14 我らの花檻に、金閃


 乾燥躑躅ツツジを燃焼させ、吐いた白煙をくゆらせた。煙管キセルで示した先へと、私は瞼を閉じる。この檻を抜け、地上への階段を登れば……淡黄色たんこうしょくの花吹雪が舞う。あの、金木犀の木の下。淡い黄色ライムライトの陽を浴びて、稚児ややこを抱く秋陽が振り返るはず。母になった秋陽の微笑みは、待ち侘びた私を救うのだろう。


「臨月に喫煙とは、頂けないな」


 『あるじ』の望まぬ跫音きょうおんが、わたしを目覚めさせた。秋陽の子がもうすぐ産まれるのだから、夢くらい見させて欲しい。 胎が張るのは、私もだけれど。

 

「私にとって恐れるべきリスキーなのは、産まれる前に妖力が暴走してしまうこと。冷静な自分で有り続けなければ、誰も守れないじゃない」


 ため息をきながらも……桂花宮 正治けいかみや しょうじは厳ついおもての無精髭を撫で、人の良い微笑を送った。正治は私を娘のように案じてくれるのに、秋陽達母娘おやこの命を脅かしている。彼の殺意が実現しないように桂花宮家に留めるのが、檻を選んだ私の役割だ。正治の殺意を解く事が出来れば、秋陽との再会の約束は叶う……。


「咲雪が守りたいのは、胎の子だけじゃないだろう」


 檻の間から、刃風が白煙を切り裂いた! 私は突きつけられたきっさきに、嚥下する。太刀が金雷を纏えば、正治の眼閃は研がれ細まりゆく――。


「姿を消した秋陽さんと翔星の居場所を、そろそろ吐いたらどうだ? ……俺は二人がなんだ」


 重厚な声と刃の水平線が、私達を唸る殺意で繋ぐ。真っ直ぐなに、嗤ってしまう。正治には、余裕が見えない。秋陽達の行方が知れぬまま、新たな『原初の妖』が世に生誕しようとしているから。


「二人は、消えた。のよ。でも……そうね。わたしが彼らを隠すとしたら、貴方が行けない『』かな。『原初の妖』への恐れなんて忘れて、正治は家族が産まれる夢を見たらいいのに。純粋に、初孫を喜んだ方が幸せでしょ」


 正治は苦く顔を顰めた。私にはそれが、己を殺そうとしているように見えた。


「恐れが情を上回る限り、不可能だ。『妖』は、『人を渇望するさが』を忘れられない。さがの根源たる『原初の妖』ともなれば、尚更だ。夢現むげんに生きる『原初の妖』は、俺達の現実をも改変する異端の力があるという。咲雪も、恐ろしい父親が居るのならば分かるだろう。瞋恚しんいにより『人』を捨てた『ひと』が、『人』を喰らう事で己の空白を埋める様を」 


 この男は『原初の妖』を良く知っている……。炎陽ちちおやは【異能】に侵され、えさである芽衣ははおやを喰い殺そうとした。理性コントロールを失った『原初の妖』が成り果てるのは、『人の世』を脅かす化け物だ。さがを継いだ私も、正治と同じ恐れが根付いている。

 

 正治が『隠世』を探していた理由は、『妖』という玩具を渇望する擬似妖力由来術式家門とは違う。『人の世』を脅かす根源たる、『原初の妖』を滅する為か……。

 

 同じ恐れを知る私なら、正治の殺意を解く糸口を手繰り寄せられる。まだ遅くは無い、と正治を睨めつけた刹那――苦い金属音を連れて、金雷が閃く! 檻から抜かれた正治の太刀が、電霆でんていの鷹を弾き返したのだ! 翼の幻を魅せた戦輪は、逆立った黒茶色の髪の鷹匠へと帰る。心音が五月蝿い。

  

「何故……ここに居るの、翔星かいせい


 がらんどうな逆光を背負う彼は、秋陽と共に仮寓かぐうに居るべきはずなのに。虚ろな鷹眼で私を一瞥し、翔星は卍卐まんじの戦輪を構える。身体中の血が凍りつく、気魄きはくだった。地下牢へ降り立った彼が捉えるのは、白金に輝く太刀を冷静に構えた正治だけ。

