16 還らざる索敵機

 ジャップ空母部隊への攻撃から約一時間後、マクラスキーらのSBD隊はようやく母艦であるエンタープライズへと辿り着いた。

 その後方には、母艦を失ったことを知らされたヨークタウン攻撃隊の生き残りが続いている。彼らは第十七任務部隊より、第十六任務部隊のエンタープライズかホーネットを目指すよう命じられていたのである。

 凱歌を上げるべき彼らの編隊は、実に寂しいものであった。

 三十一機いたマクラスキー隊は、爆撃後に零戦隊の追撃を受けてその数を十五機にまで減らしていた。ショート大尉らヨークタウン攻撃隊もまた、出撃時の半数程度にまで機数を減らしている。

 被弾した機体も多く、編隊は乱れに乱れていた。

 マクラスキー自身も、左腕を負傷していた。

 ようやくエンタープライズら第十六任務部隊の航跡を発見した時、すでに何機かの機体は燃料が尽きかけていた。

 艦隊の十浬ほど手前で、まず一機のSBDが不時着水を余儀なくされる。二人の搭乗員が脱出して海に飛び込んだ直後、機体は機首を前にして海中へと消えていった。その様子を見ていた輪形陣外縁を守る駆逐艦の一隻が、ただちに救援へと向かう。

 一方、エンタープライズ艦上ではマクラスキー隊よりも一足先に帰還していた第六雷撃隊の生還者と、攻撃に一切寄与することなく帰還していた第六戦闘機隊の者たちの諍いが起こっていた。戦闘機隊長ジム・グレイ大尉を撃ち殺してやると拳銃を持って激昂するTBF隊の生存者を、周囲の者たちが必死に取り押さえていた。

 そうした中で、マクラスキー隊は母艦への帰投を果たしたわけである。

 だが、生き残った十五機のSBDも着艦の順番を待ちきれずに巡洋艦の周囲に着水する機体が続出する。結果として、無事にエンタープライズに着艦出来たのは九機のみであった。

 ヨークタウン隊もまた、着艦の順番を待っている最中に燃料切れを起こし、巡洋艦や駆逐艦の周囲へと次々と着水していく。

 それは、彼ら合衆国母艦航空隊の苦闘を物語る光景であった。






 マクラスキーは機体を降りると、直ちに報告のためにエンタープライズ艦橋に登った。


「ジャップ空母は三隻いました。我が隊はその内の大型空母二隻を松明トーチのように炎上させました。他の母艦のSBD隊が、残り一隻の空母を攻撃しているのが見えました」


 その報告に、スプルーアンスは頷きつつ尋ねた。


「第四の空母は見えなかったかね?」


 最初の索敵機の報告では、ナグモ・タスクフォースの空母は四隻。


「いえ、北方にそれらしい艦影を見た気がいたしますが……」


 そこまで言いかけて、マクラスキーの体が傾いだ。咄嗟に彼は、羅針盤にもたれ掛かった。その体を、エンタープライズ副長のブーン中佐が支える。


「無理をするんじゃない、マック! 君は負傷しているじゃないか!?」


「衛生兵を呼べ」スプルーアンスもまた艦爆隊長を慮って伝令を走らせる。「君、早く止血しないと死んでしまうぞ」


 この男は責任感が強いのだろうが、それでも無理をし過ぎだとスプルーアンスは思う。今の合衆国海軍の置かれた状況で、一人の搭乗員といえど無為に失うことは出来ない。

 駆け付けた衛生兵に付き添われながら、マクラスキーはふらつく足でラッタルを降りていった。

 艦橋の下では、彼の部下たちが気遣わしげな視線をこの隊長に向けていた。その中に、ベスト大尉の姿もあった。


「君の隊も、ジャップ空母をやったな」


 すれ違いざまに、マクラスキーはそう言ってベストを労った。


「ええ、別の母艦の奴らの分も合せれば、三隻はぶちのめしました」


「すまんが、あとのことは頼んだ……」


 そう言って医務室に辿り着く直前、マクラスキーは失血によって失神した。

 残されたのは、ガラハー大尉とベスト大尉の率いるわずかなドーントレスだけであった。

 一方、マクラスキーの去った艦橋では、スプルーアンスとブローニングが険しい顔を突き合せてた。


「我々は三隻のジャップ空母を撃破した。では、残りの三空母はどこにいる?」


「ジャップのNo.4は、マクラスキーらの攻撃した空母群にいるとみて間違いないでしょう」


「では、No.5とNo.6の居場所について、君の意見は?」


 海戦前の対敵情報ではジャップ空母は六隻となっていたから、ジャップが空母を分散配置していたとすれば、あと二隻の空母がどこかに潜んでいる可能性があった。


「ミッドウェーの飛行艇が、南西にもう一群のジャップ艦隊を発見しております。恐らくは上陸部隊を乗せた船団だと思われますが、これを護衛しているものかと」


「ミッドウェーの基地航空隊からの報告では、空母三隻あまりを撃破したと言っていたな。てっきり、輸送船か何かを空母と誤認しているものと思っていたが、案外、真実であったのかもしれんな」


