7 基地航空隊壊滅

 第一航空艦隊がレキシントン隊、サラトガ隊による空襲を受ける一方、近藤信竹中将率いる第二艦隊のへのミッドウェー島基地航空隊からの空襲もまた、断続的に続いていた。

 B26マローダー爆撃機およびTBFアヴェンジャー雷撃機による空襲を切り抜けた龍驤以下の艦艇であったが、その直後、今度は高度五〇〇〇メートルの高空よりウォルター・C・スウィニー中佐率いる陸軍のB17爆撃機隊十五機が攻撃を開始したのである。

 スウィニー中佐はこの日の朝、日本の上陸船団への空襲のために飛び立っていたのだが、ミッドウェーのシマード大佐より目標を空母部隊に切り替えるよう通信が入ったため、第二艦隊の攻撃に向かうこととなったのだ。

 雲の切れ間から最初に第二機動部隊を発見したのは、先行する第五小隊長カール・E・ウォーテル大尉のB17三機であった。






「敵大型爆撃機、高度五〇〇〇、距離七〇〇〇!」


 すでに伊勢の電探によって新たに接近する敵編隊を捉えていたため、龍驤見張り員の声に焦りはない。


「高度五〇〇〇か……」


 角田は雲の合間に黒い点のようなものが見えるのを確認しつつ、呻くように言った。

 先ほどまでの空襲では雷撃機のみでの空襲であったため、直掩の零戦隊が低空に降りてしまっていた。

 各艦が高角砲を上空に向けて撃ち上げるのを見てB17隊の接近に気付いた零戦もいるようだったが、今から上昇をかけたところで間に合わない。


「距離四〇〇〇、本艦に向かう!」


「取り舵一杯、急げ!」


 零戦隊による妨害を受けることなく、米軍の大型爆撃機は悠々と第二艦隊の上空へと侵入を果たしていた。

 龍驤の五基十門(残る一基は旋回不能のため射撃不能)の八九式高角砲が仰角を上げながら射撃を続けている。

 先ほどの雷撃機の襲撃によって艦隊陣形はだいぶ乱れてしまっていたが、それでも陸奥、伊勢、日向の三戦艦は龍驤以下四隻の空母を守るように取り囲んでいた。彼女たちもまた、高角砲を激しく撃ち上げている。

 上空に黒煙の花が次々と咲いていくが、敵大型爆撃機が編隊を崩す気配はない。

 各艦の砲術長が歯噛みしながら、それでも部下を叱咤しつつ射撃を繰り返す。

 龍驤見張り員は、敵機十五機の内、九機が龍驤への爆撃進路に入ったことを告げる。

 龍驤はすでに艦首を左に振りつつあった。船体が右舷へと傾斜を深めていく。


「敵機、投弾!」


 視力の良い見張り員が、敵機が爆弾を投下するのを双眼鏡越しに確認したのだろう。その叫びに、龍驤艦橋に緊張が走る。

 高高度からの水平爆撃が、洋上を高速で機動する艦艇に命中する可能性は低い。

 しかし、それはあくまでも理論上の話であって、運が悪ければ命中もあり得る。そして、高度五〇〇〇メートルから投下された爆弾の終末速度はどれくらいになるのか。

 一発でも飛行甲板に命中すれば、艦底まで貫通される恐れすらあった。

 刹那、凄まじい轟音と共に海水が噴き上がった。次いで、水中爆発のくぐもった炸裂音が響き渡る。その水柱は三戦艦の艦橋をはるかに超える高さにまでそそり立ち、やがて崩れ落ちて再び飛沫を上げていく。

