12 夢を視る陽


 桂花宮家の地下牢へ幽閉された私は、誰を呪うべきか。疑心暗鬼を形代わたしに拭いつけた、顔の見えない『得物エモノを欲する首謀者』か。雪解け水わたしを、浸蝕したさかなか。衿元から漆黒の羽根を取り出した私は、親指を噛み……血で『いな』と書く。ここに父親ヅラをする鴉が助けに来ないように、『原初の妖』である彼に与えられた羽根を放てば、飆風ひょうふうに化し、消失する。私にを与えたのは、嘘つきしか居ない。


「おかえり、咲雪さゆき


 真紅しんくのリボンと雪華の髪留めで、半上げハーフアップにされた鶯色の長髪が靡けば、綺麗な真紅の羽織は揺らぐ。淡い黄色ライムライトの陽光を連れ、階段を降りてくるのは……秋陽あきひだ。私達を隔てる、鉄格子は磨かれていた。新しく敷かれたばかりの畳から、い草の香りがする。和箪笥に、完璧な調度品。檻の中で貴人のように囚われた私は、悲しそうに微笑した彼女に飼われるけもの正治しょうじが彼女に託したはずの『首謀者の配下と疑わしい私への詰問』なんて、名ばかりなのだろう。疑いは拭い付けられたものだと、わたしあるじである正治は勘づいていた。

 

秋陽あきひは……わたしと同じだったのね 」


「私は咲雪が見てきた通り……妖でも妖狩人でも無い、ただの『人』だよ」


「ただの『人』が、妖狩人のおさ寛大な処置をさせ、殺されてもおかしくなかった私にを与える事は出来ない」


「そっか……咲雪が言うなら、私はただの『人』じゃないのかな。分かんないの、自分でも」 


 睫毛に透かす黒檀色の杏眼を伏せた秋陽は、己の胎を無機質に撫でる。

 

おなかの中で『この子』を感じた時から、私の世界の色は変わったの。瞼を閉ざせば……生き物は『若葉色の光』に輝いていたし、そうでないモノは闇色だった。半妖の咲雪は、光も闇も混ざっているよね。私には触れられない、深い奈落のくろが」


「秋陽は、『若葉色に輝く生命力』……生力しょうりょくが視えるようになったの……? 」

 

「触れる事も出来るよ。『私の大切な人達を殺そうとしたら、妖狩人達の生力を奪うよ』って、正治おとうさまを脅すのなんて簡単だった。胸が苦しいけど……そうしなければ、妖狩人の敵である『妖』の咲雪も『この子』もでしょ? 飼われた妖は泡沫うたかたに浮かぶ笹舟の命だと知って、怖くなったの。……人の殻を被った『この子』はいつか、咲雪の炎陽おとうさんと同じ『原初の妖』に化す。『最初の妖』は、『人』から生まれるんだね」 


「……なんで、秋陽の胎に……」


 秋陽は問答に飽いたように息をつき、くしゃりと苦く笑った……ように見える。でも、違うと確信した。息は震えていて、涙が目尻に反射した気がしたから。


「さっきは、呆然としてた翔星かいせいさんにも言われた。私は『あえて言うなら、奇跡だよ』って答えた。私を睨んだお義父さまには、酷いことを言われた。『人の手に余る、原初の妖は早々に殺さねばならない』って。赤ちゃんが生まれる確率は……1400兆分の1なんだよ! ……私はっ……それよりも尊い『奇跡』を産めおこせるのに……どうして、喜んでくれないのかな? 」


 翔星は秋陽に何と返したのだろうか。独りに耐えるような秋陽の声が、私に翔星の迷いを悟らせた。


「私に明かした通り、正治に殺意が生じると分かっていたんでしょ? 私達がわたるを助けに桂花宮家を出立するまで、誰にも『その子』の正体を告げなかったんだから」


「……そうだね。だから正体が知られる前に、先手を打った。お義父さまを囁きで脅すと同時に、『桂花宮家初代当主』と同じ、生力を操る力を『癒しの力』として妖狩人達に見せて。何も知らない『生力由来術式家門』から集めた崇拝を盾にすれば、お義父さまは陽の下で、『人』の私と『この子』を殺せない。……それに、咲雪には穢れた私の感情いろを視せたくなかったの。嘘つきでも……まだ『家族』で居てくれるよね? 」


