23 薄暮の決着

 志賀淑雄大尉率いる零戦隊が龍驤と隼鷹に帰還したのは、一四三〇時(現地時間:一七三〇時)過ぎのことであった。

 この時、近藤信竹中将率いる第二機動部隊(第二艦隊)は、依然として北東方向に向けて航行を続けていた。

 ただし第一機動部隊(第一航空艦隊)が北上の後、西進したことで、合流は果たせていない。

 ミッドウェー攻撃隊を収容後、一航艦の支援のために北東方向に航行を開始してからすでに六時間以上。時間や距離から考えて、そろそろ第一航空艦隊の艦艇と会合を果たせても良い頃であった。

 志賀大尉の零戦隊は、四機が未帰還となった。無事に帰還した機体も、搭乗員が負傷していたり、機体そのものが損傷していたりと、激しい空戦の様相を偲ばせていた。

 四航戦には依然として九七艦攻と九九艦爆が残されていたが、機体の修理などで時間を取られたために、ついに入来院隊以外の攻撃隊を米空母に差し向けることは出来なかった。

 現在は、ミッドウェー攻撃用に搭載していた爆弾を外して弾薬庫に戻し、機体から燃料を抜いて格納庫に収めている。

 明日以降に戦闘がもつれ込むようであれば、一航艦の残り三空母と合同してMI作戦の続行に当たるつもりであった。


「一航艦司令部に、位置を問い合わせてみるべきか」


 現状は、一航艦の三隻と四航戦がそれぞれ単独に戦っているようなものである。

 母艦航空隊同士の連携も、十分に果たせていない。もし明日も戦闘が続くようならば、戦力の低下した一航艦を四航戦の航空隊が補わなくてはならない。

 角田はそう考えていた。

 と、その時だった。


「伊勢より発光信号! 真方位一四〇度、距離四万九〇〇〇に反応ありとのこと!」


 見張り員が、そう報告した。方角的には、ミッドウェー島のある方向である。


「うぅむ……」


 角田は思わず唸り声を上げた。

 敵艦隊と敵陸上基地を同時に相手取る難しさ。

 午前の攻撃でミッドウェーの航空基地にはそれなりの打撃を与えたと考えていたが、こちらが米空母の撃滅に躍起になっている間に滑走路などを復旧したのか、あるいはこちらの攻撃が不十分であったのか。

 伊勢の高角砲が、二、三度、射撃を行う。これは敵機を迎撃するためでなく、上空の直掩隊に敵機(と、思われる反応)の進入方向を伝えようとしているのだ。

 わずかに上がっていた二個小隊六機の零戦が、それを見て南東の方角に翼を翻す。見張り員もまた、伊勢が伝えてきた方角に双眼鏡を向けていた。

 朝からの戦闘で見張り員もだいぶ疲れており、十二センチ望遠双眼鏡から時折目を離して何度か瞬きをする者もあった。太陽の光に目を痛めつけられて、視力が著しく落ちていたのだ。

 電探がなければ危なかったかもしれないと、角田は少し背筋の寒くなる思いであった。

 旗艦愛宕が北西方向に舵を切り、全艦がそれに倣う。敵機の来襲方向とは反対方向に舵を切り、直掩隊の迎撃時間を出来るだけ長く取るための、後落という艦隊運動。


「……敵機、ドーントレス艦爆約十! 突っ込んできます!」


 見張り員が敵機を発見したのは、距離二万メートルに迫ってからのことであった。やはり、目の疲労は見張り能力に無視出来ぬ影響を与えていたらしい。

 この時、第二艦隊を捕捉したのは、ミッドウェー島に不時着の上、再出撃したエドガー・ステビンス大尉率いるホーネット第八爆撃隊十五機であった。

 彼らは本来であれば一航艦を目指して進撃していたのであるが、その途上で龍驤と隼鷹を発見し、攻撃態勢に入ったのである。

 ステビンスらは、敵艦隊発見には少し早いと疑問を思いつつも、そこに空母らしき艦影が見えるのだからこれがナグモ・タスクフォースの残存空母に違いないと判断していたのであった。

 彼らは六機の直掩の零戦の妨害を受けつつも、八機が第二艦隊上空へと侵入することに成功していた。


「撃ち方始め!」


 号令と共に、各艦で対空射撃が開始される。夕焼けに染められつつある美しい茜色の空が、一挙にどす黒く汚されていく。

 連続する発砲音と高角砲弾が炸裂する轟音。

 恐らくはこの日最後となるであろう対空戦闘を、角田はじっと見つめていた。


「敵機、隼鷹に急降下!」


 米軍攻撃隊は、隼鷹に目標を定めたらしい。角田はぐっと拳を握りしめる。どうか無事に空襲を切り抜けてくれと、祈りにも似た思いを抱く。

 隼鷹を包み込んだ水柱は、龍驤艦橋からも見ることが出来た。この海戦が初陣となった商船改造空母は、取り舵に転舵しながら敵艦爆からの攻撃を回避している。

 やがて最後の一機が隼鷹上空を飛び去り、崩れた水柱の向こうから彼女の健在な姿が現れた。

 龍驤艦橋の誰もが、安堵の息を漏らす。

 どうやら、午前中に引き続き、今回の空襲も無事に切り抜けられたらしい。

 角田も拳を解き、ほっと安堵に胸をなで下ろす思いであった。

 だがその直後、不可解な報告が隼鷹から寄せられた。


「……飛行甲板を損傷した、だと?」


 伝令からの報告に、角田は眉根を寄せた。艦橋から見える隼鷹は、黒煙一つ上げていない。一見、何の損傷もないように見えるが、不発弾が命中でもしていたのだろうか?


