第10話 村長と酒場のマスターの話は聞いておけ

「当然だけど、見たことないもんばっかりだな」


 赤本から抜き取ったメモとペンを片手に、俺は市場の露店を見て回っていた。

 野菜、干し肉、衣類に装飾品に武器や防具。どれも俺にとっては目新しい物ばかりだ。武器や防具に関してはラノベやゲームなんかでなんとなく見知った物も多かったが、食べ物に関しては完全に未知のオンパレードだ。


 なんだこの果物は。どうして実が青色と黄色のマーブル模様なんだ? この世界には、俺でも食える物がちゃんとあるんだろうな、ミネルヴァさんよ。


「けどまぁ、田舎村の市場で売られている物としちゃあこんなモンか」


 あらかたの店を覗いたが、特に珍しい物は無いようだった。

 妖精さんの瓶詰めとか、便利な魔道具とか、もっとこうファンタジックな物を期待していたんだが……びっくりするほど普通の市場だな。

 大都市に行けば、また品揃えも違うんだろうか。


「……ん?」


 と、市場の一角、屋外テーブルがいくつか並べられた小広場に何やら人だかりができていた。

 何かイベントでもやっているのかと野次馬心をくすぐられて近付いてみれば、テーブルに置かれた一冊の本を十人ほどの人が肩を寄せ合って読んでいる。

 なんだか異様な光景だ。


「ほぉ、これが新しい農具か」

「王都や都市ではこんな建築物が……」

「おい! 早くページを捲れよ、先が気になるだろ」


 その異様な光景は一ヵ所だけではなく、よくよく見回せば市場の所々にそんな集団が見受けられた。多い所では、一冊の本に二十人以上が群がっている。


「こりゃ……どうなってるんだ?」


 誰にともなく呟くと、背後から答えが返って来た。


「さっきも言ったでしょ? 本は高級品だって。だからああして皆でお金を出し合って、一緒に読んだり回し読みしたりするのさ。一人で一冊の本を買える人なんてほとんどいないんだよ」

「おお、ジャックか。その様子じゃ、目当ての物は買えたみたいだな」


 ジャックの肩に担がれている麻袋は、買い集めたのであろう武器の素材でパンパンだった。

 男としては「持とうか?」くらい言うべき場面なのだろうが、見るからにそういうレベルの重量じゃない。俺みたいなもやし野郎が持てば腰が死ぬのは確定的に明らかだが、ジャックはまるで平気な顔をして担いでいた。

 獣人っていうのは力持ちなんだなぁ。


「しかし、一冊の本を大人数でねぇ……これもまた、俺の故郷とはえらい違いだな」

「へぇ。どう違うの?」

「本なんて、一人一冊どころか一人で十冊も二十冊も持ってるよ。多い奴なんか一生ではとても読み切れないほどの本を持ってる。物にもよるけど、値段だって一食分と大差無いぜ?」

「一人でそんなに? ウソだ~! それだけ本を持てる人なんて、〈人間〉の金持ちぐらいしかいないよ。『スキル』も知らなかったほどのキミの故郷で、そんな贅沢な暮らしができるもんか」


 いや、だから俺は〈人間〉だって何度も……はぁ、まったく信じていないな、こいつ。


「ほっほっほ、随分仲がよろしいようですな?」


 本当だ、いやウソだ、などというしょーもない押し問答を何回か繰り返していると、いつの間にか俺達の傍らに一人の老人が立っていた。

 目元の皺や白髪交じりの口髭が印象的な、見るからに好々爺こうこうや然としたお爺さんだ。頭には口髭と同様に白い、熊のような耳がついている。


「こんにちは、お爺さん」


 騒ぐのをやめて、ジャックが老人に挨拶をする。


「こんにちは。ああ、失礼。いきなり声を掛けて申し訳ない。わしはこの村で村長をやっとります、バセットという者です。見かけないお顔ですが、ひょっとして旅の方々ですかな?」


 おっと、来ましたよ。「村長との遭遇イベント」だ。

 こういうファンタジー系の世界を旅する際、村長との交流は非常に重要だ。なにしろ「酒場の店主」と双璧を成すほどの貴重な情報源だからな、ここはひとつ仲良くなっておいて損はないだろう。

 少ししわがれたバセットさんの声に、俺達は頷く。


「そうですか。わざわざこんな小さな村によくおいでくだすった。自然の恵みが豊富な以外は何も無い村ですが、どうぞ滞在中はゆっくりしていってくだされ」

「はい! ありがとうございます、村長さん」

「助かります」


 穏やかな口調で歓迎してくれたバセットさんに、ジャックが元気良く返す。

 俺もならうようにして軽く頭を下げてから、折角だし少し質問してみることにした。


「それにしても、大変そうですね。他の村でもあんな感じなんですか?」

「大変? ……ああ、本の不足のことですか」


 俺の向けた視線の先、本を回し読みしている人々を眺めながら、バセットさんが口髭を撫でて難しい顔を浮かべる。


「そうですなぁ。ここいらの村じゃ、どこも似たり寄ったりと聞いとります。なにしろここは、王都は勿論、大きな町とも遠い上に、それほど潤った村でもないですから。半年に一度、行商人が運んで来る本を数冊買うのがやっと。お陰で、村ではいつも本が不足していまして」


