9 雷撃隊突撃
第十七任務部隊の三空母を護衛するノースカロライナ以下の艦艇が、一斉に対空砲火を撃ち出している。
レキシントンでも、砲術長エドワード・オドンネル少佐の指揮の下、射撃を開始していた。
凄まじい喧噪が、艦隊を包み込んでいた。
各艦の装備する五インチ両用砲や高角砲、四〇ミリ機銃が次々と火を噴き、砲弾が空中で炸裂する。
レキシントンは開戦前の改装で艦橋前後の八インチ連装砲を撤去して、そこに二十八ミリ四連装機銃七基を設置して対空火器を増強していた。その他にも、五インチ連装高角砲四基、同単装砲八基、四〇ミリ機銃、二〇ミリ機銃を多数、搭載している。
それらが主に、アメリカ側が最も警戒していた雷撃機を迎え撃つために仰角を低く取って射撃を繰り返す。
輪形陣の周囲に、対空砲火の炸裂を示す黒煙が次々と現れる。そして、その中をジャップの
「くそったれが! 味方の戦闘機は何してやがんだ!」
ある機銃員が罵声を上げながら機銃を撃ちまくっている。
味方のF4Fは、まるで艦隊を守ってくれなかった。
ジャップが太陽の方角から突っ込んでくるために目や体を焼かれながら、彼らは必死で対空砲火を放ち続ける。
一方、楠美正少佐率いる艦攻隊は、米空母を目標に降下を続けていた。
楠美正少佐率いる加賀艦攻隊二十六機、村田重治少佐率いる赤城艦攻隊十七機は、太陽を背にしつつ高度を落としていく。
加賀艦攻隊は二手に分かれて二隻の空母を狙い、残る赤城艦攻隊は残り一隻の空母を狙うことになっていた。
艦攻隊の襲撃運動は、綿密な編隊飛行の技量が試される。
中隊ごとにまとまって飛んでいた編隊を、隊長機からの突撃準備隊形の命令によって小隊ごとの編隊に素早く変更する。この時、第二、第三中隊が第一中隊のそれぞれ左右前方に出る「V」字の隊形とする。最終的に突撃命令で各機は編隊を解いて左右から挟撃するように目標に接近するのだ。
敵空母を取り巻く護衛艦艇から、火山の噴火の如き火箭が次々と飛来する。
目標一万メートル手前から緩降下を続ける九七艦攻の操縦席で、赤城艦攻隊を率いる村田重治少佐は、イギリス海軍との違いを思い知らされていた。
四月のセイロン島沖海戦では、英東洋艦隊の対空砲火はここまで激しくなかった。
しかし、眼下の米艦隊は一艦一艦が猛烈な射撃を行っている。特に、戦艦とおぼしき大型艦艇と少し小型な巡洋艦が激しく対空砲火を撃ち上げていた(これはノースカロライナとアトランタだった)。
機体の周囲で砲弾が炸裂し、風防が揺さぶられる。
すでに「トツレ」の命令が下された雷撃隊は、第二小隊と第三小隊が第一小隊の前に出る隊形に切り替えている。
指揮官機たる村田機は、中隊の最後尾にあった。
前を行く部下たちの機体と、敵艦隊が海面に引く白い航跡がよく見える。
輪形陣の外縁を突破しようとした瞬間だった。前を進む一機の九七艦攻がパッと火を噴いた。敵の対空砲火に捉えられたのだ。
だが、搭乗員たちの最後の意地だったのだろう。炎に包まれた九七艦攻は、米空母を取り巻く巡洋艦の内の一隻、ニューオーリンズ級と思しき敵艦に向けて最後の突撃を開始した。
だが、敵艦に突入するよりも、機体が力尽きる方が早かった。
敵巡洋艦の手前に、小さな水柱が立つ。
「……」
村田はその搭乗員たちの無念さを思い歯噛みしつつ、機体を突撃させ続ける。
「右舷より
「
レキシントン艦長フレデリック・C・シャーマン大佐の叫びが響き渡る。レキシントンは三十二ノットの高速で走り続けている。舵が利き始めるのには、少し時間がかかるだろう。
合衆国側にとって誤算であったのは、九七艦攻の早さであった。第十七任務部隊が装備していたTBDデバステーター雷撃機よりも、はるかに高速であった。
敵機の後方で炸裂する砲弾もある。そのために各砲座では信管の再調整が必要となっていた。
空はどす黒い爆煙によって覆われようとしている。
何機かの敵機が対空砲火に捉えられて火を噴いて海面に激突した。だが、残りのジャップは味方の最期など目に入っていないかのように突撃を続けている。
レキシントンに向かってくる
「
「左舷よりも
そして、レキシントンはわずかな時間の間に追い詰められていた。
「ガッデム……!」