 

「父上……俺は、貴方の間違いを正しに来ました。、『。咲雪の主従権と共に、俺達『家族』の家を返してもらいます」

 

「……何? 」


 流石の正治も、冷静を保てない。

 愚直な翔星は、冗談が言えない男だ。

 

「俺が、彼らの半傀儡くぐつとなる契約は済んだ。は契約に従い、『桂花宮家当主』となる俺に降りましたよ。貴方への忠義なんて、ざまぁないですね! 」


 乾いた嗤いで肩を揺らす翔星に、私はを悟る。彼らとは、擬似妖力由来術式家門の『伊月家』と『竜口家』の事か。翔星はさえ達と、戻れぬ契約を交わしてしまった。何故、秋陽は止めなかったのか……という疑問が、私を捉えた虚ろな鷹眼に結びつき、思考を消失させた。

 

「災厄からは守れなかった……。、咲雪。俺と千里せんりを遺して逝った」


 要らない息を吐き出した。鉄格子に縋っても、青白い目眩には逆らえず俯けば、重い鼓動が臨界へ冷えていく。硝子の水鳥さえ、鳴かない静けさ。内なるくろに明滅し、震える輪郭が割れそう。線香花火は落ちずに、爆縮の鋭利な耳鳴りが私を喉元から灼熱で喰い破る! 白銀の髪を振り乱し狂ってしまえれば、私の陽を忘れられたのに!


 『千里せんり』という遺児の名は、秋陽が私に燦爛さんらんと叫んだ『遺言』だ。

  

 心臓から弾けた花緑青の陽炎越しに、ただ理解した。眼前の翔星おとこは、私が硝子で傷つけた跡が残る、秋陽の身体を抱いたんだ。

 

「最期の問いに、それでも産みたいと言ったんだ。……秋陽は己の死を受け入れたのかもしれない。俺には受け入れられ無かった……秋陽が生きていなければ、『次』なんて無いのに! 」


 同じ淵に居るはずなのに、翔星は金の閃光で往く! 己の影から『狼の妖二体』を遣わして。忌まわしい翅の毛並みをもつあれは、伊月 弥禄いづき みろくから得たものか! 新たな主を掲げた擬似妖力由来術式家門かれらは、正治に『ばく』の傀儡くぐつ術を隠し通す必要など無くなった!


「かつて、人を喰らった日本狼は滅んだ! 日本狼よりも遥かに危険な生き物である妖は、このまま人に淘汰されなくてはならない! 」


 荒々しく叫んだ正治は、地下牢を跳び回る影と金閃を睨む! 眼前の鉄格子を蹴った狼の妖は、正治の刃閃を。鮮やかな陽動フェイントの隙に、天井を蹴り上げたもう一体が牙を剥き、低く構えた翔星が放った戦輪と共に正治を挟み撃ちにする! 時機タイミングは統率されていた。

 

「淘汰など間違いだ! 日本狼が狼犬となり得たように、人は妖とも共存出来るのだから! 父上は、人を忘れられない『妖の可能性』を、咲雪に見出したから生かし続けたのでしょう! 」


 交わした刹那。眉は顰められているのに、正治が私へ向けた眼差しは純真に『何か』を求めるようだった。目を逸らした正治は、白金の太刀を地に突き立て金雷を爆轟の如く放つ! 偉大なる金雷の華先は、狼の妖二体と電霆でんていの鷹を貫く! 妖は地に伏し、戦輪は砕かれた。金雷が頬を掠めゆく翔星は、何故なのか。


 ――視界が金雷に眩む中、洗朱の鰭条きじょうが靡く。目を剥いた正治の背後から、双刀が交差し首を捕らえた! 『シン』の術式で現れた女は、頭蓋骨の『人魚』を連れて艶やかに嗤う。


「正治さん? をさせて頂きに参りましたわ」


「竜口 冴……。何故、翔星を選んだ! 」


「妖との共存を掲げる翔星の信条は、『竜口家』の利益になるだけですよ」

 

 良い歌でも聴くように小首を傾げ、冴の瑞鳳眼ずいほうがんが心地良さげに細まる。『人魚』は洗朱の尾鰭を地に叩きつけ、幻の波紋が私の妖力たいおんを浸す。


 冴の唇は、(( たべられたいの? )) と紡いだ。

 