 高角砲の射撃音すら、この轟音の前にかき消された。

 すべての音が、凄まじい水の音に圧される。

 そして、その音は一度では終わらなかった。何度も何度も龍驤の周囲に水柱が立ち上り、あらゆる音を消し去っていく。

 崩れ去った水柱の飛沫が龍驤の飛行甲板を洗っていった。

 この時、B17の投下した爆弾は、五〇〇ポンド(約二二五キロ)爆弾であった。それが一機につき八発ずつ、目標に向けて投下されたのである。


「祥鳳に命中弾!」


「何ぃ!?」


 四航戦司令部に緊張が走る。龍驤艦橋からでは、後方を進む瑞鳳と祥鳳の姿が見えない。さらに、無数の水柱が龍驤の視界を奪っていた。

 龍驤は取り舵に切ったまま、旋回を続けていく。

 誰もが緊迫の表情を浮かべていると、唐突に水柱は収まった。


「先ほどの報告は誤り! 祥鳳は健在なり!」


 すると、誰もが安堵する報告が艦橋に寄せられた。恐らく、水柱の中に見えた炸裂の閃光を命中弾と見誤ったのだろう。


「各空母の被害を確認しろ!」


 だが、大きな損傷を負っておらずとも、至近弾の衝撃や噴き上げられた弾片による損害は生じているかもしれない。

 角田は四空母の損害の確認を急がせた。

 そして、奇跡的に四空母は健在であった。

 これで、第二艦隊は双発雷撃機、単発雷撃機、大型爆撃機と三派にわたる空襲を受けた。だが、未だ各艦は大きな損害を受けてはいなかった。






 敵空母三隻に爆弾命中、スウィニー中佐のB17爆撃機隊は、ミッドウェーに向けてそう報告した。

 しかし、前述のように実際には日本艦隊に被害はなかった。






 B17による空襲が終結すると、上空直掩についていた零戦隊を燃料と弾薬の補給のために各空母へと帰還させることとなった。

 それと入れ替わるようにして、未だ格納庫に残っていた零戦が上空直掩のために発進する。

 祥鳳の納富健次郎大尉の操る零戦も、その中の一機だった。祥鳳の一八〇メートルの飛行甲板を駆け抜けて、上空に舞い上がる。

 まずは高度二〇〇〇メートルを目指して上昇を続ける。

 今は高角砲弾炸裂の黒煙もなく、青い空の下にいくつかの断雲がたゆたっていた。その雲の周辺を警戒しつつ、納富機が上昇を続ける。

 栄発動機は、快調に轟音を奏で続けていた。


「……」


 片々と浮かぶ雲の一つに、納富は小さな黒点を見つけた。高度は二五〇〇メートルほど。上昇中の自分よりも上空に占位している。

 もし敵戦闘機であれば、不利は免れない。

 また、万が一にもミッドウェー空襲から帰還した味方編隊を誤射するわけにもいかない。そろそろ、時間的にも攻撃隊が帰還してもおかしくない頃であった。

 納富は慎重に目をこらしつつ、その黒点の正体を確かめようとした。


「―――っ!?」


 納富の見たそれは、紛れもなく米軍の機体であった。

 彼は後続機に敵機発見を知らせるために翼を大きく振り、スロットルを開いて増速、機体を一気に上昇させようとした。






 納富の発見した黒点の正体は、ロフトン・R・ヘンダーソン海兵少佐率いるSBDドーントレス十六機であった。

 この編隊もまた、護衛の戦闘機は付けられていなかった。

 そして、搭乗員のほとんどは飛行学校を卒業して一ヶ月程度の若年搭乗員たちであったのである。彼らは編隊飛行、急降下爆撃すら覚束ない者たちが多かった。

 それでもヘンダーソン少佐はジャップ艦隊の来襲に備えるため、短期間の日数で猛訓練を施したが、ミッドウェー基地の燃料不足などの要因もあって、その訓練は十全とはいえなかった。

