15 反撃の五航戦

 一航艦の指揮を実質的に継承することを宣言した山口多聞少将がまず行ったのが、第三次攻撃隊の発進準備の状況確認であった。

 〇七四〇時過ぎ、それまで一航艦主隊から距離を取っていた五航戦とその護衛艦艇が、ようやく合流した。

 そのことを、山口は咎めるつもりはなかった。もともと、空母を一箇所にまとめておく危険性を認識していた彼である。むしろ、一航艦主隊から距離を取っていた五航戦が完全に無事であったことに、その危険性と空母を分散させておくことの有用性への確信を深めたほどであった。

 翔鶴が主隊に合流すると、発光信号で周囲に敵機の反応がないことを知らせてきた。翔鶴の電探は、未だ有効に機能しているらしい。

 やはり多少稼働率が悪くとも電探はこれからの航空戦に必須の装備だと、山口はその思いを強めていた。出来れば電探情報を即座に受け取れる翔鶴に移乗したかったが、海戦の最中にそのような悠長なことはしていられないだろう。

 彼は直ちに、瑞鶴の五航戦司令部に対して第三次攻撃隊の準備状況を問い合わせた。


「我、第三次攻撃隊発進準備〇八一〇時完了ノ見込ミ。艦戦十八、艦爆三十三、艦攻十八」


 あと三十分ほどで、第三次攻撃隊の発進準備が完了するということである。しかし、肝心の新たな米空母部隊の位置などは未だ不明であった。

 さらに言えば、第三次攻撃隊として使用可能な五航戦の機体が意外に少ないことが気にかかった。恐らく、ミッドウェー島空襲で被弾し、修理に時間がかかるか、あるいは修理不能と判断された機体が多かったのだろう。

 これが空母戦の難しさか、と山口は表情を厳しくした。

 砲戦や水雷戦であれば、互いに相手の姿を視認している。しかし空母戦は、空母に座乗する指揮官が直接、敵艦隊の姿を見ることはない。そして当然ながら、索敵の結果次第では敵はこちらを見つけていながら、こちらは敵を発見出来ていないという状況も生じてしまうのだ。

 そして、弾薬庫に爆弾や魚雷が残っていても、それを搭載すべき十分な航空機がなければ空母は戦力を発揮出来ない。

 今、飛龍と五航戦の三空母はそのような状況下に置かれていた。

 五航戦の放った四機の九七艦攻からの通信を待つか、それともその索敵線に沿わせながら第三次攻撃隊を放つか。

 そもそも、あくまで六〇度索敵線で千代田六号機が緊急電を放った直後に消息を絶ったというだけで、そこに本当に新たな米空母部隊が存在するという確証はない。

 先ほど自らが航空戦の指揮を執ると宣言した山口の胸の内に、逡巡が生じる。

 しかし、飛行甲板に燃料や爆弾を満載した航空機をいつまでも留めておくわけにはいかない。また空襲があれば、回避運動でせっかく出撃準備を整えた機体が海に落下することもあり得るし、何より被弾すれば燃料や弾薬が一気に誘爆してしまう危険性があった。


「五航戦司令部に信号」


 山口は少しの瞑目の後、決断を下した。


「第三次攻撃隊は、準備出来次第六〇度索敵線に沿って発艦させよ。索敵機からの報告が入れば追って知らせる、と」


「はっ!」





 飛龍から発せられた信号は、第三戦隊旗艦金剛でも受信されていた。


「山口くんは積極的だな」


 飛龍から瑞鶴に送られた信号の内容を伝令から聞かされた栗田健男中将は、苦笑するように言った。未だ新たな米空母部隊の存在やその位置は確認されていないというのに、とにかく攻撃隊を発進させるよう命令するとは。


「航空戦の指揮は、山口司令官に委ねる。第四駆逐隊の有賀司令に、被弾三空母の救援を行うよう伝えてくれ。残余の水上艦艇は、これより飛龍と五航戦の支援に当たる」


 参謀たちが何かを言う前に、栗田は金剛艦橋でそう宣言した。事実上、山口の独断専行を追認したわけである。

 支那事変での基地航空隊の指揮経験も含めれば、山口多聞は二年以上にわたる航空戦の指揮経験がある。一方の栗田は、これまで海軍軍人としての経歴のほとんどを艦隊勤務で過ごしていながら、航空部隊の指揮を執った経験はない。

 緒戦の南方作戦に第七戦隊司令官として参加していた栗田は、マレー沖海戦などで見られた航空機の威力というものを、現場感覚として知ってはいた。しかし、それで航空戦の指揮が執れるかといえば、栗田自身も疑問を覚えざるをえない。

