22 雪解け水は流星を咲かす


 都峨路つがろは無惨な左足首の血花けつかすら、青と薄紅の花弁をも巻き上げる灰神楽に捧ぐ! 曇天の渦の中の山犬の如き雄叫びに、青白磁の星彩が応えた! 肩上で切り揃えた薄茶色の髪と紅鶸べにひわ色の羽織を旗めかす那桜なおの守護は、抱き寄せた省吾しょうごの為でもある。灰神楽と舞踏する❮黯猫くろねこ❱を、那桜は淡藤色の眼閃で睨んだ。彼女が握る白札が独りでに折られていく。

 

「賭けを舐めないで。蝶達の絶対数を削られていても、黯猫おまえを滅ぼす一瞬の顕現があればいい! 」

 

 紙繭の籠提灯は、虹の閃光にて顕現した! 内なる鏡に止まる『女王蝶』は、胸の柔毛が白獅子のように誇り高く、銀の触角と脚をしなやかに晒す。 鏡に映るは、白い触角の『滅びの蝶』。一対の蝶が正対する鏡にて、青白磁の翅の本を捲るように増殖を繰り返す。那桜が紙繭に爪を立てた瞬間、青い花吹雪の風向きが変わる。花弁が鱗のように重なり、嘴鋭い花龍と成った。灰の奔流を割いて、那桜へと突き進む!


「それで? 那桜おまえが望む、危うい守護を青ノ鬼ぼくが信じると思うのか? 」


 顰めた憎悪から驚愕に見開かれた青ノ鬼あおのかみ片青眼かたせいがんを照らすのは、花龍を撃ち抜く稲妻! 若葉色の袖に纏う金の翼にて、残光が散る。金の杏眼を凛々しく輝かせた千里せんりは、鶯色の髪を光風に踊らせ、柔い微笑みを返した。


千里わたしは那桜を信じてる! 彼女を信じられないなら、青ノ鬼を導く私を信じて欲しいの」


「君が抱く希望は叶えられない! 那桜を生かせば、【過去夢】へ『可能性』を賭ける君の現代みらいは……」

 

 迫る翅音にわたしの本能が粟立つ! 猫耳をそばだてた智太郎が千里を後ろから抱き、幼い二人は尻餅をついた。かいなの中に飛来した黒鴉を袖で守った千里と共に、青ノ鬼が砕けた空を絶望的に見上げた。青白磁の『滅びの蝶』達が、願い星のように流れていく。墜ちる先は、花曇る天を嗤う❮黯猫❱と決まっている。

 

❰❰ 【過去夢】の力で、お前達は現代みらいから介入したのか。その『可能性』、黯猫じぶんが活用してやろう! ❱❱

 

咲雪わたし達が抵抗しないとでも思うの! 」 

 

 恐れ知らずに灰と蝶を連れた❮黯猫❱は、私達の眼前へ舞い降りた! その足元を白猫わたしの息吹で凍てつかせた瞬間、しまったと思った。❮彼❱の身体は、目的の為には死を厭わない傀儡。千里に両手を伸ばした❮黯猫❱の狙いは、凍った脚が砕ける最中でも遂げられる!

 

❰❰ 千里は、死にゆく智太郎おれの救済をくれるよな ❱❱

 

 黯と白銀の猫達かれらの対比に、私ですら息が止まりそうになった。千里の両頬に触れて乞う❮彼❱は、彼女を後ろから抱いたまま言葉を失った智太郎と、同じ麗しい顏で儚く微笑んだから。半妖わたしと同じ死の運命は、妖の四分の一クォーターである智太郎にも継がれているのだと自覚させた。眼前の❮彼❱を睨めない千里は、苦痛に抗っているようだった。振り払えない千里を、誰が責められようか。灰と共に迫る『滅びの蝶』達の鱗粉がわたし達を眩惑する中、守護に翻る紅鶸色が網膜に焼き付く。手を伸ばした都峨路の咆哮がはらわたに残響した。


「駄目だ、行くんじゃねぇ! 」


 明ける花曇りに、駆け出せたのは一人だけ。青白磁の翅が千々に散り、誰かが千里達を抱き締めた。春陽を掴まえた彩雲の欠片が揺れ、彼らの白肌と袖に投影されるよう。変彩金緑石アレキサンドライトに変幻した杏眼が縮瞳しゆく千里の頬へ、くろあかが滴り……胸を影針に串刺しにされた那桜が微笑んだ事を知る。


❰❰ 智太郎を救う千里おまえは、跋扈する人からじぶん達を救うと同義になる。だから、黯猫じぶんを知ったお前の選択肢に賭けてやるよ。現代みらいで再会する為に、お前を滅ぼす『羽衣石家』の死を連れて行こう ❱❱


