第二章「眇」②

「ニイエダ、ですか」

「そう。新しい、に、さんずいにカタカナのエ、それに田んぼの田で新江田。珍しい名前でしょう?」

「はぁ。その新江田さんがどうかなさったんですか?」

 商店街の一角にある漢方薬局、藍那堂。

 その一階にある店舗部分で、店主である藍那と、彼女に雇われている秋人がレジスターのあるカウンターを挟んで会話をしていた。

 藍那はカウンターの上にある銅像らしき物体の表面を布で磨いている。秋人は物体の写真を撮ったり、寸法を測ったりしていた。

「うん。随分と古くから取り引きがある仕入れ先でねぇ。個人経営主なんだけど、とにかく出してくる品の質が良いんだ。だから私としても関係性は保っていきたかった。けれど……ここ数年、買い付けに行っても商品を出してくれなくなった」

「それまでの取り引きで、何か納得のいかないことでもあったんですかね」

「いや、そういう訳ではないんだ。関係性は良好なんだよ。私自身も彼らに対して協力は惜しまなかったからね。問題は、取り扱う品の方にあったみたいだ」

「……その品ってどんなものなんですか?」

 漢方藍那堂は、表向きには薬局の看板を掲げてはいるが、奇品珍品を扱う骨董屋としての一面もある。藍那がどちらの顔で、その新江田という家とやりとりをしていたのかによって、事も変わってくる。

「ああ、自然薯だよ」

「というと……山芋ですか」

 自然薯とは、自然に生えている芋、という意味の言葉だ。現代日本においてはヤマノイモ科のつる性多年草の事を指す。地下にできる長いイモの部分は主に食用で流通している。慈養強壮に効くとして、薬と同様に扱われる場合もあった。

 つまり、藍那は漢方薬局の店主として新江田氏と自然薯の取り引きをしていたということだ。妙な骨董品の類は絡んでいなさそうだ、と秋人は密かに安堵した。

「土地柄もあるんだろうけれど、新江田の家が出してくる自然薯は特別に効き目がよかったんだ。それこそ、一本で百万円以上の値が付くほどにねぇ」

「えっ、ひゃ、百万ですか?」

 その価格に驚き、秋人は手に持っていたメジャーを床に落とした。慌ててそれを拾い上げる。

「うん。それで買うって人がいるんだから、お金ってある所にはあるんだよねぇ。でも、その高価な自然薯が掘れなくなった。徐々にね」

 藍那は磨いていた銅像を秋人に手渡し、床に散らばっている段ボールの箱からまた別の置物を取り出す。

「目先の利益に眩んで、ある分を取り尽くしてしまった、ということでしょうか。よく聞くパターンですが」

「……彼らは、別の原因があると思っているみたいなんだよねぇ」

 藍那は困ったような表情を浮かべている。

 受け取った銅像のサイズをメジャーで測りながら、秋人は尋ねた。

「それで、僕は何をしたらいいんですか?」

 藍那はニヘラと笑う。

「話が早いねぇ。その新江田家の当主に会ってきて欲しいんだ。確か、秋人君と歳も近かった筈だよ。そうそう、必ずナツキちゃんも連れて行ってね」

「……あいつもですか。こっちの仕事に付き合わせたら、どんな文句言われるかわかりませんよ。ただでさえ、夏休みだからって毎日遊び歩いているんですから」

 高校が夏季休暇に入って以来、ナツキはフォトジェニックなかき氷を手始めに、冷たくて映えるスイーツ巡りに夢中になっていた。

 昨日は都内に遊びに行っていたかと思えば、今日は埼玉の長瀞にまでかき氷を食べに行っている。それで家に帰ってきたら「おなか痛い」などと言い始めて、トイレに篭るのだから始末が悪い。

