14 指揮権継承

 ミッドウェー島の南西に位置する第二機動部隊では、ミッドウェー攻撃隊の収容は〇六四〇時(現地時間:〇九四〇時)過ぎまでかかっていた。

 これは、龍驤、瑞鳳、祥鳳の三隻が小型空母であることが大きな原因であった。飛行甲板前縁に着艦した航空機を繋留しておくことが出来ず、逐次、格納庫内に下ろして飛行甲板を空けなければならなかったからである。

 角田覚治少将は、攻撃隊帰還以前の段階でミッドウェー島への第二次攻撃を決意していた。

 ミッドウェー攻撃隊からは島の航空施設が炎上しているとの報告を受けていたが(五航戦攻撃隊が一航艦に宛てた通信も受信している)、角田はミッドウェー島を攻略する以上、航空施設の破壊だけでは不十分であると考えていたのである。

 開戦劈頭のウェーク島攻略作戦のように、砲台などの防御施設も破壊しなければ上陸部隊が危険に晒されてしまう。

 なお、ミッドウェー攻撃隊長は隼鷹飛行隊長の志賀淑雄大尉であったが、彼は戦闘機乗りであった。そのため零戦の無線機では通信が十分に行えないことから、艦隊への戦果報告は龍驤艦攻隊を率いていた鮫島博一大尉が行っていた。

 一航艦の索敵機が米空母部隊を発見した際の通信も第二艦隊は受信しており(特に第二艦隊には元連合艦隊旗艦の陸奥がおり、通信能力という点では一航艦よりも恵まれていた)、その位置関係からこちらから一航艦と共同しての米空母攻撃は不可能であり、また第二艦隊に対する米空母からの攻撃もないだろうとの判断もまた、角田がミッドウェーへの第二次攻撃を決意する要因となっていた。

 ただし一方で彼は、万が一に備えて一航艦を支援出来る距離にまで北上することを近藤長官に進言していた。

 航空戦の指揮を角田に委ねていた近藤中将は、この角田による意見具申をある程度、承認した。

ある程度、というのは、第二艦隊にはミッドウェー島攻撃の他、後方を進む五藤存知少将の上陸船団の間接護衛という役割もあったからである。そのため近藤中将は、一航艦も上陸船団もどちらも航空支援が出来る中間地点までの進出を認めていた。

 この決断によって、龍驤以下の艦艇は攻撃隊を収容しつつ北東方向へと針路を変えることとなった。

 ミッドウェー島からの空襲は、SB2Uヴィンディケーター十一機によるものを最後に途絶えている。伊勢の二一号電探にも特に反応はなく、攻撃隊収容後も第二艦隊は順調に北上を続けていた。

 開戦前に行われた龍驤での訓練では、第一次攻撃隊の収容から第二次攻撃隊の発進準備完了まではおよそ二時間四十四分かかっている。今回の作戦には開戦後に就役して練度が十分とは言い難い祥鳳と隼鷹が参加しているため、第二次攻撃隊の発進準備完了までは三時間以上かかるであろうと予測されていた。

 角田は上空直掩のための零戦や、対潜哨戒のための九七艦攻を交代で発進させつつ、第二次攻撃隊の準備が完了するのを待っていた。

 ミッドウェー攻撃隊の損害は、深刻とはいかないまでも軽微ともいえないものであった。

 敵戦闘機による迎撃は五航戦攻撃隊の零戦隊と共同で撃退したらしく、空戦による九九艦爆と九七艦攻の被害はなかったが、地上からの対空砲火で相応の損害を出していた。未帰還機の存在は当然ながら、被弾して修理不能と判断され、着艦と同時に海中に投棄された機体もある。

 第二次攻撃隊の兵力は、第一次攻撃隊に参加しなかった機体や補用機などを含めたとしても、第一次攻撃隊の三分の二程度が限界であろうと判断されていた。

 とはいえ、敵空母さえ撃滅出来れば一航艦も残余の航空兵力を以て、ミッドウェー空襲に参加出来るようになるだろう。

 あるいは、戦艦部隊による艦砲射撃でミッドウェー島の防御施設を破壊するという手もある。

 連合艦隊司令部などは、ミッドウェーの航空基地は占領後、すぐに使用出来るようにするために破壊し過ぎないようにとの注意を与えてきていたが、角田に言わせればそのようなことは戦いの前に考えるべきことではない。