 倒れゆく那桜と『滅びの蝶』達……翅の盾を砕かれ、横たう省吾を伸縮させた影針で貫いていたのは、地に伏せた❰黯猫❱だった。蝶に右半身を喰われた❰彼❱自身も唇に黯き血を伝わせ、都峨路の灰神楽に鎖骨を穿たれていた。黒光る鏡鉄鉱ヘマタイトの根源が破砕され、焦点があかい猫眼から失われる。黯い春塵として消えゆく❰彼❱に、幼い智太郎の成れの果てを見せられたよう。耳鳴りが、訪れる死達が、私に奇妙な現実感を突き付ける。

 なぜ、ゆっくりと縁側にあかが濡れるのだろう? 手向けを齎した彼岸桜の一片ひとひらが、私の血道を波紋で凍らせていく。血が薄紅を吸い込み、全部しろくなればいいと思った。

 

那桜わたしは『小さな秋陽』を……千里を守れたかな? 」


 茫洋と頷く千里へ、辛く花笑む那桜は救われたのだろうか? 幼気に笑う省吾が生きたはずの未来に『滅』の術式を継承するという、那桜の願いは最早叶わないのに。

 

「今なら分かるよ。元来の過去の惨劇で、那桜が❰影の妖❱から千里わたしを守れなかった理由が。私に触れて守らないことが、懐の『滅びの蝶』から守ることだったんだね。でもね、私が【過去夢】で望んだ『母様かあさま達の救済』は……こんな形じゃなかったんだよ! 」


 かな切る霹靂へきれきの叫びが、本能を脅かす! 千里の輪郭がブレて明滅すれば、目眩がズキズキと呼応した! 生じた光の荒波と春嵐は、生者を弾いて寄せ付けず! 荒波が卵殻の花弁の如き爪痕を残して千里を囲い、金緑の構造色にて罅割れた。春眠る省吾と那桜を覆うように、薄紅色の花弁が降り注ぐ。


「羽衣石家の物に触れるんじゃねぇ、青ノ鬼! それは、宮本家おれたちに遺されたになったんだ! 」


 慟哭に灰の牙を剥く直前、都峨路の後頭部が青い花吹雪の鞭で打たれた! 涙濡れる彼を気絶させた青ノ鬼は、『女王蝶』が傷ついた翅で藻掻く紙繭の籠提灯を拾い上げた。燃える青玉の左眼は、私を冷静に射抜く。

 

「僕との契約を思い出せ、咲雪。硬質な波紋で、しろく削るべき明星が見えるだろ? 」


 千里を指差した青ノ鬼は、透けた千早ごと青い花吹雪に攫われて消失しゆく。我を失いつつある創造主を前に、時間を超えた己の同期を解かれた彼は【過去夢】の中に居続ける事は出来ないらしい。眠る渉の運命を人質にし、私に千里を託すのか。情より利害を信じる彼の花唇を、愚かしいと見送った。そんな事をしなくても、私は秋陽あきひ遺言ことばを追っているのにね。


『お願い、咲雪。いつか妖に化す『この子』が誰かを殺さないように、母として『悪の色標本』を与えてよ! 』


 いつか私に叫んだ秋陽と狂おしい程似た顏で、千里は天を仰ぐ。若葉色の袖と金の翼を激しく翻し、燦爛と杏眼を見開いた千里は己の首に爪を立てた。金縛りに藻掻くような肢体に、濡羽色の樹枝痕がはしる。

  

千里わたしうろには何もない。大切な『母様達』を犠牲にしてまで、私が守られて生きている価値なんて無いよ! 」


 二の字に構える両腕で吹き荒ぶ春嵐に抗う智太郎は、一番星を虹彩の広さに映す。


「夢の中の寝言でくらい、幸を謳えよ! お前が自分の価値を捨てるなら、お前を選んだ俺が新たな価値を決めてやる! 」


 千里の贖罪が何か、今なら分かる。千里は元来の過去で、自分のせいで喪ってしまったと罪を感じていた『母親達』を救いたかったのだろう。だが、産褥死した秋陽の天命には抗えず、那桜も逝ってしまった。そして……千里が最も悔いる『母親の死』は、私自身の死だ。いつか訪れる半妖わたしの死に、千里が抗う理由を深く知らなくてはならない。千里と私へ母親にも似た慈愛を齎した鴉を、私の味方にして。 

  

