第6話 人生の転換点

 精霊信者の述べるところの『おかみ』は、精霊信仰というものの規模をまったく見誤っていませんでした。

 その信仰が『戦いをなりわいとしない民が、小規模に集まり、この信仰を守るためなら命を賭すというほどの覚悟もなく、ただ発覚することをおそれつつも、本当に発覚しお上から攻められることはないとタカをくくってやっているもの』であることを、しっかり見抜いていたのです。


 優秀とはいえまだまだ学生の身であるルクレツィアがいち部隊を率いて鎮圧に現れたのは、そういう規模の小ささと戦意の低さを見抜かれていたからであり、精霊信仰者というのは、年若い貴族にとってちょうどいい『武功』になりうる、手軽な相手だったのでした。


 いつものように私を囲んで地下の礼拝堂にいた信者たちは、薄暗い室内にとつじょ入り込んだ光と、それを背負って立つハニーブロンドの美女の姿に、一瞬、見入ったように沈黙しました。


 ルクレツィアというのは厳しい顔をした、背の高い女性なのです。

 その女性が甲冑をまとって剣を帯びている姿はあまりにも絵になりました。

 彼女の婚約者であった(すでに解消されていると当時の私は思っていました)はずの私でさえ、普段見ない甲冑姿の彼女の姿に、呼吸さえ忘れるほど意識を引き寄せられたのです。


 公爵家の四女にしてまだ学生であるルクレツィアが先陣を切ったというのは、なにも彼女の容姿に私たちが見入って動きを止めることを見越したわけではないでしょうけれど、ルクレツィアの登場は、それだけで私たちの戦意を半ば以上くじく効果がありました。

 彼女の姿はあまりにも神聖に感じられて、『あの存在ににらまれる自分たちは、間違っていたのだ』とおのずから思うほどだったのです。


 ですから精霊信者鎮圧は、本当はもう、そこで終わるはずだったのです。

 私たちは聖なる存在に見入り、おそれ、動くこともできずに縄を打たれるだけのはずだったのです。


 しかし、そうはなりませんでした。


「……お兄様?」


 そんな声が聞こえた時に、私は本当に、なにも考えられず、なんの気なしに声の方向へと視線をやりました。


 すると、ルクレツィアの背後からひょっこりと、小柄な少女があらわれたのです。


 それはかつて、私の保身のために家を追放したシンシアなのでした。


 たしか当時十二歳になったばかりのシンシアは、追放当時にすでにあった美しさを、さらに磨き上げてそこにいたのです。

 すでに武名勇名の限りない冒険者である彼女は、侯爵家四女のルクレツィアと個人的な付き合いがあり、ルクレツィアの配慮によって『武功』のために、精霊信者捕縛の依頼を出されていたのでした。


 この縁はルクレツィアの兄にあたる人物が、シンシアに一目惚れして婚約を申し込んだころからあるようです。


 余談ですが婚約を申し込んだ時、ルクレツィアの兄は二十五歳、シンシアは十歳でした。

 貴族家では年齢差のある婚姻も珍しくはありませんが、さすがにちょっと、市井の十歳を娶ろうとする二十五歳というのは外聞が悪く、そういうのもあってルクレツィアが力添えし、円満に婚約を断れたのだとか。


 ともあれこの時の私の気持ちといったら、もう、言葉にもならないほどでした。


 なにせ『保身のために追放した妹』と、『突然放り出した婚約者』がそろって押し寄せてきたのです。

 私は己のわがままのために彼女たちの人生に汚点をあたえ、恥辱を味わわせた自覚がありましたので、本当にその時は呼吸も止まり、背中からはだらだらと汗が流れ、指先がしびれて視界が暗くなるほどでした。


 きっと私は彼女たちにおそろしい報復をされるに違いなく、そうして、それを回避する手段もないのです。

 隠れひそむように存在する精霊信仰礼拝堂は入り口を塞がれてしまうと逃げ場はなく、また、武芸や魔術でルクレツィアとシンシアを抜くことも不可能であり、なにかの間違いで可能となったとしても、外には大量の神官戦士団がいるのです。


 私はただただおどろき、おびえるばかりで、行動を起こすどころか、言葉を発すること、頭を働かせることさえできないありさまでした。


 そんな私を置いて、事態は勝手に進むのです。


「ルクレツィアさん、申し訳ありません。私、裏切ります」


 シンシアが私を守るように、背を向けたのでした。


 わけがわかりません。


 私は保身のためにシンシアを家から追放した自覚があるのです。

 もちろん、私の小心ゆえに取り繕うようなことはしましたが、それだって社会という荒波に揉まれているうちにきっと私の欺瞞ぎまんと偽善に気付き、私を恨んでいるに違いないと、そう考えていたのでした。


 ところがシンシアの見解はまったく違うのです。


「お兄様は家でゴミのように死んでいくだったはずの私に『未来』をくださいました。冒険者という職も、魔術も、文字も、お兄様から教わったものなのです。今の仕事も、お兄様が服や宝石を持たせてくれたから、始めることができました。シンシアの持ち物は、シンシア自身もふくめて、すべてお兄様のものですから、お兄様に敵対はできません」


 私の混乱のあまり停止する時間が長引いたのは、間違いなくシンシアの言動のせいでした。

 私が知っている『私のなしたこと』と、シンシアの述べる『私がなしたこと』は、かなり見解に差があり、しかし、目立って否定できるほど現実と乖離かいりしてもいないのです。


 私は確かに冒険者について教え、魔術について教え、文字を教えました。

 お金や服や食べ物を持たせ、いざという時に売り払うように宝石も持たせました。


 それはたしかに正しい。正しいのです。けれど、私はそこに小癪こしゃくな計算と醜い保身があるのを知っているだけに、『それは違うんだ』と言いたいような、なんともおさまりの悪い気持ちを抱えざるを得ませんでした。