「報告によりますと、至近弾の断片が舷側を突き破り、飛行甲板を下から貫いたとのことであります」


「……」


「……」


「……」


 その言葉に、四航戦司令部や加藤艦長は思わず絶句した。そして互いに顔を見合わせた。

 あまりに戦闘艦艇らしからぬ損傷理由である。

 だが、隼鷹が商船改造空母であることを思い出すと、嘆息と共に納得せざるを得ないことだと気付いた。

 船体が商船故の脆弱さが、土壇場になって露呈したというわけか。


「これで、残るは我が龍驤と飛龍、そして五航戦の四隻だけか」


 角田は悔しげに、再び握った拳を自らの大腿に打ち付けた。

 日向の二一号電探が一航艦らしき反応を探知したのは、一五三〇時(現地時間:一八三〇時)のことであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 夕暮れに染まった空の下、空襲を受けているのは第十六任務部隊も同じであった。

 しかし、置かれている状況は第二艦隊よりも遙かに悪かった。ジャップ艦爆隊に痛めつけられたエンタープライズは未だ機関が復旧せず、黒煙を上げ続けていたのである。

 黒煙は敵攻撃隊にとって格好の目印であろうし、動けない艦など訓練の標的と同じである。

 直掩の戦闘機もなく、不時着水した搭乗員たちの救助やエンタープライズの消火応援などで輪形陣は乱れていた。

 レーダーでジャップ攻撃隊の接近を探知すると、戦艦ワシントン以下の艦艇は急ぎ、機関出力を上げた。

 スプルーアンスとリーの二人の提督が座乗するワシントンも、最大速力である二十八ノットへと速力を上げつつある。


「……今回のジャップは、執念深かったようですな」


 眼鏡をかけた知的な風貌の戦艦戦隊司令官は、迫りつつあるジャップ攻撃隊を見上げながら平坦な口調で言った。感情を、極力表に出さないようにしているのだろう。


「ああ」


 対するスプルーアンスの表情も、表面上は冷静そのものであった。


「だが、私も執念深さでは日本人に負けるつもりはない」


 第十六任務部隊司令官は、意味深な視線をアナポリス(アメリカ海軍兵学校)一期後輩の司令官に向ける。


「提督は、水上部隊指揮官に立ち返るおつもりですかな?」


 口元にかすかな笑みを浮かべて、リーは尋ねる。


「それは、この空襲の結果次第ではあるが」


「それもそうですな」


 司令官であるが故に手持ち無沙汰となってしまった二人は、そのまま上空へと視線を向けた。

 やがてグレン・デイビス艦長の「撃ち方始めオープン・ファイアリング」の号令と共に、ワシントンの五インチ両用砲が射撃を開始した。






 「トツレ」の信号を発した友永機は、第一中隊を率いて米空母の右舷側に回り込もうとした。橋本大尉率いる第二中隊は、左舷側に回り込もうとしている。

 二人の指揮官は事前に敵空母の攻撃方法について示し合わせており、両舷からの挟撃で米空母に止めを刺すつもりであった。

 編隊を二つに分けつつ進む艦攻隊に対して、米艦隊は猛然たる対空砲火を撃ち上げ始めた。降下を続ける九七艦攻の周囲で敵弾が炸裂し、風防が震える。

 十機の九七艦攻は、高度五〇〇メートルで乱れた敵輪形陣の外縁に差し掛かろうとしていた。

 そんな艦攻隊の突撃を少しでも援護しようとしたのだろう。森茂大尉率いる零戦隊が、速度を上げてその対空砲火の中に突っ込んでいった。

 機銃を、対空砲火を激しく撃ち上げる敵艦に撃ち込んでいく。機銃座などに取り付いている敵乗員を殺傷しようというのだろう。

 実際、六機の零戦による機銃掃射は米艦艇の艦上を阿鼻叫喚の地獄と化させた。

 駆逐艦ベンハムの機銃座では、乱射された零戦の機銃弾によって無数の機銃員が四肢をもぎ取られ、あるいは二〇ミリ機銃弾の直撃によって乗員の肉片が周囲に飛び散った。甲板上は、すぐに血の川に変わってしまった。

