17 五航戦対ホーネット

 五航戦から第三次攻撃隊が発進して少し経った頃、第一次攻撃隊の帰還が始まった。時刻は〇九〇〇時(現地時間:一二〇〇時)を回ろうとしている頃であった。

 飛行甲板が健在な空母は、飛龍、翔鶴、瑞鶴のみであった。

 攻撃隊の帰還直前、三空母は燃料の欠乏しかけていた直掩機を収容し、さらに新たな直掩機を発艦させていたため、整備員たちは大わらわであった。何せ、上空の零戦には母艦に着艦出来なくなった赤城、加賀、蒼龍の零戦隊も存在していたのである。

 それら直掩機を収容し、際どいところで新たな直掩機を上空に上げることが出来た。ひとまず、攻撃隊の収容中に上空が無防備となるという状況は避けられたわけである。

 しかし、第一次攻撃隊の収容は想像以上の難事であった。

 何せ、被弾して覚束ない飛行を続けている機体が無数に見えたからである。米艦隊の対空砲火の凄まじさを、山口らはこの時、初めて自覚したのであった。

 そして、被弾から一時間半あまり。加賀飛行甲板の三分の二がようやく使用可能となった。

 加賀は前部エレベーター前方に爆弾が命中したため、艦橋脇の遮風柵より後ろの飛行甲板は無傷であった。めくれ上がった前部エレベーターによって飛行甲板上の気流が乱れていることが予測されたが、この際、やむを得なかった。

 山口は損傷が少なく、燃料に余裕のある機体は北方の五航戦に向かうように信号を出し、機体の損傷や搭乗員の負傷などで余裕のない機体から飛龍と加賀に着艦するよう命じた。

 飛行甲板上には、整備員の他に手空きの乗員も待機させていた。損傷して修理不能と整備員が判断した機体を、即座に海中に投棄するためである。

 第一次攻撃隊の収容後には、第二次攻撃隊の帰還も控えている。着艦後の作業は迅速に行わねばならなかった。

 着艦した機体で無事なものは、即座にエレベーターを使って格納庫に下ろしていく。前部エレベーターを使用出来ない加賀も、中央部のエレベーターを使って機体を格納庫に収容していった。

 一航戦の六空母の中で最も格納庫へ収容する作業の練度が高いと言われている飛龍では、江草隆繁少佐の九九艦爆を始め、他空母の所属機を多数、収容することに成功していた。

 五航戦の二隻についても、この両艦はもともと艦載機の定数を満たしていなかったこともあり、格納庫内には若干の余裕があった。そこに、無事な機体を次々と下ろしていく。

 残りの加賀も、前部三分の一が使用不能となった飛行甲板で攻撃隊の収容を行っていた。ただ、やはり気流の乱れから、三機ほどが着艦時に事故を起こしていた。

 幸いにして艦橋に激突して加賀の指揮そのものを不能とするような重大事故は発生しなかったが、飛行甲板から転落しかけた機体によって、機銃座で配置に付いていた機銃員の数名が下敷きとなって死傷し、さらに高角砲の一基も事故機に激突されて一時、旋回不能となるなどの被害を受けている。

 それでも、第二次攻撃隊が帰還する時刻には、四空母とも何とか飛行甲板を空けることには成功した。

 一〇〇〇時過ぎには、やはり乱れた編隊のまま帰投した第二次攻撃隊の収容作業が始まった。

 もともと搭載していた機体が出払っていたため、四空母の格納庫にはまだ少しの余裕があった。

 特に攻撃隊の被害が予想以上に多かったため、山口は第三次攻撃隊として放った五航戦攻撃隊も大きな損害を受けると予測。戦力の維持のため、出来るだけ他艦の所属機も海中に投棄せず、格納庫に収容するように命じた。

 主要な攻撃隊隊長の内、蒼龍の江草隆繁少佐は飛龍に収容され、赤城の村田重治少佐は翔鶴に収容された。飛龍所属の友永丈市大尉は、そのまま母艦である飛龍に着艦している。

 しかし一方で、加賀の楠美正少佐など一部の隊長は未帰還となっていた。

 それだけに、激しい戦闘であったことが窺えた。

 第一次、第二次攻撃隊の収容が完了した頃には、時刻は一一〇〇時(現地時間:一四〇〇時)を回っていた。

 山口は攻撃隊の収容が完了すると同時に、飛龍に対し第四次攻撃隊の発進準備を命じた。五航戦については、この後第三次攻撃隊の収容を控えているので時間的に厳しいだろうという判断であった。

 もちろん、整備員たちに休む暇はない。

 被弾時の火災に備えて乗員は長袖長ズボンの服を着ているべきであったが、密閉された灼熱の格納庫で作業を続ける者たちに、そのような理屈は通用しなかった。誰もが袖や裾の短い防暑服を汗まみれにしながら、第四次攻撃隊の発進準備に取りかかった。

 この時、山口はなるべく早く第四次攻撃隊の発進準備を完了させるため、調定に時間のかかる魚雷の搭載は後回しにして、とにかく艦爆隊だけでも出せるようにすることを命じていた。

