナの怒気にステインはダークヒーローの威厳なくたじろぐ。


「……にしたって、結構派手にやったのに他の連中が来ないな」

「いいことなんじゃないの? 敵が少ないのは」

「そっちの方が楽だけど、これは『広報活動』なんだ。目立って存在感を出さないと、監視カメラの映像が『えない』んだわ」


 だったらその黒い衣装を虹色にすればいいのに、とライナが内心突っ込んだところで、ステインは工事現場の骨組みに設置された黄色い機械の前に立った。機械には赤いボタンがあり、一見して非常用と分かるものだった。


「ってなわけで難易度を上げる」


 ステインは躊躇なく拳でボタンを叩き押す。間髪入れずにけたたましいサイレンが建設現場全体に響き渡った。警報に交じって、混乱した警備員たちの声と足音がライナとステインの方へ近づいてくる。


「さぁ、第2ウェーブだ!」

「む、無茶苦茶すぎ!」


 ライナが急いで建築資材の影に隠れた時、4人の警備員がステインの方まで走ってきた。


「ステインだ! 管轄の署に増援を要請しろ!」

「ダメです、無線不通、繋がりません!」

「敵は一人だ、我々だけで対処する!」


 ステインは逃げることなく、あえて警備員たちの方へダッシュして突っ込む。ライナを助けたときのように、詩を口ずさみながら。


「『私は電熱の体を歌おう!』」


 警備員たちが武器を構える前に、ステインは拳銃を引き抜くと、一番近くの警備員に発砲する。4発撃ったうちの一発が警備員の眉間にヒットし、脳震盪を起こさせる。


「止まれ!」

「『愛するものたちがわた』っとあっぶね! 『私を抱き、私も彼らを抱く!』」


 前方の警備員が倒れたことに臆せず、警備員の一人がテーザー銃を構え、ステインに放つ。よく訓練されている、と感心しながらもステインは柱の壁に隠れ、飛翔するテーザー銃の電極から体を隠した。


「『彼らは私を離さない、私が頷くまで』」


 柱の壁から身を乗り出し、テーザー銃を撃ってきた警備員へのヘッドショットを決める。


「動くなぁ!」


 正面に気を取られていたため、横合いから突っ込んできた警備員が持つ刺股を避けられない。右腕ごと先端部で取り押さえられ、仮組された壁近くまで押し込まれる。


「確保!」

「『応えよう、清めるまで!』」


 ステインはまだ自由が利く左手で予備バックアップの拳銃を引き抜くと、フルオートで弾丸を吐き出させる。プロボクサー並みの威力があるプラスチックの礫が、刺股を持った警備員の意識を奪い、継戦能力をゼロにした。だが息をつく暇はない。ステインの背後の壁に、最後の警備員が放った拳銃の弾丸が着弾した。


「止まれ! 後ろを向いて両手を頭の上に置け!」


 拘束を断念し、実力行使にでた最後の警備員の警告にステインは従った、フリをした。

 警備員に背を向け、壁を正面にすると勢いをつけて走り出した。ステインの予想外の動きに拳銃を構えた警備員は対応できない。ステインは壁に足をつけ、。履いている吸着ブーツが機能し、ヤモリのようにステインを壁に張り付かせ、重力から解放する。ステインは壁から仮組の天井に走り抜ける。目を見開く警備員の頭上で、ステインの二丁拳銃が吠えた。


「『魂の電流が、体を満たすまで……』」


 ステインが天井から受け身を取りながら着地した時、最後に残っていた警備員も地に伏した。


「すっっっご……」


 一部始終を見ていたライナは、瓢箪のようなお面を物陰から覗かせてただ驚嘆した。一度は見たことがあるものの、自分と歳の変わらない少年が大人の集団相手に、しかも手に怪我をしているのに大立ち回りをして、言った通りゲームでもするみたいに簡単に倒してしまったことが、現実感がなさすぎて信じられなかった。


「お疲れ! いやぁ、今日はライナが荷物を持ってくれたからな。調子よかったわぁ」

「そ、そういう問題じゃないでしょ?! あんたほんとに何者?!」

「詩と可愛い女の子を愛する男子高校生?」

「バカ言わないでよ!」


 ステインは両手の拳銃をクルクルと回してからホルスターに収めた。


「マジマジ、今日はイージーモードな方だって。一番強い武器も拳銃だけだったし。じゃ、とっとと爆弾置いて帰――」


 銃声


 ライナが今まで聞いたことのない凄まじい轟音でステインの声は遮られた。ステインの体が吹っ飛び、体にいくつも空いた穴から血を流しながら倒れる。


「……へ?」


 床に流れる血液特有の甘ったるい匂いが、ライナの鼻腔と本能を刺激し、これがゲームなんかでなく、現実であることを思い出させる。

 ステインはライナの目の前で体を少し痙攣させると、息絶えた。ライナはゆっくりとステイン――ヒオリの死体に向いていた視線を、銃声の方をした方に向ける。10数メートル先で、怒りを顔に滲ませた『本当の』最後の警備員が、ショットガンの銃口をライナの方へ向けていた。

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