8 錯誤の空中戦

 千代田六号機の報告によって、日本側はようやくこの時、米空母艦隊が二群に分かれていることを察知したのである。

 とはいえ、千代田六号機が最後の通信を送った時点では、一航艦はその攻撃隊を羽黒機の発見した米空母部隊に差し向けてしまっていた。

 この時、羽黒機が発見した米空母部隊がフレッチャー少将率いる第十七任務部隊であり、千代田機が遭遇した編隊がスプルーアンス少将率いる第十六任務部隊を発進した攻撃隊であった。

 スプルーアンス率いるエンタープライズ、ホーネットの二空母が第一航空艦隊を攻撃圏内に捉え、攻撃隊を発進させたのはレキシントン、サラトガの攻撃隊発進から一時間近くが経過した〇七〇四時(日本時間:七月五日〇四〇四時)のことである。

 しかし攻撃隊発進は、順調には進まなかった。

 ホーネットの艦載機の発艦は円滑に行われたのであるが、エンタープライズでは整備員たちの手違いなど人為的な要因によって艦爆隊発進後、戦闘機隊、雷撃隊の発進準備が迅速に行われなかったのである。

 このためスプルーアンス提督は、すでに上空に上がっているエンタープライズ艦爆隊率いるクラレンス・マクラスキー少佐に対して、残りの攻撃隊の発進を待たずジャップ艦隊に向けて進撃するよう命じた。

 結局、マクラスキー隊がエンタープライズの視界から消え、残りの戦闘機隊、雷撃隊の発進が終わったのは、ようやく〇七四〇時を過ぎてからのことであった。

 ホーネットから発艦したのは、F4F十機、SBD三十五機、TBF十五機の計六十機、エンタープライズから発艦したのはF4F十機、SBD三十三機、TBF十四機の計五十七機である。

 また、スプルーアンスは攻撃隊の発進に合せて、自らの率いる艦隊を二つに分けるよう命じている。

 エンタープライズ、ホーネットでそれぞれ輪形陣を分けようとしたのである。

 エンタープライズには戦艦ワシントン、重巡ノーザンプトン、駆逐艦五、ホーネットには残りの艦艇を護衛に付け、それぞれに別の針路を取らせた。

 インド洋でのイギリス東洋艦隊のように、一挙に空母が撃沈されることを防ぐためである。

 二空母には、上空直掩用のF4Fワイルドキャットと対潜警戒用のSBDドーントレスが残されているだけで、持てる全力をジャップ空母に向けていた。


「……航空戦とは、こういうものなのだな」


 自分の下した命令が一通り遂行されると、エンタープライズ艦橋でスプルーアンスはぽつりと漏らした。


「水上艦の戦いであれば、私の視界の中で戦闘が行われる。その場の戦況に応じて、私も臨機応変に命令を下すことが出来る。だが、今は攻撃隊にただジャップの空母に向かうよう命じただけだ。あとのすべては、搭乗員たちの判断にかかっている」


「それが、空母の指揮官というものです」


 当然とばかりに、ブローニング参謀長が言う。前任指揮官のハルゼーはパイロットの養成訓練を受け、ブローニングもまた戦闘機搭乗員としての経歴がある。

 だが、スプルーアンスにはそのような経験がない。

 その違いが、指揮官としての心構えの違いに現れているのかもしれなかった。


「パールハーバーを空襲した時のナグモも、アカギの艦橋で私のような思いをしていたのだろうか?」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 一方、第十六任務部隊よりも南に位置する第十七任務部隊には、二派にわたる日本側攻撃隊が迫りつつあった。

