第12話 ね、簡単でしょ?

 翌朝。俺が部屋に戻って来た時には、ジャックはすっかり出発の準備を整えていた。


「よう、おはよう。もう準備はできてるみたいだな?」


 鳥たちのさえずりや、清々しいほどに晴れ渡る青空。

 そんな爽やかな朝に相応しい爽やかな挨拶をかますも、


「……ふんっ」


 そんな俺に、ジャックの反応は冷めたものだった。

 半眼で俺を睨みつけてから、ぷいっと明後日の方向を向いてさっさと部屋を出てしまう。やれやれ、随分と嫌われたな。

 俺も少ない荷物をまとめ、宿の人に宿泊代を支払ってから荷馬車の荷台に乗り込んだ。


「……随分と早起きだったね。朝っぱらから村娘でも見物して回ってたのかなぁ?」


 馬車を動かしてから、御者席に乗り込んだジャックが振り返らずにそう言った。


「人聞きの悪いことを。俺はそんな行動力のある変態じゃないよ。……それともジャックさん、朝起きたら俺がいなくなってて寂しかったモンだから、ひょっとして拗ねてるのかな?」

「……はぁ。アーハイハイ、ソーダヨ。ボクハキミガイナイト寂シインダヨ」


 うわぁ、棒読みだぁ。そこはお前、「な、何バカなこと言ってるのさっ!」とか言いながら赤面するところだろうに。


「まったく、この変態放浪作家は……」

「だから変態じゃないっての」


 なんて言い合いながら宿屋前の通りを抜け、既に人が集まり始めている市場へ。

 ここで数日分の食糧を調達してから、村の入り口へと向かう算段だ。

 俺たちは通りの脇に荷馬車を留め、市場へと向かう。

 と、


「…………え?」


 ここでやっと市場にいる人々の変化に気付いたのか、ジャックがにわかに目を丸くした。


「あ、あれ? なんで? これは……?」


 それもそのはずだ。なんてったって市場にいる人々が、昨日とは全く別の行動をとっていたのだから。

 より正確に言えば――昨日、が、だが。


「どうして……皆、自分の本を持ってるの!?」


 そう。今朝の市場には、一冊の本を十人単位で分け合って読んでいたり、回し読みをしていたりする者などほとんどいない。いてもせいぜい、二人か三人グループでだ。


「驚いたか?」


 俺の意味ありげなセリフに、ジャックがすぐさま振り返ってくる。


「ど、どういうこと? まさか……シバケンが何かしたの?」

「いやはや、まったくには感謝してもしきれませんなぁ」


 心底困惑している様子のジャックの問いに、こちらに気付いて歩いてきたバセットさんが、俺の代わりにそう答えた。


「あ、村長さんおはようございます。それであの、『先生』っていうのは?」

「ええ。あなたのお連れの彼ですよ。彼のお陰で、村の皆は大変な喜びようでございます。いや、改めて感謝致します、先生。あなたはこのウィペット村の恩人、いや、英雄です」

「いえいえ、俺なんて別にたいしたことはしてませんよ」


 しばらくの間、俺たちの謝辞と謙遜の応酬を呆然と見つめていたジャックが、やがてハッと我に返ったように詰め寄って来た。


「ちょ、ちょっと! いい加減説明してよ! キミは一体何をしたのさ?」

「何って、今朝早くちょっと村長宅に行って、そこで管理されていた村所有の本を軽く十倍くらいに増やしたんだよ。【念写】と、このページの減らないオモシロ赤本を使ってな。それから、ついでに俺の故郷の農法やなんかの新しい技術についての本とか、あとは童話とかの子どもが楽しめそうな本も何冊か作って、それも増やした。それだけだよ。ね? たいしたことないでしょ?」


 いやぁ、小説のネタになるかもと、普段から色々な本に手を出しておいて良かった。

「自然農法」だの「根粒菌」だの、根っからのインドア派な俺に一体いつ使う機会があるのかとも思っていたが、本当にどこで何が役立つかわからんものだ。


「いやいやいや! たいしたことでしょ! え? 本当? 本当にそんな凄いことやったの? キミが?」


 ジャックが「ウソでしょ?」と言わんばかりにバセットさんの方に向き直る。


「ご覧の通り、本当ですよ」


 そう言って、バセットさんが嬉しそうに市場の人々を手で指し示すのを皮切りに、あちらこちらから村人の歓声と感謝の声が聞こえてきた。


「おーい、旅の物書きさんよ! あんたのお陰で助かったぜ! 夢みたいだ!」

「お前さんが書いた本、どれも読みやすいしすごく参考になるよ!」

「ああ! 王都の最新技術にも引けを取らないんじゃないか?」

「童話の本も、すっごく面白いよ! ありがとう、旅人さん!」


 いつの間に集まって来たのか、俺たちの周りは市場にいた人たちによってすごい賑わいになっていた。皆、手に手に本を持って、本当に嬉しそうに笑っている。

 こんなに喜ばれると、なんだか無性に照れ臭いな。


「……ぷっ、ふふ、あははは!」


 突然、それまできょとんとした顔で人混みに揺すられるがままだったジャックが、目の端にうっすらと涙さえ浮かべながら、お腹を押さえて大笑いし始めた。


「おい? どうした、ワン?」


 なんだ、こいつ? この状況に付いていけなくなって、とうとう気でも触れたか?

 複雑な面持ちでその様子を見ていた俺に向き直り、ジャックは目元の涙をゴシゴシ拭う。


「はぁ……盾も満足に持てないくらいダメダメで、その上ただの変態だなんてどうしようもないと思ってたけど……まったくキミってば……」


 それから呆れたように、けれど少し楽しそうに溜息を吐くと、


「こんなに出会ったのは、今までの旅で初めてだよ」


 穏やかな朝日に照らされながら、満面の笑みを浮かべてそう言った。


「……そりゃあ」


 その破壊力抜群の笑顔に思わず見惚れてしまった事を意地でも悟られたくなかった俺は、左手を右腕の肘に、右手の平を顔全体に当てる、という中二病患者御用達のポーズをして、


「作家にとっては、最高級の褒め言葉だな」


 誤魔化すように、そう言った。

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