 最低限、米空母の飛行甲板さえ破壊出来れば、こちらが空襲に晒される確率を下げることが出来る。

 川口益飛行長からの報告によれば、飛龍に着艦した九九艦爆の内、整備や修理が短時間で済む機体は十二機のみであるという。護衛の零戦については、九機が用意出来るとのこと。

 第四次攻撃隊の発進準備完了時刻は、一二四五時(現地時間:一五四五時)頃の予定であった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 菅野機が第十六任務部隊を発見した時点において、両艦隊の距離は一二〇浬ほどに接近していた。

 スプルーアンス少将が日本艦隊攻撃のために西進し、一方の南雲中将も第一次、第二次攻撃隊収容のために東進した結果であった。

 航空機であれば、巡航速度で一時間弱の距離である。

 菅野機の献身的な誘導の結果、嶋崎重和少佐率いる第三次攻撃隊が米艦隊を発見したのは、〇九四五時(現地時間:一二四五時)のことであった。

 行く手に、輪形陣を組んで航行する無数の艦影が見える。

 その向こう、およそ十五浬から二十浬ほど離れた地点に、もう一群の輪形陣がかすかに見えた。

 菅野機の最初の報告通りであった。

 九七艦攻の風防から眼下の海上を観察していた嶋崎少佐は、一瞬だけ迷った。

 このまま攻撃隊を二つに分け、二群の米空母部隊を攻撃するか。あるいは手前に見える米空母に攻撃を集中するか。

 嶋崎の率いている艦攻隊は、十八機しか存在していない。これは、一個中隊規模である。これを二つに分けることは、敵空母一隻あたりに向けられる艦攻が減ってしまうことを意味する。当然、敵側も機数が少なければ回避運動などの対応は容易だろう。

 それに、敵に向かう時間が長ければ長いほど、戦闘機の迎撃を受ける時間が長くなってしまう。

 五航戦攻撃隊は、早朝のミッドウェー空襲や艦隊上空での防空戦闘で疲労が溜まっている搭乗員たちも多い。無理はさせられなかった。


「手前の米空母をやる」


 嶋崎は決断した。


「奥の米空母については、後続の攻撃隊に任せる。その旨、一航艦に打電せよ」


 彼は偵察員にそう命じた。

 艦攻隊の上空では、敵迎撃戦闘機の姿を確認した零戦隊が、落下増槽を切り落として速度を上げていく。


「全機に打電! 突撃隊形作レ!」






 一方、空襲を受けることになったのは旗艦エンタープライズと分離して行動していたホーネットを中心とする輪形陣であった。

 空母がジャップ航空隊に一網打尽にされることを防ぐというスプルーアンス少将の意図によって二手に分かれていた第十六任務部隊であったが、この時、ホーネットの周囲にあったのは重巡ミネアポリス、ニューオーリンズ、ペンサコラ、駆逐艦三隻のみであった。

 わずか六隻の護衛艦艇しかいない中で、ホーネットは五航戦攻撃隊の空襲を受けることとなったのである。

 さらに悪いことに、ホーネット攻撃隊は戦闘機隊と艦爆隊が針路を誤って行方不明となり未帰還(実際にはミッドウェー基地に不時着)、雷撃隊は壊滅していたため、迎撃に使える戦闘機はわずか十七機のF4Fのみだったのである。

 艦上には他に対潜警戒用のSBDドーントレス三機が残っていたが、これは母艦が被害を受けた際に発着不能となるのを避けるため、ジャップ攻撃隊を探知した時点で緊急発進、エンタープライズに向かわせた。

 防空戦闘に不安を覚えたホーネットのマーク・ミッチャー艦長は、直ちにエンタープライズに対して戦闘機の派遣を要請した。エンタープライズは攻撃に出した戦闘機隊が全機無傷で帰還したため、直掩用に残していた機体も含めてまだ二十七機のF4Fが残っているはずであった。

 ホーネットの援護に回す余裕は、あるはずだ。

 ミッチャー少将は険しい表情で上空を見つめていた。






「零戦隊、空戦開始!」


 偵察員の叫びが嶋崎機に響き渡る。

 艦攻隊は二〇〇〇メートルの高度で、艦爆隊は五〇〇〇メートルの高度で進撃を続けている。先ほどの「トツレ」送信により、各隊がすでに米空母に対する突撃態勢に入りつつある。