 ウェーク島の戦訓から考えても、敵の基地施設は一度、徹底的に破壊してしまうべきだろう。

 それに、米軍もミッドウェー島を維持出来ないと判れば自ら基地施設を爆破してしまうかもしれない。あるいは、滑走路に地雷を埋めて占領後も即座に使用出来ないようにするという手もあるだろう。

 帝国海軍でも五指に入る積極的な指揮官である角田には、ミッドウェー島攻撃に手心を加えるつもりはまったくなかった。

 〇七〇〇時過ぎには、第一航空艦隊の攻撃隊からの報告が第二艦隊でも受信されていた。空母三隻、戦艦一隻撃沈確実など、インド洋での英東洋艦隊撃滅を彷彿とさせる内容に、龍驤艦橋は大いに湧いた。搭乗員の中には、むしろこの攻撃に参加出来なかったことを悔しがる者まで現れる有り様であった。

 この時点で角田少将の四航戦司令部も、近藤中将の第二艦隊司令部も、これにて米空母撃滅という最大の作戦目標は達成出来たものと考えていた。

 残るミッドウェー島の防備施設を破壊すれば、MI作戦は成功裏に終わる。

 そう第二機動部隊の者たちが確信しつつあった時、龍驤の通信室から血相を変えた伝令が艦橋に飛び込んできた。

 〇七五〇時(現地時間:一〇五〇時)のことである。


「第三戦隊の金剛より入電! 『敵艦上攻撃機ノ攻撃ヲ受ケ、赤城、加賀、蒼龍ハ火災ヲ生ジ航空機発着不能。飛龍及五航戦ヲシテ敵空母ヲ攻撃セシメ、機動部隊ハ攻撃隊収容後一応北方ニ避退シ戦力ヲ集結セントス』! 以上です!」


 一息に言い切った伝令の報告に、一瞬だけ沈黙が流れる。インド洋でも発生した味方空母の損害であるが、大戦果を伝えられていた直後であっただけに、その落差による衝撃は大きかった。

 しかも、次席指揮官である第三戦隊司令官・栗田健男中将からの入電ということは、一航艦司令部が艦隊指揮を執れない状況にあるということである。


「……『敵空母ヲ攻撃セシメ』か」


 腕を組みながら、そう呟いたのは角田であった。艦橋にいる者たちの視線が、彼に集中する。


「つまり、我々の探知していない米空母がまだどこかに存在するというわけか」


 最初に発見された米空母部隊以外、第二艦隊には敵空母部隊に関する位置情報は入っていない。単に一航艦索敵機の通信をこちらが受信出来なかっただけかもしれないが、いずれにせよ、一航艦は米空母部隊に痛撃を与えつつも、自らもまた傷付いたわけである。

 事前の予測では、太平洋上に存在する米空母はサラトガ、エンタープライズ、ホーネット、ワスプの四隻と見積もられていた。レキシントンについては、撃沈ないしは修理中と判断されていたが、もし撃沈が日本側の誤認であり、修理を完了していたとすれば米空母の数は五隻になる。

 一航艦攻撃隊の報告では三隻撃沈確実となっていたから、最大であと二隻の米空母が存在していると見るべきかもしれない。角田の中でその懸念は急速に膨れ上がっていた。

 実は、第二艦隊は消息を絶った千代田六号機の緊急電を受信していたのだが、一航艦の索敵計画の詳細を知らされていなかったため、単に最初の索敵機が発見した米空母部隊の放った攻撃隊と遭遇、撃墜されたものとしか考えていなかった。

