第33話「襲い掛かる罠」


 アスモダイ城にそこまで遠くない距離にある名もなき森。

 その奥で森には相応しくないどこかの貴族が来ているような豪華なローブを身に着けている壮年の男がいた。だが綺麗な服に見合わずとても疲れた表情をしており目の下には隈がある。よく見ればローブは少しよれていて年季を感じる。


「ルカセント子爵」


 男―ルカセント子爵と呼ばれた者はその声に顔を上げる。

 睨まれていると錯覚するほど鋭い目。左頬の切り傷。髪は白くなってきているのにその立派な体躯は衰えを知らない。見るだけで相当の実力者であることは窺い知れた。


「スールーか……」


 ルカセント子爵はぎりぎり聞こえる程の小声でそう呟く。 

 彼がここに来たという事は準備は整ったという事だ。

 ルカセント子爵は早くこんな森から帰りたかった。そもそも何故シトラ王国の子爵を叙爵されている自分が魔族が蔓延るアドラ大陸の森のど真ん中にいるのか。

 そんなルカセント子爵の心情を知って知らずかスールーは続ける。


「魔王の息子がそろそろ到着するとのことです」

「…………そうか」


 そう言うスールーの鞘に収まっている剣を握る手は震えている。

 ルカセント子爵はそれが怯えや恐怖によるものではないことは十分に理解していた。長い付き合いだ。

 その震えが敬虔なリスラ教の信者である彼が魔族の者を処分・・できる喜びからくるものだと分かっていた。


「それなら、手早く済ませてくれ。こんな所にこれ以上いたくない」


 ルカセント子爵は好んでこのような場所にいるわけではない。本心では経営が厳しい自領に戻って自領の改善に苦心したい。

 しかし、この場にいることも自領のためのことでもあった。


 ルカセント子爵は自分がいる派閥の公爵に魔王の息子の暗殺・・を命じられていた。

 勿論ルカセント子爵が子爵で相手が公爵とはいえ、その命令に従う義務はない。

 だが公爵は言った。暗殺に成功すれば多額の金で以って自領の経営を支援すると。


 ルカセント子爵はこの申し出を受けるかどうか悩みに悩んだ。

 公爵が現王に対しての野心を持っていることは他の貴族によって伝え聞いていた。

 しかし、子爵領の改善の余地が無い事も理解していた。


 ルカセント子爵は三日三晩悩み、決断した。

 何故公爵が魔王の息子を殺そうとしているのかは分からない。

 しかしルカセント子爵は敬虔とは言えないがリスラ教の信者ではあった。そのため何の罪を持たない魔族を殺すことに抵抗はない。そもリスラ教の教えでは魔族は生まれつき罪を持っている。そのことについて思うことは何もない。


 悩んだ結果、ルカセント子爵は公爵の言う通りにすることにした。

 穢れている魔族の子供を一人殺すだけで金を援助してもらえるのだ。しかも魔王の一族だ。魔族はリスラ教徒にとってもシトラ王国にとっても敵だ。それなら自分がやる行動になんの罪もありはしない。

 そういった理由でルカセント子爵はこの場にいる。


「はっ。万事我々にお任せください。女神の敵たる魔族は私の手で滅ぼしましょう」

「ああ……頼んだぞ」


 自分とは逆にやる気に満ち溢れているスールーの言葉にルカセント子爵は半ば投げやりな気持ちでそう返すのが精いっぱいだった。



―――


「ここです!」

「お~……」


 リーサリーセに案内された場所は確かに絶景だった。

 鬱蒼とした森を歩くこと数分。俺たちは小さな池のある場所に辿り着いた。

 ここに来るまで空を覆うように生えていた木々はここでは鳴りを潜め、木々の隙間から木漏れ日が降り注ぐ。池がその日光をキラキラと反射させていて今まで暗いただの森だった風景から一転、神々しいまでの景色が視界いっぱいに広がっていた。


 その絶景は、今までそういったものに縁が無かった俺ですら魅了されてしまう。


「噂通りいい景色ですね~」

「本当に。ささ、坊ちゃんこちらへどうぞー!」

 