「だいたい、お兄様が精霊信仰をするならば、それが正しいのです。昼神と夜神をあがめるというこの国家は間違いです。お兄様は私の才覚をもっとも活かせる道を見抜き、そちらに進ませてくださった慧眼の持ち主です。お兄様は間違えません。私も始めます、精霊信仰」


 そこまでいくとさすがに「ちょっと待って」という言葉が出ましたが、しかし、怒涛どとうの展開は、私の言葉にかまっているどころではなく、まだ続くのです。


 ルクレツィアが蜂蜜色の目を細めたその時、場の緊張感が一気に高まり、私はこれから凄惨せいさんな殺し合いが始まるのを覚悟しました。


 学生の身、という表現をルクレツィアに用いましたし、それはまごうことなき事実なのですが、ではルクレツィアの実力はといえば、とても学生のわくにおさまるものではなかったのです。


 ルクレツィアは学生という身分でさえなければ神官戦士団を率いていてもなんら異論をさし挟む余地がないほど優れており、その実力は今や一線級の冒険者であるシンシアとどちらが上なのか、私にはとうてい測ることができませんでした。


 この二人の争いを予感した私はもはや保身のための弁舌さえままならず、ただただ押し黙って、おろおろしながら周囲にいる精霊信者たちへ目を泳がせていたのです。


 ルクレツィアはたっぷりと沈黙したあと、口を開きました。


「ならば私もそちらにつこう」


 言葉はわかるのに、なにを言っているのかわからないという事態は実在します。


 起こっていることはあまりにも明白であるにもかかわらず、それが起こる道筋が想像の外にありすぎて、私はまた混乱の時間がのび、ルクレツィアを見つめたまま、幾度もまばたきを繰り返しました。


 さらに私の視線に気付いたルクレツィアが恥じ入るように目を逸らして顔を赤らめたものですから、その表情と、『神官戦士団が邪教の摘発に来ており、私がこの礼拝堂の代表者』という状況とのギャップに、うまく反応できませんでした。


「私は、あなたが無理をしている様子が気になっていた。いくらたずねても、あなたは無理をしていないと答えるが……婚約者であるにもかかわらず、あなたが心のうちをさらけ出してくれないことに、寂しさも覚えていたのだ」


 ここで妹のような声で「はぁ!? 婚約者ぁ!?」という言葉が聞こえたような記憶があるのですが、妹は言葉も声も静かで、表情にもとぼしく、大声をあげることがありませんから、記憶違いかもしれません。


「しかし、ようやくわかった。私に心のうちをさらけだしてくれなかったのは……信仰の違いなのだな」


 わけがわからなすぎて反応できませんでした。


 私は断じてなにも言っていないはずなのですが、ルクレツィアはまるで、私に肯定されたかのように話を続けるのです。


「私も精霊信仰をしようと思う。洗礼の儀式などはあるのか?」


 後年判明するルクレツィアの悪癖というのか、ポジティブな魅力というのか、彼女はとにかく、話し相手が沈黙していると、自分にとって色よい返事をされたかのように話を続ける癖があるのです。

 そういった癖は主に私との会話の時にのみ発揮されるようで、我々夫婦のあいだでは、時おりこのように、『答えてないことを答えたことになっている』という現象が起こります。


 私が断固とした態度で『それは答えていない。君の思い込みだ』と述べることができれば、私はこのような記録をしたためるほど追い詰められなかったのかもしれません。


 けれど私にそのような心の強さがなかったので、現在、精霊王などと呼ばれ、ルクレツィアのあげた功績も、シンシアのあげた功績も、まるで私の差配のように広まり、私はその功績による名声と、現実とのギャップに狂い、うめき、身悶えし、こうして筆をとっているというわけなのでした。


「ど、どうするんですか!?」


 煮詰まった状況の中で信者の一人が私にそのようにたずねたため、どうにも、場の決定権が私の一存に委ねられているような、そういう空気になってしまいました。


 私はといえば叫びながら逃げ出したいような気持ちでした。

『両親にシンシアについてたずねたあとの食卓』と並ぶ、半生におけるもっとも緊張した瞬間。三つあるそれのうち一つが、この時の、周囲の視線がすべて私に集まった、精霊信仰礼拝堂の空気なのです。


 どうするのか?

 それを問いたいのは、もちろん私のほうなのです。


 追放した妹と放り出した婚約者が攻めてきたというだけでいっぱいいっぱいなのに、その二人はわけのわからない理由で味方になり、神官戦士団という勢力に敵対しようとしています。

 しかも精霊信仰をするとまで言っているのです。


 重ねて述べますが、この当時、精霊信仰は『邪教』でした。

 大したことがないのである程度目こぼしされてはいましたが、それでも規模が大きくなりかけると、こうして神官戦士団が派遣されるぐらいには、国家から目をつけられている信仰なのです。


 名うての冒険者となったシンシアに、公爵令嬢のルクレツィアまでもが精霊信仰を表明しようとしているのですから、これはもう、私が礼拝堂にいたことなどどうでもよくなるほどの大事件であり、この話の中心はもはや私ではないはずなのです。


 しかし、決定権は私にある。


 これからどうするか、ルクレツィアもシンシアも、私を見ている。


 混乱のきわみにいる私は、思わず、こんなことをつぶやいてしまいました。


「助けて」


 ……ああ、私はこの瞬間、引き返せないほど間違えたのです。


 ルクレツィアとシンシアは、私の願いを叶えるべく動き始めました。

 すなわち、礼拝堂を包囲する神官戦士団を蹴散らし、追い詰められた私を助けるための行動を開始してしまったのです。

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