思わずオドンネル砲術長は呻くように罵声を漏らした。艦の左右と上空からの、理想的な雷爆同時攻撃。
これが、真珠湾で太平洋艦隊の戦艦部隊を屠り、インド洋で英国艦隊を撃滅したジャップの母艦航空隊の実力か。
「舵そのまま! 機関室、最大戦速を維持しろ!」
シャーマン艦長も緊迫した声で操舵員と機関室に命じる。最早左右、どちらに舵を切っても敵機に捉えられる。ならば、最初に切った面舵にレキシントンの運命を委ねるしかない。
彼女の巨体は、ゆっくりと左舷に傾斜しつつ右へと旋回しつつあった。
村田の九七艦攻は、すでに敵空母の右舷方向より雷撃針路に入っていた。この時点ですでに編隊は解かれ、各機がそれぞれに雷撃を敢行する態勢に入っている。
栄発動機の轟音が操縦席を満たし、対空砲火炸裂の爆音が機体を揺さぶる。
すでに高度は海面から五メートル。
プロペラが波を叩かんばかりの高度である。
落下した対空砲火の弾片によって、海面はかすかに泡立っている。
巨大な煙突が目立つ空母であった。レキシントンかサラトガに違いない。
理想は敵艦の舷側と自機との角度が九〇度になるようにすることだが、真珠湾と違い激しく動き回る敵艦を相手にそのような角度を取ることは不可能に近い。村田はインド洋でそのことを学んでいた。
敵艦の転舵を見極めて、射角を調整するしかない。
敵艦との距離が一〇〇〇メートルを切ろうとする中で、村田は最後の角度調整を行う。
敵空母の船体が、かすかに傾いているように感じる。恐らく、面舵に転舵している。村田は敵艦の未来位置を瞬時に見定め、機体の針路を調整する。
敵艦が面舵を取っているのなら、射角は十七・五度が理想。その数値に出来るだけ近付けるよう、村田は機体を操った。
そして、ついに一〇〇〇メートルを切った。
九七艦攻は時速三〇〇キロを超える高速で突っ走る。
「発射用意!」
偵察員の斎藤政二飛曹長の声が響く。村田は投下索に手を掛ける。
敵艦との距離は、八〇〇メートルを切ろうとしていた。
そしてその瞬間、村田は投下索を引いた。
「てっ!」
重量八〇〇キロの九一式航空魚雷改二が機体を離れ、軽くなった機体が浮き上がろうとする。それを抑えながら、村田はなおも敵艦に向けて突き進んだ。
魚雷投下後に旋回して退避するという戦法は、すでに帝国海軍ではマレー沖海戦の時点で改められている。むしろ高速のまま敵艦の上空を突っ切った方が、かえって速度を失わず、さらに被弾面積を最小限に出来るからであった。
「……」
レキシントン級空母の威容が村田の目の前に現れ、即座に後ろに流れていく。魚雷の投下から敵艦上空を航過するまで十秒程度の出来事であったが、巨大な空母の詳細な艦影は村田の目にくっきりと焼き付いていた。機銃を撃ちまくる米兵の顔まで見えたような気がした。
そのまま村田機は雷速四十二ノットで進む九一式航空魚雷を置き去りにしつつ、輪形陣の外へと向かって脱出を図るのだった。
これは避けられないと、レキシントンの誰もが感じていた。
右舷から迫ってきたジャップ雷撃隊の動きは巧みで、こちらの面舵を見越したかのような地点で、それも一〇〇〇ヤード(約九〇〇メートル)を切る近距離で、魚雷を投下して悠々とレキシントンの上空を通過していった。
さらに左舷からもジャップ雷撃隊が迫っていた。こちらも、間もなく射点について魚雷を投下するだろう。
レキシントンは三十二ノットの速力で、船体を大きく傾斜させながら右旋回を続けている。
ジャップ雷撃機の投下した魚雷が、不気味な航跡を引きつつ彼女の巨体に迫っていた。
最初の一本は艦尾方向に抜けていった。だが、まだ針路は変えられない。残りの魚雷が、未だレキシントンに向けて突き進んでいた。
「神よ……」
雷跡を間近で見ることになったある機銃員がそう呟いた瞬間だった。
最初の衝撃が、レキシントンの巨体を襲う。
一本目の魚雷が、前部エレベーターの直下に命中したのだ。まるで何かに乗り上げたかのように、船体が持ち上げられたように感じた。
凄まじい轟音と共に水柱が噴き上がり、スポソンの機銃員の何名かが爆発に巻き込まれる。
「ダメージ・リポート!」
シャーマン艦長がそう怒鳴るが、被害報告が寄せられる前に二本目の魚雷が右舷に再び命中した。今度は、もう少し艦中央寄りであった。