 リーサは何処からともなくシートのようなものを地面に引き、俺に座るように促す。その隣ではリーセは茶器の用意をしていた。

 これまでお茶会は基本屋内でやっていたからこういう自然の感じる場所でするのは新鮮だ。

 俺が前世の遠足特有のワクワク感を思い出していると、急に二人が動きを止めた。


「今……」

「なにか……?」

 

 二人は俄かに周りを見渡し始めた。

 なんだなんだ?魔物でも出たか?いやしかし出発する前ここらは魔物が出ないと聞いた。とすれば野生の動物とかだろうか。

 魔術があるこの世界では例え熊が出ようとそこまで大事にはならないと思うが。


 そこまで心配することはないんじゃないかと伝えようとした、その瞬間。


「坊ちゃん!」

「え?」


 リーサが俺目掛けて飛び込んでくる。

 な、なになにどういうこと?まさか俺をこんな人気のなさそうな森に呼び出したのはそう言う…?

 だ、だめだ。俺にはクリスとリーナという心に決めた『お姉ちゃん』が…!いやしかしこのメイド姉妹は二人よりも付き合いは長い――


「あがっ!」

「……は?」

 

 そんなピンク色の妄想とは程遠い風切り音とリーサの苦痛の声で俺は一気に現実に引き戻される。


「リ、リーサ!?」


 見ると俺に飛び掛かって来たリーサの背中には矢が刺さっていた。

 だ、誰が。いや、どこから!?


 俺は慌てて辺りを見渡す。視界の端でリーセが籠手を装備している姿が映る。

 ――敵だ。誰かが俺たちを襲っている。


「ぐ、ぐぅ……」

「す、少し待っていてください!」


 苦悶の表情を浮かべる彼女に治癒魔術をかける。苦しんでいる彼女の前で詠唱なんかしている場合じゃない。俺は咄嗟に無詠唱魔術で治癒魔術を発動させる。

 するとリーサの背中の傷はすぐに塞がり、出血も止まる。


「あ、ありがとうございます、坊ちゃん。でも無詠唱はエルガー陛下に禁じられているはずじゃ…」

「そんなこと言ってる場合じゃないですから!」


 俺の言葉にハッとしたリーサは急にスカートの中に手を入れた。

 いきなりの行動に目を点にした俺だったが、リーサの右手にはいつのまにか杖が握られていた。どういう仕組み?


「――来ます!」


 辺りを警戒していたリーセが叫ぶ。

 それと同時に騎士のような恰好をした者が前から六人程現れる。


「………」


 その中でも中心にいる人物だけは一際存在感を放っていた。

 殺人鬼のように鋭い目に左頬には痛々しい傷の跡。

 しかし、それよりも気になる点がある。


 彼には翼も尻尾もツノも獣のような耳もない。


「人族……」

「ふむ………貴様が、魔王の息子か」


 この世界での初めての人族との対面だった。 

 だがこの現状は歓迎できる者では無い。

 騎士たちは全員武装しており、既に抜刀している。話し合いの余地などなく、完全に俺たちに害をなそうとしている。


「リーサ、リーセ。ここは逃げ――」


 こいつらの目的は分からない。だが、ここに留まっていれば無事では済まないという事は理解できた。

 目の前の騎士たちの正体は気になるが、ここは咄嗟に逃げの判断だ。中心人物であろうこの歴戦の戦士みたいなやつの言葉からして狙いは俺だ。だとしたらここで相手をするわけにはいかない。