 合衆国海軍初の空母対空母の戦闘となったミッドウェー海戦は、彼らにいくつもの錯誤を犯させることになった。

 そしてこの時、第十七任務部隊が犯した過誤は、その中でも最悪のものといえた。


「戦闘機隊が迎撃に間に合わんだと!? どういうことだ!?」


 ヨークタウン艦橋で、フレッチャーは思わず伝令を怒鳴りつけた。

 この時、艦隊上空にある直掩隊の指揮はレキシントンのFDO(戦闘機指揮管制士官)フランク・F・ギル大尉が執っていた。

 任務部隊全体の指揮官はフレッチャーだが、空母戦隊の司令官はフィッチ少将であるので、このような指揮系統となっていたのである。

 そしてレキシントンのCXAMレーダーは、距離六十八浬(約一二六キロ)の地点で未確認機多数を捕捉していた。

 理論上は、レーダーと無線による誘導で早期にジャップ攻撃隊を迎撃出来るはずであった。

 しかし、フィッチ少将の航空参謀は上空直掩機を艦隊の直上から遠ざけることを認めていなかった。

この時点では、アメリカ海軍の対空レーダーの精度は低く、方位は判っても高度が判らなかったのである。艦隊のはるか手前で敵攻撃隊を迎撃しようとしても、敵の高度が判らないためにかえって指揮が混乱するか、そもそも指揮が不可能になると考えられていたのだ。

 そして、アメリカ側が日本の急降下爆撃機よりも雷撃機を警戒していたため、上空にあった戦闘機隊は高度一万フィート(約三〇〇〇メートル)で待機していたのである。






 一方この時、楠美正少佐率いる第一攻撃隊は、高度五〇〇〇メートルにて太陽を背にするように大きく回り込んで第十七任務部隊に接近していた。

 上空からの視界は良好であった。

 眼下の海上に、無数の航跡を引きながら進む大艦隊が見える。

 そして、敵艦隊十五浬手前の空中にて、楠機からの「トツレ(突撃隊形作レ)」の命令を合図に艦爆隊と艦攻隊がそれぞれの高度に分かれていく。

 江草隆繁少佐率いる艦爆隊が高度を維持しているのに対し、楠少佐の加賀艦攻隊、村田重治少佐の赤城艦攻隊は徐々に高度を下げていった。

 不意に、板谷茂少佐率いる零戦隊の先頭機が翼を大きく左右に振りながら、同時に落下増槽を投棄した。敵機発見の合図であった。






 レキシントン戦闘機隊を率いるポール・H・ラムゼー少佐は五機のF4Fワイルドキャットを率いて急ぎ上昇していた。


「くそっ、敵機高度一万七〇〇〇フィート! 戦爆連合!」


 母艦に通ずる無線機にそう怒鳴る。自分たちの目論見が見事に外れてしまったことに、歯噛みする思いであった。

 事前の計画では、F4F隊がジャップ爆撃隊に備え、SBDドーントレス隊が低空でジャップ雷撃隊に備えることになっていた。

 ドーントレスの搭乗員たちは戦闘機でもない機体で防空戦闘をさせられることに大いに不満の声を上げていたが、やむを得なかった。戦闘機の数が、敵編隊に比べて圧倒的に数が足りていなかったのである。