あなたの現人神は、己を賭して私を救おうとしているの。『人の心』を喪わせない為に、雛鳥を選びなさい。長様は、私の死神でしょ? 」


 端麗な男の姿に化した鴉は、睫毛を開花させて躊躇いを弾き飛ばす。足元の白猫わたしへ、内なる裂傷を隠せぬように微笑んだ。


「明星を道標に歩んできた、私の心は真っ直ぐだ。ただ……命短し咲雪のこうは、咲雪にしかかおれない。かぐわしい不香ふきょうの花を、温かい春に咲かせられるなら本望だ」

 

 私を永久とこしえの死道へ見送り難い鴉は、手を離せない父親ヅラが板についてしまったみたいだ。私は少しだけ、涙腺を慈愛に啄まれた。雪華の軌跡を踏み締めた白猫わたしは、鴉が振るう刃閃と共に駆け、千里を囲う卵殻の花弁を高らかに切砕きりはたく! 春嵐に浮き、毛鞠のように宙に廻った! 丸めた手足を開いて見下ろせば、千の夢に微睡む私達の愛し子に会える。


「可愛い貴方ばかり、私の【過去夢ゆめを視る】のは不公平よね」


白猫あなたは、【を視れる】咲雪の形代だったのね……」


 怯えた千里が青紫の杏眼に流す、濡羽色の涙の銀河に堕ちる。金の稲妻と紫電による螺旋の拒絶に形代からだが焼き切られる瞬間、【鳥籠の内で、薄黄木犀キンモクセイの三つの実を抱く鶯】を視た。透けた咲雪わたしが身体に墜ち戻る最中、眼下の地下牢に〝知らない私達〟が投影される。


『見た事の無いお花を、翔星とうさまから貰ったの。これなら陽が届かなくても、三人で花畑に居るみたいね』


 それはきっと……千里の過去で、訪れるはずだった私の未来なんだろう。開け放たれた檻の中で、幼い千里と智太郎は花冠を被って笑みを交わす。彼女らを見つめる私は煙管キセルを片手に、檻の中に白い花穂を咲かす二人静フタリシズカ愛久うつくしさに微笑んでいた。だが、花言葉通りに『いつまでも一緒に』は居られない。


 春に忘れ去られた不香の私は帰らない渉を待ち続け、白い孤独に朽ちかけていた。智太郎の真っ直ぐな瞳に宿る面影に縋り、渉の口跡こうせきすら真似て辿る。膝枕に眠る智太郎を愛おしく撫でるのに、己の死の運命に抗わない私に彼女は苛立った。千里は私の後ろ髪に、亡き秋陽ははおやの幻影を重ねていた。

 

『どうして生きようと足掻かないの』


  『……智太郎を、私を、置いて逝かないで』


『そんなに、死にたいなら殺してあげる』


 『置いて逝かないで、生きて欲しい』と細い糸に縋るあまり、強く千切ってしまうような焦がれだった。手にした滑らかさに、欲しかったのは絹糸その物だったと気づく。未来を共に編む事が叶わないなら、その残滓があればいい。私の願いを叶えるがまま、命を断ち切る罪悪感に打ち勝った千里は『薫る死すら手に入れたい』という欲を果たした。


 そして……『母達の死』に穿たれたうつろは、埋め合わせたいという衝動を駆る。真実を知らぬまま遺された智太郎に、千里は甘やかな優しさを差し出した。同じ蠱毒の底で、孤独を舐め合えるように。罪を告白し、智太郎と愛憎を交わし合った今も……己への瞋恚しんいは変わらない。死に往く私の願いを叶え、智太郎を変えた『穢れた愛』という歪なバケモノを憎む彼女は、自らの首に爪を立てたのか。飼い殺してきた継ぎ接ぎの情動を、私と智太郎へ解き放たないように。


 ――雪華の睫毛と花緑青の瞳で覚醒した咲雪わたしは、檻の中の薄闇をしろく散らす!


 愛しさの衝動に突き動かされた私は、隣で眠るわたるの頬を撫でる。芽衣めいが語り、私が描き、珠翠しゅすいが拾ってくれた『家族の絵』は、秋陽と私達が現実にしたんだ。智太郎が、鴉が、青ノ鬼達が描く、まだ見ぬ現代みらいに……わらう千里が居なければ、波紋である私達が生きた証にならない!

 

 さらさらとした白銀の長髪と白裾を捌いて立ち上がった私の猫耳に、雛鳥の歔欷すすりなきが届いた。地上の陽を燦爛と睨み、鉄格子を掴む! 呪われたこの身が、花緑青の陽炎に燃やし尽くされても構わない! 明星を追いかけて、行かねば。は、生きている!


