第二章「眇」①
一面に広がる水田には、まだ青い稲穂が風に吹かれて揺れていた。
水田の間を縫うような細い道を、初心者マークを貼り付けた一台の車が走っていく。
運転席に座り、ライトグレーのスーツ姿でハンドルを握っているのは竜堂秋人だ。
その額にじんわりと汗が滲んでいるのは、気温が高いのも理由の一つだが、それだけではない。
秋人はつい先日、見知らぬ大学生達に混じって、泊まり込みの合宿で車の運転免許を取得したばかりである。
充分に舗装もされていない細い田舎道での運転は、教習所を出たばかりの秋人にとっては、中々に難儀だった。
真剣な顔つきでハンドルを握る秋人と対照的に、助手席に座る人物は大きな欠伸をしながら退屈そうに自分の爪をいじっている。
竜堂ナツキである。
鮮やかなライムグリーン色のマキシ丈のワンピースを身につけたナツキは、助手席のグライドを限界まで下げて、ブラブラとその白い脚を投げ出していた。
縁の大きいスクエアフレームのサングラスをかけ、車内だというのにつばの広いカンカン帽をかぶっている。
「なぁアニキ、まだ着かないのか?」
もうウンザリ、と言った様子でナツキが秋人に声をかける。
秋人は運転に集中していて返事をしない。
「なぁ、アニキ〜」
「い、いま、話しかけるなッ!」
血走った眼で進行方向を睨み付ける秋人に、会話に付き合っているような余裕は無い。
ナツキは大きくため息をつき、被っていたカンカン帽を手に取った。
「何がリゾート地でドライブだよ、ぜんっぜん楽しくねえじゃん」
その帽子も大きなサングラスも「夏のドライブ旅行」のイメージで、ナツキがこの日の為にウキウキと買い揃えたものだった。
「車は一番安い軽のレンタカーだし、どこに向かうのかと思えば、見渡す限り田んぼしかねえし、おまけに運転手はろくにおしゃべりもできやしない。新米のぺーぺーだ」
ナツキは、指折り数えて不満を口にする。
「そりゃ、アニキはいいよ。これも仕事の内なんだからさ。お給料も出るんだろうし。でもね、俺は高校生なの。今は、夏休みなの。一日でも多く遊んでいたいの。そこんとこ、わかってます?」
ネチネチと文句を言い続けるナツキに、秋人はハンドルを固く握ったまま吠える。
「しょうがないだろ! 藍那さんが二人で行けって言うんだから。僕だって来たくて来たんじゃないぞ! はじめは車通りの少ないゆったりした道で練習したかったんだ!」
「知らねえよ! だったら断ればよかったじゃねえか」
「そういう訳にはいかないんだよ! 仕事で依頼されているんだから……」
「だから、それに俺を巻き込むなって言ってんの! もぉ、わかんない奴だなぁ」
車内で繰り広げられる会話は平行線だ。
そうしている間にも、「わ」ナンバーをつけた軽自動車は田園の中を通り抜けていく。
東京駅を発した東北新幹線に乗り込んでから数時間。目的地から一番近くのレンタカー会社がある駅で降りてから、車に乗ってまた数時間。
ずんだ餅だとかババヘラアイスだとか、とにかく甘い食べ物の看板がナツキの視界に入る度に足を止めていたロスタイムも含め、関東圏にある藍那堂の店舗を出てからもうだいぶ時間が経っていた。
既に陽は傾いており、西の方角にある山岳の稜線にその輪郭が重なりつつある。
橙色の陽光に染められた田園の水面に、森の巣へと帰る鳥の影が映る。薄暗い空にカァカァと遠い鳴き声が響く。
その音に呼応するように、水田を住処にする蛙達が、一斉に大合唱をはじめた。
都心から遠く離れたこの場所にナツキと秋人が訪れているのは、藍那堂店主の藍那ナイアがそれを依頼したからだ。
曰く、古くからの付き合いがある得意先の様子を見てきて欲しい、とのことだった。
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