「……」


 その中で一機、嶋崎が気にしている機体があった。

 未だ艦攻隊を導くように前方を飛ぶ、菅野飛曹長機であった。

 攻撃隊を米空母部隊まで導き終えた時点で、彼らは帰還してもよかったはずであった。魚雷を搭載していない九七艦攻に、米空母を撃沈する力はない。

 だというのに、未だ母艦に向けて機首を翻そうとしないということは、最早帰投のための燃料がないということに他ならない。


「……すまんな」


 嶋崎は、呻くような声でそう呟いた。

 これほど責任感に溢れた三名の搭乗員を犠牲にするのだ。何としてでも、米空母に魚雷を叩き込まねばならなかった。






 空戦が開始された時点で、零戦隊とF4F隊の機数はほぼ同じであった。零戦隊は十八機、F4F隊は十七機。

 ただし、零戦隊は敵迎撃戦闘機を阻止する制空隊と、あくまで艦攻隊や艦爆隊に寄り添って護衛する直掩隊に分かれている。

 まず制空隊がF4F隊との交戦に入り、そこをすり抜けたF4Fに対して直掩隊の零戦が九九艦爆や九七艦攻への接近を阻止しようと翼を翻す。

 F4F隊は、高度五〇〇〇メートルを飛ぶ九九艦爆よりも、高度二〇〇〇メートルを飛行する艦攻隊の方が狙いやすいと思ったのだろう。零戦による追撃を何とか振り切ろうとしながら、嶋崎少佐率いる艦攻隊に襲いかかろうとする。

 嶋崎少佐はそれを、降下することで速度を上げて振り切ろうとしたが、当然ながらF4Fの方が優速であり、振り切ることは出来ない。

 二機がまず撃墜され、そこに零戦隊が横合いから突っ込んできてそれ以上のF4Fの跳梁を阻止しようとする。

 そうした中で、米空母まで一万メートルの距離に迫った嶋崎機から、ト連送が発信された。






「オープン・ファイアリング!」


 F4Fの迎撃をかいくぐってホーネットへの接近を続けるジャップ攻撃隊に対して、各艦では対空射撃が開始された。

 三隻の重巡と三隻の駆逐艦は、持てる全対空火器を以て九九艦爆ヴァル九七艦攻ケイトの突入を阻止しようとする。彼ら護衛艦艇の乗員たちも、ジャップ艦載機の空襲を受けるのは初めてのことであった。

 すでに彼らは第十七任務部隊がどのような損害をこうむったのかを知らされていた。自らの乗艦を守るためにも、何としてでも、ジャップにこれ以上の凱歌を上げさせるわけにはいかなかった。

 だが、如何に綿密な輪形陣を組んでいようとも、護衛艦艇が少なくてはその対空砲火も十分に弾幕を張ることは出来なかった。

 九七艦攻が高速を維持したまま輪形陣外縁を突破していく。薄い輪形陣しか組めていない合衆国側にとって、外縁を突破されてしまえばホーネットとジャップ雷撃機との間を阻むものは何もなかった。


「上空よりヴァル、突っ込んできます!」


「右舷二〇〇〇ヤード(約一八〇〇メートル)にケイト六!」


取り舵一杯ハードアポート、急げ!」


 ミッチャー艦長がそう命じる。

 急降下爆撃と雷撃の同時攻撃。これが、第十七任務部隊を壊滅に追いやったジャップ航空隊の実力か。

 唇を噛みしめながら、彼はそう思った。

 その時のことだった。見張り員の恐慌した声がホーネット艦橋に響き渡る。


「ケイト一機、真っ直ぐ本艦艦橋に突っ込んできます! 衝突まで約三〇秒!」


「何ぃ!?」






 輪形陣外縁を突破する際に更に一機の九七艦攻が炎に包まれて海面に激突した。

 だが、嶋田少佐率いる瑞鶴艦攻隊はその損害を気にせず米空母の右舷に向けて突撃を続けていた。翔鶴雷撃隊も、反対舷から突撃をかけているはずである。

 曳光弾が風防の後ろに流れていき、落下した弾片で海面が白く水しぶきを上げている。

 その中を、嶋崎少佐に率いられた瑞鶴艦攻隊は高度五メートルで突進していく。


「……」


 嶋崎は米空母との距離と自機の位置関係を頭の中に描きつつ、魚雷投下の頃合いを見計らおうとしていた。

 不意に、前方を進む菅野機が速度を上げた。

 魚雷を搭載していない菅野飛曹長の九七艦攻は、嶋崎の機体よりも身軽だ。最大速度の時速三七七キロは出ているだろう。

 刹那、その後部座席に座る青年・岸田二飛曹が嶋崎に対して敬礼したのを見たような気がした。米空母との距離を測るのに夢中であった嶋崎に、その確証はなかったが。


「魚雷発射用意!」


 偵察員の声で、嶋崎は魚雷投下のための投下索に手をかける。

 米空母との距離は、一〇〇〇メートルを切っていた。

 すでに菅野機は、エンタープライズ級空母の舷側への突入体勢を取っている。最早、止める間もない。直後、米空母の巨大な艦橋に閃光が走った。


「てっ!」


 それを確認するのと、嶋崎が投下索を引いて魚雷を投下するのは同時であった。そして十秒と経たず、米空母の飛行甲板上を飛び抜けて反対舷に出る。

 その刹那の間に見た米空母の艦橋は、菅野機の突入によって炎と黒煙に包まれていた。


「……お前たちの意志、確かに米空母に届いたぞ」


 輪形陣からの離脱を図りつつ、嶋崎は米空母から上がる一筋の黒煙を見つめながらそう呟いたのだった。

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