13 青蛍の小さな息吹
久しぶりに演じた『人』は、少々難儀だった。『
秋陽の仮寓となる、『竜口家 別邸』は近いはず。窓硝子を境に、夜の海へと
潮風に黒紅色の髪を靡かせて降りれば、さざめく海辺には
「ふぅん……可哀想に。お前は、
闇夜に浮かぶ青の一つ……
「なんだ? 中学生時代から【感情視】で、下賎な占い師の真似事をしてきたくせに……
秋陽と私しか知らないはずの記憶に、息を呑む。冴の中の『人魚』のように……得体が知れない『混沌』の存在は私を嘲笑う。
「貴方は本物の占い師だというの……」
「まぁ、似たような者だ。僕は、過去・未来・現在を縦横無尽に駆け回る
確かに高くとも男のような声音だが、妊婦のくせに奇妙な事を言う。だが、
「貴方が本物だと言うなら、教えてよ。どうすれば、私の星達は瞬き続けるの? 」
理知的な獣は、
「僕が良いお告げをしに来たとでも思っているなら、間違いだ。……お前が爪痕を遺すべき明星は、一つだけなんだから」
凍えた耳を抑えれば、
「いいか……
「どうした、
「何でもないわ、
歩む彼らは、普通の夫婦にしか見えない。青蛍瞬く海辺に俯き、私が独りになる頃には……潮風の冷たさに耐え切れなくなっていた。
「……咲雪? どうして、ここに」
望んだ優しい声がした。温かさを
「この海辺を辿って、秋陽に会いに仮寓へ向かう所だったの。檻の中で『白魔ノ猫』を演じてくれている人のおかげで、ここに居る私はただの『人』で
黒檀色の杏眼は
「良かった、咲雪は幻想なんかじゃないんだね。仮寓から海辺を見下ろしたら、似た人が居た気がして……私は『偶然』を願いたくなったの。渉さんも、すぐに来ると思う。……翔星さんは、まだ帰ってきてないけれど」
「そう……」
どう答えるべきか逡巡している内に、悪戯に笑みを綻ばせた秋陽は私の手を繋ぐ。柔い温もりに戦慄すれば、宝石箱をひっくり返したように青は跳ね光る。歩む彼女の足は、
「海が天の河みたいで、凄く綺麗だったから驚いちゃった。妖の魔法かと思ったけど、違うの?」
「お馬鹿さんね、これは産卵を終えた
「咲雪は、
「秋陽も白色のワンピースに、真紅のリボンと
秋陽は苦笑した。高尚な『
「咲雪に憧れていた私は、孤独から自分勝手に救われたかったの。咲雪と会えないかもって思ったら、
白魔の硝子の煌めきが、脳裏へ降り注ぐ! 明滅する記憶から守る為に、私は瞠目する秋陽を抱き寄せていた! 早鐘が痛い。かつて血溜まりへ倒れた秋陽の姿に、今も怯えているのは秋陽自身よりも私の方だったのか。情けなく、秋陽の背を確かめた手が震えていた。
「『親友』になったのが別な誰かだったら……秋陽は傷つかずに済んだ。
「別な誰かなんて、考えるだけでおぞましいよ。そんなの私じゃないし、咲雪が居なければ私もここに居ない。咲雪が言ってくれたように、生きて『この子』を導く事も出来なくなっちゃう。……私の身体の傷は、宝石の疵と違って
秋陽は安心するように息を零したのに、私の背に縋る両手は力が籠っていた。待ち人を、焦がれるように。新月の夜でも、陽の香りは消えない。
「咲雪はさ……私と、ずっと一緒に居る為に来てくれたの? 」
迷いなく頷こうとして……青蛍の天の河の中で、私は魔法が解ける時間を知る。鴉が演じられるのは、私の見た目だけ。
「私は……秋陽と約束をしに来たの。離ればなれになっちゃうけど、それは少しの間だけ。正治の殺意を解いてみせるから……私達の子が産まれた頃に、また会いましょう」
秋陽と二度と会えないなんて、私には耐えられない。なら可能性が低くても、白金の船を覆す激浪になるだけだ。
「私と一緒に、桂花宮家から逃げてはくれないんだね」
「共に逃げたら、堂々巡りになる。いつか居場所が知られてしまう恐怖に追いかけられるくらいなら、立ち向かいたい。私にも秋陽を守らせて欲しいの」
秋陽の吐息は、私達の沈黙を丁寧に解いていく。
「……分かった。一時だけじゃなくて、咲雪とずっと一緒に居たいから……待ってる。今度は
「悲しむ必要なんて無い。次に会う時には、私達の家族は二人も増えるんだから」
「そだね。産むのは怖いけど……凄く楽しみだよ。『この子』を抱けるのが。……女の子なんだって。竜口家の人が連れて行ってくれた、産婦人科の先生が言ってた。
「なら、私達の『雪華の髪留め』をいつか付けてあげられるわね。私の子はまだ分からないけど……
自然に笑みを交わした私達が、包容を解く頃に……
「秋陽、無事か! 」
「翔星さん……」
寂寞に耐えていた秋陽は、惑う
「
「咲雪、お前……本当に竜口 冴と取引したんだな。一体、どうやってあの女を掌握したんだ」
「方法なんて、どうだっていいでしょ。誰かさんが秋陽を泣かせるから、私は冴を介して仕返ししただけ。
私を睨む翔星を嘲笑っても、取引の内容を教える事は出来ない。冴に掌握されているのは、微笑を解いた私の方なのだ……。
「翔星……貴方が、桂花宮家よりも、妖狩人の信条よりも、
強まる鷹眼の鋭光を、私は初めて素直に見つめることが出来た。私と同じ海辺に立ち、青蛍の導きを映していたから。
「あぁ、誓おう。今まで、『人』の生存を選ぶ妖狩人の信条に疑問を持ったことは無かったが……俺は
「私は私の方法で、秋陽を守る。翔星の事は好きじゃないけど……貴方への信頼は嘘じゃないの。決して、私を裏切らないで」
「
私は瞠目してしまう。そんな私へ苦笑する翔星を慌てて睨み返したけれど、翔星との隔たりは既に壊されてしまった。青白い蛍火は
「またね、咲雪。会えないのは寂しいから……早く、お母さんになりたいな」
はにかむ秋陽に手を振り返せば、二人は手を繋ぎ、私が憧れた
絵本の中の
「やっぱり最後に、『友情』は『恋情』に奪われてしまうのね」
「もしそうだったなら、
傍に渉が居なければ、私はどうかしていただろうか。きっと、触れられない脆い現実に叫んで、壊せない別れの歯がゆさに消えてみたくなる。
「秋陽は私に綺麗な
「翔星は清濁併せ呑んでも、自分の信条を綺麗に追いかけられる奴なんだ。妖狩人になる血筋に生まれた
「黙って。私は、あの男になりたかった訳じゃない」
「なら、どうして咲雪は泣きそうなんだ? 咲雪が望むなら、このまま檻から逃げたっていい。……俺に我儘を言ってくれないのか」
「秋陽の為に檻から逃げた私が、それを望むと思う? 檻を望む理由だって、同じなのに」
二人で手を繋いだ、月の無い夜。過ぎた海辺を振り返れば、誰も居ない。青蛍の星彩は少しずつ瞬きを眠らせていった。
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