「ハワイも南西のジャップ艦隊はナグモのタスクフォースではないと判断していましたし、今もその判断は正しいと思いますが、空母の配置という点では司令官のおっしゃる通りかと」


 スプルーアンスは、しばし思案に暮れた。

 自らの座乗するエンタープライズの航空戦力は激減してしまった。ホーネットの航空戦力も、わずかな雷撃隊が帰投しただけで、攻撃に出した戦闘機隊と艦爆隊は行方不明である(実際にはミッドウェー島に不時着していた)。

 事実上、合衆国海軍に残された航空戦力はエンタープライズ所属のグレイ大尉らのF4F隊、ベスト大尉とガラハー大尉のSBD隊、それとエンタープライズに収容されたヨークタウン所属のフェントン少佐のF4F隊、ショート大尉とバーチ少佐のSBD隊のみであった。

 機数で言えば、三十一機のF4Fに二十六機のSBDである。TBFもないこともなかったが、被弾して損傷した機体しか存在せず、この海戦の間に修理を完了することは無理そうであった。

 ホーネットに残されているのも、上空直掩用のF4Fと対潜警戒用のSBDのみであろう。

 フレッチャー少将の第十七任務部隊が壊滅した今、この海戦の勝敗はスプルーアンスの決断一つにかかっていると言ってもいい。

 マクラスキー隊が帰還する少し前、エンタープライズのレーダーが一機の敵味方不明機を捕捉していた。最初は帰還した攻撃隊かと思っていたが、エンタープライズに着艦してこようとする様子もなく、その内にレーダーからも消えた。母艦を間違えたのかと思っていると、今度はホーネットからも敵味方不明機に関する情報が寄せられていた。

 この時点でスプルーアンスは、この不明機がジャップの索敵機である可能性に思い至っていた。

 つまり、第十七任務部隊だけでなく、この第十六任務部隊もジャップに捕捉されたと見て間違いないだろう。

 スプルーアンスは司令官席に腰掛けながら、組んだ手に額を押し付けながら瞑目した。

 ジャップ攻撃隊は、第十七任務部隊攻撃のために出払っているはずである。いま少し、時間的な余裕はあるだろう。

 撤退を決断するか、それとも航空機尽きるまで戦うか。

 あるいは……。あるいは、インド洋でのナグモ・タスクフォースのように、水上艦隊を率いてジャップ艦隊を攻撃するか。

 もともと、第十六、第十七任務部隊に最新鋭戦艦であるノースカロライナ、ワシントンの二隻が配備された背景には、その強力な対空火器の他に、ジャップ水上艦隊の攻撃を受けた際、これを撃退するという意図があった。

 そうしたこともあり、戦艦ワシントンには合衆国海軍きっての砲術の権威であるウィリス・A・リー少将が戦艦戦隊の司令官として座乗している。

 自分もまた、巡洋艦戦隊を率いてきた身である。

 こちらも大きく傷付いたが、ジャップ空母部隊もまた傷付いている。彼らは恐るべき敵であるが、決して神の如き存在ではない。

 ナグモのタスクフォースに残された空母は、恐らく一隻。このラスト・ワンを仕留めることが出来れば、残されたジャップ空母は上陸船団を護衛しているであろう二空母のみとなる。

 もし自分たちが水上砲戦によって最後の決着をつけようとすれば、この二空母は上陸作戦の援護を行いつつ、エンタープライズとホーネットの存在を警戒し、さらにこちらの水上艦隊にも警戒を払わなければならない。

 護衛のジャップ戦艦は、巡洋戦艦改装のコンゴウ・クラス。

 手元にある戦力を総合的に換算すれば、まだ諦めるには早いように思えた。

 だとすれば、一度、フレッチャー少将の第十七任務部隊と合流し、水上艦戦力の集中を図るべきであろう。

 スプルーアンスは、そう決断した。そして、その決意をブローニング大佐を始めとした参謀たちに伝えようとした刹那、艦橋に伝令が飛び込んできた。


「ホーネットのミッチャー艦長より入電! レーダーが南西六十八浬の地点に不明機多数を確認した模様!」


 それは、第五航空戦隊の放った第三次攻撃隊がホーネットへと迫りつつあることを告げる第一報であった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 赤城から南雲忠一中将以下一航艦司令部が第十戦隊旗艦・軽巡長良に移乗を決意したのは、赤城被弾から二十分ほどが過ぎた〇七四六時のことであった。

