5 交錯する攻撃隊

 一航艦司令部に索敵機から敵艦隊発見の報告をもたらしたのは、羽黒から発進した一機の零式水偵であった。

 担当していた索敵線は、一〇五度線。

 時に七月五日〇二四八時(現地時間:七月四日〇五四八時)。

 米艦隊に十五分ほど遅れての、敵艦隊発見であった。

 「敵航空部隊見ユ」という言葉で始まるこの報告電に、赤城艦橋は色めき立った。さらに追加の報告を待っていると、その十分後、敵艦隊の方位と位置、艦種を知らせる詳細な電文がもたらされた。

 敵空母は、サラトガ級二、エンタープライズ級一。

 羽黒水偵からは、敵艦隊上空の雲の状態、風向き、敵艦隊の針路などの情報が刻々と送られてくる。さらには、米空母から続々と艦載機が発艦しているという報告が寄せられた。

 確実に、米空母は自分たちを捕捉している。

 吉岡忠一航空乙参謀が海図台に取り付いて定規を当て、赤城飛行長・増田正吾中佐が発着艦指揮所に向かう。

 赤城艦橋は、にわかに騒がしくなった。

 源田実航空甲参謀が、この時のために待機させていた攻撃隊をただちに全機発進させるよう、南雲忠一長官と草鹿龍之介参謀長にほとんど命令口調で進言した。

 南雲や草鹿が航空戦に造詣が深くないために、艦隊の航空作戦の立案・実施を一手に引き受けていた源田にとって、これは待ちに待った瞬間であった。

 ハワイで討ち漏らしてしまった米空母を、今こそ撃滅する時である。

 真珠湾で米戦艦部隊を屠り、インド洋で英東洋艦隊を敗走させた源田にとって、この戦いは自らが信念とする航空主兵主義を完成させる最高の機会であった。

 戦艦を無用の長物と言って憚らない彼は、まさにこの瞬間、人生の絶頂にあったといえる。

 まず、敵艦隊との接触を維持するために蒼龍の二式艦偵が発艦した。


「搭乗員整列!」


 そして、艦内のスピーカーから発せられたその命令によって、艦橋下の搭乗員待機室から攻撃隊の搭乗員たちが飛び出していく。

 赤城艦長・青木泰二郎大佐も飛行甲板に降り、搭乗員たちに短い訓示と攻撃命令を与える。

 そして、赤城飛行隊長・村田重治少佐の「かかれ!」の号令と共に、搭乗員たちが一斉に飛行甲板上の機体に取り付き、乗り込んでいく。

 攻撃隊指揮官は、加賀飛行隊長の楠美正少佐。艦攻隊長は、赤城飛行隊長の村田重治少佐。艦爆隊長は、蒼龍飛行隊長の江草隆繁少佐。そして戦闘機隊長は、赤城戦闘機隊長の板谷茂少佐。

 第一攻撃隊の陣容は、赤城から零戦九機、九七艦攻十七機、加賀から零戦九機、九七艦攻二十六機、蒼龍、飛龍はそれぞれ零戦九機、九九艦爆十八機。

 全体で零戦三十六機、九九艦爆三十六機、九七艦攻四十三機の合計一一四機、真珠湾攻撃以来の大規模なものであった。

 それらが次々に母艦を発艦していき、上空で編隊を組んでいく。

 飛行甲板が空になると同時に、未だ格納庫内に第二次攻撃隊を残している一航戦、二航戦の四空母では整備員たちを中心に第二次攻撃隊を飛行甲板に上げる作業が開始された。

 なお、ミッドウェー攻撃に出撃した五航戦の航空隊は、帰還次第、第三次攻撃隊として準備されることになっていた。

 警報音を響かせつつ、昇降機が第二次攻撃隊として整備された艦載機を飛行甲板上に押し上げていく。

 こちらの攻撃隊指揮官は、飛龍飛行隊長の友永丈市大尉。彼は艦攻隊長も兼ね、艦爆隊長は加賀飛行分隊長の小川正一大尉、戦闘機隊長は蒼龍飛行分隊長の菅波政治大尉。

 その陣容は、赤城、加賀から零戦各六機、九九艦爆各十八機、蒼龍、飛龍から零戦各六機、九七艦攻各十八機。

 全体で零戦二十四機、九九艦爆三十六機、九七艦攻三十六機の合計九十六機である。

 第一次攻撃隊の発進から一時間ほど遅れて、これら第二次攻撃隊は母艦を飛び立っていった。






「全機、無事に飛び立っていったか」


 山口多聞は最後の一機が飛行甲板前縁を蹴って飛び立っていくのを見て、小さく安堵の息をついた。

 二波にわたる攻撃隊を送り出した飛龍の飛行甲板も格納庫も、がらんどうであった。

 残されているのは補用機と、上空直掩用の零戦六機のみであった。艦隊全体では、四十三機の零戦が上空直掩用に残されている(第六航空隊の零戦二十四機も含めれば、総計六十七機)。

