25 両軍邂逅

 長い一日の航空戦を終えた第一航空艦隊は、西へ向かって進んでいた。

 空襲や潜水艦の襲撃などがありつつも、艦隊は一隻の喪失艦も出すことなく、米空母部隊の撃滅に成功したのである。

 しかし今、夜の帳が降りたミッドウェー沖の海を進む艦隊は、内地へと凱旋しようとしているようには見えなかった。

 むしろ、米艦隊からの追撃を逃れるべく一刻も早くミッドウェー沖から離脱しようとする、敗残の艦隊のようにも見えた。

 実際のところ、一航艦司令長官・南雲忠一中将の心境は敗軍の将のそれに等しかった。

 空母赤城、加賀、蒼龍、翔鶴を損傷し、航空隊も甚大な被害を受けた。今や、開戦以来、太平洋とインド洋を縦横に駆け回り、無敵を誇ってきた帝国海軍空母部隊は満身創痍であったのだ。

 米空母を五隻撃沈したとはいえ、新たな米空母四隻が出現したとの情報は、勝利の余韻を多くの者たちから確実に奪い取っていた。

 航空戦の後半、果敢に米空母部隊に挑みかかった山口多聞少将や角田覚治少将も、失われた搭乗員の多さに重苦しい気持ちを抱いていた。

 赤城は六ノットでの曳航に成功しており、現状、一隻の空母も失っていないとはいえ、空母は航空機とそれを操る搭乗員がいてこそ戦力を発揮出来る艦種である。

 搭乗員の大量消耗は、今後もまた起こるであろう空母戦に対して、暗い予感を覚えずにはいられないものであった。

 そして、空母戦だけで今回の海戦は決着がつかなかった。

 米艦隊は未だ健在な水上艦艇を用いて、こちらを追撃しようとしている。空母の航空戦力だけで敵艦隊を完全に無力化し、そして陸上の基地を壊滅させることが、極めて難しいということが証明されてしまったのである。

 特に航空主兵主義を信条としていた航空甲参謀・源田実中佐の衝撃は大きかった。

 そして、航空隊の損害が集計されて一航艦司令部に報告されると、明日以降、戦力を再編してMI作戦を継続することがほとんど不可能であることが数字の上でも証明されることになってしまった。

 彼らは殿を務めている第二艦隊の健闘を祈りつつ、艦隊を無事に内地まで帰還させることを決意したのであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 近藤信竹中将率いる第二艦隊は、一航艦に空母龍驤、隼鷹の二隻を預けた後、戦力を再編しつつ米艦隊へ向けて進撃を続けていた。

 出来るだけ、一航艦から離れた海域で夜戦を行うつもりであった。

 一航艦には、曳航されて六ノットしか出せない赤城がいる。一航艦の近くで砲水雷戦などを行えば、一部の米艦艇が第二艦隊を迂回して損傷空母に向かいかねない。

 そうした判断からの艦隊行動であった。

 現在、第二艦隊は米艦隊との夜戦に向けて、次のような編成で航行していた。


  前衛隊

第二駆逐隊【駆逐艦】〈五月雨〉〈春雨〉〈村雨〉〈夕立〉


  掃討隊

第四水雷戦隊【軽巡】〈由良〉

 第九駆逐隊【駆逐艦】〈朝雲〉〈峯雲〉〈夏雲〉

 第二十四駆逐隊【駆逐艦】〈海風〉〈山風〉〈江風〉


  主隊

第四戦隊【重巡】〈高雄〉〈愛宕〉〈摩耶〉〈鳥海〉

付属【戦艦】〈陸奥〉

第二戦隊第一小隊【戦艦】〈伊勢〉〈日向〉


  直衛隊

第十六駆逐隊【駆逐艦】〈雪風〉〈天津風〉〈時津風〉〈初風〉


 第二艦隊には、これまで一航艦の護衛を行ってきた第十六駆逐隊の四隻が加わっていた。

 もともと、第十六駆逐隊は第二艦隊麾下の第二水雷戦隊所属の駆逐隊であった。今回のMI作戦のために一時的に第十戦隊に組み込まれていたのを、再び第二艦隊の指揮下に戻した形である。