 ラムゼー少佐らの戦闘機隊は、必死で機体を上昇させていた。

 内心では、母艦のFDOを罵っている。

 しかもジャップ編隊は巧妙にも、自分たちの艦隊に対して太陽を背にする位置に回り込んでいた。

 急激な上昇のために速度が落ちていく。一刻も早く連中を撃墜しなくてはという焦燥が胸を焼く。

 敵編隊を目指しながらも、連中は自分たちの頭上を通過するように悠々と飛行している。このままでは高度一万七〇〇〇フィートに達する前にすれ違ってしまう。

 ラムゼーは操縦桿を捻り、上昇を続けながら自分の機体をジャップ編隊の未来位置へと向けようとする。

 その瞬間、上空から降り注ぐ太陽の光の中に何か黒いものが過ぎったように感じた。

 戦闘機乗りとしての咄嗟の判断で、機体を横転させる。

 刹那、今までラムゼー機のいた場所を曳光弾の光が通り過ぎた。


零戦ジークだ! 各機背後を取られるな!」


 状況は最悪だった。

 ジャップ攻撃隊を阻止するために無理な上昇を続けた結果速度を落としたところに、上空から零戦が現れたのである。

 ラムゼーは咄嗟の判断で回避行動に成功したが、部下の二機がやられてしまった。


「ガッデム!」


 最早、ジャップ攻撃隊の迎撃どころではなかった。まずは自分たちの身を守るための空戦に集中しなければならなかったのである。






 ヨークタウン、サラトガの戦闘機隊も、状況はラムゼーらレキシントン戦闘機隊と変わりがなかった。

 ヨークタウンのジェームズ・H・フラットレー少佐率いる戦闘機隊などは、誘導に従った地点に向かうとすでに日本の編隊は彼らの上空を通過した後であったなど、誘導管制の混乱は続いていた。

 そして、もっとも悲惨であったのは雷撃隊の阻止のために高度六〇〇メートル付近を飛行していたドーントレス隊であった。

 後部に七・七ミリ機銃を二門装備するこの艦上爆撃機は、確かに鈍足の雷撃機を阻止するためにはある程度、効果があったかもしれない。

 しかし、彼らが標的とする九七艦攻は、彼らの母艦に搭載されていた鈍重なTBDデバステーター雷撃機とはまったく速度が違っていた。

 魚雷を抱えて時速一八五キロでのろのろと飛ぶデバステーターと違い、九七艦攻は時速約三三〇キロで突っ込んできたのである。

 デバステーターのような鈍重な機体を相手にすると思っていたドーントレス搭乗員たちの対応は、一手、遅れた。彼らもまた、F4F隊と同じく頭上を飛行する敵機を見逃さざるを得なかった。

 そして、九七艦攻を守るために制空隊から分離した直掩の零戦隊が、低空を舞うドーントレス隊を迎撃戦闘機と誤認。彼らは上空からいきなり射撃を受けたのである。

 もちろん、戦闘機と違って後部機銃のある艦上爆撃機なので、咄嗟に対応出来たドーントレス搭乗員の何人かは機銃を撃ちまくって零戦を撃退することに成功している。しかし、逆にそれは自分たちが戦闘機でないことを零戦搭乗員に知らせることにもなってしまった。

 結果として、敵雷撃隊阻止のために配置されたドーントレス隊は味方戦闘機の援護を一切受けることが出来ない状況で、零戦隊によって次々と撃墜される運命を辿ったのである。






 曳光弾が敵機の翼に吸い込まれ、白煙を引きながら制御を失ったグラマンが蒼い海へと落ちていく。


「……」


 制空隊を率いる赤城の板谷茂少佐は、敵機の撃墜を確認すると即座に意識を周囲に向けた。射撃時の直線飛行時こそ、搭乗員が最も気を付けなければならない瞬間だ。

 幸い、背後から迫ろうとする敵機はいなかった。

 敵艦隊手前十浬の地点では、制空隊の零戦とグラマンとの間で空戦が繰り広げられていた。

 こちらの零戦隊の数は三十六機。内、二十四機を制空隊とし、残りは艦爆、艦攻隊の直掩としている。

 米軍の戦闘機隊は、こちらの侵入高度を見誤ったのか、ずいぶんと低い高度にいた。空戦において敵機に上空を占位されることは致命的だ。

 攻撃隊を守るべき零戦搭乗員たちは、見事に己の役割を果たしている。

 そのことに、板谷は満足感と安堵感を覚えていた。

 インド洋から帰還後の人事異動で、真珠湾以来の熟練搭乗員の一部が異動になっている。MI作戦の実施が一ヶ月繰り下げになったことで、そうした新たな搭乗員たちの訓練もある程度行えたが、それでも一抹の不安はあったのだ。

