6 一航艦の防空戦

 南雲中将はミッドウェー攻撃に出撃した五航戦攻撃隊の収容を待ってから、艦隊を東進させることを決意していた。米空母部隊に向けた攻撃隊を、速やかに収容するためである。

 なお、五航戦攻撃隊の帰還は〇六三〇時(現地時間:七月四日〇九三〇時)頃になる予定であった。

 発見された米空母部隊に向けて一航戦、二航戦の四空母が二派にわたる攻撃隊の発進を終えたのが〇四二〇時過ぎで、この頃には第二艦隊旗艦・愛宕から発信された「我、空襲ヲ受ク」との電文を一航艦側は受信していた。

 この時点では、南雲艦隊の方は敵飛行艇以外の敵機発見報告はなく、警戒のための直掩機を上空に上げつつ五航戦攻撃隊の帰還、あるいは米艦隊に向けた第一次攻撃隊の報告を待っている状況であった。

 そうした、ある意味で弛緩した時間が流れていた一航艦に緊張が走る報告がもたらされたのは、〇五三〇時過ぎ(現地時間:〇八三〇時)のことであった。

 艦隊陣形の外縁部にあった戦艦霧島が、敵機発見を告げる煙幕を上げ始めたのである。

 この時、赤城、加賀、蒼龍、飛龍からは零戦各六機、翔鶴、瑞鶴からは各三機の計三〇機の零戦が直掩隊として艦隊上空に存在していた。

 一方、霧島が発見し、一航艦に迫りつつあった敵機の正体は、艦爆隊長ウィリアム・B・オールト中佐率いるレキシントン攻撃隊であった。少し遅れて、サラトガ攻撃隊が続いている。

 アメリカ海軍では日本海軍と違って空母ごと、あるいは隊ごとに編隊を組む。

 レキシントン攻撃隊はF4Fワイルドキャット八機、SBDドーントレス二十二機、TBDデバステーター十二機、サラトガ攻撃隊は4Fワイルドキャット十二機、SBDドーントレス二十四機、合計でF4F二〇機、SBD四十六機、TBD十二機の総計七十八機。

 一航艦がこの規模の敵編隊より攻撃を受けるのは、これが初めての経験であった。






「電探は結局役に立たなかったではないか」


 赤城艦橋でそう言ったのは、源田実であった。

 五月末の試験ではそれなりの成果を残していた電探であったが、赤城に搭載されている二一号電探は柱島を出港して以来、不調続きであった。

 作動していても、探知するのは見張り員の報告とほぼ同時というような有り様。

 電探に懐疑的な人間たちにとっては、自らの主張を裏付けるような成果しか赤城の二一号電探は残せていないのだ。

 源田だけでなく、司令長官である南雲忠一中将や草鹿龍之介参謀長もまた、電探よりも霧島の見張り員の方が先に敵機を見つけるという結果に、失望に近い表情を浮かべていた。

 実際、海軍技術研究所の者たちが試験的に製造し専門的な整備を行っている伊勢、日向の電探と、赤城や翔鶴に搭載されている量産型の電探では、その性能に違いがあったのだ。

 さらに、赤城の電探員は未だ電探の扱いに慣れていない。電探を回転させようとするとすぐに不調を起こし、ちょっとした衝撃が加わるとすぐに故障した。二一号電探は翌年に改二型が登場するまで、不安定な性能しか発揮出来なかったのである。


「直掩機、向かいます」


 見張り員の声が、赤城艦橋に響く。電探は役に立たなかったが、零戦搭乗員たちはそのようなものなどなくとも敵機の来襲を察知したようである。

 不意を突かれさえしなければ、零戦隊が確実に空母を守ってくれるだろう。

 源田はそう考えていた。

 インド洋では確かに陸上機によって不意を突かれ、赤城、翔鶴の二隻が被弾する損害を受けたが、今回は米機動部隊の動向を飛行艇や潜水艦によってある程度、事前に把握出来ており、索敵機からも米空母から発進した攻撃隊の存在を知らされている。