 否。は、私が生き汚い証。

  

正治ちちうえの殺意の奥の感情いろを視ろ、咲雪! 秋陽との約束を果たさずに死ねるのか! 」


 腐肉の絶望を切り裂いた翔星の声は、脳裏に陽を蘇らす。怯えを垣間見せたに……彼女は存在した。金木犀の下、秋暁は花吹雪に満ちる。振り向いた秋陽は涙を伝わせ、儚くわらっていた。


【月桂花の枝は、傷だらけの手で折られた。捧げる為の花瓶は無い】

 

「正治、貴方は優しい人なのね。優し過ぎて……愛したひとを喰らった『原初の妖』を滅すると誓った。眠る彼女に、泣きながら縋って。。貴方が『親友との再会』を問えば、白魔の硝子で死ななかった少女は頷いた。瞠目する秋陽を抱えた貴方は金雷にわらい、窓から飛び降りた。互いを慕う『人』と『妖』の少女が、手を取り合うのは悪くなかったから。秋陽と私を再会させた時は、貴方と殺し合う事になるとは思ってなかったでしょう? 金木犀の下で……正治も、私達に夢を見ていた。『原初の妖』への復讐の果てに、己の夜が明ける可能性を」


 私を見つめるのは、虚ろに放心する正治だけだった。亡くした人が、現実の私達の元へ帰ることは無い。

  

「まさか、正治おれ自身に【感情視】が使われる事になろうとはな……。『母』以外喰らわず、『友人』を傷つけた贖罪で死を選ぼうとした咲雪に、俺は『妖』の無欲と『人』の理性を知った。好奇心混じりの、希望だったのかもな」


「正治は殺意を保てない。私と秋陽を娘のように思ってくれる、優しい人だもの。可愛い初孫なんて、滅茶苦茶に愛でられずにはいられないわよ、絶対」


「それはどうだろうか。俺の柱は、『原初の妖』への瞋恚しんいだ」

  

「なら、貴方の孫を信じてみてもいいんじゃない? 『人』の心を、保ち続けられるかどうか。少なくとも貴方は、眼前の半妖わたしに『人』を見てくれた。長かろうが、夜はいつか明けるものよ」


 翔星に白金の太刀と鞘を奪われても、正治は抵抗しなかった。試しの一振は、くうに弧を描く。集約された暁光のように……刃先の反りを伝い、きっさき煌々こうこうと輝かせた。


翔星おれが、千里を『桂花宮家』で守り続けてみせます。例え、父親として恨まれても……花吹雪の檻の中なら、『人』として生きていけるはずだ」

 

「そんな紛い物を手にした所で、お前は本物には成れない。それは、『秘ノ得物』では無いのだ」

 

「ええ、分かっています。桂花宮家には、『初代当主の白鞘』しか残されていない。この太刀は……金の稲妻の女現人神めあらひとがみである『初代当主』を夢見た妖狩人わたし達の、真似事の結晶なのですから。俺も所詮、偽りの器だ」


 煌めくはばきが仕舞われ……静謐せいひつな納刀により、翔星の鷹眼には暁光が受け継がれた。


「導くべきお前達が道を踏み外せば、私は千里を殺す。少々早いが、隠居の身として見守らせて貰おう。……ただの孫煩悩な男で居させてくれ」


 正治はわらい、冴の双刀による拘束が解かれた。眩しい程に、強い男達だと思う。大切な人を亡くしたのに……どうして、独りで立ち上がれるのだろう。

 

 地下牢へ駆けてくる渉の声がする。独りでは無い事に、息を吐こうとした瞬間……小さな破裂音に戦慄し、息を止めた。己の膜の音だという奇妙な実感が、足を伝う確信になる。

 

 ――破水したのか。


 秋陽は、生きて帰れなかった。私が生きて帰れても、秋陽にはもう触れられない。弱い私は賭けをするしかなかった。 死んで跡を追うか、生きて遺言を辿るべきか。どちらが私の道になるのか……。

 

 ここは、私の生まれ故郷じゃない。

 異端の地に根付いた、柘榴は割れるのだ。

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