 あとは、艦爆隊と艦攻隊が無事に敵空母に爆弾と魚雷を叩き込んでくれるのを祈るばかりであった。






 江草隆繁少佐率いる艦爆隊は、零戦隊の活躍もあり、敵機の妨害を一切受けることなく敵空母部隊上空に到達しつつあった。

 米艦隊の輪形陣の中心に、ひときわ巨大な艦影が見えた。

 周囲を取り囲む巡洋艦の艦影すら小さく見える。四万トン近い排水量を誇る、米軍のレキシントン級に違いない。

 あるいは四月に帝都を空襲した連中はこいつらなのかもしれないと、江草は思う。

 実際にはドーリットル空襲にレキシントンとサラトガ、そしてヨークタウンは参加していないのだが、少なくとも江草を始め多くの搭乗員たちはそう認識していた。そして、だからこそここでこの三隻を沈めなければならないという闘志に燃えていた。


「……」


 江草は自らの率いる艦爆隊を風上に導きながら、眼下の米艦隊の様子を確認する。

 緊密な輪形陣は、インド洋で自分たちが屠った英東洋艦隊とは違っていた。これはインド洋の時のようにはいかぬだろうなと、江草は気を引き締める。


「蒼龍第一中隊は一番艦、第二中隊は二番艦、飛龍隊は三番艦を目標とせよ」


 偵察員の石井樹特務少尉が、江草の命令を全艦爆隊に伝達する。

 艦爆隊の数は、三十四機(当初は三十六機だったが、二機が発動機不調で引き返していた)。蒼龍と飛龍の九九艦爆で構成されている。

 出来れば蒼龍隊も戦力を集中させたかったが、敵空母の数は三隻である。一隻でも取り逃がせば、格納庫内に残った直掩機を発艦させないとも限らない。後続の第二次攻撃隊のためにも、撃沈出来ないまでもまずは飛行甲板を潰しておこうと江草は思ったのである。

 江草隊は、高度五〇〇〇メートルを維持したまま飛行を続ける。先ほどの江草の命令に従って、すでに艦爆隊は三つの編隊に分かれていた。

 攻撃隊隊長である楠美正少佐からは、まだ「ト連送(全軍突撃セヨ)」の通信は発せられていない。

 理想的な雷爆同時攻撃とするための頃合いを図っているのだろう。

 九九艦爆は徐々に爆撃針路に入っていく。これで、いつト連送が発せられても艦爆隊が時機を見誤ることはない。

 そして―――。


「楠機よりト連送、発せられました!」


「よし、行くぞ!」


 江草は、機体を降下態勢に入れた。残りの艦爆隊も、それぞれの目標に向けて降下を開始する。

 途端、敵艦からの対空砲火が自分たちに向かい始める。曳光弾の火箭と、砲弾が炸裂する黒煙。

 機体の風防がビリビリと震え出す。

 その中を、機体後部を赤く塗った特徴的な江草機が風上側に占位しながら降下していく。絶えず自機と標的との位置関係を把握しつつ、機体を目標の上空へと向けていった。

 真後ろから風を受けるようにしているので、機体位置の修正は最小限で済んだ。

 江草は急降下地点まで自らの九九艦爆を導くと、ダイヴブレーキを展開して一転、機体を急降下させる。

 降下角度は六十度。

 対空砲火はますます激しくなったように感じる。轟音が、周囲を満たしていた。

 その中を、江草隊は突っ切っていく。

 眼下に見える敵空母の甲板の縁に並べられている対空火器の発砲炎で、敵空母の飛行甲板の形がはっきりと判る。

 江草は思わず不敵な笑みを浮かべた。米軍は、自ら標的の範囲を教えてくれている。

 高度計の針は、どんどん下がっていく。二〇〇〇メートルを切り、一〇〇〇メートルを切る。

 発砲炎で縁取られた米空母の飛行甲板が、照準器の中で見る見る内に大きくなっていく。


「用意―――」


 江草は投下把柄に手を掛ける。

 高度七〇〇、六〇〇、五〇〇―――。


「てっ!」


 その瞬間、江草は把柄を引いた。

 胴体下部から二五〇キロ爆弾が切り離され、それは米空母の飛行甲板を目指して落下していった。

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