 不意打ちをされる要素など、どこにもない。源田はそう確信していた。

 そこに、米軍搭乗員の技量は稚拙だという認識が彼の確信を自信へと変えていた。実際、空襲を受けたという第二艦隊からは、損害に関する報告は未だない。

 零戦隊が十二分に活躍してくれるのならば、艦隊の防空は安泰である。

 どこか楽観的な考えと共に、源田は敵機発見の報告が寄せられた空を見上げていた。






 母艦を発進して空中を進むこと約二時間あまり。

 オールト中佐は高度四五〇〇メートルを飛行しつつ、眼下の海上に気を配っていた。彼としても、ジャップの空母部隊と直接対決するのはこれが初めての経験なのだ。

 本当にこの針路で正しいのか、自分が飛んだ先にジャップの空母はいるのか。

 そんな自問自答を繰り返しながらこの二時間を飛んできた。

 だが、ようやくオールト中佐の眼下に、白い航跡を幾本も引くジャップ艦隊の姿を見つけたのである。

 とはいえ高度四五〇〇メートルからでは、それは海上に浮かぶ小さな木の葉でしかない。


「連中がジャップの空母部隊で間違いないな?」


 攻撃前の最後の確認、あるいは自分の中にある不安を打ち消すために、彼は後部座席に尋ねた。


「あれは、ジャップの空母部隊に間違いありません!」


 後部座席で双眼鏡を構えていた偵察員は、興奮に声を上ずらせていた。


「アカギにカガ、それに小型空母が見えます!」


「よし、ならば攻撃に移るぞ!」


「アイ・サー!」


 オールト中佐は操縦桿を操り、爆撃針路に入るための接敵行動に入った。だが、そこへ後部座席から警告の叫びが飛んだ。


「上空より零戦ジーク!」






 日本の攻撃隊の場合は、上空から戦闘機、爆撃機隊、雷撃機隊の順でがっしりとした編隊を組んで飛行する。

 だが、アメリカの場合は母艦ごと、編隊ごとに独立して飛行する。このため、戦闘機隊は爆撃機隊と雷撃機隊の中間地点を飛行するようという形式となっていた。これは、日本と違って隊内無線が発達していたことで可能となった戦術ではあったが、初の空母決戦に挑もうとしているミッドウェー海戦時点では、アメリカ側のこの戦術は洗練されたものとは良い難かった。