 船体前部で発生した火災は、延焼は防げているものの未だ鎮火の見込みが立っていなかった。

 爆風によって前部飛行甲板はめくれ上がり、後部飛行甲板の破孔からは折れ曲がった鉄骨が空へと伸びている。

 医務室には次々と負傷者が運び込まれ、入りきらない負傷者が通路にまで溢れていた。火傷を治療するための肝油と負傷者から流れ出た血で床はぬめり、さらに消火のための海水まで流れ込んで艦内通路の一部は血の川が流れているような凄惨な有り様であった。

 全身火傷を負った兵士がうわごとを呟きながら絶命し、比較的軽傷に見えた者も火傷のために次々と呼吸困難に陥っていく。

 機関室が無事であったため、海水を放つ消火ポンプは電源を失うことなく正常に作動していた。また、セイロン沖海戦での損傷を修理する際、それまで赤城に装備されていなかった、いわゆる煙突部の“海水シャワー”と消火ホースを接続出来る設備を追加していたため、これが功を奏した部分もあった。

 何とか、赤城の火災は消火出来るだろう。青木艦長も含め、艦橋の誰もがそう思っていた矢先のことであった。

 〇七四二時、赤城はより深刻な事態に見舞われることとなった。

 艦尾付近への至近弾の影響で若干の浸水が発生していたのだが、その浸水が拡大して左舷の舵機が操舵不能となってしまったのである。

 赤城の舵の形式は、「並列二枚釣合舵」。同じ大きさの舵が、左右で二枚、並列に並んでいる形式である。推進軸の数は四。

 この時、赤城は消火のために風下に向かって航行していた。前部甲板での火災の消火を容易とするためである。彼女は舵を中央に固定したまま、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 一航艦司令部の長良移乗も、こうしたことが影響している。

 南雲中将以下の者たちが長良に移乗した時点において、艦隊全体の指揮は栗田健男中将が執っており、航空戦については山口多聞少将が担っていた。

 一航艦残余の艦艇は、山口少将の攻撃命令とそれを支援するために艦隊陣形の立て直しを図る栗田中将の命令によって、すでに新たな行動を開始していた。

 そこに、長良は航続することとなったのである。


「まだ、戦闘は終わっておりません」


 長良移乗後も、航空甲参謀の源田実は意気軒昂であった。


「こちらはすでに三隻の米空母を撃沈しております。たとえ、米空母に安否不明のレキシントンが加わっていたとしても、最大で五隻。その内三隻を撃沈し、こちらは未だ飛龍と五航戦が健在です。今朝より見た米軍搭乗員の稚拙な技量から考えまして、まだ十分な勝機はあるものと考えます」


「そうだな」


 赤城の損傷は深刻ではあったが、沈没に至るような状況ではなさそうである。加賀と蒼龍も飛行甲板を破壊されただけである以上、沈没の危険性は小さいだろう。

 だから南雲もまだ、精神的に余裕を持つことが出来た。


「とはいえ、ここからの航空戦を指揮するのは、我々ではないようだが」


 空母から旗艦を軽巡に移した時点で、そして山口少将が独断で行動を始めてしまったことで、一航艦司令部に出来ることは限られている。

 今は栗田中将のように、一航艦司令部も航空戦の指揮を執ろうとしている山口少将を支援すべきだろう。


「ひとまず、第三戦隊司令部に対して、赤城の曳航を命じよう」


 左舷側の舵機を故障した赤城は、自由な行動が利かなくなりつつある。これを、何とか内地まで回航しなければならなかった。

 それは、一航艦を預かる者の責務だろう。

 巡洋戦艦改造の赤城の基準排水量は三万六五〇〇トン。それなりの艦でなければ曳航は難しい。

 そしてもし、この海戦が明日以降までもつれ込むようであれば……。

 南雲は夜戦にて決着をつける決意を固めつつあった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 菅野兼蔵飛曹長機は一時間以上にわたって米空母部隊との接触を維持した後、母艦へと帰投するために引き返していた。

 すでに母艦を飛び立ってから三時間以上の時間が経過している。時刻は、〇九三〇時(現地時間:一二三〇時)過ぎ。

 わずか十九歳の偵察員・岸田清次郎二飛曹は、一航艦の被害を知らせる通信を受信していた。そのため機内には、米空母に対する敵愾心と、自らの母艦が無事であるかどうかを案ずる気持ちの入り混じる雰囲気が流れていた。

 索敵任務を果たしながらどこか晴れない気分を抱いていた三人の搭乗員の前に、味方航空機の大編隊が現れたのは、そんな時であった。

 操縦員の後藤継男一飛曹が、味方機であることを示すバンクを送る。

 その直後、菅野機の機内でどのような遣り取りがあったのかは、後世の知るところではない。

 だが、彼らが一つの決断を下したことは事実であった。

 母艦へと向かっていた九七艦攻の機首が、不意に反転する。そして速度を上げると、すれ違おうとしていた五航戦攻撃隊の前に出た。

 菅野機から発せられた電文は、短く、そして簡潔であった。


「我、誘導ス」

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