第5話 精霊信仰

 私がオデットから教わったことは、屋台飯と、酒と、反貴族思想と、精霊信仰でした。


 しかし私は、これら思想や信仰を最初、まったく過激なものとは思わなかったのです。


 というのも、貴族や王族といった、いわば『為政者』に対し、民が不平不満を抱くことは本当に数え上げればキリがないほど多く、民などはみな、あいさつのように政治批判をし、貴族を無能呼ばわりし、自分で考えた政策などをいかにもまじめそうに論じるものなのでした。

 そういった議論で『素晴らしい意見』とされるのはたいてい、コストの面をはなはだしく無視した机上の空論にすぎず、まったくもって的外れで、彼らもそれを心のどこかでわかりながら、『まじめに政治を語る』という遊びに興じているようでした。


 反貴族思想、と述べてしまうといかにも大仰なように感じられますが、その思想の表す実質的なものは言ってしまえば『酒場で政治批判をする人たち』であり、これが現実的な脅威たりえないことを、貴族はじめ、論じている当人たちでさえ、よく知っているぐらいなのです。


 それよりもやや問題視されているのは精霊信仰のほうで、これは表でみだりに明かしてはならず、仲間だけに伝わる符丁を用いて決まった場所に行き、身内以外には決して発覚せぬよう祈りを捧げる、秘密の信仰でありました。

 しかしその『仲間だけに伝わる符丁』というのを知る方法はいかにも興醒めなほど簡単で、精霊信者たちは一時が万事『これが国に発覚すれば、自分たちははりつけにされ、処刑されるだろう』というようにりきみながらも、その情報の扱いはお粗末で、なんだかわざと滑稽こっけいにしているのではないか、というぐらいなのでした。


 私がこの集団とかかわるようになったのは、断ろうという選択肢を思いつかないほど、自然な流れの中だったのです。


 当時の私は複数のパーティから声をかけられており、声をかけてくれた人たちに精いっぱい報いようと努力をしていたのですが、なぜだか私を誘った人たちは、私に活躍させたくないような、奇妙なことを言うという状態だったのです。


 これは精霊王と呼ばれるようになったのちに側仕えによって告白されたことなのですが、当時私をパーティに誘った女性たちは、私にいわゆるところの『目の保養』を求めていた、ということらしいのです。


 私の面相は、美貌の貴公子として名高かった父と、宝石にたとえられること数限りなかった母の、よい部分だけを受け継いでいたようでした。


 そこには『私自身』がないのです。


 小心で、責任をとるのを嫌い、努力を怠り、面倒になるとなにもかもを投げ出したくなる、そういう自分の醜い面さえも、『私の個性』として、私の顔つきには表れないのです。

 肥大化する自我とは裏腹に、『私』というものはなんとも矮小で、人様に認めさせたいという思いと反比例するように、私の個性はあまりにも小さく、親から受け継いだものにすっかり隠れてしまう程度しかないのでした。


 だから私は両親から受け継いだ面相を誉められるたび、学校から逃げ出してしまったことや、両親のその後のこと、ルクレツィアのあの、厳しい顔立ちから放たれる叱責などを想像してしまい、胃に痛みを覚え、呼吸さえもままならなくなるのです。


 ともあれ私は能力ではなく面相だけが求められている現状をそれとなく感じていたのか、おおいに不満を抱いていました。

 当時の私は、若者特有の、と言ってしまうのは乱暴かもしれませんが、そういう、『自分の実力で成果をあげたい』という願望を強く抱いていたのです。


 魔術や神官魔術の知識や実力を活かしたい。努力で磨き上げた武技を発揮したい。

 しかし私の実力はその道で活躍している冒険者たちにはやはり及ばず、彼女たちは私がなにか行動を起こす前に敵を撃滅してしまうし、ケガも負わない。

 そのくせ私への気遣いなのでしょう、なんでもないすり傷をしきりに『治してほしい』と身を寄せてくるところで、私の自尊心はひどく傷つけられていたのです。


 そのような時に私の『新しい知り合い』となったのがオデットで、彼女はギルドの食堂でうつむいていた私の対面に腰掛けると、「治して」と言いながら、ちょっとした切り傷のついた右腕を差し出してきました。


 私は神官として未熟なものですから、神官魔術で人を回復させる際には、ほとんど触れそうになるほど患部に手を寄せて、じっと止まって集中せねばなりません。


 そうしてオデットのなんでもない傷を歯を食いしばって治したあと、彼女は少年のように歯を見せて笑い、こう述べました。


「傷を治してもらったお礼をしたい。でも、あいにくと持ち合わせがないから、ついてきて」


 私が『お礼』という名目で連れて行かれたのはクレープの屋台です。


 貴族生活の長い者に『クレープ』と言うと、新鮮なフルーツと粉砂糖をたっぷり使った、魔術で冷却されたスイーツというように思われるのですが、オデットに連れられたクレープ屋は、食事の屋台に分類されるものでした。

 甘くもない、小麦粉を練って薄く伸ばした生地で、たっぷりのソースとぶつ切りの焼き肉を巻き、そして申し訳程度の香辛料をふりかけてかぶりつくという、テーブルもカトラリーも使わないものだったのです。


 この時は冒険者稼業を始めてから少々経っていたもので、さすがに冒険者特有の食事にも慣れていましたが、屋台で買って素手でかぶりつくというのは、私の基準からすれば不衛生に感じていて、避けていたのです。


 しかしクレープ屋の店主と顔見知りらしいオデットからの『お礼』を、『不衛生だからいらない』と言ってしまえるほど、私は気が強くありません。


 おそるおそるクレープにかぶりつき、そのブツブツとした歯応えのある生地と、塩辛いソースと、あごの力をいっぱいに使わねば噛み切れないような安い肉の食感に、私は非常に強い刺激を受けました。