 このため、ヘンダーソンはやむを得ずジャップ艦隊への急降下爆撃を諦め、緩降下での爆撃を実施することとしたのである。

 急降下爆撃ほどの高い命中率は望めないだろうが、経験の浅い搭乗員に出来る戦法はそれしかなかったのだ。

 ミッドウェーを飛び立ってジャップ空母艦隊を目指す間も、ヘンダーソン少佐の苦労は続いた。

 編隊飛行に慣れていない機が脱落しないよう、常に気を配っていないとならなかったのだ。

 だが、その苦心の甲斐もあり、発動機の不調で引き返した二機を除き、十六機全機がジャップ空母艦隊の上空に侵入することに成功していた。

 直前に、帰投するスウィニー中佐のB17の編隊が上空を通り過ぎていった。そのスウィニー隊のやってきた方角に、ジャップ空母部隊は存在していたのだ。


「いいか、俺が先頭に立って突っ込む! 各機、我に続け!」


 眼下に、一隻の大型空母が見える(これは、隼鷹だった)。その艦に向けて緩降下に入ろうとした刹那、後部座席から叫びが上がった。


零戦ジーク! 下から突っ込んできます!」






 納富大尉は、ほとんど垂直に近い勢いで機体を上昇させていた。

 栄発動機の轟音が風防の中を圧している。体が操縦席の背もたれに押し付けられるような圧迫感。

 敵機は高空から、今まさに急降下に移ろうとしているのか、緩降下の態勢に入っていた。ここで取り逃がすことは出来なかった。

 目標を、敵の隊長機と思しきドーントレスに定める。

 あっという間に、照準レクティル一杯に敵機の姿が収まる。

 刹那、納富は機銃の発射レバーを絞った。

 操縦桿を通して伝わる、二十ミリ機銃発射の衝撃。数ヶ月前まで乗っていた九六艦戦とはまったく違う、重い反動。

 曳光弾の軌跡と共に、二十ミリ機銃弾が敵機の主翼と胴体に吸い込まれていく。

 途端、敵機の左翼から火が噴き出す。その炎は胴体を舐めるように覆い尽くし、制御を失ったドーントレスが海へと墜ちていった。


「……」


 墜ちていく敵機と上昇する納富機は一瞬、すれ違った。その時彼の目に映ったのは、炎に包まれた操縦席で必死に機体を立て直そうとしている米軍搭乗員の姿であった。

 その凄惨な姿に、納富は刹那の間、胸の内で黙祷を捧げた。

 だが、次の瞬間には彼はまた別の敵機へと向かっていった。自分の役割は、艦隊を守ることなのだ。感傷に浸っている時間はなかった。






 ヘンダーソン機が撃墜されたことにより、ドーントレス隊の指揮は第二中隊長エルマー・C・グリデン大尉が継承した。

 だが、納富機が突っ込んできたのと同時に、その他の零戦隊も一斉にドーントレス隊に襲いかかっていた。

 ヘンダーソン少佐が苦心して維持してきた編隊も、零戦に襲われた途端、崩れてしまった。

 グリデン大尉は、咄嗟に機体を近くにあった雲の中に逃げ込ませた。グリデン機の行動に気付いた部下の何機かが、それに続く。

 高度七〇〇メートル付近でその雲を抜けると、グリデン大尉の目に一隻の空母が飛び込んできた(これは瑞鳳であった)。

 最早、目標を選り好みしている余裕はなかった。


「あいつをやるぞ、ゴー・アヘッド!」


 グリデンは機体を緩降下させ、そして高度一〇〇メートルのところで引き起こしをかける。

 彼以外にも、何とか零戦隊の迎撃を振り切って緩降下爆撃を敢行したドーントレス搭乗員はいた。

 アイバーソン中尉は空母龍驤へと爆弾を投下し、直後に零戦に追いつかれて無数の機銃弾を受けた。彼の機体は無事にミッドウェー島に帰り着くことが出来たが、整備班が調べてみると二〇〇発以上の弾痕があったという。

 ムーア大尉機は空母隼鷹目がけて緩降下爆撃を行い、ブレーン大尉機はやむを得ず重巡摩耶を目標に爆撃を敢行した。

 最終的にドーントレス隊は隊長であるヘンダーソン少佐機も含めた八機が撃墜され、生き残った機体も再出撃不可能なほどの損傷を受けていた。

 彼らはジャップ空母二隻に命中弾を与えて炎上させたと報告したが、第二艦隊に目立った損害はなかった。

 第二艦隊は、第四派目の攻撃も退けたのである。






 だが、第五派の空襲が始まったのは、それから間もなくのことであった。

 ベンジャミン・W・ノリス海兵少佐率いるSB2Uヴィンディケーター十一機が、第二艦隊上空に現れたのである。

 本来はヘンダーソン少佐のドーントレス隊と共同攻撃を行う予定であったのだが、旧式機のために遅れ、結果として時間差攻撃となったのだ。

 この時、上空に上がっていた零戦隊の機銃弾は尽きつつあった。

 一旦、母艦に帰還して燃料と弾薬の補給を受けている機体も、未だ再度の発艦準備が整っていたなかった。

 そのためヘンダーソン隊の時と違い、ノリス隊の迎撃に対応出来た零戦隊はわずか一個小隊三機のみであった。

 図らずも、ヘンダーソン隊の犠牲がノリス隊を救ったといえよう。

 それでもノリス隊には護衛戦闘機がいなかったため、咄嗟に雲の中に飛び込んだ。ヴィンディケーターはドーントレスよりも旧式な機体であり、零戦隊の前には無力であると考えたのだ。