 すでに一航艦は敵飛行艇に発見されている。敵艦隊を発見した羽黒索敵機からも、こちらに向かう敵編隊について警告が発せられている。遠からず、一航艦も空襲を受けるだろう。


「さて、電探が上手く役立てばいいのだが」


 山口はそう漏らし、飛龍の右舷側を航行する赤城を見遣る。

 その艦橋上には、二一号電探が搭載されていた。インド洋での損傷を修理する際、翔鶴と共に搭載が決定されたものであった。本来は隼鷹に搭載される予定であったというが、急遽、赤城に変更になったのだ。

 しかし、二航戦の蒼龍、飛龍には未だ電探が搭載されていない。

 蒼龍の柳本柳作艦長は電探という兵器に理解ある海軍軍人の一人であり、ミッドウェー出撃に際して二航戦にのみ電探が搭載されなかったことを惜しんでいた。

 未だ帝国海軍では電探の生産は軌道に乗っておらず、その台数は極めて限定されていたのだ。

 柳本大佐のことを思い出して、山口は内心で苦い思いを抱く。

 電探の問題も含めて、インド洋での戦訓を取り入れる意見具申をした者たちの意見は、ことごとく源田実に退けられていたからだ。

 この意見具申は、主に三つに分かれる。

 一つは艦隊を航空戦隊ごとに分けて分散配置すべきというもの。二つ目は艦爆の数を減らして、最新鋭の二式艦偵の搭載数を増やすべきだというもの。三つ目は敵機の来襲を早期に察知するために電探を搭載すべきというもの。

 一つ目の意見に対して源田は、空母は集中運用してこそ本来の攻撃力を発揮出来、また艦隊指揮も容易となると言って聞き入れなかった。

 開戦劈頭の真珠湾攻撃以来、一航艦の航空作戦を担ってきた源田にとって、インド洋で赤城や翔鶴が損傷したことは些事としか受け止めていないのかもしれない。あの時は五隻の空母が固まって行動していたからこそ、一航戦と五航戦、二つの戦隊の空母が損害を受けるという結果になったというのに。

 そして二つ目の意見に対しては、母艦航空隊の攻撃力が低下するとしてこれも却下されている。

 源田の航空機の運用方針は攻撃一辺倒であり、攻撃のための機体を減らして偵察機を母艦に搭載するなど言語道断だと言うのである(もっとも、これは源田だけの意見ではなかったが)。これに対しては、連合艦隊の宇垣参謀長が意見具申を受け入れ、柳本艦長が二式艦偵を受け入れて構わないと言ったことで、何とか作戦に合せて二機の二式艦偵が蒼龍に配備されることとなった。

 索敵用に水上機母艦の千代田が一航艦に配属されたのも、母艦航空隊を索敵に割くことを厭った一航艦司令部に連合艦隊司令部が配慮したことが大きい。

 三つ目の電探に関しても、源田は自ら電波を出すことで敵に位置を察知されたり、あるいは敵機を誘導することになってしまうとして否定的であった。

 五月末に伊勢と日向が電探の試験運用を一定程度成功させたことで赤城への電探搭載に納得したというが、源田が兵器としての電探にどこまで信頼を寄せているかは疑問であった。二一号電探に基づく探知情報が赤城から他艦に伝達されてこないことを考えると、電探に反応があっても信用していないのかもしれない。

 本来であれば一介の参謀がここまで艦隊司令部を牛耳るようなことは異常とも言えるが、南雲も草鹿も航空戦に対する理解が浅いこともあり、司令部における源田の専横を許すことになっていた。

 山口自身も源田の能力を認めないことはなかったが、最近ではいささか増長が過ぎるような気もしていた。


「通信」


「はっ!」


 山口が呼べば、二航戦通信参謀の安井鈊二少佐が応える。


「赤城と翔鶴に信号を送ってくれ。『敵機来襲ノ算大ナルニ付、電探情報ヲ二航戦司令部ニモ伝達サレ度』とな」


 この要請を赤城の一航艦司令部に拒絶されても、五航戦の原忠一少将は山口よりも後任(海軍兵学校では原の方が一期先輩であるが、少将昇進は山口の方が一年早かった)なので断りづらいはずである。