 ある意味で、山口自身が航空戦の指揮を執ると宣言してくれたことは、栗田にとっても渡りに船であったのだ。

 それに、栗田は自分が危ない橋を渡りたがらない性格であると自覚している。そのことで海軍上層部の連中から色々言われていることは知っているが、一方で机の上で海図を眺めているだけの連中に現場のことが判るかという反発も多少はあった。

 その意味では、山口多聞という人物は海大甲種を次席で卒業しながら、現場の感覚を理解している希有な指揮官であるとも言えた(栗田は海大甲種を落ちていた)。だから栗田としては、山口が航空戦の指揮を執ることについて異論はなかった。

 自分は水上艦艇を適切に指揮しながら、山口の指揮を支えれば良いと納得している。

 そして〇七五〇時、栗田は柱島の連合艦隊司令部も含めた全軍に向けて、一航艦の現状を知らせる通信を発信させたのである。

 こうした面倒事は全部自分の方で担当し、山口には航空戦の指揮に専念させる肚であった。

 それと、栗田は艦隊陣形の再編に取りかかることにした。

 空母を一箇所に集中させておく危険性を、彼は山口と同じく理解していたのである。現場経験が長く、また味方の被害にことさら敏感な栗田らしい直感であった。

 第四駆逐隊には先ほど通り、赤城、加賀、蒼龍の救援を行わせつつ、残った艦艇で陣形を二つに分けることにしたのだ。

 先程まで、五航戦の周囲には高木武雄中将率いる第五戦隊(妙高、羽黒)と第十六駆逐隊(初風、雪風、天津風、時津風)、それに戦艦榛名が存在していたが、栗田はこれに第十七駆逐隊第二小隊(磯風、浜風)および戦艦霧島を付けて、飛龍を中心とする陣形より五から十浬離すことにしたのである。

 翔鶴の電探情報については、すでに敵に発見されている以上、無線封止に意味はないとして逐次、報告させるようにする。これで、多少、二つの部隊の距離を離したところで電探情報の共有は出来るだろうと考えたのである。






 山口は先ほど栗田中将のことを積極性のない指揮官だと評したことを、内心で詫びていた。

 栗田中将は、後任者である自分の独断専行をすべて追認して、さらにこちらが要請するまでもなく空母部隊を二つに分けようとしてくれている(あるいは単に、栗田が源田のように航空戦についての持論を持たず、味方のこれ以上の損害を厭うという艦隊保全的姿勢から出たものかもしれないが)。


「ありがたいことだな」


 だがこれで、自分は航空戦の指揮に集中出来る。次なる問題は、帰投してくるであろう第一次、第二攻撃隊の収容についてであった。

 三空母が被弾したことで、飛龍と五航戦のみで二〇〇機以上の機体を収容しなくてはならない。どうしても、格納庫に収容し切れずに海中に投棄する機体が出てきてしまうだろう。

 加賀あたりは被害が飛行甲板前縁部に留まっている様子なので、出来れば攻撃隊の収容だけでも行えないかと思う。山口は直ちに加賀にその旨、信号を発し、ひとまず「了解。極力飛行甲板ノ復旧ニ努力ス」との返信を得る。

 これで後は五航戦の第三次攻撃隊の発進準備を待つだけかと思っていたら、その五航戦から新たな信号が届いた。

 曰く、五航戦の機数だけでは敵艦隊攻撃に不足していると思われるので、飛龍が第三次攻撃隊の準備を完了するまで攻撃隊の発進は控えたいとのことであった。

 信号の解読結果を聞いて、山口は思わず唸り声を上げてしまった。

 五航戦の原少将は、この急迫した状況を判っているのかと言いたくなってしまう。あるいは、ミッドウェー攻撃隊の損害が意外に大きく、そのことに狼狽しているのかもしれない。

 確かに、第一次、第二次攻撃隊を収容し、その収容機を飛龍の第三次攻撃隊として五航戦攻撃隊に加えた方が、戦力集中という戦闘の大原則には適う。

 しかし、一方で兵は拙速を尊ぶという言葉もある。ここは、徒に時間を浪費するよりも、速やかに敵に持てる全力をぶつけるべきなのだ。

 攻撃距離の長くなる空母戦ならば、先に手を出した方が勝機を掴みやすい。敵が攻撃隊を発進させる前に、その母艦を撃沈することが可能となるかもしれないからだ。

 だからこそ、敵が帰還した攻撃隊で新たな攻撃隊を編成する前に、一隻でも多くの敵空母を叩くべきなのだ。

 インド洋での戦いに次ぐ、史上二度目の空母戦にして、山口はそうした空母戦の理論を理解しつつあったのである。

 山口は、重ねて五航戦に対して第三次攻撃隊の準備が完了次第、発進させるように命じた。

 時刻はそろそろ、〇八〇〇時を回ろうとしている。

 あと十分か。

 山口が時計を確認しつつ、いささか焦れったく思っていたその時、二つの通信が飛龍に舞い込んできた。

 一つは、第二艦隊旗艦・愛宕からであった。現在、四航戦を率いて一航艦の救援に急行中であるという。通信の末尾には、「攻撃隊ノ発進準備完了時刻〇八三〇。艦戦九、艦攻十二」と付け加えられていた。


