二十八歳

21 不滅なる灰神楽と、薄命なる彼岸桜へ踊れ


 金銀ギルバーの樹枝の中心には、桜石と同じく放射線状に広がる六角模様トラピッチェ。これは、私の祈り。雪華の髪留めを地上へ翳せば、六芒星がの光筋を伴う。己の口を感慨に開けば、二本牙の見える「四年よねん」の歳月を象るのだ。千里と智太郎は、六歳になった。

 

 幼い身体の中で【過去夢】を断片的に視る二人の刹那に刻まれたのは、私だけじゃない。羽衣石ういし家の片翅。那桜なおが契りを交わした賢斗けんとは、彼女が覚悟していた通りに散ってしまったと花の便りと共に知らされた。花筏に溺水するような息苦しさに、私は眠り続けるわたるを想う。血に人魚が巣喰う、私の藻掻きは終わっていない。


 時折……私は『白魔ノ小猫』の形代となり、檻を抜け出す智太郎に伴った。どうやら智太郎は、賢斗ちちおやに遺された羽衣石ういし 省吾しょうごが訪れる度に遊び相手をしているようだ。薄茶の短髪を柔く跳ねさせた弟分の、青藤色があどけなく耀かがよう瞳は邪険に出来ないからなのか。


「あ、千里お姉ちゃん! 」


 幼い両手が舞い上げた桜吹雪を、紙飛行機が突き抜けていく。常磐色のリボンカチューシャと鶯色の尼削ぎ髪を靡かせた千里の肩には、黒鴉。彼が敵か味方か見極められず、乾いた目眩がした。絵空事の中を省吾が走れば、千里の金の杏眼と、智太郎の花緑青の猫眼が硬質に交差する。智太郎の足元に、白猫わたしは寄り添った。

 

「那桜と遊びに来てくれてありがとう、省吾」

 

 無邪気に抱き着いた省吾を撫でて微笑むのに、千里の頬は少し青白く見えた。皓々こうこうと目を細める智太郎が『遊び』の振りをして千里を説得出来るのは、きっと最後になるのだろう。


「訪れる惨劇のせいで、薄紅色の桜が怖いくせに。贖罪ごと、無理な花見なんてめろよ。救済の対価は、『死に絶えた現代みらい』という覆せない悪夢になるんだ」


「私の願いが叶えば、『綺麗な現代みらい』に生まれ変わる。私達の『母様』は死なないし、も忘れるね」

 

 光風こうふうの下。花酔う千里は、小首を傾げて儚く微笑んだ。春陽を吸い込んだ杏眼は、紅紫色を変幻した青紫色を帯びていく。菱形の星の瞳孔を研ぎ、金の鱗粉を瞬いた。抱かれた省吾は気付かない。


「私が現代みらいを穢したままじゃ 、綺麗でしろい約束を受け取れない。咲雪が生きて、智太郎が幸せに生きたはずの未来が蘇って欲しいって……ずっと、願ってきたんだよ。私の味方なら、私が望む『家族が欠けない幸せ』を選んでくれないの? 」


 千里は、瞳が潤むのに耐えていた。穏やかな声音を震わす真摯な訴えに、花緑青の猫眼は揺らぐ。迷いを殺すように、智太郎は拳を握った。

  

「……何もかも夢のように上手くいったら良いって、俺も思っていた。だけど、理想通りのうつつなんて、万能では無い俺達には作れない。綻びが無ければ、崩落する世界だってあるだろ。俺は、に消えて欲しくないんだ」


「何言ってるの……私は死んだりなんかしないよ。私は『家族』が揃う現代みらいに戻りたいんだもの」

  

 緩やかに瞬いた千里は、現代みらいに生きる『己の可能性』を喪おうとしている事に気付いていないのか。気付かせる事が出来れば、千里の『願い』を阻めるかもしれない……! 開きかけた口は、白猫かたしろの身体を抜け、急激に意識の奈落へと沈みゆく! 咲雪わたしの白袖を噛むのは、浸蝕する『人魚』だった。底無しの眼窩に、薄ぐらい陰火が揺らぐ。洗朱あらいしゅの背骨と鰭が荒立てるのは、よりくろい水流だ。

 