 檻は開け放たれた。自分自身を騙して、淡い黄色ライムライトの陽へ駆け上がった! 花緑青の陽炎に肌を焼かれても、花冷えた荒息で肺は満たされる。桜花爛漫の地上へ素足で飛び出せば、砂利で切った足の裏に血が滲んだ。

 

 私が追いかけたのは、心縛る微笑みだった。揃いの雪華の髪留めを飾った鶯色の長い髪筋が、再会の花吹雪に靡く。おくるみを抱くように、光の花束を抱いた秋陽の幻が散れば、私は彼らと共に樹上を見上げていた。智太郎と鴉は、卵殻の花弁の防壁を完璧に破砕したのか。飛翔にて逃れた千里は、阿列布オリーブにも似た鉄紺色の実が連なる薄黄木犀キンモクセイよすがに、樹上へ留まった。

  

「智太郎に隠すのは、もう無意味よ。咲雪わたしは、千里あなたの『穢れた愛』を視たのだから。私に語られるより、自分で告白するほうが綺麗だと思うけれど」


 泣き腫らした目の端が赤らんでいる。千里は眼下の智太郎に躊躇うように、紅紫色に変幻した変彩金緑石アレキサンドライトの瞳を伏せた。

 

「私……檻の中の仮初でも幸せだったの。咲雪と智太郎と共に居れば、自分も愛された子供に成れた気がしたから。寄る辺を分かち合おうとする『穢れた愛』の為に……咲雪を殺したきたない私を、智太郎だけには知られたくなかった。智太郎から愛情を奪って後悔しているくせに、私以外の愛情を奪い尽くしたい衝動を殺せないの。恐ろしいから、蘇った咲雪と智太郎が幸せに生きる事で、矛盾した私を埋めて欲しかった。でもね……穢れていても、三人でもう一度生きたいと願い続けてきたのは、本当なんだよ」

 

 私を真っ直ぐな杏眼で捉えた千里は、やはり秋陽の娘なんだ。純粋な妖の瞳孔は鋭いのに、私の邪を強い輝きで晒す。 


「咲雪は、私に『殺して欲しい』と言葉にはしなかったから。原初の妖の血を継ぐ半妖ならば、始祖の根源しんぞうの欠片により強靭な『妖の器』を手に入れて、死の運命を変えられる。智太郎だって救えるの! 本当はっ……咲雪は生き続けたかったんでしょ! 」


 鼓動を打ち鳴らされた私は、甘えを吐きそうになる唇を引き締めた。賭けをしなくて良いならば、『家族』が揃う未来に縋って生きたかった。千里達が描く、『家族の絵』の続きを見たかった。だけど私には、自分より大切に想う人達が居る。『人の世』に立つ私の眼前にも、帰れぬ『隠世』にも。

 

「残念だけど、私は己の白い太陽の根源しんぞうが忌まわしい。始祖の根源しんぞうの欠片が、始祖の命を脅かせずに何度も手に入るとは思えないわ。可哀想な炎陽ちちおやから命を奪って生きるくらいなら、


「咲雪は、夢でも同じ答えを返すんだね。私達は現代みらいで、『妖』が『人』に戻れる可能性を探しているの。叶えば『妖』として救われた後に、『人』に化して生きれるんだよ! 咲雪も一緒に、私達と生きてよ! 」


 しろ悪役ヴィランらしく、私は青藍せいらんの影に嗤う。白魔の牙を小さく魅せた。

  

「ねぇ、千里。智太郎を救う希望を決意できた貴方が、現代みらいに生きる『可能性』は、何処から来たんだと思う?」

 

「何を言って……」


「ハッキリと言うわ。現代みらい。智太郎の死の運命を打破する強さを、貴方には無くさないで欲しいの。貴方の善は、亡き母親達わたしたちに育てられたのよ」

 

 鶯色の髪が翼のように春夕へ広がり、金木犀の葉を透かす明星の逆光が差した! 見開かれた杏眼は円やかに、幼子本来の色に輝く。楔石スフェーンとも琥珀アンバーともつかぬ、軽やかで重厚な淡い黄色ライムライトの金だった。幼気な千里の言葉を、慈愛で奪ったのはわたしだ。やがて……泣きわらいした千里は項垂れた。


「咲雪には、一生叶わないな……。智太郎に幸せに生きて欲しくて咲雪の蘇りを望んだのに、智太郎を想う母親の貴方に背を押されてしまったら、私は貴方の過去に振り向けなくなる」

 

