24 誤認の末

 近藤信竹中将率いる第二機動部隊(第二艦隊)が第一機動部隊(第一航空艦隊)との合同を果たしたのは、一六〇〇時(現地時間:一九〇〇時)過ぎのことであった。

 すでに日没まで一時間を切り、下弦に近い月齢二十・二の月が空に昇っていた。

 この時、第二艦隊が合同を果たした一航艦の艦艇は、第四駆逐隊に護衛された赤城、加賀、蒼龍の損傷三空母であった。

 すでに三空母とも火災は鎮火しているようであったが、赤城のみは洋上に停止して戦艦比叡による曳航が試みられていた。

 赤城は被弾によって左舷側の舵が舵中央のまま固定されてしまっていたが、その後の消火活動でさらに機関までが停止してしまう事態に陥っていたのである。

 これは直接的な損傷が原因ではなく、消火活動の中で放出された炭酸ガスが機関室に入り込み、機関科将兵の一部がこれによって死亡、脱出した者たちもいたものの、機関部に炭酸ガスが充満して再び機関室に戻ることが不可能となってしまったのである。

 戦闘中であるために各所の隔壁も閉鎖されており、換気のしようがなかった。

 このため舵の損傷と合せて、南雲中将および栗田中将は比叡に赤城の曳航を命じていたのである。

 この間、三空母は米潜水艦のものと思しき雷撃を受けたが何とか無傷で切り抜け、第二艦隊と合同する三〇分ほど前にはB17による空襲も受けたが、これも高高度からの水平爆撃であったために命中弾はなかった。

 なお、このB17隊はハワイを出撃したブレイキー少佐の部隊と、ミッドウェー基地で再度、爆弾を搭載して出撃したスウィニー中佐の部隊であり、彼らは戦果として空母二、戦艦一、巡洋艦一、駆逐艦一の撃破を報告している。

 この他、ミッドウェー島からはノリス少佐率いるSB2Uヴィンディケーター隊とSBDドーントレス隊も薄暮攻撃を期して出撃していたのだが、彼らは針路を誤った末、自らの機位を失い、ノリス少佐以下多数の機体が未帰還となった。


「ようやく、日没か」


 愛宕艦橋で、近藤信竹中将は一息つくかのように安堵の声を漏らした。

 日の出と共に始まったミッドウェー攻撃に始まり、敵機の連続した空襲と、その後の北上しながらの米空母への攻撃。

 砲水雷戦と違い敵艦の姿が見えないことで、かえって緊張を強いられていた。敵の姿が見えないことで、いつ何時、どの方角から敵の来襲を受けるか判らないからだ。

 その意味では、伊勢に搭載された対空電探は非常に役に立っていた。日向の水上捜索電探も一航艦の艦艇と合同するのに効果を発揮したのだから、なかなかに便利な装備であった。


「問題は、これからだな」


 第二艦隊では一五〇〇時過ぎ、飛龍艦攻隊の発した米空母一隻撃沈確実という電文を受信していた。実際に撃破された敵艦の姿が見えないため、戦果の判定にはある程度、慎重さが求められるであろうが、午前中の戦果と合せれば米空母五隻を撃沈したことになる。

 陸奥の通信室は第四駆逐隊のもたらした捕虜情報(米空母がレキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットの五隻であるというもの)を受信していたので、近藤もこれでミッドウェー沖に現れた米空母のすべてを撃沈出来たと考えていた。