 これで少しは、一航艦司令部が電探情報に敏感になってくれるといいのだが……。

 山口はそんなことを思いながら、ミッドウェーの空を見上げていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ミッドウェーの戦場海域上空にはこの時、両軍の複数の攻撃隊が存在していた。

 日本側は、嶋崎重和少佐率いる五航戦攻撃隊、志賀淑雄大尉率いる第二機動部隊攻撃隊、そして楠美正少佐率いる第一次攻撃隊、友永丈市大尉率いる第二次攻撃隊である。

 一方のアメリカ側は、ミッドウェー島を発進した攻撃隊、第十七任務部隊および第十六任務部隊を発進した攻撃隊の三つが空中に存在していた。

 この内、ミッドウェー島の航空部隊は、この海域に存在していた合衆国航空戦力の中で最も早く敵艦隊への攻撃を開始することに成功している。

 この戦力は、B17十五機(陸軍)、B26マローダー四機(陸軍)、SBDドーントレス十六機(海兵隊)、TBFアヴェンジャー六機(海軍)、SB2Uヴィンディケーター十一機(海兵隊)。

 合計五十二機の攻撃隊であった。ただし、戦闘機の護衛は存在していない。

 その上、指揮系統が陸軍、海軍、海兵隊と分かれていたため、統一的な攻撃の指揮を執れる者が存在していなかった。

 各攻撃隊が、それぞれに日本艦隊への空襲を敢行する形となったのである。

 最初に第二機動部隊に対する攻撃を開始したのは、ランドン・K・フィーバリング大尉率いるTBF隊と、ジェームズ・F・コリンズ大尉のB26隊であった。

 空襲が開始された時刻は、日本側の戦闘詳報によると〇四〇五時(日本時間。現地時間:七月四日〇七〇五時)と記録されている。

 TBF隊とB26隊は、指揮官同士が特に連携していたわけではないのだが、奇しくもほとんど同じ時刻に第二機動部隊への攻撃を開始することに成功したのである。特に最新鋭攻撃機TBFアヴェンジャーは、この空襲が初陣となった。

 ただ、この二つの攻撃隊に一機の護衛戦闘機も付けられていなかったことが、悲劇を生んだ。

 TBF隊のフィーバリング大尉は、出撃前、敵空母が一隻の場合は三機ずつに分かれて両舷から攻撃する、敵空母が二隻以上の場合は各機がそれぞれの目標を選定して攻撃せよと命じていた。

 一方の第二機動部隊では、伊勢の二一号電探が朝からおおむね好調に作動していた。伊勢と日向には、海軍技術研究所が実戦での情報を収集したいとして派遣した熟練技術者が同乗していた。彼らによって、帝国海軍初の実戦での電探使用は支えられていたのである。

 この伊勢の電探がほぼ正常に作動していたことが、米攻撃隊の悲劇を助長した。

 この時、TBFは爆弾倉の開閉機構の作動不良を恐れ、爆弾倉を開いたまま第二機動部隊に接近していた。そのために空気抵抗によって動きが鈍重になっていたのである。

 六機のTBFは、各個に目標を選定して攻撃を開始しようとした。その時、上空から直掩の零戦隊に襲いかかられたのである。

 一瞬にして、フィーバリング大尉以下、五機の機体が黒煙に包まれる。


零戦ジーク!」


 そして残る一機、バート・アーネスト少尉の操るTBFの機内に、機銃手の絶叫が響いた。アーネストは咄嗟に操縦桿を捻る。だが、遅かった。機体に衝撃が走る。


「ああっ、神よ!」


 咄嗟に口走った祈りの言葉が天に届いたのかは判らない。だが、被弾の衝撃の後もアーネスト少尉の機体は飛行を続けていた。


「おい、お前たち、無事か!?」


 後部の電信員と機銃手に呼びかけてみるが、反応はなかった。この時、機銃手は零戦の放った機銃弾の直撃によって即死し、電信員も負傷によって意識を失っていたのである。

 だが、アーネスト少尉は生き残ったのは自分だけだと思ってしまった。

 そして、その自分も遠からず死ぬのだろうと絶望的な気分になる。今の被弾によって油圧装置が故障したのか、昇降舵の操作が不可能となってしまったのだ。さらにコンパスも破壊されていた。