(( よく聞きなさい、咲雪。翔星かいせいを含めたわたし達、妖狩人は妖狩りに出立したまま。貴方達と共に桂花宮家に残っているのは、都峨路つがろさんと羽衣石 那桜だけよ。妖が矢継ぎ早に現れ、足止めを食らうなんて……嫌な予感がするわ。私達が戻るま…で…… ))


『まさか、『首謀者』が桜下おうかに動き出したの……さえ!? 』

 

 頭蓋骨の幼魚と繋がる意識の一糸が切られ、翻る紅鶸べにひわ色にうつつへ引き戻された。鮮烈な羽織を纏うのは、額から汗散らした那桜。縁側を駆け抜け振り返る彼女を追うは、下賎な妖か! 子供の影を半端に溶かしたようにあぶくを放ちながら、蜘蛛の如く逆さに迫る妖に白猫わたしの背筋が凍る。既に、桂花宮家の堅牢なる結界が断弦されていた!


「生力を欲する❰影の妖❱が狙うはずの千里わたしはここに居るのに、どうして……! 既に本来の過去とはズレているというの!? 」


 金の稲光が、鶯色の髪先を浮かばせる。可憐なかんばせ燦然さんぜんと顰めた千里が、金の翼を若葉色の袖に纏わせた瞬間。彼女のかいなから逃れた幼い少年は駆け出してしまう!


「逃げて、おかぁさん! 」


「省吾、行っちゃ駄目!」


 手を伸ばし、千里が叫んだ! 彼女と黒鴉は、金と漆黒の双翼で桜吹雪を切り開く。花緑青の陽炎と猫耳を顕現した智太郎と共に、踏石を蹴った白猫わたしは彼女らを追う!


 ❰影の妖❱が首を捻じ曲げ、瞳を見開いた省吾へ標的を変えた! 黒針のように急激に伸びたが、省吾を那桜へ突き飛ばした千里に集約し迫る。私の内で荒れ狂う熱が、凍えた後足に重く落ちていく。満開の彼岸桜の下、❰影の妖❱が歪な声を粘つかせた。


❰❰ いマもコワ"イ? ひトリぃ、置イてイ"カれ"ルノハ ❱❱

 

 一の舞は禍つ。白絹に血の一雫が滲むような、五弁花との再会だ。千里は呆然と、散瞳する杏眼に❰恐怖❱を映す。強い現代みらいの色は吹き消され、怯えた過去いまの金にまろやかな瞳孔が震える。

 

「独りで強くなったじゃ……駄目だったんだね」


 自嘲した千里は、力無くしゃがみ込んでしまった。


「千里が生きて応えなきゃ、『独り』を殺せる約束を結べないだろ! 何度だってお前を守るって、決めたのに……」


 智太郎が伸ばした手に、薄紅桜が纏わり付き、螺旋に迫る春風が呪うように隔てる。幼い手足が届かぬ焦りと悔しさに涙を滲ませた、少年の咆哮を救済するのは――黒羽を散らした継承者。花鏡の刀身を構えた男は、白透きの山陵の如く端麗を研ぎ澄ました顔貌を映す。濡羽色の睫毛を覇気に開けば、この世ならざる黒曜の瞳に星芒が宿る。


 貴き鴉は降臨した。双翼と黒焔で描く円の剣舞にて❰蜘蛛❱の四肢を斬り落とし、彼は片手を床へついた!開け放たれた一室の掛け軸へと両足で蹴り飛ばされた、猛る❰影の妖❱は捻れて奇妙な悲鳴を劈く! しかし、茜を帯びた黒焔の一閃は逃さない。秀眉を寄せた鴉は、❰影の妖❱の左胸を掛け軸ごと貫いた!縁側へと黒焔纏う翼を翻し、薄紅の花弁を焼尽し散らす。血振りした影の残滓を睨み、桜下の鴉は明星の守り手になった。 

 

現代みらいの千里を……己穂いづほを、無惨に死なせてなるものか」


黒曜こくようは、生まれ変わった私が【過去夢】を視ていると気付いてたの? 」


 焼灰と桜が舞い落ち、我に返った千里は自らの口を塞ぐ。彼女に『黒曜』と呼ばれた鴉は、慈愛を交えた切望にて微笑む。漆黒の髪筋が、艶やかな希望に靡いた。 

 