 重巡ペンサコラは後部射撃指揮所に二〇ミリ機銃弾を撃ち込まれ、内部を肉片と血の缶詰へと変えた。

 だが、戦艦ワシントンの強力な対空砲火は、そうした惨劇をもたらした零戦隊に鉄槌を下した。森茂大尉の機体は両用砲弾の直撃を受けて爆発四散し、もう一機の零戦も炎上し海面に激突した。

 その中を、友永隊は洋上に停止する米エンタープライズ級空母に向けて突撃する。

 艦隊陣形の外縁部を守る敵駆逐艦を突破し、高度はすでに五メートル。

 曳光弾が頭上をかすめ、炸裂した砲弾の断片が海面を泡立たせる。轟音と閃光と黒煙の中を、友永機は三三〇キロを超える速度で突撃していた。

 黒煙を上げ続けて停止する空母の舷側で、米兵が必死に機銃を操っているようであった。赤い発砲炎が、友永の目に映る。

 射角は、理想的な九〇度に近い角度になっていた。

 これなら、確実に当たる。

 友永がそう確信した刹那であった。

 衝撃と共に風防が割れ、操縦席に血飛沫が舞った。


「ぐっ……」


 呻きと共に、彼は敵高角砲弾の断片にでも当たったのだと直感した。それでも、操縦桿からは手を離さない。仕留めるべき米空母は、もう目の前に迫っているのだ。

 燃料の入った左タンクから、火が噴いている。

 友永は、なおも機体の雷撃針路を保ち続けた。


「用意―――」


 そして、彼我の距離が八〇〇メートルに迫った瞬間。


「てっ!」


 投下索を引いた。重量八〇〇キロの九一式航空魚雷が胴体を離れる。

 だが、軽くなったはずの機体は浮き上がらない。最早、それだけの力が九七艦攻に残っていないのだ。


「……すまん、な」


 それは、誰に対しての謝罪だったのか。

 片翼を損傷した機体で出撃し、道連れにしてしまった赤松特務少尉と村井一飛曹に対してか。それとも、九州で自分の帰りを待っているはずの妻と幼い息子に対してか。

 目の前に、米空母の舷側が迫ってきている。

 刹那の間に様々な情念が渦巻き、それが彼の中で明確な思考となる前に、友永丈市大尉の操る九七艦攻は炎上したままエンタープライズの舷側に体当たりした。






「命中だ、命中です! 命中しましたよ!」


 エンタープライズの頭上を飛び越えた橋本機の機内では、操縦員の高橋利男一飛曹の興奮した声が響いていた。

 偵察員席に座る橋本は、第二中隊長として冷静に米空母の様子を確認していた。

 自分たちが狙った左舷に魚雷三本、友永隊長が狙った右舷に二本の魚雷が命中したようであった。停止した目標に対して、命中率は五割。

 対空砲火の激しさから考えて、これは満足すべき命中率だろう。これだけの魚雷を喰らえば、米空母も無事では済むまい。

 橋本機は米艦隊の輪形陣を離脱すると、空中集合地点に向かった。攻撃を終えた機体が、続々と集まってくる。


「……」


 橋本は、その中に友永機の姿を探そうとした。尾翼を黄色く塗り、その上に赤二本線を引いた上に太い赤一本線を描いた隊長機。

 だが、いくら周囲を見回しても友永機の姿はなかった。そして、零戦隊長であった森機の姿も。

 ああ、生き残った士官は自分だけになってしまったのだな……。

 そう思うと、橋本は言いようのない寂しさに襲われた。攻撃に成功し、米空母は傾斜を深めている。それなのに、興奮は一向にやってこない。ただ、空虚な穴が胸の内に空いたような気分であった。

 だが、生き残った士官搭乗員が自分だけであるのならば、自分は士官としての役割を果たさなくてはならない。

 橋本は、努めて平坦な声で伝声管に言った。


「小山、飛龍に電文だ」


 伝声管を通して、電信員の小山富雄三飛曹に命じる


「『我、敵エンタープライズ級ニ魚雷命中五。撃沈確実。今ヨリ帰投ス』と」






 エンタープライズのマレー艦長が総員退艦命令を発したのは、被雷から三十分後のことであったという。

 帝国海軍は多くの搭乗員の犠牲を払いながらも、ついに米空母のすべてを撃沈することに成功したのである。


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  あとがき


 本話にて友永丈市大尉が家族を想う場面が出てきますが、友永大尉の妻子については資料によって情報が一定せず、不明な点が多いです。

 豊田戦記(豊田穣『ミッドウェー戦記』)では妻子の実名が掲載されておりますが、それを元に再調査を行った亀田戦記(亀井宏『ミッドウェー戦記』)では、豊田戦記に書かれた内容について裏付けを取ることが出来なかったようです。

 その後、森戦記(森史朗『ミッドウェー海戦』)にて、実名は書かれていないものの、かなり詳細なことが書かれております。

 どの記事が正しいのかは判りませんし、ここで豊田戦記に書かれていたお名前を出すわけにもいきませんでしたので、このような形とさせていただきました。

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