 残された問題は、ミッドウェー島の基地施設である。

 第二艦隊が再度の空襲を受けたということは、ミッドウェーの航空基地は未だ健在と考えるべきだろう。

 これはいよいよ、夜間、艦砲によってミッドウェー島の基地施設を破壊する必要があるかもしれない。

 この場の最先任指揮官は、近藤自身であった。

 損傷した隼鷹も含めて南雲中将の下に空母をすべて預け(上陸船団の護衛についている瑞鳳、祥鳳は除く)、自らはこのまま南下してミッドウェー島を叩くべきか。

 MI作戦を完遂すべく、そう作戦計画の修正を考えていた近藤を驚愕させる電文が届けられたのは、一六一三時(現地時間:一九一三時)のことであった。


「重巡筑摩からの電文を傍受しました。『本艦二号機、傾斜炎上中ノ敵空母東方三〇浬ニ敵空母四、戦艦二、巡洋艦六、駆逐艦十五ノ西航スルヲ認メタリ』。以上です」


「……これは、どういうことだ?」


 思わず、近藤は白石参謀長を始めとする幕僚を見回した。

 捕虜情報では米空母は五隻。こちらの航空隊の戦果報告では、撃沈確実と報告された空母は五隻。つまり、米艦隊にもう健在な空母は残っていないはずであった。

 だというのに、新たに四隻の空母が出現していた。

 捕虜情報になかったワスプとレンジャー、それに何隻かの特設空母が後詰めとして控えていたとでもいうのか。

 あるいは、攻撃隊の戦果報告に誤認があったのか。


「急ぎ、一航艦司令部に問い合わせましょう」


 白石参謀長も、緊迫した面持ちになっていた。

 新たな敵空母の存在もそうだが、その艦隊が西に向かって進んでいるというのが気になるところであった。

 もしや敵は、インド洋での一航艦のように、水上艦艇による追撃戦を目論んでいるのではないか。

 何せ、こちらには機関が停止して曳航せざるを得ない赤城が存在している。米航空隊によって曳航中の赤城は確実に捕捉されているはずであり、夜戦によってこれを撃沈しようというのは、決して突飛な考えではない。

 しかも、彼我の艦隊の距離は一〇〇浬未満に縮まっている。

 現状で赤城がほぼ停止状態であることを考えると、敵艦隊が二〇ノット以上の速力で接近してきた場合、五時間から六時間でこちらは捕捉されてしまう。

 そして、午前と午後に撃破した米空母の護衛艦艇にも、戦艦も存在していた。この新たに現れた敵艦隊に含まれる戦艦の数を加えれば、三隻から四隻の戦艦が未だ米艦隊で健在なはずである。

 米旧式戦艦は真珠湾で壊滅させたはずであるから、これら米戦艦は十六インチ砲を搭載した最新鋭戦艦であろう。

 一航艦の護衛である金剛型では、荷が重い相手だ。金剛型は所詮、巡洋戦艦改造の戦艦でしかない。

 四十一センチ砲を搭載する陸奥を擁している自分たち第二艦隊が相手取らなければならないだろう。その第二艦隊にしても、四十一センチ砲を搭載しているのは陸奥のみ。

 伊勢と日向は三十六センチ砲搭載戦艦で、しかも日向は砲塔爆発事故によって第五砲塔を失って砲戦能力が低下している状態である。

 近藤の背を、冷たい汗が流れていた。


  ◇◇◇


 飛龍がすべての機体の収容を終えたのは、一六二〇時(現地時間:一九二〇時)のことであった。

 橋本大尉機以下、生還した機体も大なり小なり損傷を受けていた。

 一度、米空母から距離を取るために西に進んでいた第一航空艦隊は、攻撃隊の収容のため再び東進していた。

 被弾した翔鶴も機関は無事で、火災も鎮火させることが出来た。少なくとも、空襲で損傷した艦はあれど、沈没した艦は現時点では存在してしなかった。

 ただ、飛龍の搭乗員待機室の雰囲気は、重く暗いものであった。

 飛龍飛行隊長・友永丈市大尉以下、士官搭乗員のほとんどが戦死・負傷し、五体満足で生き残っているのは艦爆隊長である小林道雄大尉と艦攻隊の橋本敏男大尉、それに零戦隊の重松康弘大尉など片手の指で数えられるほどしかいなかった。

 下士官以下の搭乗員の未帰還は、さらに多い。

 主計科烹炊班は今日一日戦い通しであった搭乗員のための食事を用意していたが、他空母から飛龍に着艦した搭乗員たちに分けてもまだ、余ってしまったほどであった。持ち主のいなくなった食器が、机の上に寂しそうに並んでいる。。

 無事に帰還出来たものの、橋本敏男大尉は到底食事に手を付けようという肉体的・精神的余裕はなかった。とにかく疲れ切っていた。

 山口少将らに戦果報告を行った後、十分に休むようにと言われると蜜柑の缶詰の汁だけを飲んで、彼は搭乗員寝室に下がった。

 一方、日没を控えて母艦搭乗員たちの出番は終わりを迎えたが、二航戦司令部を始めとする指揮官たちは今後の作戦計画の立て直しに奔走しなければならなかった。

 その中でも筑摩が一航艦司令部にもたらした情報は、作戦を継続させる意志を南雲長官の心から奪いつつあった。

 筑摩の水偵は戦果確認のために米艦隊に向けて発進したものであるが、これまで発見されていた米艦隊の後方にさらにもう一群の米空母部隊を確認したというのである。

 インド洋では赤城と翔鶴の被弾に留まっていたというのに、今回は赤城、加賀、蒼龍、翔鶴の四空母が被弾し、さらに英艦隊と対峙した時以上の搭乗員を失っている。この状態で作戦を継続することは不可能なのではないか、そうした疑念が急速に南雲の中で膨らんでいたのである。