 この時、零戦隊の一部は高度六〇〇〇メートルにて警戒を行っていた。つまり、オールト中佐のドーントレス隊よりも上空を占位していたのである。

 最初にオールト隊の突入に気付いたのは、加賀の山本旭一飛曹率いる小隊(三機)であった。

 彼らが、上空から逆落としにドーントレス隊に襲いかかったのである。ドーントレス隊も後部機銃で応戦し、そこに双方の戦闘機隊が駆け付けて空戦が始まる。






「右舷八〇度に雷撃機八!」


 一方、オールト中佐らドーントレス隊とほぼ同時に、レキシントン雷撃隊を率いるジェームズ・H・ブレッド少佐のデバステーター隊も一航艦を捕捉していた。


「上空より味方直掩機!」


 赤城見張り員の声には、歓喜が滲んでいた。

 一部の零戦隊は、低空から接近しつつあった米雷撃隊の存在に気付き、降下をかけたのだ。

 魚雷を抱えた状態でのデバステーターは、時速一八五キロ程度しか出せない。たちまち零戦に覆い被さられて、撃墜されていく。

 黒煙と共に安定を失い、海面に激突して水しぶきを上げる様に、艦隊の将兵たちは万歳の叫びを上げる。上空の零戦隊に、声援を送る者たちもいた。

 だが、日本の空母部隊は直掩戦闘機を母艦から管制することは出来ない。機上無線の性能が悪いためで、空戦はほとんど搭乗員個々人の技量に任せられているといえた。

 結果、左舷側から接近しつつあった四機のデバステーターの小隊に、艦隊陣形内部への侵入を許すこととなってしまった。


「撃ち方始め!」


 砲術長の叫びと共に、赤城の高角砲と機銃が火を噴き始める。発砲の振動に、艦橋が揺れる。

 他の艦も、対空戦闘を開始していた。だが、輪形陣を組んでいない一航艦の対空砲火は濃密とは言い難いものであった。

 第三戦隊の金剛型四隻、第五、第八戦隊の重巡四隻が空母を守るべく対空砲火を撃ち上げているが、米雷撃機の侵入を阻むには至っていない。


「左舷三〇度、距離二〇〇〇に雷撃機四!」


「取り舵一杯!」


 見張り員の叫びを受けて、赤城艦長・青木泰二郎大佐が命じる。

 基準排水量三万六五〇〇トンと、赤城の巨体はレキシントンと遜色ない。その船体がゆっくりと艦首を左に向け始める。

 米軍の雷撃機は果敢であった。対空砲火の弾幕が吹き荒れる中を突進し、魚雷を投下した。


「……」


「……」


「……」


 艦橋の誰もが、固唾を呑んで海面を見つめている。

 白い雷跡と、それと投下したデバステーター。

 数瞬後には米雷撃機が赤城の頭上を飛び越していく。そして、ようやく一部の零戦隊がその四機のデバステーターの追撃にかかった。

 するすると海面を這う魚雷の航跡と、赤城の艦首が平行に並ぶ。

 そして―――。


「魚雷、後方に抜けました!」


 見張り員が安堵と共に報告する。


「舵戻せ!」


 ひとまず、赤城に迫る敵機は消えていた。だが、未だ各艦は対空砲火を激しく撃ち上げており、艦隊上空には高角砲弾の炸裂による黒煙が片々と浮かんでいる。


「各艦の状況はどうか!?」


 南雲中将は、咄嗟にそう尋ねた。だが、その叫びは続く見張り員の声にかき消されてしまった。


「敵機、飛龍に急降下!」






 零戦隊の襲撃によって編隊を乱されながらも、オールト中佐率いるドーントレス隊は約三分の一にあたる七機が爆撃針路に入ることに成功した。

 本当であればアカギやカガといった大型空母を狙いたいところであったが、零戦に追撃される前に投弾を成功させる必要があった。

 オールト中佐は素早く目標に狙いを定めた。

 この際、小型空母でも致し方ない。

 彼がそう考えて目標に定めた空母が、飛龍であった。


「付いてきている奴は全員俺に続け! 突撃せよゴー・アヘッド!」


 オールト中佐はダイヴブレーキを展開させながら、目標と定めたジャップ空母に向けて機体を急降下させていった。






「取り舵一杯! 急げ!」


 飛龍艦橋では、加来止男艦長が裂帛の号令を下していた。赤城の無事を喜んでいる暇はない。

 対空砲火による喧噪の中を、飛龍は三〇ノットを超える速力で艦首を右舷に旋回させていく。だがMI作戦以降も各種作戦を控えているために物資を積み込み過ぎている船体は、最大速力である三十四ノットを出せていない。

 見張り員や機銃員たちは、そのわずか数ノットの違いを酷くもどかしいものに感じていた。

 ダイヴブレーキの空気を裂く音が、艦橋にまで届いているような気分になってくる。


「……」


 そんな中、山口多聞少将は泰然と司令官席に腰を下ろしていた。

 転舵の影響で、飛龍の船体がわずかに右舷に傾いている。海面を切り裂き、飛沫を噴き上げながら彼女は転舵を続けていた。

 不意に、轟音と共に右舷に水柱が立ち上る。

 衝撃が船体を揺らし、崩れた水柱が飛行甲板を濡らしていく。そして、衝撃と水柱は連続した。

 下から突き上げるような衝撃が走るが、飛行甲板は無事だ。

 やがて、七つ目の水柱が崩れ去ったとき、飛龍の上空から敵機の姿は消えていた。


「被害知らせ!」


 至近弾で済んだとはいえ、船体は幾度も衝撃に揺さぶられた。水柱に攫われてしまった兵員もいるだろう。


「こちら機関室。ただ今の衝撃で蒸気圧が一時低下せるも、現在は復旧。機関異常なし」


 機関室からの報告を皮切りに、各所から報告が上がる。結果、船体そのものに大きな損傷は見られなかったが、機銃員二名が水柱に攫われて流されたという。


「妙高より信号! 新たな敵編隊の接近を確認!」


 だが、艦橋の誰かが何かを口にする前に、見張り員が新たな敵の来襲を告げた。


「艦長、ただ今の操艦、見事であった。流された二名に関しては、後で姓名を調べるよう」


「はっ」


 努めて冷静な口調で放たれた山口の言葉に、加来艦長は頷くしかない。今は戦闘中であり、艦を止めて流された二名の捜索をするわけにはいかなかった。

 彼らは心の内で黙祷を捧げつつ、次なる敵機来襲に備えるしかなかったのだ。






 レキシントン攻撃隊に続いて、サラトガ攻撃隊のF4Fワイルドキャット十二機、SBDドーントレス二十四機による空襲が開始された直後、一航艦を驚愕させる報告が舞い込んできた。


