十六歳
08 犀利なる隠し爪
私が幹に触れた
古来『金』と『銀』とされた花の色は『黄』と『白』であり、目の前の『金木犀』は月を染めたと伝承される淡黄色である。『
「鴉。私はあと、どのくらいで死ぬの?」
しなやかな漆黒の翼は、
「咲雪の内には、生力で構成された身体を緩慢に沈める妖力の奈落が視えた。泥濘に足を取られていられる内が、花だ」
「奈落への落花と消失は、歩む私次第という訳ね。激情伴う妖力の解放は、身を滅ぼす時を早める。秋陽と自分の為にも、干渉を遮断して心を凍らせて……私は静かな檻の中の安寧に身を任せるべきで。その為に、対価だって捧げた。それなのに、何故私は……
金木犀の向こうから、二人の気配が近づく。私を密かに見守る鴉は答える前に、飛び去った。
――
秋陽は私を置いて、高校生になった。『桂花宮家』の妖になった私は揃いの制服をもう着られないのに、秋陽は会いに来るのを諦めないのだ。隣を歩む
私を救済した秋陽は、何かを告げた翔星へはにかむ。睫毛を伏せた秋陽の不得手な微笑は、鋭い鼓動をじくじくと恨ませた。
「あ、咲雪! 」
顔を上げた秋陽は、見慣れた微笑を嬉しそうに浮かべていて……隠蔽した私の穢れになんか気づかない。柔い彼女の慈悲に爪を立てて、醜い私の死期の事実で――犀利に傷つけたくなる。凶器の衝動を自覚した私の足が、無意識に陽から逃げようと後ろへ下がった時……私の背に、そっと誰かが触れた。
「秋陽さん。せっかく会いに来て貰って悪いけど……
「俺は構わないが……また急な
翔星と話す、山霧のような声に振り向けば……
「そう……ですか。なら、待ってます。良いでしょ、咲雪? 」
秋陽の隠せない寂しさに刺された私は、手を伸ばさなかった事を後悔した。咬み殺すべきは、混沌の思慕だ。
「……
頷く秋陽に後ろ髪を引かれながら、私は渉の後に続く。この一年程で、渉の俯かない背中にも慣れた気がする。この男は、陽を諦めきれない私の檻の代わりだ。正治が命じた、私の監視役。
「咲雪は、秋陽さんに何も伝えない気なのか?
チリ、と焦がされた苦い心髄を無視して、渉の背中を睨む。
「そんな無駄話をする為に、私を秋陽から引き離したの? 随分お節介な監視役なのね」
「先客は本当だ。何も知らずに遺された秋陽さんが泣けば……傷つくのは君だろう」
「馬鹿ね。死んだら何も感じられないし、遺らないでしょ」
「違うな。散華は、感傷的な散り際の余韻を未来に遺す事が出来る。誰かに波紋を遺せるはずだ。……君も
小さな好奇心が口をついて出ようとした時……渉は辿り着いた、地下への戸に触れた。古い蔵戸に酷似した入口が開けば、冷たく湿った空気が足へ重く纏わりつく。暗い階段を降りれば、私の
「珍しいですね。父上がいらっしゃるとは」
渉は淡々と告げた。地下牢の前で腕を組み、私達を睨むのは
私の【異能】を使うのは、主である正治だけでは無い。正治への依頼を介して、私を使用する家門の当主達も同様だ。今日は、常連の竜口 冴では無いらしい。
「まさか『感情視ノ白魔』を使う派目になろうとはな。尾白家の『
私の異称を忌々しく口にした隆元は、牢の中に捕縛された男を睨む。『
「まさか、我が家門まで狙われていたのですか。近頃、生力由来術式家門への進入者が複数人拘束後、処罰されたとは聞きましたが……」
渉は呆然と、
「私は躾が良くてね。同族だからって、同情する気は無いの」
「小娘何ぞに、何が出来る。
私の足元に唾を吐くとは、まだ生き生きと元気なようだ。なら、手加減は無用か。私が花緑青の双眸を爛々と光らせれば、
【沢に泳ぐ、
「貴方には、
まだ
「もう遅い。
私の気が
吐血した
「主は