 それに、自分たちは少なくとも五隻の米空母を撃沈したという思い込み(事実ではあったが)もまた、作戦の切り上げ時という考えを南雲にもたらしていた。

 どうやら米空母を全滅させるまでには至っていないようであったが、少なくとも半数以上は撃沈した。これ以上、危険を冒してまでミッドウェー島攻略作戦を継続する必要性を、南雲は感じていなかったのである。

 もちろん、筑摩からの報告に南雲も含めた司令部の誰も疑念を持たなかったわけではない。しかし、筑摩艦長・古村啓蔵大佐からこの報告は確実であるという返答がもたらされると、それ以上、一航艦司令部はこの報告に疑問を差し挟まなくなってしまった。

 第四駆逐隊に護衛された損傷空母と合流したらしい第二艦隊司令部からも同様の問い合わせがあったが、一航艦司令部は新手の米空母四隻という情報は確実であると返信している。

 とはいえ、近藤中将は南雲中将よりも先任であり、MI作戦の現場指揮官の最高責任者とでもいうべき立場にあった。南雲が独断で作戦の中止を決定するわけにはいかない。

 一六四五時(現地時間:一九四五時)、南雲が将旗を掲げた軽巡長良から、「第五次攻撃隊収容完了。兵力整頓竝ニ緊急補給ノ為機動部隊ハ西方ニ退避シ改メテ攻撃ヲ再興セントス」という電文が発せられた。

 「攻撃ヲ再興」とは言っているものの、実質的に一航艦が継戦能力を喪失してしまったことを示す電文であった。南雲は暗に、近藤中将に対して作戦中止を臭わせていたのである。

 第三戦隊司令官の栗田健男中将はこの電文を当然と受け止め、第二航空戦隊司令官の山口多聞少将も航空隊の損害の多さからやむを得ないことと受け入れた。

 山口にとってみれば、セイロン沖海戦の時と違い、十分に追撃した上での退避の決断である。最早、飛龍と瑞鶴のみが健在な状況では、納得するしかなかった。

 しかし問題は、どうやらこちらに向かって進みつつある米艦隊にいかに対応すべきかあった。

 比叡は赤城の曳航のために戦力として使用出来ず、残余の水上艦艇も残り五空母の護衛がある。

 だが、その問題は間もなく解決した。

 長良からの電文を受信した近藤中将が、ひとまず殿を務めると伝えてきたのである。その上で、一航艦は戦力の再編に全力を尽くすよう、命じてきた。

 夜戦は、第二艦隊のお家芸ともいえる戦法である。もともと、第二艦隊は漸減邀撃作戦における夜戦部隊として編制、訓練されてきたのだ。

 それだけに、近藤中将には殿を務め切る自信があるのだろう。

 だが、米艦隊の追撃を撃退したところで明日以降、MI作戦を継続出来るとは、南雲は考えていなかった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 実際のところ、筑摩の報告は完全なる誤報であった。

 零式水偵からの報告そのものも誤報であったのだが、水偵からもたらされた十本以上の電文を要約して一航艦司令部に報告する際、どういうわけか手違いが生じ、水偵が報告した空母の数が重複して計算され一航艦司令部に報告されてしまったのである。

 筑摩の古村啓蔵艦長を始めとして、この時点では誰もそれに気付いていなかった。

 結果、新手の四空母が出現したという報告が、一航艦司令部で信じられるようになってしまったのである。

 しかし一方、米艦隊が西に向けて進んでいるという部分だけは正確であった。






「フレッチャー提督、我々は水上艦艇を結集させてジャップ艦隊の追撃を行うべきであると考えます」


 戦艦ワシントンのTBS(艦隊内電話)を使い、スプルーアンスは重巡アストリアのフレッチャー少将にそう具申した。

 この場での最高指揮官は、第十七任務部隊率いるフレッチャー少将である。


『しかし、こちらのノースカロライナは第一砲塔の二門が故障して射撃不能となっている。ポートランドも損傷した』


 受話器の向こうで、フレッチャーが渋い声を出す。


「とはいえ、このまま真珠湾に帰るわけにもいかないでしょう。それでは、ミッドウェーの守備隊を見殺しにすることになります。基地航空隊の戦果まで総合すれば、我々は最低でも戦艦一隻、空母五隻は撃破しています。こちらも空母をすべて失ってしまいましたが、まだ勝機が完全に去ったわけではないと思うのです」