「善なる決闘は、私の勝ちね。貴方が本当に救いたいのは、私じゃない」


 智太郎は、千里へと手を伸ばす。手の内に舞い込んだ薄紅を優しく捕らえようと器のように狭めるも、夢見草サクラは円く踊って去ってしまう。人形のような白頬に、仄かな色の訪れ。白銀の髪と共に柔く揺らがせた小首にて、花緑青の猫眼を切なく細めた。


「穢れているのは、お前だけじゃない。咲雪かあさんを選べなかった俺達は、同じ罪人だ」


「それでも足掻いてみたかったの。咲雪が生きる【過去夢】で、僅かな可能性に気づいた瞬間から」

  

 ふわりと舞い降りた千里は、智太郎の手を取った。互いを見つめる澄浄ちょうじょうなる瞳に、真珠層のような虹の干渉を映す。二人は鴉へと振り向いた。


智太郎おれは、前世のおれを殺したおまえを赦している。だからお前が、誰かを恨む必要も恨まれる必要も無いんだ」

 

「黒曜には、もう瞋恚しんいの焔に焼かれて欲しくないの。安寧の中で『人の愛』を知って、穏やかな時間を過ごして欲しい」


「ならば、私が『人の愛』を知った後の決断を……千里は否定しないでくれるか? 」  


「黒曜が、私は否定しない」


 無垢を装う千里の無理な微笑に、鴉が気付いていないとでも思っているのか。未来は分からない。己穂いづほという現人神から生まれ変わった明星が、誰に微笑むのか。


「未来で待ってるから。黒曜を知る私達に、追いついてみせてよ」


 金と銀の色彩を放つ二人が手を伸ばせば、鴉は黒曜石オブシディアンの瞳にしろき星芒を宿す。貝殻状断口という硬質な波紋で刻まれた可能性は、彼にも新たな未来を与えるのだろう。

  

「必ず、二人に追いつく。『人と妖の狭間で生きる』者達を、私は追わねばならないのだから」


 陽光に包まれた幼い二人が私達に微笑めば、現代みらいの姿が浮かび上がる。十七歳の幻の体が、花弁のように解けて散りゆくのを止められない! 引き裂かれそうな衝動で金銀ギルバーの花吹雪を見上げれば、黒鴉に化した黒曜は追いかけるように飛翔した! 残された私には、彼らを追う翼が無かった。


 

 琥珀の胎内に脈打つ熱泡の花弁を翳すように、金・銀・そほの三光が生ずる。涙の凸のまま目を細めれば、引き伸ばされた軌跡が流星の弦になる。震わすには、夢幻の懸爪かけづめでなくてはならない。吸い込まれるような余韻に、堕ちた星屑をそそ愛久うつくしさがあれば。


  

「どうか……雪が溶けても、私を忘れないで」


 酷く我慢していたのに、笑える程に涙が頬を濡らす。応えるように金木犀へ陽が差せば、淡い黄色ライムライトに輝く花を満開に咲かした。残された囁きが、未来を焦がれさせる。金木犀の苔した幹へと犀利に爪を立て、私は生きた証を刻みつけた。


 

〝ずっと愛してるよ、咲雪。……私達の母様〟

 


 この世界は千里達の視る【過去夢】であり、私が生きた事を証明してくれる現実だ。『桜下の惨劇』は、千里達が生きた本来の過去とは変わり果てたのだろう。首謀者の配下の妖による妨害を突破し、駆けつけた翔星と冴達は、血濡れた桂花宮家の惨状に絶句した。左足首を負傷した都峨路は意識を失い、那桜と省吾が目覚める事は無い。黒羽が弓形の軌道にて墜ち、彼らの血に波紋を生じさせた。

 

 そして……『千里を救った』ように見える智太郎が、彼女と手を繋ぎ気を失っていた。膝を着いた翔星は、幼い二人を抱いて安堵の息を吐く。顔を上げた彼の鷹眼が、意識霞む私を捉えた。焦る翔星は何かを訴えたようだが、生憎死ぬ気はまだ無い。


 次代へ繋ぐのが、死に往く生き物のさがというものだろう。私の波紋をしろく刻むのは、これからだ。花緑青の陽炎に心身を焦がされる私は、朦朧と倒れゆく。最中に、春夕の流星痕へ舞い散る彼岸桜を仰いだ。白銀の髪先が、はらはらと薄紅色に抗う。

 

「私は桜とは違う。雪華は、雪解け水で次の華を咲かせられるのよ」


 いつか秋陽が恐れた、小さな生命いのちの喪失を想う。飼われた金魚ですら、死で人を呪えるのだ。私なら、千里を皚く呪える。散華ならば、強烈な散り際を遺さなくては。





 

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