「なら、主は妖だと? 有り得ない。何故、生力由来術式を使用出来ない妖が『秘ノ得物』を狙うのだ」
隆元は苦々しく一刀両断したが……沈黙した私達の疑念は膨れ上がる。私が知る『原初の妖』は、鴉に炎陽。そして、亡き珠翠だけだ。妖狩人家門を裏から再興させた鴉に、
「『隠世』の妖が主で、妖狩人を弱体化させることが目的なのか……死に際の戯言か。『隠世』の妖との内通を疑うならば、やはり妖を使役する家門でしょうか。鱗が生えた半妖とは、『人魚』を使役する『竜口家』との関連を疑いますが」
がらんどうな檻の中を睨む渉に、隆元は溜息を返す。
「『伊月家』が使役する『大蛇』も鱗はあるだろうが、男の血筋だけでは属する家門を絞れまい。『獏』は中国の獏伝説通りの姿とは限らないが……『漣廻寺』も疑うべきだろう。烏合の衆である『宮本家』も素性が知れん」
「きりがないわね」
「一番疑わしいのは、
「成程、
息子の渉を正治の付き人に推薦したのは、『尾白家』当主である隆元自身だと聞いた。同じ生力由来術式家門として、『桂花宮家』当主との良好な関係を他家門に誇示しておきたいはず。それなのに渉は目障りな妖である私の監視役になってしまったのだから、隆元が内心不満たらたらなのは予想がついていた。
「穢らわしい妖がっ! 正治様の名を口にした挙句、盾にするとは、やはり不快だ! 『秘ノ得物』を狙う盗っ人の主の名を吐かすことすら出来ない『感情視ノ白魔』など、二度と使わん! 私自ら生力由来術式家門の警護を指揮し、新たな盗っ人を炙り出してやる!」
「
予想通りに隆元は、微笑する私を射殺さんばかりにひと睨みすると、地下牢を後にした。崇拝する正治へ、私の告げ口ついでに各家門の警護の許可でも得に行くのだろう。
「貴方の父親、面白いほど素直ね。自作自演だった可能性は、全く無い」
「まさか、あの父上を手玉に取るとは! 咲雪は完全に目の敵にされてしまったな! 」
我慢ならずに腹を抱えて笑いだした渉に、私は呆れる。
「貴方は、父親の
「何故俺が、父上の
顔を上げれば、嘲笑う渉の
「親子は……他人なんかじゃない」
「なら咲雪は? どんな親から、何を与えられたんだ」
理想の建前など、否応に崩壊する。私を喰い殺しかけた
「与えられた、と言えるのかどうか。
「与えられたのは、望まぬ
凍えた華奢な手首を睨み付けられ、
「儚い命が君だけの物だと思ったら、大間違いだ。自由な
私はようやく息を継いだ。こんなにも『生きて』いる人は、強く綺麗なのか。手首の骨を締め付ける灼熱は、私に脈を与えて打たせる。
「何それ……私を殺すはずの貴方が、私に死んで欲しく無いみたいじゃない。同情、してくれていたの? 」
「誰が……
やはり親子だな。そう思わせるのに、顔を顰めた渉は消えかけた声音の先を優しく解いて紡げない。呪わしい血脈に研磨された、磨り硝子の小石を見つけた。割って陽に透かし、取り戻した鋭利で、この高鳴る心臓を突き刺して!
「それって、矛盾してる。貴方は、化け物の私に『同種』を見てるのに。貴方の中の私は……『人』だった? 」
『妖』の体温を殺さずに、温かい『人』の体温に呼応していたいの。 掴まれた手首ごと衝動的に引き寄せて、瞠目する渉の胸に縋った私は……ずっと凍えていたみたいだ。私を突き放さない渉の吐息に、安堵した。
「儚いのに、咲雪は柔くて温かいんだな。……認めるよ。咲雪が、ただの
「渉は、血脈に溺れたりしない。ちゃんと自分の歩幅で、向こう岸まで歩ける人だと思う」
「咲雪が居てくれるなら、自分の意思で
渉が背に触れて応えた灼熱の掌に、静寂の
――私は、酔いしれる『初恋』を自覚した。
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