 ただし、第二水雷戦隊所属部隊であったために第四水雷戦隊とは合同させず、主隊の護衛部隊とした。

 第四水雷戦隊の指揮下に組み込んでも、もともと同じ水雷戦隊に所属していたわけではないため、指揮系統に混乱が生じると考えられたからである。

 その第四水雷戦隊には、前衛と敵護衛艦艇の掃討という任務が与えられていた。

 この時、近藤信竹中将が命じた艦隊陣形は、後世から批判されることが多い。

 それは、艦隊で唯一、対水上捜索電探である二二号電探を搭載している戦艦日向を艦隊の最後尾に配置したことである。

 第二艦隊の旗艦は愛宕であり、主隊は愛宕を先頭に高雄、摩耶、鳥海、陸奥、伊勢、日向の順で単縦陣を組んでいた。

 指揮官先頭の伝統に則ったわけであるが、もう少し柔軟な艦隊陣形を組むべきであったというのが、後世の評価である。

 ただし、近藤は指揮系統の問題からこうした陣形を選んでいた。

 そもそも、陸奥はMI作戦のために第一艦隊第一戦隊から第二艦隊に一時的に配属された艦であり、戦隊指揮官が存在せず、第二艦隊司令部が直率する艦であった。そのために、どうしても近藤中将直率の第四戦隊と行動を共にせざるを得なかったのである。

 また、伊勢、日向の第二戦隊第一小隊も臨時で第二艦隊に組み込まれた戦隊であり、こちらも戦隊指揮官は不在であった(第二戦隊は第一艦隊司令長官直率部隊)。

 そのため、伊勢艦長の武田勇大佐が第二戦隊第一小隊の指揮を取っていたのである(武田大佐と日向艦長の松田大佐は、共に昭和十二年十二月一日付で大佐に昇進しているが、武田大佐の方が海兵一期先輩であるため、武田大佐の方が先任となる)。

 こうした指揮系統上の問題から、こうした艦隊陣形となってしまったわけである。

 この海戦で柔軟に指揮権の遣り取りをしていた米艦隊とは、実に対照的であった。

 第二艦隊は第二駆逐隊を主隊から十キロ前方に配置して前衛としつつ、十六ノットで東方に向けて進んでいた。

 敵艦隊の位置については日没直前に一航艦の二式艦偵が確認し、それを元に予測される針路を計算、敵艦隊との会敵予測地点に向かっている。

 陸奥以下の艦艇では、すでに弾着観測機の発進準備が完了していた。前衛隊が敵艦隊を発見次第、射出されることになっている。

 そして第二艦隊が東進を開始してから二時間ほど経った一八四二時(現地時間:二一四二時)、艦隊の前衛を務めていた第二駆逐隊の五月雨から「敵艦見ユ」との警報が発せられた。

 この海戦で、初めて水上艦艇が米艦隊を視認した瞬間であった。


  ◇◇◇


 一方の米艦隊は、単縦陣にて日本艦隊の追撃を行っていた。

 艦隊の前衛は、アレキサンダー・R・アーリー大佐率いる第一駆逐戦隊(フェルプス、ウォーデン、モナハン、エイルウィン、モーリー)が務め、それに続くようにウィリアム・W・スミス少将率いる巡洋艦部隊、その後方にウィリス・A・リー少将直率の戦艦ワシントン、ノースカロライナが続き、後衛としてギルバート・O・フーバー大佐の第二駆逐戦隊(アンダーソン、クヴィン、モリス、ラッセル)が配置されていた。