 なるほど、そりゃあ十人単位で回し読みもするわけだ。


「でも、買った本を書き写していけば、少しは足しになるんじゃないですか?」


 ジャックの提案に、けれどバセットさんは難しい顔のまま首を振る。


「やっとる者もおりますが、そもそも高度な文字の読み書きに慣れている者がほとんどいない上に、みな日々の仕事や家事などで忙しい身ですから。なかなか作業が進まないのが現状ですな」

「うーん、そっかぁ。それじゃしょうがないね。でもまぁ、本なんて別に無くてもそこまで困るものじゃ…………あ、あれ? どうしたの、シバケン? な、なんでそんな冷たい目をするのかなぁ?」


 隣から向けられている冷ややかな視線に気付いたらしい。

 冷や汗を掻いて狼狽するジャックに、俺はビシッと人差し指を向けた。

 

「ジャック……お前、なぁんか勘違いしとりゃせんか?」

「へ?」

「いいか? この世界には『フィキペディア』も無ければ『ゴーゴル』も無い。『ぬちゃんねる』も『まとめサイト』も『スイッター』も、ネットを用いた情報のやり取りは何一つ無いんだよ。そうなりゃあとの情報媒体は口伝えか本くらいのものだ。どっちの方が良いかは、わかるな?」

「ぜ、前半は何を言ってるのかさっぱりだけど……それなら、口伝えの方が手間もお金も掛からないし良いんじゃ、ない、かな?」


 俺の纏う鬼のような覇気に圧倒されながら、自信無さげにそう答えるジャック。

 そんなケモ耳娘に、俺は畳みかけるように詰め寄った。


「じゃあお前、今まで探検した遺跡の数とか正確な場所とか、全部そらで言えるのか?」

「へ? え、えっと、たしか前に探検したのは……」

「どのくらいの広さだった? どんな生物がいた? 罠などはあったか?」

「ひ、広さ? どんな生物がいたかって……」

「内部構造は? 植生は? 推奨装備は? 歴史的背景は? 収集したお宝は? 出現モンスターは? フィールドの属性は? レアアイテムのドロップ率は?」

「う、うわぁぁぁぁぁ!?」


 俺の怒涛の質問責めに耐えかねたらしく、ジャックは遂にそのフサフサの耳を押さえながらうずくまった。

 毛並みの良いモフモフの尻尾も、すっかり丸まってしまっている。


「そ、そういえばボク、いつもそういう情報を一切集めないままいきなり探検してたよ……」

「それで、どうだったんだ?」

「……いつも、死にかけてたよ」


 今更ながらにどれだけ危険だったのかを自覚したのか、フルフルと肩を震わせるジャック。

 そんな彼女に手を差し伸べ、俺は仏の如く慈愛に満ちた顔でゆったりと微笑みかけた。


「事前に危険を知っていれば、安心して探検ができる。前の遺跡での経験を記録しておけば、次はより効率の良い探検ができる。世の中は、より情報を持つ者が有利なようにできているのさ。そしてそんな情報の集合体が、本だ。本がいかに大事か、わかってくれたね? ジャック」

「シ、シバケン……! ぼ、ボクが、ボクが間違ってたよ! 本って、こんなに大事なんだね!」

「わかってくれれば良いんだ。お前の全てを許そう、ジャック。さぁ、おいで!」

「クゥーン!」


 手を広げた俺の胸に、すかさずジャックが飛び込んで来た。

 鼻をくすぐるお日様の香り。押し当てられる柔らかい感触。中毒性の高いフサフサ尻尾。その全てが今、俺の腕の中に!


(俺氏、大勝利ぃぃぃぃぃぃ!)


 心の中で盛大なガッツポーズを決めて、俺はジャックの頭と尻尾を執拗に撫でた。

 我ながらどんなキャラだ、とさっきは恥ずかしさで死ぬところだったが、この単純ボクッ娘はなかなかどうしてチョロ……ノリがいい。

 お陰で良い思いができた。いや、満足満足。


「ええ、まさにおっしゃる通りなのですよ」


 と、そんな茶番を嫌な顔一つせず見守ってくれていたバセットさんが、うんうんと頷いた。


「わしらも王都近郊で使われている新しい農具や農法なんかの情報をもっと集められれば、この村の暮らし向きも少しは良くなると思うのですが。それに、村の子どもたちの為にも、童話やおとぎ話の本なども、もっと仕入れてあげたいのですがね……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る