 味そのものはもちろん、家で出てくる料理のほうが数段上なのでしょう。しかし、私は『外でクレープにかぶりつく』という体験にすっかりやられてしまい、その日から屋台のクレープは私の好物の一つに数えられるようになったのです。


 オデットは翌日も来て小さな傷を私に治させると、またお礼と称して私を外に連れ出し、屋台めぐりなどを行いました。

 それは毎日続き、私も次第に『あの傷はたぶん、自分でつけたものなのだろうな』とわかりつつ、街にくわしく、あちこちで朗らかに声をかけられるオデットの案内で街巡りをすることを、楽しみにするようになっていったのです。


 そうしているうちに私はオデットの行く先を疑うという発想を失い、ある日、精霊信仰の隠し礼拝堂に連れ込まれました。


 なにせ精霊信仰は『邪教』なので入った直後にはとんでもないところに来たものだとヒヤリとしましたが、中にいる人たちは私の抱いていた『邪教の信徒』のイメージからはほど遠く、くたびれたシャツを着て、弱々しい体つきをしていて、すがるように祭壇に祈りを捧げる、『普通の人たち』だったのです。


 この時に私は初めて、『精霊』というものを、『ただの邪悪なもの』以上には知らない、己の知識の欠落に気づいたのです。


 この世界は昼神と夜神の二柱が治めており、この二柱の神は、一日の半分ずつ、我らを御身の世界に招かれます。

 明るい時間は昼神が我らをその世界に招いてくださっている時間であり、暗い時間は夜神に招かれている……というのが、誰でも知っている、昼夜信仰なのでした。


 精霊はこの二柱の神が、昼の世界から夜の世界へ人々を移動させるあいだの『黄昏たそがれの時間』、同じように夜から昼へ移動させる『黎明れいめいの時間』に存在するモノであり、このあいだ人々は神の加護を失っているので、そこを狙っているのだという話になっているのです。


 人が不意に行方不明になることを『精霊隠し』と言ったり、あるいはまともな人がなんの前触れもなくおかしくなってしまうことを『精霊憑き』と述べたりするぐらい、『精霊とは不吉な存在である』という話は広く浸透しています。


 しかし、この不吉な存在をあがめるのは、普通の人々なのでした。


『発覚すれば処刑される』というのは、本気で思っているようでいて、しかし本気ではない、というのか……

『こうして隠れて、おかみ(彼らは王侯貴族や上位役人をこのようにひとまとめに語ります)にバレないように祈ることで、絆を確かめ合っている』という様子なのでした。


 当時の私にとってこの信仰は衝撃的なものでした。


 オデットは本当に『街の案内』ぐらいのつもりで私を精霊信仰集会所に連れ込んだようで、彼女自身はさほど精霊信仰に傾倒している様子もなく、私とともに礼拝堂をおとずれたのも、案内の時の一度きりでした。


 ところが私は興味があると働きかけずにはいられない悪癖があるようで、すっかりこの精霊信仰に対する興味を刺激され、熱心に通い詰め、気付けばいつしか、精霊信者の中でも、幾人かの人をまとめるような立ち位置へと祭り上げられていきました。

 中には私自身を精霊だと述べる者もいたようです。


 私の入る礼拝堂はいつでも人に満ち、私は彼らの話を聞き、頼み事を聞き、そうして彼らから感謝の言葉を受け取りました。

 楽しかったのです。『家』ではなく『自分』が認められているような心地になることができたのです。

 彼らは私の家を知らない。私の本当の名を知らない。それでも私を頼り、私は私のできうる範囲で、彼らの頼み事を引き受け、解決します。


 それは私が求めてやまなかった『自分の実力が評価される環境』なのでした。楽しくないはずがありません。

 私はこの時、生涯を精霊信仰に捧げてもいいとさえ、思っていました。


 ところがそうした活動がさかんになり、隠し礼拝堂に人がおさまりきらないほどの日が続くと、否応なく目立ってしまいます。


 時間を決めて人を分けようとしても、精霊信者は序列や順序や約束といったものをあまり重視しない……

 これは『民』の特徴と言ってしまってもいいのかもしれませんが、彼らは、自分が緊急だと感じることがあれば、客観的にそれがどれほどの緊急か、それは順列を乱すほどなのかを考えず、とにかく殺到するという特徴を持っていたのです。

 そうして持ち運ばれる話は大した緊急性でもなく、しかも緊急だと大騒ぎするばかりでちっとも伝えたいことを短くまとめようともせず、だらだらと関係のない話をし、それだけで満足して帰っていくのでした。


 私はさすがに苦言を呈さざるを得ませんでしたが、すると彼らは一様におどろいた顔になり、ひどい裏切りでも受けたみたいに怒り狂って、私を汚く罵倒して、不幸な予言まで吐き捨てて去って行くのです。


 こういう事態が続くとさすがに私も嫌気がさしてきます。

 しかし、精霊信仰そのものは捨てるにはなんだかもったいなく、学校に戻るわけにもいかず、『秘密の信仰』のはずなのに道端で止められて話をされたりすると時間もとられ、うんざりとした気持ちがしてきます。


 私が精霊信仰の上位神官めいた役割を続ける理由を『やめても他にすることがないから』という程度にまでぞんざいにしていたある日、この秘密の信仰はついにばれてはいけない相手にばれてしまいます。


 王都神学校主席生徒会長にして公爵家四女ルクレツィアが、噂を聞きつけ、邪教討伐の部隊を率いて、私の詰める礼拝堂に現れたのでした。

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