「ガッデム!」


 だが、だからこそジャップに魚雷をぶち込まないうちに死んで堪るかという思いが湧き上がってくる。

 もう敵艦隊の中央へと突っ込んで、そこにいる空母に魚雷を投下するのは不可能となっていた。アーネストは手近な目標を探す。三本煙突の巡洋艦が、彼の目に映った。

 その巡洋艦に向かってアーネストは魚雷を投下する。

 そして、彼が一縷の希望をかけて着陸用のトリム調整装置を操作すると、奇跡的に機体は上昇を開始した。

 そのまま彼の機体は零戦による追撃を受けつつも、辛うじて第二機動部隊の上空からの離脱に成功する。そして、このアーネスト機のみが、TBF雷撃隊唯一の生き残りとなった。

 一方、コリンズ大尉率いるB26隊はTBF隊よりは敵艦隊に接近することに成功していた。零戦による迎撃を受けた直後、咄嗟に降下することで加速し、その追撃を振り切ったのである。結果、一機を失うのみでコリンズ隊は第二機動部隊の空母に肉薄することが出来た。

 伊勢や日向、陸奥、そして愛宕以下の艦艇が盛んに対空砲火を噴き上げるが、それは濃密な弾幕とは言い難いものであった。

 轟音と黒煙を突破して三機のB26が雷撃を敢行したのは、もっとも手近な位置にあった小型空母であった。






「敵双発雷撃機三機、右舷より突っ込んできます!」


 龍驤艦橋に、見張り員の絶叫が響き渡る。角田以下四航戦司令部の者たちが緊迫した表情で、右舷を見る。


「面舵一杯、急げ!」


 間髪を容れず、加藤艦長が転舵の命令を下す。敵雷撃機に対して艦首を向けることで、敵に対する面積を最小限にしようとしているわけである。

 対空砲火の弾幕が、三機の双発雷撃機の周囲に集中する。だが、撃墜される機体はなかった。

 基準排水量一万一〇〇〇トン、重心の高い龍驤の船体が、思い切り左に傾斜しながら右舷へと転舵を続けている。


「……」


「……」


「……」


 その傾斜に皆が足を踏ん張って耐えている龍驤艦橋は、緊迫した空気に満ちていた。ここまで敵雷撃機に接近される経験は、初めてであったからだ。

 敵の一番機の投下した魚雷が、舷側を通過して後方に抜ける。まだ艦橋の緊張感は続く。続いて敵の二番機。だが、何故かこの機体は魚雷を投下しなかった。投下装置の故障かもしれない(実際には投下装置の不良でいつの間にか魚雷を投下してしまっており、このB26は龍驤接近時に魚雷を抱えていなかった)。

 そして、三機目は巧みだった。一番機、二番機が転舵によって躱されると知ると、咄嗟に龍驤の左舷側に回り込んだのである。


「敵三番機、左舷に回り込みました!」


「取り舵一杯!」


 龍驤の舵が、今度は反対方向に切られる。二十九ノットの高速を発揮しつつ、彼女は「S」字の航跡を描きながら回避運動を続けていた。


「敵機、なおも低空で接近中!」


 三機目のB26は、魚雷を投下した低空のまま龍驤に接近してきていた。まるで、こちらに体当たりでもしようというかのようである。


「撃て! 撃ち落とせ!」


 砲術長の切迫した声が響き、高角砲と機銃が猛然と射撃を続ける。


「……」


 誰もが緊迫の表情を浮かべる中、角田は艦橋で仁王立ちになって接近する敵機を睨み続けていた。

 刹那、敵機は機銃掃射を行いつつ龍驤の飛行甲板上を飛び去っていった。龍驤乗員たちの目に、機体に描かれた鮮やかな白い星が映る。


「魚雷、左舷に抜けました!」


「被害知らせ!」


 ほっと息つく暇もなく、加藤艦長は被害の集計を求めた。この時、龍驤はB26による機銃掃射によって高角砲一基が旋回不能となり、二名の重傷者を出していたのである。

 だがとにかくも、米軍機の第一波を凌ぐことは出来た。四隻の空母に、深刻な損害は生じていない。


「だが、戦いは始まったばかりに過ぎん」


 角田はそう言って、自らの気を引き締めた。今の敵機は、勇敢そのものであった。このような搭乗員が米空母にもいるのならば、この戦いは容易ならぬものとなるだろう。

 そんな予感を、彼は覚えていた。

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