 そのため、近藤中将や角田少将は、千代田六号機の緊急電を新たな米空母部隊が存在する予兆であるとは理解していなかったのだ。

 第三戦隊からの通信によって、初めて彼らは米空母部隊がもう一群、存在する可能性を知らされたのである。

 だが、角田の決断は早かった。一瞬の狼狽も逡巡も見せず、鋭い声を発した。


「通信」


「はっ!」


 通信参謀の岡田恰少佐が応じる。


「愛宕に信号。『四航戦ハ之ヨリ一航艦ノ援護ニ向カフ』。以上だ」


「はっ! 『四航戦ハ之ヨリ一航艦ノ援護ニ向カフ』。直ちに発信いたします!」


 艦橋から駆けていくその背を見送りながら、少し強引に過ぎたかと一抹の不安が角田を襲う。

 本来、第二機動部隊の指揮官は第二艦隊司令長官の近藤信竹中将である。航空戦の指揮を近藤長官から委ねられているとはいえ、事前の相談もなく突然、角田が龍驤と隼鷹を率いて一航艦の援護に向かうと言うのは、軍令承行令を無視した越権行為である。

 しかし、ことは一刻を争う事態である。

 具体的な一航艦の状況は不明であるが、第一、第二次攻撃隊を発見された米空母部隊に振り向けてしまった以上、一航艦が新たな米空母部隊に迅速に対応することは難しいだろう。だが、第二次攻撃隊を準備中である四航戦ならば、飛龍や五航戦よりも先に米空母に攻撃隊を発進させることが出来るかもしれない。

 角田は、そう考えていたのである(実際には、五航戦が第三次攻撃隊を準備中)。

 次いで彼は、栗田中将に敵空母部隊の状況を問い合わせようと、陸奥に通信を代行させるための信号を送ろうとする。艦隊で最も優れた通信設備を持つ陸奥ならば、航空機の発着のために通信アンテナの高さが制限される空母よりも確実に一航艦からの通信を受け取れるだろう。

 まずは、別に存在すると思われる米空母の位置情報を知らなければ始まらない。

 と、その時、信号員が叫んだ。


「隼鷹より発光信号! 『我、発進準備完了時刻〇八三〇ノ見込ミ。艦攻十二』! 以上です」


 隼鷹の格納庫には、第一次攻撃に参加していなかった九七艦攻が残っていた。それを第二次攻撃隊用として発進準備を進めていたから、九七艦攻のみについては他の機体や残り三空母よりも早くに準備を終えられるのだろう。

 問題は、護衛の零戦の準備が間に合わないことと、搭載しているのがミッドウェー島への第二次攻撃を想定していたために八〇〇キロ陸用爆弾であることだろう(調定に時間のかかる魚雷でなかったことも、隼鷹の攻撃隊発進準備が早い理由の一つ)。


「艦長、本艦の零戦隊の発進準備を最優先にするよう整備員たちに伝えてくれ。何としてでも、〇八三〇時までに作業を終わらるのだ」


 だが、角田は気にしなかった。今はとにかく、米空母を攻撃する手段が必要なのだ。

 龍驤の零戦隊は、第一次攻撃隊に三機しか参加していない。それ以外の機体は上空直掩機に回しており、補給のために艦上で整備を受けている機体が存在しているはずであった。それらを隼鷹の九七艦攻の護衛として付けるのだ。

 まだ、この海戦は終わっていない。

 角田はそう思っていた。






「まったく、角田くんも無茶をする」


 第二艦隊旗艦・愛宕艦橋で、近藤信竹中将は苦笑を浮かべていた。


「流石に、これは角田司令官の独断専行が過ぎる気もいたしますが……」


 白石万隆参謀長が、どこか苦々しく言う。本来、第二機動部隊の指揮官は近藤中将なのである。


「何、最初に角田くんに航空戦の指揮を委ねたのは私だ。多少の独断専行は大目に見るつもりだ」


 だが、近藤はそう言って自らの参謀長を宥める。

 近藤はこの海戦後も、自らの指揮下に航空戦隊が加わるとその指揮を航空戦隊の指揮官に委ねるということを繰り返していくが、これが彼自身の航空戦に対する自信のなさからくるものなのか、あるいは適材適所といった合理的思考からきたものなのかは判らない。