 絹糸に縋るような秋陽の泣きわらいに、胸が突かれた私が勝てる訳が無い。 

 

「秋陽がついたのは、『家族』の私を守る為の嘘でしょ。私を二度も救った秋陽は、私に何をしても良いの。私のは、秋陽だけなんだから」


 鉄格子は掴まれた。秋陽は杏眼を燦爛さんらんと開き、鶯色の睫毛に光を弾く。

 

「ならさ……もしも、藤棚の下で話した事を、『この子』に教えてくれないかな。出産のタイミングは私が弱って、生力を扱えなくなる時だから……正治おとうさまは、私と『この子』をはず」

 

 守る覚悟が息衝く輝きで、頭を殴られたようだった。ごく普通の少女だった秋陽を『桂花宮家』へ迷い込ませ、変えてしまったのは誰か。秋陽の潤んだ瞳に映る、呆然とした『白魔ノわたし』のせいだ!


「お願い、咲雪。いつか妖に化す『この子』が誰かを殺さないように、母として『悪の色標本』を与えてよ! 」


「揃いの『家族』の夢を……貴方自身ごと諦めるつもりだったの? 」


「……諦めたくなんかないよ。けど『この子』が生きてくれるなら、永遠じゃなくても季節は巡る。わたし達の夢は、千里に続く!」

 

 檻の中から牙を剥いて、曖昧な『夢』を急速に喰い殺したくなった。驚愕した秋陽の手首を掴み、乱暴に引き寄せるくらいには!

 

「今生きているのは、母子わたし達でしょ! 『夢』を、私達が望む『現実』に繋げずに、殻のまま秋陽が殺されるなんて嫌! 『その子』を導くのは、生きた貴方自身であるべきなんだから! 」


 秋陽の細い手首の骨を軋ませるくらいに強く愛おしめば、私の手の内で温かく脈動した。こんな事くらいで、瞬く間に怯える秋陽は可愛い。『生き汚く足掻け』と私を怒鳴った渉の叫びは、硝子の破片として心臓に突き刺さり、私の血肉になったんだ!


「秋陽が生きて、その子を産める場所を私が探してあげる。 秋陽の天敵が『正治』でも……私の天敵は違うの」


 誘惑を潜ませて嗤う私に、秋陽は呆然と瞬く。涙伝う秋陽の頬を撫でて慰め、私は自らの内側へと瞼を閉ざす。雪解け水わたしの『奈落』に住み着いた洗朱あらいしゅ色の『人魚』は、甘露滴らせれば私へくだるのだ。くろの中を悠々と泳ぐ、幼魚の頭蓋骨と視線が絡む。

 

さえ。貴方が食べたいモノと、私の願いを交換しない? 』


(( 魅力的な提案ね。渉の傷の掌握を盾にして、貴方を内側から食べようと思ってたのに……自ら私を悦ばそうだなんて、咲雪は頭がおかしくなったの? ))


『正気かどうかなんて、私をしてる冴が一番知っているくせに』


 冴に掛けられた『シン』の術式のせいで、私は彼女の意識の一部と繋がってしまった。おかげで、誰にも見えない『人魚』の気配が、不快に胸の内を這いずり回る。隙を見せれば意識を喰われてしまうだろうが、冴自身も私に意識の一部を晒している。共に『浸蝕』された、わたるも同じ状態のはず。嫌な共生関係という訳だ。

 

(( 私を頼った事は褒めてあげる。咲雪はなまま、どこまで食べさせてくれるの? )) 