 しかし――


「ヒヒィィン!」


 背後から馬の嘶きが聞こえる。

 振り返ると、背後にも目の前のそれらと同じ格好をした騎士がいて、俺たちが乗ってきた馬を殺していた。


 囲まれている。その現状を理解する。


「………まずいな」


 冷や汗が頬を伝って垂れた。




―――


「……よし、それじゃあ頼むぞ……」

「なぁ、お前」

「あ、は、はい!」


 アスモダイ城の裏庭。昼下がりには休憩のメイドで賑わうが、今は人気のほとんどない場所だった。


「ちょっとこの書類運ぶの手伝ってくれよ」


 声を掛けられた執事服に身を包んだ男は、長身のメイド―メリセントに声を掛けられる。

 男は目の前のメイドを一瞥する。真っ白な髪に整った顔。見るだけで自分の自信を見失う程の美貌で、男である自分よりも身長が高いことがそれに拍車をかける。


「い、いえ…自分、まだ仕事がありまして…」


 男はメリセントの頼みを辞退しようとした。

 彼女が持つ書類の量が半端じゃないこともあるし、見るからに自分より目の前のメイドの方が体格がいいからだ。

 それに、彼には知られてはいけない事情があり、メイドの中でも魔王に近いメリセントと行動を共にすると少々危ない。


「あ?」

「あ、はい。持たせて頂きます…」


 しかし、メリセントの鋭い眼光の前に男は無力であった。

 男は怒れる女性に逆らうなという祖父の言葉を思い出し、首を縦に振った。


「よし、じゃあこれな」

「うっ……」


 メリセントに渡された書類はとてつもなく重く、男は腰が抜けそうになる。

 さっきまで軽々と持っていたメリセントの膂力に目を見張るとともに、やはり自分が持つのは間違っていると男は思った。


「それにしてもあんた見かけない顔だな?新入りか?」

「え、ええ…。三日目です」

「ほぉ~ん……」


 男は自分を探るようなメリセントの口調に冷や汗を垂らす。

 しかし、そこからメリセントはぱたりと口を開かなくなった。

 二人は無言で城を歩く。

 そう言えばこの書類はどこまで運べばいいのだろうか。ここに来る前に叩き込まれた地図の記憶を掘り起こすと、段々とアスモダイ城の中心に向かって行っているような気がする……。

 男は冷や汗の量が増えているのを感じる。


 歩き出して数分、メリセントは足を止めた。


「ここだ」


 男は思わず唾をごくんと飲み込む。

 扉の上には『執務室』と魔族語で書かれている。

 つまり、この中にいるのは……。


「じゃ、じゃあ自分はこれで……」


 男は書類をメリセントに無理矢理渡してここから早急に離れようとする。

 この部屋には入ってはいけない。それはここに来る前にも言われた言葉でもあるし、自分の本能が叫んでいる言葉でもある。


「まぁ待てよ」

「な…!」


 男がそそくさと立ち去ろうとした瞬間、彼はいきなり両手を拘束される。

 落ちた書類がばさばさと落ちる音がする。

 背中で両手を拘束された男は無理矢理首を捻って後ろを見る。

 そこには猛禽類のような鋭い目をした男を拘束している張本人―メリセントの姿が。


「私は今はぼんの専属メイドをしていたがなぁ…。私はメイドの中でも古参ってこともあって人事には結構詳しいんだ……。お前、執事じゃないだろ?」


 男は心臓が喉から出てきそうな程の驚きを感じる。何故か。彼女の言葉が真実だからだ。


「い、いや本当にここで働き始めて三日目の新人なんですって……!」

「はん」


 メリセントは男の精いっぱいの言い訳を嘲笑を以って一蹴する。


「お前の魔族語。ここらへんの訛りじゃねぇんだよな?ウチはアドラ大陸出身の魔族しか働いてねぇんだ。…お前の訛り、人族の周りで育った奴特有のやつなんだよな。だろ?」


 男はあんぐりと口を開ける。自分が執事で無い事に加え、出自のことまで見破られてしまう。

 このメイド、何者――?


「まぁ詳しい事はエルガーさんに任せるわ。ほらとっとと入るぞ」


 男―クズルはこれから自分に降りかかるであろう悲劇を予感し、暗澹たる気持ちになった。



 

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異世界お姉ちゃん~異世界転生したけど、『お姉ちゃん』がいっぱいいるのでオッケーです!!!!~ 水本隼乃亮 @mizzu0720

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