「これは、角田さんだな」


 思わず山口はにやりと笑みを浮かべる。発信は愛宕となっているが、明らかに四航戦司令部からのものであった。

 海兵一期先輩の角田覚治少将(ただし、少将としては山口より後任)の勇猛さは、山口も認めるところであった。

 上手くいけば、五航戦と四航戦の攻撃隊で米空母に対して波状攻撃を仕掛けられるかもしれない。恐らく、四航戦の九七艦攻が搭載しているのは八〇〇キロ陸用爆弾だろうが、この際、支援が受けられるのならば些細な問題であった。

 そして、第三次攻撃隊の発進準備が完了するわずか五分前、待望の報告がもたらされた。


『我、敵空母部隊見ユ』


 翔鶴を発進した、菅野兼蔵飛曹長の機体からであった。


『ミッドウェー島ヨリノ方位一〇度、距離一六〇浬、針路二七五度、速力二十四ノット』


 それは、最初に発見された米空母部隊(つまり、フレッチャー少将の第十七任務部隊)よりも、三〇から四〇浬ほど北方の地点であった。


「でかした!」


 山口は、思わず立ち上がって叫んでしまった。

 未確認であった新たな米空母部隊を、ついに発見したのである。

 菅野機からは、現場海域の風向き、風速、雲量、視界などの天候情報が次々と送られてくる。

 〇八一五時、菅野機から追加の通信がさらに入るかもしれないが、山口は第三次攻撃隊の発進を五航戦に命じた。






 翔鶴、瑞鶴の艦上では「搭乗員整列!」の号令がかけられ、第三次攻撃隊に選ばれた搭乗員たちが並ぶ。

 五月一日付で五航戦航空参謀に就任していた元翔鶴飛行隊長の高橋赫一少佐が攻撃隊の針路を計算し、その結果が両艦の搭乗員たちに伝達される。

 そして翔鶴の関衛少佐、瑞鶴の嶋崎重和少佐が、それぞれに部下たちに対して檄を飛ばす。


「惜しくも三空母は被弾してしまったが、我ら五航戦と飛龍は健在である。諸君らには残存米空母の必沈を期してもらいたい。私は今回は高度四〇〇メートルにて爆弾を投下する。諸君らもそのつもりで、ついて来てもらいたい」


 関少佐はそう言い、一方の嶋崎少佐もまた米空母撃滅の決意を部下たちに伝えていた。


「ミッドウェー攻撃により、我々の兵力十分とは言い難い。しかし諸君らには、日頃の訓練の成果を発揮してしっかり頑張ってもらいたい」


 そうして、両空母それぞれの飛行隊長の訓示が終わると、「かかれ!」の号令と共に搭乗員たちが機体に取り付いていく。整備員たちから最後の激励の言葉を受けて、彼らは機体に乗り込んだ。

 暖気運転の轟音が最高潮にまで高まり、先頭に並べられた零戦から発艦が始まる。

 それを、手空きの乗員たちが帽触れで見送っていく。

 飛龍の艦橋に立つ山口多聞少将もまた、離れた位置にある五航戦に対して帽を振っていた。飛龍もまた、攻撃隊を収容したら即座に五航戦攻撃隊に続くつもりであった。

 艦隊上空を、発艦を終えた航空機の音で満たしていく。

 翔鶴からは零戦九機、九九艦爆十九機、九七艦攻十機、瑞鶴からは零戦九機、九九艦爆十四機、九七艦攻八機。

 合計で、零戦十八機、九九艦爆三十三機、九七艦攻十八機の総計六十九機の攻撃隊であった。

 攻撃隊指揮官は、艦攻隊長の嶋崎重和少佐。艦爆隊を関衛少佐が率い、翔鶴零戦隊を帆足工大尉が、瑞鶴零戦隊を塚本祐造大尉が率いる。

 全機が発艦を終えてから空中集合を完了するまでに、十分もかからなかった。五航戦の搭乗員もまた、真珠湾以来の歴戦の搭乗員たちなのである。

 こうして五航戦の二空母を発進した第三次攻撃隊は、新たに発見された米空母部隊へとその機首を向け、やがて北東の空へと消えていった。

 それを見届けると、山口は全軍に対してこう通信を発した。


「第三次攻撃隊発進。艦戦十八、艦爆三十三、艦攻十八。五航戦ハコノ儘敵方ニ接近シツツ損害機収容ニ向カハシム。飛龍ハ第一次、第二次攻撃隊収容後、敵空母部隊ニ向カハントス。〇八四〇」

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