 ただ、近藤から航空戦の指揮を委ねられた者たちは、一様に彼の指揮官としての鷹揚さを絶賛していることは事実である。


「とはいえ、流石に第二機動部隊としての役目も放棄するわけにはいくまい」近藤は続けた。「瑞鳳、祥鳳には三日月と第八駆逐隊を付けて攻略部隊に合流させ、その上空支援に充てろ。残余の艦艇は、四航戦を全力で支援する。その旨、龍驤にも伝えよ」


「はっ!」


 通信室へと駆けていく伝令の背を見送りながら、近藤はぽつりと呟いた。


「この海戦、恐らくはここからが正念場だぞ」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 赤城、加賀、蒼龍が次々と被弾していく様子は、飛龍の艦橋から克明に見ることが出来た。


「赤城前部に火災発生の模様!」


「味方の損害は、小声でよろしい」


 見張り員の悲痛な叫びを長益航海長が叱り付ける。

 一方、インド洋でも味方空母が被弾する様を見ていた山口や加来は、ついに来るべきものが来たと冷静に現実を受け止めている。

 こちらが攻撃隊を放ち、米軍もまた攻撃隊を放っていた以上、いつかは味方空母に損害が出る時が来る。戦いとは、そういうものだ。


「今回は、三隻か」


 セイロン沖海戦の際に被弾したのは、赤城と翔鶴の二空母であった。今回は、赤城、加賀、蒼龍の三隻が被弾している。


「掌航海長、蒼龍に信号を送ってくれ。『極力母艦ノ保全ニ努メヨ』とな」


「はっ!」


 とはいえ、山口にとっては自らの指揮する戦隊が被害を受けるのは初めての経験であった。見れば、蒼龍は飛行甲板の二箇所から黒煙を噴き上げている。速力は落ちているようには見えないため、機関部の損傷は軽微であると信じたい。


「赤城の将旗、降ろされています」


 一方、第一航空戦隊の損害については不明確であった。

 加賀は艦橋より前の飛行甲板前縁部から黒煙を噴き上げているが、それほど重大な損傷を負ったようには見えない。ただ、めくれ上がった前部エレベーターらしきものが見えるので、沈没の危険性はないにしても空母としての機能は喪失したと考えるべきだろう。

 赤城については、旗艦であることを示す将旗が降ろされていることから見て、少なくとも旗艦としての役割を果たせなくなっていることが窺える。一航艦司令部の安否は、不明である。火災は、加賀や蒼龍よりも激しそうであった。

 南雲中将が艦隊の指揮を執れないとなると、次席指揮官である第三戦隊司令官・栗田健男中将が指揮を継承することになる。

 しかし、山口はそのことにどうにも納得出来ない思いを抱いていた。真珠湾攻撃からの帰途に行われたウェーク島攻撃では第八戦隊の阿部弘毅少将が空襲の指揮を執り、インド洋では当時の第三戦隊司令官・三川軍一中将が南雲長官から指揮を継承した。

 どちらも空母部隊の指揮官ではなかったため、彼らに航空戦の指揮を委ねざるを得ないことに、山口は不合理なものを感じていたのである。特にセイロン沖海戦での三川中将の消極的な指揮は、見敵必殺を信条とする山口にとって我慢のならないものであった。

 そして、栗田中将が積極果敢な指揮官であるとは、残念ながら山口は聞いたことがなかった。

 航空戦隊の指揮官は、自分と五航戦の原忠一少将の二名が残るのみ。

 原少将は山口にとって海兵一期先輩であったが、海大甲種では二十四期で同期。しかも、山口は首席の福留繁に次ぐ次席で卒業している。そのため、少将昇進も原より一年早く、彼よりも先任であった。

 山口は、トラファルガー沖海戦の勝利をもたらしたネルソン提督を尊敬していた。かの提督は、上官から消極的な命令を受け取った時、視力を失った方の目に望遠鏡を当てて、そんな信号旗は見えぬと言って敵艦隊への攻撃を命じたという。

 ―――まさか自分が、そのネルソン提督の故事に倣うことになるとはな。

 山口は皮肉とも苦笑とも、あるいは自嘲ともとれぬ笑みを内心で浮かべながら、田村掌航海長にこう命じた。


「第三戦隊司令部に信号。『我、今ヨリ航空戦ノ指揮ヲ執ル』」

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