「私を良く知っているような親しい微笑みを……垣間見える既視感を、ずっと確かめたいと思っていたんだ。雨有うゆうから私の内に託されたもう一つの【過去夢】の異能に、共鳴する現代みらいの千里を。やはり前世の……己穂の記憶があるんだな」

 

 真っ直ぐに手を伸ばした鴉に、惑う千里が応えかけた瞬間。唸るような怖気が、春風を侵す。

  

❰❰ コタエは、得た。桂花宮 千里。お前が恐れているモノは……が死んで、孤独になることだろ? ❱❱

 

 昏い部屋に、焼灰は赫赫かくかくと墜ちる。片膝を立てて座る人影があかい猫眼を細め、絶句する千里を嗤った。滅したはずの❰影の妖❱に、くろい猫耳と尾が生成されていく。私達親子へと跳躍し、十七歳程の美しき少年が眼前に迫る!


「なっ……! 」

 

  赫い鉤爪の一閃を避けて驚愕する智太郎と、色彩と齢以外はだ! ❰影の妖❱の真の正体は、恐れを影に映す❰恐怖の妖❱か!

 

❰❰ 自分が賭けた根源しんぞうは、最早咲雪には届かない。だが、自分の欲しい物はまだ賭け皿から消えていないんでな ❱❱


 智太郎の肩に飛び乗った白猫わたしは、❰黯猫くろねこ❱に雪華の術式を咆哮した! が、白魔の息吹は襖を凍てつかせたのみ。❰恐怖の妖❱は後宙にて桜樹へ跳び乗り、尾をくねらした。少女に見紛う麗しい顏を歪ませ、妖艶な嘲りで白猫わたしを見下す。

 

「貴方が『首謀者』なのね。やっと盤上に現れたと思ったのに、黒衣くろこが似合ってないわよ」


❰❰ 指揮者も愉しまなければ、遊戯では無いだろ? 生力由来術式で形代が生成出来るなら、下等な妖でも傀儡くぐつを為せると思ってな。結果は……上々だ! ❱❱


 牙を見せた❰黯猫❱は鉤爪の握り拳を包み、関節を鳴らす。鴉の黒焔の刃閃を厭みに避け、柔いくろ髪と桜枝に掠めさせた。その赫い瞳は、私をまだ見つめている。


「貴方は何故『得物エモノ』に終わらず、千里を狙うの? 」


❰❰ 一重に、妖を太平に導ける『可能性』の為だ。妖が人に虐げられる世なんて、間違っているとは思わないか? ……自分の誘いを拒絶した咲雪おまえには、無駄な問いだろうがな ❱❱ 


 空虚に微笑む❰黯猫❱は桜枝と共に墜ちていき、猫ひねりの如く空中で身を翻す。赫い眼閃と鉤爪で螺旋の軌跡を引く中、省吾を背に庇う那桜を捉えた。淡藤色の眼光で睨み返す彼女の手には、『滅びの蝶』を封じた札。


❰❰ 良いのか? 『滅びの蝶』は、んだろ ❱❱

 

「お前のようなバケモノを始末するのは、私達の誉れよ」


 しかし、顔を顰めた那桜は『滅びの蝶』を顕現しない。構える私達の緊張を絡め、着地した❰黯猫❱は不敵に嗤う。眼を狂おしく見開き疾走するあかい箒星を、が防いだ!


「桜に爪立てる野良猫に、嬢ちゃんはやれねぇな。根源しんぞうはどこに隠しやがった」


 桜下の曇天と紛う灰色の砂塵の中……咥え煙草の火種と、山犬の如く落窪む鈍色の眼光が爛々と浮かび上がる。赤銅色の髪と長羽織を靡かせたのは、宮本みやもと 都峨路つがろか!


❰❰ 成程……精緻に綴った生力由来術式を巻いた札を煙草にし、灰を操っているのか。お前如きに根源コレが砕けるものか! ❱❱


 背を反らした❰黯猫❱がから挑発的に咥えたのは、牙からギラつく鏡鉄鉱ヘマタイトの根源! 冷静な花咲翁は節榑立ふしくれだった右手で、煙草の先にて煌々と輝く火種を包み、灰の煙を渦巻かせていく。


「惜しい推測だな。灰という極小の札にて感覚する生力、が正しい。同じ灰でも生き物の目に入れば『不快』を齎し、肥料となれば花を『快』にて咲かせられる。花弁一片ひとひら一片は脆弱でも、烏合の生力は絶えん。生き物の僅かな意思を蒐集しゅうしゅうした『不滅の生力』ならば……野良猫一匹くらいは狩れるさ! 」


 荒れ狂う灰の嵐が狼牙を剥く! 雄々しく嗤う❰黯猫❱は、灰の奔流に赫い鉤爪を立てて逆らった!