「前衛のアーリー大佐より、距離一万七五〇〇ヤード(約一万六〇〇〇メートル)にて敵艦隊と思しき反応を探知したとのこと!」


 ワシントン艦橋にその報告がもたらされたのは、日本側が米艦隊を視認するよりも一分から二分ほど前のことであった。


「敵艦隊、本艦隊に接近している模様!」


「……ジャップは、こちらを迎え撃つつもりのようだな」


 報告を聞いて、リーはそう判断した。

 会敵時刻は、想定よりも一時間以上早かった。

 ジャップは日没時までこちらの上空に索敵機を貼り付けて自分たちの動向を把握しようとしていた。恐らくはそこから、こちらがジャップ艦隊の追撃を目論んでいると読んだのだろう。

 そうでなければ、ワシントン以下の艦艇は逃げるジャップ艦隊を追うという展開になっていたはずだ。

 そもそも、空母戦の後に水上艦艇で敵残存艦艇を追撃するという戦術をとったのは、ジャップの方が先であった。

 インド洋での追撃戦では、ジャップ艦艇の砲撃によって空母ハーミスが沈められている。

 だからこそ、ジャップはその二の舞になるまいとあえてこちらを迎え撃つ態勢を整えていたのだろう。


「良かろう、望むところだ」


 砲術一筋で生きていたリーにとって、この夜戦はまさしくジャップと砲撃戦で雌雄を決するまたとない機会であった。

 自軍の空母五隻が沈められ手放しで喜ぶことは出来なかったが、それでも静かな興奮と闘志が体にみなぎってくるのをリーは感じていた。

 ジャップの戦艦は、巡洋戦艦改装のコンゴウ・クラスが四隻。

 戦艦の数だけで言えばこちらが劣勢であるが、ワシントンとノースカロライナは十六インチ砲を搭載した最新鋭戦艦である。

 ノースカロライナは主砲二門が使用不能になっているものの、第一次世界大戦期の旧式艦に遅れを取るとは思っていなかった。コンゴウ・クラスの何隻かも、すでに空襲によって損傷していると判断されていたからである。

 さらにこちらにはレーダーがあるのだ。

 合衆国海軍は緒戦の東南アジア戦線で何度か夜戦を経験しているが、バリクパパン沖海戦など一部の例外を除き、ジャップ艦隊に敗北している。

 しかし今回は合衆国海軍にとっては未だ慣れぬ夜戦といえど、十分な勝算はあるとリーは考えていた。

 敵艦隊はこちらに向かって進んでいる。このまま反航戦に持ち込んでジャップ艦隊の脇をすり抜け、損傷空母の撃沈に向かう。

 第一駆逐戦隊の敵艦隊探知からおよそ三分。艦隊の先頭を進む駆逐艦フェルプスが、敵艦隊との距離が一万五〇〇〇ヤード(約一万三七〇〇メートル)を切ったことを報告してきた。

 未だレーダーによる探知のみで視認は出来ていなかったが、リー少将はここで先制すべきであると判断した。


「アーリー大佐およびスミス少将に射撃許可を出せ。まずは探知したジャップ艦を排除する。本艦およびノースカロライナは、星弾射撃による援護を行え」


「アイ・サー!」


 リーの命令は、TBSによってただちに駆逐艦フェルプス座乗のアーリー大佐と重巡アストリア座乗のスミス少将に伝達される。

 二一四五時(日本時間:一八四五時)、米艦隊はレーダーで探知した艦影に対して、一斉に射撃を開始した。


  ◇◇◇


 前衛の五月雨が敵艦隊を視認して三分後、彼女の姿が星弾によって夜の海上に鮮やかに照らし出された。


「いかん!」


 五月雨駆逐艦長・松原瀧三郎少佐は米艦隊に先制されたことに、呻き声を上げた。

 直後、五月雨に周囲に無数の水柱が立つ。

 この時、彼女にとって幸いだったのが、この時期の米軍のレーダーがまだまだ発展途上の段階にあり、探知精度が低かったことである。

 各艦に搭載されているのは対空用に開発されたSCレーダーであり、対水上索敵レーダーであるSGレーダーは、その初期型がようやくごく一部の艦艇に配備され始めたところであった。射撃管制レーダーであるMkシリーズも、まだ配備は始まっていない。