「旅行に連れていってあげる、っていえばナツキちゃんも喜んでついてくると思うよぉ。秋田のなんとかっていうアイスを食べてみたいって、この間言ってたし」

「秋田ですか? ……その新江田さんのお宅って、どこにあるんですかね」

 不穏な雰囲気を感じ取った秋人は、藍那にそう尋ねてみる。

 ばつの悪い苦笑いをして、藍那は懐から封筒を一通取り出した。封筒の宛先は藍那堂宛で、裏側に差出人の住所が記されている。

「ここ、なんだよねぇ」

 秋人は眉を顰めて、確かめるようにその住所をゆっくりと読んだ。懐からスマートフォンを取り出し、画面に文字を打つ。住所を検索しているようだった。

「……めちゃめちゃ遠いじゃないですか。山奥ですよ、ここ」

「うん。最寄りの駅から車でも二時間以上かかるよ。いっつも行くの大変だったんだ」

「あ、だから僕に運転免許を取らせたんですか!? わざわざ合宿にまで行かせて」

 秋人が運転免許取得の合宿に行くことになったのは、藍那がそれを手配したからだった。

「業務上必要になるかもだから、って、言わなかったっけ?」

「……いや、言いましたよ。確かに聞きました。でも、こんなにすぐだとは。僕、まだ公道で一時間以上運転した事ないですよ」

 合宿の実技でだいぶ苦戦した秋人は、運転に苦手意識を持っている。遠く離れた土地での長距離運転をなんとか回避しようと抵抗してみたが、こういう時の藍那は指示を変えることはない。秋人は身に染みて知っていた。

「うん。道中、安全運転でよろしくねぇ」

 やはり、既に決定事項のようだ。

 秋人は観念してため息を吐いた。

 その様子を見た藍那は少しだけ微笑んだ後、カウンターの下からファイルに綴じられた資料を持ち出してきた。それをドサッと秋人の目の前に積みあげる。

「これは、何ですか?」

「新江田家との取り引きの記録と、周辺の関連資料。それと面談記録だねぇ」

「面談記録?」

「うん。新江田家の当主とね。彼、調子が良くなくてねぇ。私も何度か話を聞きに行ってはいるんだけど、色々と難しいんだ。考えた結果、秋人君とナツキちゃんのペアが適任だと思った。資料にはできる限り目を通しておいてねぇ。秋人君は私の代行として取り引き先に赴くわけだから」

 いつも眠たそうにしている藍那の目の奥が、スッと鋭くなる。滅多に見せない、商売人としての表情だ。秋人は雇われの身として、背筋を正した。

「……わかりました。読んでおきます」

「ありがとう秋人君。この封書を見せれば、世話役の人が案内してくれるはずだから」

 そう言って藍那は封筒を手渡した。

 頷きながら、秋人はそれを受け取る。

「あと、最後にもう一つ。大切な仕事をお願いしたいんだ」

 藍那は右手の人差し指をピンと立てる。

「どんな仕事ですか? ここまで遠出するんです。せっかくだから出来る事なら何でもやってきますよ。毒をくらわば、って奴です」

 受け取った資料を開いて、それにパラパラと目を通しながら秋人は答える。

 新江田家。A市の山奥にある二蔵地区。「山神の乳」と呼ばれる自然薯。その効能。

 商売人として長くにわたって関係を続けてきただけあって、藍那の手記にはその詳細が丁寧に記されている。

「決めてきて欲しいんだ。彼らとの取り引きを続けるのか、それとも止めるのか」

 秋人は資料から目を離して顔を上げる。

 藍那の目は、秋人を見つめている。

「彼と彼らを見て、君とナツキちゃんに判断してもらいたいんだ。今回の出張の主たる目的だと思ってもらっていいよ。続けるにしても君達の助力は必要だし、止めると判断したなら私もそれで一向に構わない」

「……結構大きい金額の取り引きを続けてきたんですよね? どうして、僕たちに」

「適任、だからだよ。こういう商売を個人で長くやっているとねぇ、視野が限定されて自分の判断基準が凝り固まっていくのを感じるんだ。その点、秋人君はまだ日も浅いし、ナツキちゃんは尚更だ。私は、君達を信頼しているんだよ。きっとベターな判断をしてくれるだろう、ってねぇ」

 そういって藍那はニヘラ、と笑った。

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