『胎の子が生まれて、半妖の私が死にかける時が来たら、全部喰いつくしていいわよ。生きたまま、齧り始めても構わない』

 

(( まぁ、なんて素敵なの! 本当は新鮮なまま、全部食べたいけれど……良いわ。貴方を甘やかしてあげる。願いは何? ))


『秋陽と胎の子を、がある正治から守って欲しいの。渉も含め、彼女らに手を出したら褒美は無し。冴の意識ごと、私の陽炎で煮崩してあげれば、一緒に心中出来るわね。秋陽が出産できる安全な場所を、頂戴』


(( あら、怖い。でも咲雪に縋られるのは、心地いいから……戯れに正治さんと遊んであげる。今私は仕置のだから、竜口家の別邸を仮寓かぐうに提供するわ。良い子に待たせなさい )) 


『私が信頼してるのは、『私を喰らいたい』という冴の貪欲さだけど。『蠢魚シミ踊子おどりこ』とかいう妖達を双刀で切り裂いて、血飛沫浴びながら話してるわけ? お勤めご苦労様』


(( ふふ……弥禄みろくさんと、翔星かいせいさんとも一緒なの。秋陽ひめの『誘拐ほご』を教えてあげるついでに、翔星かれとも遊んであげようかな。この間は虐めちゃったけど……桂花宮家次期当主に、恩を売っておくのも悪くない ))


『……殺されない程度にしておきなさい』


 私は、戸惑う秋陽へ瞼を開く。命知らずな快楽主義だが……欲に従順な冴は、やはり使える。秋陽の為に私が天敵に縋ろうとは、正治にも予想出来ないだろう。


「仮寓を得た。その内翔星も合流するはずだから、心配しなくていい」


「……と話していたの? 」


「そんなに不安そうな顔しないで、秋陽。竜口 冴としたのは、良い取引だったんだから。彼女は、秋陽とその子を必ず守ってくれる」


 冴のに追い詰められれば、翔星は己の一番大切な人を自覚するはず。逡巡したとしても、翔星は秋陽の命を選ぶと私は確信出来る。あれは、そういう男だ。だから、秋陽が心配する必要なんて何も無い……今は知らないだけで。

 

「私は咲雪が心配なの。そのひとは、咲雪を狙っていたんでしょ? だからこそ、咲雪は檻の中に居る」


 『浸』の術式も、冴の本性も、秋陽に口外は不可能。真実を共有出来るのは、共に『浸蝕』された彼だけだ。


「あの女へ……を対価に渡したんだ、咲雪! 」 


 地下牢への階段を駆け下り、私を蒼黒の鵲眼しゃくがんで睨め付けるのはわたるだった。渉は荒く息をつき、ふわふわとした柳煤竹やなぎすすたけ色の髪を乱していた。渉の腹の傷は今も塞がっていて、安堵した私は対照的に微笑を返してしまう。


「共存する為に、取引しただけ。対価は後払いなの」

 

「言うつもりは無いんだな……。一つだけ確約させて欲しい。咲雪が死ぬような取引じゃないと」


「そうね。壮健に生きている私が失う物なんて無いから……そんなに怖い顔しないでよ、渉。急いで駆けて来たのは、冴から『取引』の一部を聞いたからでしょ? 」


 かんばせを顰めたまま、納得は絶対にしてくれていないものの……渉は秋陽に向かい合う。


「……冴から、秋陽さんを『竜口家 別邸』へ案内するように、告げられた。敵の口内に飛び込むような物だが……秋陽さんは仮寓を信じるか? 」

 

「私が信じてるのは咲雪だよ。このまま黙ってお義父さんに殺される訳にはいかないの。でも……咲雪が」


 強い希望の燈を杏眼に宿したのに、私を捉えた秋陽はすぐに臆病になった。

 

「私は『永久幽閉』なのよ。私が心配なら、正治に勘づかれる前に早く仮寓に向かって、『守護役』の渉を返してくれる? 秋陽が無事じゃないと、綺麗な檻で心穏やかに過ごせないじゃない。妖力たいおんは冷えたままがいいの」