 そのため、米駆逐隊や巡洋艦部隊の放った砲弾はことごとくが外れ、水柱を立てて海面を掻き回すだけに終わった。

 それでも、基準排水量一七〇〇トンの船体は激しく揺さぶられる。

 五月雨は救援に駆け付けた村雨と共に、煙幕を展開しつつ第四水雷戦隊主力と合流すべく反転していったのだった。






 旗艦・愛宕に座乗する近藤信竹中将は五月雨から敵艦隊発見の報告を受けると、掃討隊に突撃命令を下した。

 まずは四水戦によって敵の護衛艦艇を排除し、主隊による砲撃戦に持ち込もうとしたのである。

 愛宕以下七隻の艦艇からは、すでに吊光弾を搭載した弾着観測機が発進している。

 主隊と前衛隊との距離は十キロ。

 五月雨は距離一万五〇〇〇メートルにて敵艦隊を視認したというから、主隊と敵艦隊との距離は二万五〇〇〇メートル程度と考えられていた。

 もちろん、これは主隊の先頭を進む愛宕と敵艦隊の前衛と思しき部隊との距離である。そのため、艦隊最後尾にある日向の二二号電探は未だ敵艦隊を捉えられていない。

 なお、二二号電探は試験では標的艦であった伊勢を約三万五〇〇〇メートルで捕捉している。一方、伊勢に搭載された二一号電探は対空電探ではあったが、試験にて日向を距離二万メートルにて捉えていた。

 だからこの時、両艦の電探は敵艦の艦影を未だ探知出来ていなかったのである。

 やはり、電探の活用よりも指揮官先頭という伝統と席次による序列を優先した艦隊陣形による失策であった。






「ジャップ駆逐艦、反転していきます」


 ワシントン艦橋では、レーダー室からの報告に一息ついていた。

 緒戦の東南アジア戦線ではジャップ艦隊に夜戦で翻弄されていたが、レーダーを装備した今ならばジャップ艦隊と互角以上に戦える。

そんな雰囲気が、ワシントン艦橋に流れ始めていたのである。


「撃ち方止め!」


 敵艦反転の報告を受けて、グレン・デイビス艦長が命じた。

 星弾の射撃が中止され、海上は再び暗闇に包まれた。ジャップ駆逐艦がいた辺りには未だ煙幕が漂っており、視界は悪い。


「次は、ジャップの本隊が出てくるだろうな」


 一方、海戦が始まったことを受けてリー少将とスプルーアンス少将は堅固な装甲に覆われた司令塔に移っていた。


「ああ、前衛、水雷戦隊、戦艦部隊、ジャップも我々と同じような艦隊陣形をとっていることだろう」


 リーの言葉に、スプルーアンスが頷いた。


「ジャップ前衛を退けたことは幸先が良い。スミス少将にはこのままジャップ水雷戦隊も撃破してもらおう」


 スミス少将の巡洋艦部隊は、アストリア以下六隻の重巡から成っている。合計で、五十五門の八インチ砲を備える、強力な部隊である(ペンサコラのみ十門。他はすべて九門)。

 少なくとも、ジャップ艦隊の護衛を排除するには十分な戦力であろう。

 だが直後、そのように考えていたリーの下に、思いがけない報告が舞い込んできた。


「フェルプス、敵艦からの射撃を受けています! 前衛の隊列、乱れていきます!」






「行くぞ、アメ公。帝国海軍駆逐艦乗りの真骨頂を見せてやる」


 駆逐艦夕立の艦橋で、駆逐艦長・吉川潔中佐はそう呟き、不敵な笑みを浮かべていた。

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