『リー少将の意見はどうだね?』


「では、代わらせていただきます」


 そう言ってスプルーアンスは受話器をリーに渡した。


「リーです。私もスプルーアンス提督の意見に賛成します。何より、このワシントンとノースカロライナにはレーダーがあります。夜戦における優位は確実です」


 リーは眼鏡の奥で闘志を燃やしていた。彼は合衆国海軍における砲術の権威であり、またレーダーを用いた射撃に通暁した人物であった。

 だからこそ、ジャップ艦隊との夜戦に積極的であったのである。


「偵察機からの報告によれば、ジャップ空母の一隻は航行不能となり、曳航されつつある模様。現在、ジャップ艦隊との距離は九〇浬を切っています。二十二ノット、いえ、二十四ノットで追撃すれば、日付が変わる前にジャップ損傷空母を捕捉出来るはずです」


『……』


 受話器の向こうで、しばしフレッチャーは悩んでいるようであった。

 欧州戦線の戦況にもよるだろうが、太平洋艦隊の空母戦力が回復するのはどう考えても来年の六月以降になるだろう。新鋭空母のエセックス、ボンノム・リシャール(後にヨークタウンⅡと改名)、それに軽空母のインディペンデンスが竣工してある程度の訓練が終わるのがその頃だからだ。

 そこにワスプとレンジャーを合わせて、ようやく今回の海戦と同じ五隻の空母を揃えることが出来る。

 しかし、それまでに今回の海戦で損傷したジャップ空母は確実に修理を終えるだろう。つまり、今後一年近く、ジャップ空母に対抗出来る有力な戦力が太平洋艦隊には存在しないことになってしまうのだ。

 であるならば、ジャップ空母を損傷させられた今、多少の危険を犯してでもこれに止めを刺すべきである。

 フレッチャーの中で、そういう結論が出されたのだろう。


『よかろう。我が海軍における砲術の第一人者がそうまで言うのだ。今より、ジャップ空母の追撃に移ろう』


「アイ・サー」


『これより、水上砲戦の指揮はリー少将に一任する。それで良いな?』


「ありがとうございます、提督」


 合衆国海軍らしい、臨機応変な対応であった。

 時間も惜しいため、第十六任務部隊と第十七任務部隊は、西進しながら合同を目指すこととなった。

 この時点で合衆国海軍に残された兵力は、次の通りであった。


【戦艦】〈ワシントン〉〈ノースカロライナ〉

【重巡】〈アストリア〉〈ポートランド〉〈チェスター〉〈ニューオーリンズ〉〈ノーザンプトン〉〈ペンサコラ〉

【駆逐艦】〈アンダーソン〉〈クヴィン〉〈モリス〉〈ラッセル〉〈フェルプス〉〈ウォーデン〉〈モナハン〉〈エイルウィン〉〈モーリー〉


 空襲の結果、五隻の空母と重巡ヴィンセンス、ミネアポリス、軽巡アトランタ、駆逐艦ハムマンは沈没し、駆逐艦ヒューズとベンハムは損傷が激しいため後退させた。

 また、第十六任務部隊に所属していた駆逐艦バルチ、カンニンガム、エレットの三隻に関しては、沈没したホーネット、ミネアポリス、エンタープライズの乗員たちが甲板にまで溢れていたため、海戦には参加させられない。

 第十七任務部隊では、沈没艦の乗員は一旦、駆逐艦が救助した後にノースカロライナなど大型艦に収容し直していた。艦内空間の余裕や医療設備なども、そちらの方が優れていたからだ。

 しかし、日没寸前まで戦闘を行っていた第十六任務部隊の方には、駆逐艦が救助した乗員を大型艦に移乗させられるだけの時間的余裕がなかった。

 ジャップ艦隊を追撃するために、ここで時間を浪費しているわけにはいかないのだ。

 結果、戦艦二、重巡六、駆逐艦九という戦力で、合衆国海軍はジャップ空母部隊の追撃に向かうこととなったのである。

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