「……私は咲雪を『救えた』って言えないよ。檻の中で守る事しかできなかった。我儘だけど……『家族』の咲雪と一緒に行きたかったな」


 渉に連れられた秋陽との再会は、何時になるのか誰にも分からない。正治の殺意が消えない限り……私を振り返る秋陽は『桂花宮家』へ帰れない。言霊を恐れる私達は、永久の別れになる可能性を口に出来なかった。


 地下牢への扉が閉ざされれば、檻の中の私に淡い黄色ライムライトの陽はもう差し込まない。私が望んだ通り、冷たいがらんどうは『母親殺し』の贖罪を果たす為にある。唸る樹洞のような身体の内側を、この爪で掻き毟れたら良かったのに!


 首に立てた爪の代わりに声を凶器にし、天へ慟哭する寸前……聞こえるはずが無い羽音がした。舞い降りたのは、一羽の鴉。咥えていた自らの羽を離した。私が『助けは要らない』と、あかで印を付けた漆黒の羽だった。 

 

「いつもそうだ。咲雪は死に瀕しても、私に助けを求めようとしない。お前には『救い』が必要だというのに」


「父親ヅラして、お節介を焼きに来たの? 鴉……貴方は、私が本当に欲しかった『救い』を与えてくれなかったじゃない! 私が死を望んだあの時、叶えてくれなかった貴方は、私に同情する資格なんて無いのよ! 」


 私が牙を剥いて咆哮すれば、応えるように鴉の羽が乱舞する。漆黒の両翼が開かれれば、浮世離れした美麗さを体現した男が現れた。黒耀石のまなこは、真っ直ぐな透明クリアで私を見つめる。


「ならば私が、咲雪が本当に欲する『救い』に答えを出してやる。……咲雪の母親は、涙流す娘を檻に閉じ込める事を望むのか? 」


 慈愛隠せない鴉は、私が果たせなかった慟哭より、胸の内を辛い切望で刺激した。私の涙掬う白い掌は、体温を感じないのに……滑らかで優しくて『母親』みたいだったから。

 

「『隠世』で生きていた頃の芽衣おかあさんなら……私を閉じ込めたりしない。幼い紅音あかね翠音みお咲雪わたしが……『翡翠ノ森』で駆けて泥だらけになって帰ってくるのを、笑顔で待っていたもの。陽だまりの香りがするふわふわのタオルと、ひんやりとしたは嘘をつかなかった」


 視界が涙で煌めくままに瞬けば、鴉は『微笑する私』に化す。白銀の髪靡かせる『白魔ノ猫』だけが、地下牢に座る。鴉の花緑青はなろくしょうの瞳に射抜かれ、私は『人』の色彩を思い出した。『妖』の証であるけもの耳と尾をくうに解けば、芽衣おかあさんと同じ黒紅色に髪は染まる。


「追いかけるべき先は、分かっているか? 」 

 

「誰が、秋陽に仮寓を与えたと思っているのよ」

 

 私を演じる鴉に嘲りを返すと、『普通の女』の服が放られた。全く……何処まで【遠距離透視】で視ていたのやら。白い袴から空色のワンピースに着替え、簡単に開いた檻を潜り抜けて振り返れば、目を開けた鴉は『薄情な私』らしく瞬きを返した。私を衝動的に助けただけで、案外事情を分かっていなかったり……するかもしれない。憂いのある雰囲気纏う鴉は黙っていれば、『全能』だとこちらが勝手に錯覚してしまう。

 

「……ありがとう、おさ様」 


 地上への戸に手を触れ陽光を浴びる私は、鴉の完璧さを壊したくて、思い切り笑みを送ってみた。一瞬瞠目した彼は、誤魔化すように煙管キセルを顕現してひと吸いすると……白煙の中にかんばせを隠蔽した。


 

 

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