さらにその直後、艦橋前方の元八インチ砲座に閃光が走った。
爆風が駆け抜け、四肢を引き千切られた機銃員の死体が噴き上がる。上空から突っ込んできた九九艦爆の投下した爆弾が命中したのだ。さらに煙突付近、五インチ砲座にも直撃弾がある。
レキシントンの巨体は、連続する衝撃に身震いするように振動を繰り返す。
そして、左舷から迫っていた九七艦攻が飛行甲板を飛び越えていく。その最中、被弾した一機のジャップ雷撃機が炎をまといながら左舷五インチ砲座の一つに激突した。
恐るべきジャップ搭乗員の執念。
レキシントンは右舷の被雷によって、機関室の第二、第四、第六ボイラーが使用不能となり、速力を二十五ノットに落とし始めていた。
そこに、左舷から迫っていた魚雷がレキシントンに命中し始める。
こちらは、彼女が面舵に転舵するのを見極めてから雷撃針路に入っていたため、村田機以下右舷側から雷撃を敢行した者たちよりも命中率は高かった。
艦首から艦尾まで、まんべんなく四本の魚雷が命中した。内一発は不発であったが、三発の魚雷がレキシントンの喫水線下をえぐり取ったのである。
巡洋戦艦改装の空母“レディ・レックス”は両舷で合計六本(内一発は不発)の魚雷をその身に受けた。
これが、村田重治少佐率いる赤城艦攻隊の十七機の成し遂げた戦果であった。
一方、楠美正少佐率いる加賀艦攻隊二十六機は、それぞれ中隊ごとにヨークタウン、サラトガに狙いを定めて雷撃を敢行した。
この時、まったく神に見放されていたのはサラトガであった。
開戦直後に伊六潜に雷撃されて修理を余儀なくされ、ようやく戦線に復帰したばかりであった彼女は、最初の魚雷命中によって主電気回路が損傷し、機関が完全に停止してしまったのである。
元々、レキシントン級はターボ電気推進システムという、艦艇としては特殊な推進装置を搭載していた。この機関は蒸気タービンよりも航続距離を確保出来るという利点があったのだが、レキシントン級のターボ電気推進システムはイギリスの造船関係者が「複雑怪奇」と評するほど、回路の配置など設計上の問題点を抱えているものであった。
この脆弱性が、今まさに空襲を受けている最中に露わになってしまったのである。
急速に速力を低下させていくサラトガは、加賀艦攻隊にとって格好の標的となった。最初に魚雷を命中させた小隊に後続していた小隊が、両舷から次々と彼女の船体に魚雷を叩き込んだである。
サラトガは最初の被雷から五分後には完全に推進力を失い、その間に右舷に三本、左舷に四本の魚雷が命中していた。さらに九九艦爆も六発の二五〇キロ爆弾を命中させ、サラトガは喫水線下と飛行甲板を徹底的に破壊されたのである。
“シスター・サラ”の惨状は、合衆国側にとって目を覆うものであった。
一方、多少なりとも幸運に恵まれていたのはフレッチャー少将座乗の空母ヨークタウンであった。
ヨークタウンは江草隆繁少佐率いる艦爆中隊に狙われ、二五〇キロ爆弾六発が命中して飛行甲板を完全に破壊されたのであるが、戦艦ノースカロライナの強力な対空砲火が雷撃隊の阻止に成功したのである。ここにエリオット・バックマスター艦長の巧みな操艦も加わり、ヨークタウンの被雷は一本に留まった。
三空母の中では、最も少ない損害で空襲を切り抜けることに成功したのである。
ただし、空母としての戦闘力を完全に失ってしまったことは、レキシントン、サラトガと変わりはなかった。
特に江草隊の投下した爆弾の一発が飛行甲板を貫通して煙路で炸裂し、ヨークタウンのボイラー五基を完全に使用不能としてしまったのである。これにより、ヨークタウンの速力は急速に低下してしまった。
さらに一発は前部弾薬庫と航空燃料庫の付近に火災を発生させ、ダメージ・コントロール班が咄嗟の機転で弾薬庫に注水し、誘爆を免れていた。
一航艦の放った第一次攻撃隊は、第十七任務部隊の空母すべてを戦闘不能としたのである。
だが、それで第十七任務部隊を襲った災厄が終わったわけではなかった。友永丈市大尉率いる第二次攻撃隊が、第十七任務部隊に迫りつつあったのである。
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