「千代田六号機より緊急入電! 『我、敵艦上機ノ大編隊ト遭遇。警戒サレ度』! 以上です!」


 回避運動のために傾斜する赤城艦橋に、伝令の通信兵が飛び込んできてそう告げたのだ。


「おい、千代田六号機は何度線を担当していた!?」


 草鹿参謀長が、どこか焦燥の滲んだ声で尋ねる。

 米空母部隊を発見した羽黒機が担当していたのは、一〇五度線である。


「六〇度線です」


 航空乙参謀の吉岡忠一少佐が答える。航空作戦全般の指揮は甲参謀である源田実の担当であるが、索敵計画など作戦上の細かな調整については、乙参謀の役割だったのである。


「これは、未発見の米空母部隊がいると見るべきか?」


 険しい顔で、南雲忠一中将が呟く。


「可能性は高いでしょう」


 源田実の顔も、心なしか強ばっていた。彼は二派にわたる攻撃隊を発進させた時点で、この海戦の勝敗は決したも同然であると思っていたのだ。

 五航戦にはミッドウェー攻撃隊が帰還次第、第三次攻撃隊を編成させる計画であったが、第三次攻撃隊は残敵掃討をするだけになるだろうと楽観的に考えていた。

 その、ある意味で自分本位ともいえる情勢判断が覆されたのである。


「千代田六号機から、他に報告はないか?」


 草鹿が通信兵に問うが、その答えは無情であった。


「はい。いいえ、報告は先ほどのもので以上です」


 恐らく、敵編隊と遭遇して緊急電を打った直後、撃墜されたのだろう。それでも、撃墜される直前、貴重な情報をもたらしてくれた搭乗員たちの献身に報いなければならなかった。


「第五、第八戦隊および千代田の水偵は出払っています」だが、吉岡少佐は苦く告げる。「残っているのは、第三戦隊の九五式水偵のみです」


 零式水偵に比べて、九五式水偵は旧式である。速度も遅く、航続距離も短い。だからこそ、黎明の二段索敵にも参加させていなかった。

 新たな米空母部隊の存在を確認させるには、あまりに心許ない機体である。


「いえ、五航戦がまだ九七艦攻を残しているはずです!」


 そこに、源田の鋭い声が飛んだ。


「五航戦に、空襲終了後、直ちに九七艦攻を索敵機として発進させるように命じて下さい!」


 日本の空母は、アメリカの空母と違って搭載する航空機を一度に発進させる能力を持たない。常用七十二機、補用十二機という搭載能力を持つ最新鋭の翔鶴型ですら、一度に発進させられるのはその半数の三十六機程度でしかないのだ。

 このため、ミッドウェー攻撃に九九艦爆と九七艦攻を発進させても、まだ格納庫内には何機かの機体が残っているはずであった。


「うむ、そうだな」


 源田の意見はもっともだと思い、南雲は頷く。このような状況でも源田の頭は冴えていると、南雲は安堵にも似た気持ちを覚えていた。


「ただちに五航戦に信号、千代田六号機の索敵線に沿って新たな索敵機を発進させるのだ」






 実際、翔鶴と瑞鶴の格納庫には数機の九九艦爆と九七艦攻が残っていた。

 赤城から信号が届くと、瑞鶴に座乗する原忠一少将は翔鶴、瑞鶴に各二機の九七艦攻の発進を命じた。

 ミッドウェー攻撃に参加しなかった機体は、帰還した攻撃隊の機体が損傷・喪失などで使用出来なくなった際の予備としてすでに整備が終えられていたので、発進準備にはそれほどの時間を要さなかった。

 千代田六号機が消息を絶った六〇度線の前後を飛ぶよう、搭乗員たちにそれぞれの飛行長からの命令が伝えられる。

 その中に、菅野兼蔵飛曹長の九七艦攻があった。操縦手は後藤継男一飛曹、電信員は岸田清次郎二飛曹である。特に岸田二飛曹は、まだ十九歳の若者であった。

 菅野は、飛行甲板での最後の打ち合わせの際、翔鶴飛行長・和田鉄二郎少佐にこう語ったという。


「大丈夫ですよ。必ず、我々が残りの米空母を見つけてご覧に入れますから」


 艦隊陣形の関係で航空戦隊の最後尾に位置する翔鶴、瑞鶴の二艦は、米軍機の来襲方向とは正反対の方向に存在していた。これにより、レキシントン攻撃隊、サラトガ攻撃隊による空襲による混乱から距離を取ることが出来ていた。

 そのため、四機の索敵機の発進はサラトガ攻撃隊による空襲の終結後、極めて迅速に行われた。

 ミッドウェー攻撃隊が帰還する前に、四機の九七艦攻は北東の空に消えていったのである。

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