 そして少数の零戦隊の迎撃を振り切って雲を突き抜けると、そこにいたのはジャップ空母ではなく大型艦であった。

 ノリス少佐は一瞬だけ、逡巡した。

 少し離れた位置にいるジャップの空母を目指すか、このまま目の前にいる大型艦を狙うか。

 だが、降下をやり直して敵空母に向かうのは危険が大き過ぎた。いつ、ジャップの戦闘機が自分たちを襲ってくるかもしれないのだ。

 爆弾も投下しないまま、虚しく撃墜されるわけにはいかない。

 ノリス少佐は決断した。


「全機、俺に続けフォロー・ミー!」


 彼は、目の前にいる大型艦に向け降下を開始したのだ。






「敵機、本艦に向かってきます! 数は十! 距離二〇〇〇!」


 ノリス少佐率いるヴィンディケーター隊の目標とされたのは、戦艦日向であった。


「……」


 日向防空指揮所で、艦長の松田千秋大佐はじっと上空を見つめていた。

 よりにもよって自分の艦を標的にするとは運のない奴らだ、と彼は不敵な内心のまま敵急降下爆撃機の動向、そして風向きを確認している。

 松田は、敵機による爆撃は適切な操艦を行えば必ず回避出来るという考えの持ち主であった。

 標的艦摂津の艦長をやっていた時代には、詳細な爆撃回避運動に関する意見書を海軍省教育局に提出しているほどである。

 それに、松田にはもう一つ、自信の根拠となるものがあった。

 日向は五月五日、演習中に第五主砲塔の爆発事故を起こし、今回の作戦では撤去した砲塔のあった場所に九六式二十五ミリ機銃を三連装四基十二門、設置していたのである。

 対空火器の数という点でいえば、この時の日向は日本戦艦の中で最も充実している艦といえただろう(もっとも、アメリカの新鋭戦艦に比べれば依然として貧弱であったが)。

 対空砲火が炸裂する黒い弾幕の中を、敵機は怯むことなく進んでくる。連中も、ミッドウェーを守るのに必死ということか。


「航海、取り舵」


 松田は冷静に航海長に転舵を命じた。依然として、敵機は日向に対する爆撃針路を取り続けている。

 二十五ノットで疾走する日向の船体は、舵を切ったところですぐには転舵してくれない。三万五〇〇〇トンの慣性のまま、しばらく直進を続ける。

 単に取り舵、面舵の場合、その転舵角度は十五度である。


「……」


 なおも松田は上空の敵機の様子を窺っている。

 そして、上空でキラリと光るものが見えた瞬間、叫んだ。


「取り舵一杯、急げ!」


「敵機直上、急降下!」


 松田の命令に、見張り員の絶叫が重なる。

 標的艦摂津での経験から、松田は急降下爆撃機はダイヴブレーキを展開した瞬間、太陽の光を反射して光ることを知っていた。

 そうでなくとも、これまでの経験や風向き、自艦と敵機の位置関係から、連中がどの段階で急降下に移るのかは予測がついていた。

 日向の舵が取り舵一杯である三十度に切られる。

 すでに最初の取り舵によってある程度、左舷に振られ始めていた艦首が、再度の取り舵転舵によってさらに大きく左舷へと振られていく。

 急降下の態勢に入った敵機は、その段階で照準の修正が不可能となる。

 松田は、これを狙っていたのだ。

 引き起こしをかけた敵機が日向艦上を飛び越していった直後、右舷に落下して炸裂した爆弾による水柱が轟音と共に立ち上る。

 転舵による傾斜を深める日向の艦橋で、松田は両足に力を込めながら爆弾を投下して上空を通過していく敵機を見つめていた。

 やがて、すべての敵機が飛び去り、最後の水柱が崩れ去った時、日向の船体は無傷のまま洋上にその姿を浮かべていた。

 こうして、第二艦隊は五派にわたるミッドウェー島基地航空隊の空襲をことごとく退けることに成功したのである。

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