 

❰❰ 烏合の衆のかしらとなったお前は、人の絆に宿る『可能性』をも蒐集している。気が合う方だと思うがな! ❱❱


「はっ……知ってやがったのか。『可能性』に【異能】で干渉出来る、テメェを打ち破る為の人海戦術がお気に召したようで何より」

 

 苦く片唇を吊り上げた都峨路を驚愕させたのは、背後から振るわれた青い花吹雪の鞭! 紙一重を破られ、都峨路は捕縛された左足首に舌打ちした。 青く透ける千早を纏った巫女姫が、桜樹上から舞い降りる。青玉の左眼を禍々しく見開き、二本角を顕現するのは、弐混にこん神社の青ノ鬼あおのかみか!


「やはりお前は、僕の青ノ君こどもの心臓を喰ったんだな。だから時と運命に関する異能者しか視えないはずの、『天鵞絨ビロードの大河』に流れる『可能性』が【異能】で視える。そうだろ!」


「さぁな、テメェの信じたい方を選べよ。人鬼が死んだあの日……青ノ巫女姫の身体うつわごと気絶させられていた脆弱さを認めてな」


 軽薄な微笑にて振り返る都峨路に、青ノ鬼は表情を削ぎ落とす。凍えた気魄きはくを黒髪の艶に宿らせた。


「ならば僕自身が抑止力となり、瞋恚しんいごと信じさせてやろう。『不滅』を謳う宮本家が、『滅び』に呑まれる羽衣石家を変えられない運命を! 人に飼われる『滅びの蝶』が、『可能性』を破壊してやる! 」


 青ノ鬼の咆哮が、私の鼓動を突き抜ける! 虹鱒の半妖ののどかを喰らい尽くしたように……そこにだけで、雛鳥の脅威となり得たのだ。那桜が手にする札は、人の千里に鼓動する『原初の妖』の根源しんぞうを脅かす『滅び』その物だった。


「やめて、青ノ鬼! 憎悪は幸せを阻み続けるって、貴方が一番分かってるでしょ! 人と妖が手を取り合う未来を、貴方は望んでくれたじゃない!」


 両手を広げて那桜を庇う千里に、青ノ鬼は幼子の様に泣きそうな顔をした。


「僕だって、譲れないものがあるんだ。お人好しの君は自分より、他人の命を優先してしまうだろ? だから、その那桜おんなを滅ぼすのは僕でいい……! 」


 静かに涙伝わせた彼は袖を振り上げ、青い花嵐で灰神楽と桜の花弁を轟々と巻き上げる。桜下の曇天が、台風の眼のように晴れていく。

 

那桜わたしは、『滅びの蝶』の操術に生涯を捧げたのよ。千里を、この手で守るは……出来ないの? 」


 省吾を抱いたまま座り込んだ那桜は、千里の背の向こう側の、青い花嵐と晴天を茫洋と仰ぐ。

 

❰❰ 良い躊躇いだ、『メツ』の術士。お前は命を賭すをしても、黯猫じぶんから『小さな秋陽』を守らなくてはならない ❱❱


 灰神楽から逃れた❰黯猫❱が擦り寄り、那桜へ囁いた。白魔わたしの怖気が顕現し、縁側を凍てつかせていく! 晴天の花嵐は、曇天に陰る。肉と骨が引き千切れるような嫌な音に、青ノ鬼は怯んだ。

 

「その選択ことばが、【異能】による『可能性』への干渉か! 都峨路おれ達の眼前で、『可能性』を弄ぶのは許さない! 」


 青い蔦に拘束された左足首に構わず藻掻き、不滅の灰神楽を蘇らせた都峨路の咆哮が、私の瞋恚を伴い叫んだ! 運命を弄ぶ黯猫は、智太郎の姿を被り、眠り続けるわたるごと私達を嘲笑う。

 

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